[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月27日 00時47分09秒 ) | パスワード |
川口さまへ
2通目でございます。
今日はマシンの調子も悪いのか
平熱に上記の私信をしたためました所
4通も同じ物が掲載になってしまいました。
早速余分なスレッドは削除しましたが
先程「返信」にイエスですと題名を書き加えまして
お送り致しましたのではございますが
再び白紙で届いているかもと思い
こうして2通目を書かせて頂きました。
人騒がせ、ごめんなさいませ。
重ね重ね申し訳ございませんでした。
明子
[2] | 川口 信さんからのコメント(2002年10月27日 07時10分53秒 ) | パスワード |
了解いたしました。白紙で届いた訳(これを見てから開封してみました)ではないのですがウイルスに注意のスレで明子様からはメールを出さないとありましたので問い合わせしたのでした。なにしろメールの設定が件名だけ見えるようにしてあるもので、開封してからではと。お騒がせて申し訳ございません。
内容は理解いたしました。蜂須賀家と頼盛家が真清田で繋がったという事で、蜂須賀家と益田家とは関係が深く、また川口家系図には川口孫作宗信の弟権左衛門宗之の妻は安州撫養城主益田大膳とあります。この人物は蜂須賀家の家老でありまして昔の一統を組んでいた仲間だったのかもしれません。あちこちで関係がでてきて、これも血の成せるわざかと思いこの頃戸惑っております。ありがとうございました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月27日 09時16分57秒 ) | パスワード |
川口さま
ご返信ありがとうございます。
私信も掲示板で出来ますと「楽」でございますね。
昨日はクリックタイムズ関係者からクレズが数え切れないほど来まして
(わたくしからも皆さんに変なウイルスメールがたくさん発信されたのではないか)
と実は疑心暗鬼になっていたのでございます。
本当にいろいろ繋がりますね。
昔は結婚が「家」と「家」の結婚と申しましたが
それは昔々「同じ血と涙」を流した関係なのだからメッタに壊れない・壊してはならない
縁だから安心出来る相手と結婚するという事があったのでございましょうね。
蜂須賀家が大橋家から正妻を貰い
川口家がマスミダ家(益田家)から妻を貰い
何重にもエニシが重なって「家」が存続していく妙というのに驚かされます。
新しい世代時代の人間には自分がどこから来てどう来世に繋いでいくのかは見えませんが
ちゃんと血が繋がっているように縁も繋がって切れることが無い。
調べてみるとちゃんとご先祖さまが存在してた!
日本人とは実に不思議だと思います。
>あちこちで関係がでてきて、これも血の成せるわざかと思いこの頃戸惑っております。
この「平熱」参加者は、いろいろ過去を話し合っておりますと
幾代も前に先祖がどこそこでご一緒だったという事が分かり
「偶然」が「必然」だったのかと驚くばかりでございます。
姓の重要性、苗字の重み、家のありがたさ、つくづく思い知ります。
例えば「益田」さんもいろいろありますでしょうが「マスミダ家」から出た「益田」さんなら
ああ、尾張の蜂須賀小六の最愛の妻の実家か、とすぐに分かります。
それなら、と先祖のよしみで親しみも倍増!
平熱パワー恐るべし!
ありがたい事でございます。
[4] | takahiroさんからのコメント(2002年10月30日 19時46分25秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2002年11月09日 13時45分49秒
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月29日 02時02分42秒 ) | パスワード |
さきほど家系書を見ていましたら
蜂須賀家は清和天皇の末
新田祖義重の子孫
義貞の子孫(子供?)の高親が蜂須賀を名乗り
その子に3人あり
・親家は肥後蜂須賀を称し
・家次
・能祐が出家して尾張中村に住し還俗して蜂須賀彦六郎と号し
能祐の孫正家がイズヨシ親王に仕え妹は大橋修理大夫貞元の妻と出てございました。
*イズは伊の人扁無し。タダと読む人もいますが服部家風ではイズヨシ親王。
蜂須賀小六自身の家は義重の弟・義康(足利氏祖)の流れになるそうでございます。
途中で小六の曾祖父さんが蜂須賀を継いだ、とあります。
なかなかややこしいです。
とにかく小六の父の代?の蜂須賀家に大橋家から正妻が入ってます。
小六は正妻の子供ではないようです。
[7] | 川口 信さんからのコメント(2002年11月29日 15時04分31秒 ) | パスワード |
蜂須賀家については草賊とか色々言われておりますが戸部新十郎の「蜂須賀小六」などに真清田、継母大橋氏などの記述が詳しく出ております。確か川口久助は大酒飲みとして描かれておりますが内容は面白くよくまとめられております。
あと正利の妻としては宮後の安井氏などがあります。安井家については浅野長政などが出ております。正勝の妻は三輪氏から出ております。
川口家においては本能寺の変のあとは義を重んじて尾張津島の武将と同様に織田信雄に属し小牧長久手の戦いでは豊臣秀吉側と戦っております。
蜂須賀家についてはもっと調べて見たいと思っております。
有難うございました。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月29日 16時34分31秒 ) | パスワード |
>川口家においては本能寺の変のあとは義を重んじて尾張津島の武将と同様に織田信雄に属し
>小牧長久手の戦いでは豊臣秀吉側と戦っております。
はい、そうですね。
大橋家もそうですね。大橋家は美濃国高須に城を築いていた事があって織田氏と戦ったけれど後に織田から嫁を貰って織田方についたそうですね。
そして信雄についた為に秀吉に冷や飯を喰わされたり追放されたそうですね。
蜂須賀家は秀吉との関係で面白おかしく描写されて本当にお気の毒でございますね。
明治?天皇の時に蜂須賀公が机にあった煙草をちょっと失敬したのを天皇に見られ
「蜂須賀、先祖は争えぬな」
と言われてしまったとか。
「いえ、先祖は・・・」と系図を提出して濡れぎぬを晴らしたとか。
蜂須賀家は秀吉には割りを喰わされましたね。
ふふふ
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