[1] | 川口 信さんからのコメント(2003年01月16日 16時35分59秒 ) | パスワード |
別の検索をしていましたら下記のようなURLがありました。
「那須与市の供養塔」
http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/kanko/rekishi/pg/r53.html
なぜ、那須与市の供養塔が米沢に
石塔の建つ境内は、元は米沢藩の重臣千坂家の菩提寺、一花院(いっけいん=臨済宗)のあった場所で、虚空蔵菩薩堂と石塔は千坂家が建てたものと言われています。
千坂家は元々は関東管領上杉氏の家臣で、越後守護となった上杉氏に従い越後に移り、その後は上杉氏を継いだ謙信(長尾景虎)の家臣となり活躍、上杉家に伴って米沢に移り、江戸家老等の要職を歴任しました。
この千坂家が那須家と縁続きで(那須家から嫁入りしたと言う)、与市が守本尊とした虚空蔵菩薩像が伝わったと言います。また、千坂家は「与市」の名を代々通称に用いました。
そして、謙信に仕え活躍した千坂景親が慶長11年(1606)に米沢で死去した際、千坂家歴代の墓として、遠祖で弓で名高い那須与市も一緒に供養した五輪塔が建てられ、享保4年に鞘堂としてこの石塔が建てられたものと思われます。
[2] | 三浦 義幸さんからのコメント(2003年01月20日 22時30分19秒 ) | パスワード |
私の知ってる、歴史的には、赤穂浪士に出ますね。
千坂家は、上杉重臣、千坂兵部では、NHK大河ドラマ的スギル。
勉強の無さを感ずる。
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