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 投稿番号:100414 投稿日:2002年11月29日 06時26分25秒  パスワード
 お名前:服部 明子
羽継原合戦

コメントの種類 :質問  パスワード

羽継原合戦について知りたく思っています。
御存知の方いらっしゃいましたら是非書き込みをお願い致します。

[1]takahiroさんからのコメント(2002年11月29日 10時57分53秒 ) パスワード
  

既に御覧になっていると思いますが、

 http://www2.harimaya.com/sengoku/buke_km/bk_hatug.html
 (羽継原合戦記を読む)

がありました。

また、嗣永芳照氏著「見聞諸家紋と羽継原合戦記」(新人物往来社『日本紋章
事典』所収、昭和53年)ともありましたので、次回図書館に行きましたら探し
てみます。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年11月29日 11時01分05秒 ) パスワード
  

takahiroさま

ありがとうございます。
早速上記URLに出掛けてまいります。
[3]川口 信さんからのコメント(2002年11月29日 14時07分07秒 ) パスワード
  

羽継原合戦については良くわからにのですが。
 
 嗣永芳照氏著「見聞諸家紋と羽継原合戦記」(新人物往来社『日本紋章事典』所収、昭和53年)は所持しております。

同書によれば「見聞諸家紋」と「羽継原合戦記」と称される二本は、家紋研究上の不可欠の史料として、現在、家紋書の二大古典ともいうべき位置を与えられている。
 「羽継原合戦記」と称されている本は、まことに奇妙な本である。色々な写本があり、前段の部分は「続群書類従」合戦部・「改定史蹟集覧」第一三冊などにも所収されているほか、写本も所々に存在する「長倉追罰記」と全く同一内容なのである。一方後段の部分も「続群書類従」合戦部・「改定史蹟集覧」第一二冊などに所収されている「永享後記」そのものなのである。

と書かれているのみで実際の文章は載っておりません。

  内容は前段では、永享七年(1435)、室町幕府六代将軍義教と対立する鎌倉公方足利持氏が、関東諸将を率いて、将軍と呼応する常陸の佐竹義仁およびその一族長倉義成を攻めた時の戦記で、長倉義成が篭城する常陸国佐竹の長倉城を囲んだ岩松持国を大将とする寄せ手諸将一三四の家名とその幕紋名一一七が列挙されている。まさにこの前段の部分が、家紋書としての「羽継原合戦記」の名を高からしめたところである。
 一方、後段は足利持氏の遺児成氏の生い立ちから鎌倉公方就任、享徳三年(1454)の管領上杉憲忠の殺害、そして康正元年(1455)十月十七日の上杉方との武蔵国岡部の羽継原での合戦の帰趨までを記した戦記である。とりわけ家紋について記したものではないとあります。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年11月29日 16時26分14秒 ) パスワード
  

ありがとうございました。

「矢筈車は服部」と載っていて感動しました。


>武蔵国岡部の羽継原

これもどこの事か全く分からず、
教えて頂きやっと分かりました。
ありがとうございました。
[5]takahiroさんからのコメント(2002年11月30日 00時54分36秒 ) パスワード
  

