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 投稿番号:100412 投稿日:2002年11月24日 01時30分30秒  パスワード
 お名前:梅吉
はじめまして。五条大納言邦綱について。
キーワード:藤原邦綱
コメントの種類 :人物  パスワード

はじめまして。
梅吉と申します。
本当に平家物語を熱く語っていらっしゃって、
とても感動しています。

今、平重衡の妻の大納言典侍について調べています。
その上で、その父親である五条大納言邦綱(藤原邦綱)について
詳しくしりたいと思っているのですが、
この人を知るいい資料・本などはないでしょうか?

良い情報があったらご一報いただきたいと存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。

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[1]服部 明子さんからのコメント(2002年11月24日 02時05分56秒 ) パスワード
  

はじめまして、ようこそいらっしゃいました。

この人についての本というのは知りませんが
関白藤原忠通についての本になら切れ者の部下として出て来ると思います。
更に忠通の子・藤原基実、更に死後は、基実の妻・盛子のお話に出て来ると思います。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年11月24日 10時20分02秒 ) パスワード
  

身分の低い藤原に家に生まれても清盛と組んで
平家の最盛期に亡くなったのですから
幸せな一生だったでしょうね。


自分は盛子の後見役
息子の清邦は清盛の猶子
娘達は
成子は六条天皇の乳母
邦子は高倉天皇の乳母
輔子は重衡の妻で安徳天皇の乳母
綱子は建礼門院徳子の乳母


平家と共に全盛を極めた貴族になりましたね。
財力も貯えに貯えたし。

世の中にはこういうラッキーな人もいたのですね。
死んだのも清盛と同じ年の同じ月だったそうで平家の凋落を見ずに済んで本当にラッキーな人でした。
[3]梅吉さんからのコメント(2002年11月24日 13時28分56秒 ) パスワード
  

本当に早い対応ありがとうございます。

『平家と共に全盛を極めた貴族になりましたね。』
とありますが本当にその通りだと思います。

そして性格も良い人だったみたいですね。
「玉葉」などにも、大変心の広い人と記してあるみたいです。
きっと、とても社交上手の人だったんでしょうね。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年11月24日 14時55分14秒 ) パスワード
  

>そして性格も良い人だったみたいですね。
>「玉葉」などにも、大変心の広い人と記してあるみたいです。
>きっと、とても社交上手の人だったんでしょうね。


そうでしょうね。
平家一門で悪く書かれる人のグループには出て来ませんものね。

経済的な頭脳があって
政治的にもうまくて
清盛の右手だったという印象を持ちます。

現在の言葉で表現すると「経済界のキレモノ」。
ひょっとすると清盛の経済政策のブレインだったのかも。

この人について詳しく書いた物に出会ってないので人物像が掴めませんが
忠実との関係もあるので
平家の貴族化にも大いに貢献してたのかも知れませんね。
[5]川口 信さんからのコメント(2002年12月01日 16時41分09秒 ) パスワード
  

五条大納言邦綱(藤原邦綱)に関係のある文章が「源平盛衰記」巻45の
S4504 内大臣京上被斬附重衡向南都被切並大地震事の
なかに記載がありましたので。

 本三位中将重衡卿は、前内大臣父子と相共に、九郎判官に相具して上けるが、内大臣父子は勢多にて切れぬ。重衡をば南都大衆へ出して切首、可懸奈良坂とて、故源三位入道頼政が息、蔵人大夫頼兼相具して、(有朋下P675)山階や神無森より醍醐路に懸て、南を指てぞ通ける。住馴し故郷、今一度みまほしく思召けれ共、雲井のよそに想像、涙ぐみ給も哀也。小野里、醍醐寺を過て、中将泣々宣けるは、日比各情をかけ憐つる事、嬉し共云難尽、同は最後の恩を蒙べき事あり、年来相具したりし者、こゝ近き日野と云所に在と聞、鎌倉に在し時も、風の便には文をも遣して、返事をも聞ばやと思ひしか共、免しなければ不叶、南都の衆徒に被渡なば、再び可還来身に非、されば彼人を今一度、見もし見えもせばやと思はいかゞ有べき、我に一人の子なければ、此世に思置事なし、此事の心に懸て、よみぢも安く行べし共不覚と宣ひければ、武士共も、遉岩木ならねば涙を流つゝ、何かは苦しかるべきとて免しければ、手を合悦給て、日野大夫三位の許へ尋入て案内せられけり。彼大夫三位北方と申は、大納言典侍の姉也。大納言典侍とは、故五条大納言邦綱卿の御娘、先帝の御乳母也。平家都を落し時、同西国に下給たりけるが、壇浦軍敗れて後、再都へ帰上たれ共、家々は都落の時焼ぬ、可立入所もなければ、女院に付進せて、暫吉田に座しけれ共、さても可叶様なければ、姉の三位局を憑て、彼宿所の片方に忍てぞおはしける。三位中将の使は石童丸と云舎人也。童内に
P1122
入て、重衡こそ東国にて如何にも成べしと思しに、南都(有朋下P676)亡したる者也とて、衆徒の手に渡され侍りし、兎角武士に暇を乞て立寄侍り、今一度奉見ばやと云入たりければ、北方物をだにも打纏給はず、迷出て見給ければ、藍摺の直垂、小袴著たる男の、疲れ黒みたるが、縁により居たりけるぞそなりける。如何にや夢か現か、これへ入給へかしと宣ひける声を聞給に、目も眩心も消て、袖を顔に覆て泣給ければ、大納言典侍も只涙に咽て、宣出る言なし。三位中将半縁に寄懸り、御簾打纏て、北方に目を見合て、互にいとゞ涙を流し、うつぶし給へり。北方起直りて、是へ入給へとて重衡の手を取り、御簾の内へ奉引入、先物進めたりけれ共、胸塞喉塞て聊も不叶けれ共、責ての志を見えんとて、水計をぞ勧め入給ける。したるけに見え給へば、著替是給へとて、袷の小袖に白帷取具して奉れば、練貫小袖の垢付たるに脱替給ふ。北方取之、胸に当顔に当てぞ泣給ける。三位中将も、いつまで著べき小袖ならね共、最後の著替と思召けるに、いとゞ袖をぞ絞りける。
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