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 投稿番号:100432 投稿日:2002年12月31日 13時16分04秒  パスワード
 お名前:あきら
家紋:対い揚羽蝶
キーワード:家紋 揚羽蝶
コメントの種類 :質問  パスワード

うちの家紋は対い揚羽蝶で、苗字は鎌田といいます。
いろんなHPで蝶の家紋は平家や織田家が使っていたと書いてありました。
そこで、対い揚羽蝶の家紋を使った先祖を知りたいと思い投稿しました。
何でもかまいません。何かご存知でしたらお願いいたします。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年12月31日 14時19分52秒 ) パスワード
  

鎌田氏:

源義朝の家来として著名の鎌田さんは守部姓首藤氏流って載ってました。
その他
常陸・磐城の鎌田さんは桓武平氏だそうです。
薩摩の鎌田さんは藤原姓だそうです。
他にも鎌田さんとおっしゃる族があるそうです。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年12月31日 14時43分59秒 ) パスワード
  

紋から先祖を調べるというのは難しいですよ。

蝶紋は源氏も平氏も藤原氏もお公家さんもその他の姓氏の方も使用していらっしゃいます。
早い時期としては正倉院の御物に蝶紋の品があるそうですし
香港にも蝶紋を使ってる所があるし
蝶は世界中でパターンが見られますから。


織田信長が早い時期、平家の子孫を称して蝶紋を使ってた事がありますが
その乳母子の池田恒興にも蝶紋を許し
さらに池田と親戚になった建部氏も記念に蝶紋を使用しています。
建部氏は源氏だそうですが。それで蝶菱にアレンジして。菱は源氏の紋ですから。



蝶紋で調べると
藤原姓鎌田氏は確かに蝶紋を使っていらっしゃる。


私の想像では
源義朝の家来だった正清およびその一族が蝶紋を使ったとは思えないです。
蝶紋は一応平家の代表紋なので意地でも違う紋を使用したと思います。
ですから源義朝の家来の鎌田氏じゃないと思いますよ。


あきらさんの御先祖さまがどこの御出身かでかなり特定されると思いますが。
なんとも言えませんが
少なくとも明治の初めの戸籍謄本をお取りになって(遡れば簡単)
江戸時代の終わりにどこにいらしゃったのか分かると良いですね。


蝶紋は綺麗なので女性用の貸し衣装の代表紋だと聞いています。

源平時代に平家と戦った側だったら蝶は使わないと思いますけどね。
[3]あきらさんからのコメント(2003年01月01日 12時41分20秒 ) パスワード
  

早速のお返事ありがとうございます。

やっぱり先祖探すの難しいのですね。
実は先祖の墓に彫ってある蝶紋と先祖代々とされている風呂敷に書いてある
蝶紋、違うんです(笑)
しかもちゃんと両方とも別なものとして家紋登録されているやつでした。
どっちが本当なんだろう。

どちらにしてもやっぱり先祖を探してみるのは楽しそうです。
教えてくださった戸籍謄本取ってみようと思います。

[4]服部 明子さんからのコメント(2003年01月01日 16時13分16秒 ) パスワード
  

>実は先祖の墓に彫ってある蝶紋と先祖代々とされている風呂敷に書いてある
>蝶紋、違うんです(笑)

>しかもちゃんと両方とも別なものとして家紋登録されているやつでした。
>どっちが本当なんだろう。


どちらもあきらさんのお家の御紋だと思いますよ。
もしかすると
主人=殿さま又はホンヤさんから頂いた風呂敷かも知れないのでなんとも言えませんが

紋っていろいろいじったりもするんですよ。
それに美的センスのある人がこういうのがいいなって変更する事もありますし。


私の父方「伊賀の服部」もいろいろバージョンがあります。
もとは平家ですけど途中で矢紋にしたのですが
基本は矢でも
嫡流系弟系庶子系それから尾張藩に仕えた系いろいろ微妙に違います。
伊賀の服部家嫡流の家紋と尾張藩に仕えた服部家の家紋はもう他人系です。
まさか同じ先祖から出てるなんて気が付かないですよ。


母方は源氏方だった「伊予の河野」で
河野も成り上がる度に図柄が垢抜けて行きました。
そして図柄で格が分かるし。

私の母方は大坂の役で敗れて落人になって
名前や家紋を隠さなくてはならなくなって
苗字は「内野」に変え家紋はどういう訳か源氏の佐々木の家紋なんですよ。

それで江戸時代には登録したので
本来の河野の名前を許されたのは江戸時代の終わりで
家紋の方は元に戻すのが許可にならなかったのです。

私にすれば困るのですよ。
本当は折敷3文字紋でなきゃいけないのに
江戸時代から400年源氏の佐々木の家紋を使ってるのですから

ですからあきらさんのお家もいろいろな事情で御先祖さまが違う蝶の紋を使う必要があった
という事だと思います。


母方は何度も苗字が変わってて「柚木」というのも使ってます。
先祖の1人が柚之木谷殿と呼ばれてたので。
河野→柚木→河野→内野→河野と変わりました。

紋はもっと変化し易いと思いますよ。


戸籍謄本と取る時はまず自分のでしょ
次がお父さま(鎌田家)のでしょ
それからお祖父さまのでしょ
それから曾祖父さまのでしょ
さらに高祖父さまのをとって行きます。

戸籍謄本の必要な理由は「先祖の供養」というのが良いと思いますよ。
ホントなんだから。
頑張ってね。

一生懸命御先祖さまの事を調べてると向こうから教えてくれますよ。

おじさまやホンヤさん等いろいろ問い合わせて調べましょうね。
[5]服部 明子さんからのコメント(2003年01月02日 10時50分13秒 ) パスワード
  

今日見た「光源氏物語ーー千年の恋」の
明石の御方の生んだ娘の着物の柄がまさに「対い蝶」でした。

確か紫の上が出家したいと言って源氏に許されなくて病気になって寝込んだシーンです。
かなり終わりです。
[6]あきらさんからのコメント(2003年01月14日 00時54分07秒 ) パスワード
  