室町期の家名と紋幕名、興味をひかれましたので「羽継原合戦記」から
纏めてみました。

長倉遠江守   :桐のまんまく二引、御一家もみなこれ同し
上杉殿御両家  :竹に雀
長尾      :九ともえ
土岐      :水色に桔梗
斎藤      :なてしこ
富樫之助    :鹿
伊勢国司北畠殿 :わりひし
大内介     :からひし
甲斐武田    :武田ひし
興津左衛門   :半月に丸ひし
越前の織田   :瓜
山佐の河内守  :瓜
秋元、朝倉   :瓜
飛騨国司姉小路殿:日光月光
千葉之介    :月に九えう
上総介     :八えう
三浦之介    :三引両
小山、朝比奈  :左巴
遠江の朝比奈  :けんひし
宇都宮、行方岡部:右巴
永井、那波   :三つ星に一文字
因幡守広元   :一品と云字の表体
末葉毛利の一家 :一品と云字の表体
赤松、小笠原  :三文字松皮
佐々木判官   :四つ目結
本間の四郎   :十六目結
海老名     :庵に瓜
高井左衛門   :松に鶴
洲西      :さんきにさる
牛の尾     :へふねつる
楠       :浦加月にほし
極楽寺     :水車
狩野介     :三本杉、但たかの羽を打事も有
山中      :さかりふし
松田      :めひきかこ
葛西      :かしは
大石の源左衛門 :いてうの木
結城七郎    :五ほん筋、但ともへを打事も有
三河国水野   :永楽の銭
中条      :さゝの丸あしなし
小田の大輔   :すはま
多田の三郎   :しゝにほたん
武蔵国太田源次郎:萩の矢も是をうつかふら矢
野田福王    :十六葉の菊の紋
児玉たう    :團に菊
簗田      :おほひ
高家      :わちかい
二階堂、六郷  :たてつな
富士の大宮司  :しゅろの丸
きほたん    :杉
内藤備前    :りうこにてまり
楠薬師寺    :菊水
小山の薬師寺  :ともえ
久下      :一番と云文字
伊勢守ひろなり :あけはのてう
まひさき    :御櫛
北条殿、横井  :三うろこ
大極入道    :巴
緒方佐伯    :巴
神保      :藤の丸
椎名      :おもたか
大戸羽尾    :飛つはめ
島津左馬頭   :十文字
伊東六郎    :一文字
菊池      :鷹の羽
熊野鈴木    :稲の丸に榊
とひなり鱸   :まな板にまなはし
三河鈴木    :藤の丸
泉安田     :大すなかし
名越      :三本からかさ
秩父殿     :小もんの皮
安部との    :かりかね
飯塚      :八つほし
伊予国河野一党 :すみをしきに三文字
備前こしま   :品の字
駿河小島    :八の字
下総の境    :ともへ
石川      :ささりんとう
熊谷      :もつかう
伊勢の外宮榊原 :車
八幡の神職   :鳥居
望月      :七星
諏訪のほうり  :梶の葉
皆岐の八郎、宮原:三たうし
服部      :矢はつくるま
天野藤内    :松に月
熱田大宮司   :帆かけ舟
山城      :すかなし
小串五郎    :水にかり
粟生原     :かやく
南部      :ひすつる
葛山備中守   :庵のうちの二頭のまひ鶴
常陸の佐竹   :扇に月
板垣      :地黒菱
阿波の三好   :松皮に釘貫
一宮      :日雲
下枝      :左巴
櫛置      :まひ違い雁
常葉      :根引松
下条      :梶の葉
折野      :木瓜
板西      :丸のうちにまつかは
山中      :日扇
溝口      :井桁、但三葉かしを打事も有
高畠      :違かふら矢
松の尾     :丸の中にまん字
二木      :ちきり
松岡      :瓜
赤沢      :松皮に十文字
遠州の小笠原  :松皮菱に水落
標葉      :九曜星
山辺、西牧   :梶の葉
犬甘平瀬島一党 :石畳後聴其外


*確かに

 服部家、矢はつくるま
 伊予国河野一党、すみをしきに三文字

との記載がありました。
[6]takahiroさんからのコメント(2002年11月30日 01時12分33秒 ) パスワード
  

上記[5]において、

楠       :浦加月にほし
きほたん    :杉

は、

楠浦      :月にほし
杉       :きほたん

かもしれません。(文章の切れ目がよく判りません。その他訂正があればお願いします。)
[7]服部 明子さんからのコメント(2002年11月30日 01時15分01秒 ) パスワード
  

takahiroさま

お疲れさまでございました。
見てるだけでも目が寄ってしまいますのに。
(笑)


