[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年12月01日 13時35分03秒 ) | パスワード |
家永・家長
平忠盛の家人・家長の子孫。
家長17歳の時、忠盛が初殿上し、その護衛に父・家貞と共について行った。
[2] | 嘉村孝さんからのコメント(2002年12月18日 23時45分30秒 ) | パスワード |
ご無沙汰致しております。
うろ覚えで申し訳ないのですが(それで最初はメールしようとしたのですがうまくいかなくて)、確か家永先生のお父さんが陸軍少将だったはず。そして、(葉隠の)佐賀県人。あの生き方は、正に昔の佐賀県人という感じもしますし、家永という名字は佐賀に多いです。
佐賀は正盛以来平家の本拠でもあったからということでしょうか。特に忠盛は神埼の庄預所職に補せられていましたし。
日宋貿易と深く関わっていましたしね。
なお、全くの予断ですが、私のホームページにも掲示板をつけまして、「蒙古の鉄砲」(かもしれない)ものなど展示してありますので、よろしければ是非おいでください。
[3] | 嘉村孝さんからのコメント(2002年12月18日 23時59分40秒 ) | パスワード |
そういえば、千葉氏が伊賀の守護だったはず。頼朝を助けた縁で。そして、佐賀の小城の地頭にもなっていますね。とすると、その時ついてきた?
全くの無責任な推測ですが。
ちなみに嘉村はやはり千葉氏について近江の神崎郡常富の庄嘉村から来たと「神代家伝記」にあります。
近江には佐賀によくある姓が多いです。例えば江頭(えがしら)とか。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年12月19日 04時15分14秒 ) | パスワード |
あの錆びた感じの筒が鉄砲(てつはう)かも知れないのですか?
あれから鉄砲(てっぽう)に発達して行ったのでしょうか?
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