コメント遅くなってすみません。
いろいろと教えていただき、本当に勉強になります。
そうか〜紋が2つあるってことも間違いではないんですね。
しかも明石の御方の娘の着物柄!
なんか1つの紋とっても身近に歴史感じることが出来て嬉しいです。

昨日おばあちゃんの49日でした。
そのときに紋の話しがでましたが、結局今生きてる人のなかで詳しく
知ってる人はいませんでした。
しかもその話を聞くとどうもうちの家系といいますか、鎌田家の
家系自体結構胡散臭い。
どうなのでしょ。。。

とりあえず、時代を遡ること今楽しみにしています。
春休みに入ったらきちんと調べてみます。

本当にありがとうございました。
また調べる上でお世話になるかもしれません。
そのときはお願いいたします。
[7]服部 明子さんからのコメント(2003年01月16日 07時55分12秒 ) パスワード
  

>しかもその話を聞くとどうもうちの家系といいますか、
>鎌田家の家系自体結構胡散臭い。


日本人の殆どが苗字があったと思っています。
でもいろいろ事情があって
それは自己都合だったりお上から禁じられたり

それで明治維新になって突然苗字を許されて
晴れて名乗ったり思い出したり全く思い出せなかったりそれから命を守る為に偽称してたり

それで苗字がハッキリしないお宅というのが結構あったと思います。
でもこうして存在してるのだからそれで良いのだ
と命が続いた事を御先祖さまに感謝しましょう。


年取った方にきくとか
ホンヤさんに問い合わせるとか
それから戸籍謄本で遡って調べるとか


源義朝の家来だった鎌田さんじゃないと思いますが
でももしかするとそうかも知れないです。

御先祖さまの住んでた田舎のお墓に行って苗字と家紋を調べてみるというのも面白いかもです。頑張ってくださいね。
[8]多分名家さんからのコメント(2010年04月14日 22時38分53秒 ) パスワード

うちも揚げ羽の蝶が家紋です。
全国的に少ない姓ですが、和歌山県ではトップテン入りしてるかも知れません。
私は幼少時から織田家の子孫だと教えられてます。
当たりかハズレかは分かりませんが、家紋は超お気に入りです。
[9]島原の易田のうらみさんからのコメント(2011年01月30日 12時54分58秒 ) パスワード

鎌田の揚げ羽の本家は,現在関東にあると思います
旗本-1万4千石が千葉で1万2千石が二子多摩だったかと
千葉は47代か48代で頭首は名に昌をもつはずです
これは源氏の分家です
家紋は左あげはで戦紋は三角三重の足利と同じです
7のコメントに家来とあるが同族で暗殺を役としていたとありました
九州の志布志には分家があり
連れ去られ人質となった皇族を勅命による暗殺を担った一族の分家
福岡には備後小堀の臣として分家された一族 家紋は左巴三重
すべて 読みは「かまた」ではなく「かまだ」で藤原の一族とも
血縁をもちます。
[10]国拓昌にある寧の樹さんからのコメント(2012年01月21日 16時40分08秒 ) パスワード

備後小堀の臣鎌田は、元々左揚羽紋やん
江戸時代に鹿児島・福岡・江戸2家に分かれて
左巴の三つ重ねなどあるけど
戦紋は共通の三角三重です
[11]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2012年01月22日 11時00分10秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

現在、鎌田姓が最も多いのは北海道だが東日本に多く分布する。
守部姓首藤氏流が主流だが、ほかに卜部、源、平姓等が全国分布。
対い蝶だと、磐城国白川郡鎌田邑発祥の清和源氏頼親流石川氏族が濃厚。
鎌田姓の概観を知るには「鎌田一族」等を入手すると良いだろう。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/020/02004b.htm
[12]環境大学新聞 編纂室 家紋・分脈掛さんからのコメント(2012年01月26日 12時44分59秒 ) パスワード

若宮ゆかりの大根焚と粕汁

江戸時代以前の卒族(20表2人扶持ナド)は、
家紋など無かった事は歴然としています。

鎌田が姓なのかは、父・母(一親等A)また、
祖父・祖母(二親等C)また、
三親等G、四親等O、と男系女系全て遡れますか。

昭和16年正月頃から日本全土(満州、朝鮮、台湾、ヲ含マズ)に
ラジオ放送を通て古式道理の朗々たる太子(S.13葛野守)様の歌詠で、

記紀などから後記(理=コトワリ≒国創ナド分脈)、源氏・平氏.家物語(各家ノ分脈)

四書五経(道徳)、勅撰和歌集(教養・自然科学)、小倉百人一首など(一般教養)、

が生放送され大日本帝国陸軍・海軍の全部隊で、大元帥閣下から
  (艦艇ト施設・国内駐屯地、海外駐屯地(満州・朝鮮・台湾ノ顧問施設)

桃園親王家の四書五経手習始ノ礼に合て自主的に勉強会を準備し、

太子様の朗読(風土記や物語ナド分脈)や連歌(皇太子カラ順番ニ詠)を聴く事で、

勉強始とする部隊が大変多かったのを御存知ですか。

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