>永享七年(1435)、
>室町幕府六代将軍義教と対立する鎌倉公方足利持氏が、関東諸将を率いて、
>将軍と呼応する常陸の佐竹義仁およびその一族長倉義成を攻めた時の戦記で
>長倉義成が篭城する常陸国佐竹の長倉城を囲んだ岩松持国を大将とする寄せ手諸将
>一三四の家名とその幕紋名一一七が列挙されている。


上記に書かれている諸将は関東にいた服部氏や河野という事なんでございましょうねぇ
伊賀の服部氏は室町幕府の将軍に仕えていたそうでございますから。

同じ家紋使用で
ウチが本家だ宗家だ嫡流だという
そういう雌雄を決する戦でもあったのでございましょうね。
勝てば官軍(嫡流になれますから)ですから。
[8]takahiroさんからのコメント(2002年11月30日 01時36分46秒 ) パスワード
  

>お疲れさまでございました。
>見てるだけでも目が寄ってしまいますのに。
(笑)

始めてみると、思った以上に大変でした。

参考の為、原文も挙げておきます。

 http://www2.harimaya.com/sengoku/buke_km/bk_hatug.html

羽継原合戦記(長倉追罰記)

同年十月廿八日。結城宇都宮相続。籌をいはくの中に廻し。長倉遠江守開陣畢。
彼の遠江守。名を日本に上。誉を八州に振。此時某打ちめくり。次第不同にうちなかすまくのもんをそかそへける。
御所の陣かとおほしくて。梢の冬のなか空に桐のまんまく二引。御一家もみなこれ同し。
竹に雀は上杉殿御両家。九ともえは長尾か紋。水色に桔梗は土岐の紋。斎藤かなてしこ。鹿は富樫之助。伊勢国司北畠殿のわりひし。大内介からひし。甲斐武田をわかさの守護は武田ひし。半月に丸ひしは興津左衛門。越前の織田と山佐の河内守か瓜の紋。秋元も是を打。朝倉かみつもつかう。飛騨国司姉小路殿は日光月光。月に九えうは千葉之介。八えうは上総介。三引両は三浦之介。小山は左巴也。朝比奈も是同し。但遠江の朝比奈はけんひし也。宇都宮は右巴なり。行方岡部も是を打。永井と那波は。三つ星に一文字にて。昔の因幡守広元か末葉毛利の一家にて。一品と云字の表体也。
三文字松皮は赤松と小笠原。四つ目結は佐々木判官。十六目結は本間の四郎。海老名は庵に瓜のもん也。松に鶴は高井左衛門。さんきにさるは(注1)洲西かもn。牛の尾かへふねつる。楠浦加月にほし。極楽寺か水車。三本杉は狩野介。但たかの羽を打事も有。山中かさかりふし。めひきかこは松田かもん。葛西はかしは。大石の源左衛門はいてうの木。五ほん筋は結城七郎。但ともへを打事も有。永楽の銭は三河国水野か紋。中条はさゝの丸あしなし。すはま(注2)小田の大輔。しゝにほたんは多田の三郎。萩の矢も是をうつかふら矢は。武蔵国の住人太田源次郎也。十六葉の菊の紋は野田福王かもん也。團に菊(注3)は児玉たう。簗田はおほひ。わちかいは高家のもん。たてつな(注4)は二階堂。同六郷も是を打。しゅろの丸は富士の大宮司。きほたんは杉かもん。内藤備前かりうこにてまり。楠薬師寺か菊水。小山の薬師寺かともえの紋。久下は一番と云文字。あけはのてうは伊勢守ひろなりも是を打。まひさきは御櫛のもん。
北条殿三うろこ。同横井も是を打。大極入道は巴のもん。緒方佐伯も是同し。神保か藤の丸。椎名かおもたか。大戸羽尾か飛つはめ。十文字は島津左馬頭。一文字伊東六郎。鷹の羽は菊池もん。熊野鈴木は稲の丸に榊也。とひなり鱸(注5)はまな板にまなはし(注6)。三河鈴木は藤の丸。大すなかしは泉安田。三本からかさ名越の紋。小もんの皮は秩父殿。かりかねは安部との。八つほしは飯塚。すみをしきに三文字は伊予の国の河野の一党。備前こしまは品の字。駿河小島は八の字。下総の境はともへ。是は千葉のそうとかや(注7)。ささりんとうは石川。もつかうは熊谷。車は伊勢の外宮榊原か紋也。鳥居のもんは。八幡の神職。宮崎の法印か紋也。七星は望月。梶の葉は諏訪のほうり。三たうし(注8)は皆岐の八郎。宮原も是を打。矢はつくるまは服部。松に月は天野藤内。帆かけ舟は熱田大宮司。山城かすかなし。水にかりは小串五郎。粟生原かかやくのもん。
ひすつるは南部かもん。庵のうちの二頭のまひ鶴は。天智天皇の後胤葛山備中守。御所も是を打。扇に月の書たるは。常陸の佐竹かもん也。地黒菱は板垣。松皮に釘貫は阿波の三好かもん也。一宮は日雲也。左巴は下枝の紋。まひ違い雁は櫛置のもん。根引松は常葉のもん。下条は梶の葉。折野は木瓜。板西は丸のうちにまつかはのもん也。山中は日扇。溝口は井桁。但三葉かしを打事も有。高畠は違かふら矢。松の尾は丸の中にまん字。二木はちきりを打。松岡は瓜のもん也。赤沢は松皮に十文字。遠州の小笠原松皮菱に水落。九曜星は標葉也。山辺。西牧は梶の葉を打。犬甘平瀬島は一党石畳後聴(注9)其外。
幕の数々当世はやる国々の作り名字の幕つくしうてほうたひに立ならふ。能々見れは長月の秋の末葉のをき。すゝき。尾はな。かるかや。おみなめし。野分の風に打なひき。時雨や露にくちはてゝ。ふゆの野陣のまくそろへ、中々難尽筆。

