[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年10月11日 09時30分05秒 ) | パスワード |
とりあえず目次だけ拝見しました。
正盛は都えやっていくには雅が必要ということで
忠盛はそう仕付けられたというのが分かりました。
保元の乱は皇室および公家達の家庭の争いもあったが
2人の学者の争いでもあったという事ですね。
・頼長は義学(?)を学び道長を範とする
・信西は実学重視で現実主義者
盛子が結婚したのは9歳の時で夫の関白基実は22歳。
盛子11歳の時に夫が死んでしまうのです。
平家の繁栄は公卿16人+殿上人30余人+受領クラス60余人+平家の知行国30余国。
徳大寺と頼盛、成親と重盛の関係
視点が違うということで面白そうです。
[2] | takahiroさんからのコメント(2002年10月11日 12時56分55秒 ) | パスワード |
私もまず目次だけ拝見しました。
この「一門」という小説は、まさに現在自身が探索考察している領域と重な
ったテーマを扱っているようですので、今後じっくりと読んでみます。
川口信様、御紹介ありがとうございました。
まだ目次を見たのみですが、1つ気になることがありました。
『序章 武門悲し』 「1 冷たい夜」
の粗筋として、以下の記載があります。
勅使平光盛(みつもり、64歳)と実氏(さねうじ、26歳)の二人は、驚愕
の中で、その晩を過ごす。建保七(1219)年正月二十八日、右大臣に任ぜられ
た源実朝(28歳)は、甥の公暁(くぎょう、20歳)に暗殺されたのだ。光
盛・実氏の二人はその慶賀のために朝廷から派遣されてきた勅使であった。
ここで藤原(西園寺)実氏の事件当時の26歳というのは史実ですが、頼盛の
子、光盛の64歳というのは、私の資料の範囲では少し年齢が合いませんが、
藤原実氏:1194〜1269
平光盛 :1172〜1229
おそらく小説という事で、故意の設定なのかもしれません。
(サイト表紙にも、「保元に生を受けた光盛」との文句が謳われています。)
しかしそうした事に関係なく非常に個人的に関心のあるモチーフを扱っている
小説ですので、楽しみです。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.20 by Rapha. WEB design Rapha. |