■注解説
注1 さんきにさる
「算木に猿」の意か猿紋は’後世、ぬいぐるみの猿のかつらのような形があるが、中世ではみあたらない/「さる」は「つる」の間違い。筆書体の「佐」は「津」に似ている。『関東幕注文』にも「周西彦九郎。つこうの内に舞鶴 さん木」とある。「二つ引両に立ち鶴」と考えられようか。
注2 あしなし。すはま
これは二句に分かれず一句で「足無洲浜」のこと。かつて足のある洲浜もあった。但し、いまは足付洲浜はほとんど消失している。
注3 團に菊
「團子菊」または「團に菊」と解する例もあるが、やはり児玉という名字からも團はウチワで「団扇に菊」と解したい。
注4 たてつな
これは古来、謎の紋であったが、最近発見された。たて綱ではなくタテズナ(立砂)と呼ぶ。貴人の家の車寄せの前の左右に編笠形に丸く盛り上げた砂。車のクビキやナガエをもたせかけるためにつくったもの。掲載した紋は「三つ立砂」。
注5 とひなり鱸
「とひなる鱸」と読むのが正しい。とひとは土肥のこと。鈴木一族を区別して鱸をあてたと思われる。
注6 まな板にまなはし
まな板に真魚箸で、ともに料理をするまな板と箸。実形不明。但し、長方形の板に二本の箸が並んで置いてあるものと想像される。「合子に箸」の合子の代わりにまな板を置けばよいのではないか。
注7 千葉のそうとかや
千葉の「そう」ではなく「そし」が正しい。つまり庶子のこと。
注8 三たうし
三たうしは、御手洗と読むのが正しいと思われる。神社の境内に置かれた清めのための手洗い。紋はその形をかいたもの。但し、その実形は伝わっていない。
注9 後聴
名字でゴチョウと読む。珍しい名字だが現在もある。

【家紋百話-上巻 丹羽基二氏著/河出書房新社刊に拠る】
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