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 投稿番号:100372 投稿日:2002年09月29日 03時11分16秒  パスワード
 お名前:代理投稿
中世を読む為の書3点について

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

メールで頂きました:


「吾妻鏡」
52巻。
鎌倉時代中期及び後期に編纂された鎌倉幕府の公的記録。
編者未詳←これがミソ!
頼朝挙兵から宗尊親王帰京までの87年間の記録で、武家記録として初めてのもの。
部分的に北条寄りの潤色も見られるが、全体としては正確性が高い。


「愚管抄」
7巻。
慈円著←ここがミソ!
承久の乱前に執筆されたもの。
範囲は神武天皇から順徳天皇までの通史を軸に末法思想と道理による歴史観を展開。
頼家謀殺や実朝暗殺では「吾妻鏡」と異なる重要な所説が見られる。


「平家物語」
12巻。
公武・新旧対立の状態を、仏教的に叙述した軍記物の代表作。
作者は明確でない。←ここがミソ!
生仏という盲琵琶法師に語らせたとする説が有力。
平家の繁栄から平家の滅亡までで終わる。


私が常に思うのは、誰が誰に読ませるために書いたか、ということ。

特に「平家物語」は、人に聞かせる目的がある以上、
どうしてもオーバーに表現せざるを得ないと思っています。
「吾妻鏡」も然り、明らかに北条への気遣いがありありと見えるのはそのため。
「愚管抄」にしても、頼朝寄りの書き方の部分があるのは否めない。


ですから、「感情」を書いた部分は眉唾ものが多いと判断しています。
「感情」は、書いたり語ったりする人で、いくらでも「自説」を組み入れられる。

「感情」を抜きにして時代の流れ、有様を冷静に見ていってほしいですね。
「あの部分は泣ける」なんて
それこそ作者の意図とするところにはまってしまっているという事ではないでしょうか?

まあ、読む人の感情で、どう解釈しても自由ですが、
それを自説としてしまって聞く耳を持たない人になって欲しくないものです。

[1]takahiroさんからのコメント(2002年09月29日 04時58分28秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2002年09月29日 05時04分51秒
[2]takahiroさんからのコメント(2002年09月29日 05時00分54秒 ) パスワード
  

>「感情」を抜きにして時代の流れ、有様を冷静に見ていってほしいですね。
>「あの部分は泣ける」なんて
>それこそ作者の意図とするところにはまってしまっているという事ではない  
 でしょうか?

最近平頼盛について投稿しています、takahiroと申します。
おそらく上記は、私が中心に投稿しているスレッドに対しての御意見である
と思われますので、少し自身の考えを述べます。

私が「頼盛」に関するスレッドで成そうとしている事は、これまで主に「平家
物語」でもって形成されてきた平頼盛に対する解釈を、「平家物語」以外の彼に関する史料を呈示することにより、より中立な解釈にもっていけないか、と
いう事です。

そこで「愚管抄」における、頼盛の都落ち離脱についての史料を、「平家物語
」との比較の意味において、呈示しました。

その中で、「平家物語」の記述との落差を読み取り、その落差の故に、「愚管
抄」の頼盛都落ちの箇所の記述が、文学性を帯び(人に感情を催すべく性質を帯び)、読み取られただけであって、それを頑に自説にするという事とは、ま
た少し違います。

あくまで頼盛の解釈を、両極のニュアンスをもつ資料を知ることにより、より
中立化しようという意図をもって、記しています。

その解釈の中立化の流れの中での感情であり、人間の歴史を扱っている限り、
その解釈の成立には、感情もまた有用な要素のひとつであると、思われます。

そもそも慈円は、「愚管抄」を、読む人を「泣かせよう」と意図して記しては
いなく、思えます。

おそらくあの「頼盛都落ち離脱」に関する記述は、慈円の知り得た「事実」
を、淡々と記しているだけのように、私には読取れます。(おそらく「愚管
抄」全体をとおしては、慈円なりの歴史観を呈示しているとは思いますが。)

私は頼盛に対する解釈を、ひとつの極から、感情的に、その正反対の極へも
っていこうとしているのでは決してなく、感情も、解釈の中立化のひとつと
して排除せず、自説を持ちたいと考えます。

(頼盛末裔の資料については、これまで収集したものを、より多くの人と
 共有したいと記しています。)
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年09月29日 05時19分50秒 ) パスワード
  

「平家都落ち」の下り。

平家物語に書かれているお話と
愚管抄に書かれているお話。

愚管抄の方は慈円が頼盛から直接聞いたことを記録しているのだと思います。
世間に流布している噂とはこんなに違う!
頼盛が平家と決別し、平家方である赤い印を武具からもぎとった、その経緯。

頼盛卿は世間に弁解しようとはなさらないから、この慈円が書き残しましょう。
藤原一族としての結束と男としての友情。


やはりワタクシには「泣けて」来てしまいます。
[4]川口 信さんからのコメント(2002年10月02日 20時29分06秒 ) パスワード
  

「愚管抄」について

「愚管抄」は保元の乱、平治の乱から60年余り後の1220年に成立したと言われている。慈円は関白忠通を父とし、保元の乱の前年(1155年)に生まれ、11歳で出家し、天台座主に昇るが実兄の九条兼実をはじめ多くの貴族と親交を持ち、そこで見聞した朝廷史の莫大な情報を集積している。慈円の周りには平家関係者が生存しており。事の真偽を当事者に確めたり、事件当日の日記を見せて貰うなりの調査もしているがある種の思い込みや誤解が入り込むことは免れないので十分注意を払う必要はあるが情報の豊かさと独自性は誠に価値が高く、その正確さはかなりの程度信頼におけるものがある。(「保元の乱・平治の乱」:河内祥輔著より)
 それ故、一方の本だけの読み、引用では正確さを失う。 
 保元の乱を読むに当っては違った視点として平信範の日記「兵範記」が一番良いと思われる。記事内容は詳細を極め、紙背文書とともに平安時代史研究の貴重な資料となっており、なかでも保元の乱に関わる記事は特に注目されるものである。
 
 「兵範記」の電子図書がある。
 http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/hyohan2/hyfrcont.htm
  (京都大学附属図書館所蔵 重要文化財 『兵範記』)
本物をスキャニングしたものであまり難しく解読できないが実物を見るのも何かの足しになると思いますので。
[5]服部 明子さんからのコメント(2002年10月02日 23時18分12秒 ) パスワード
  

見て来ました。

実物とは・・・
虫食い+シミで読めないですね。
(^^;
[6]takahiroさんからのコメント(2002年10月03日 00時32分25秒 ) パスワード
  

川口信様、「兵範記」の電子図書の紹介、ありがとうございました。
興味深く見ました。(もう少し時間をとり、じっくり見てみようと
思います。

「愚管抄」成立と、慈円と頼盛一家の関係についても論及されている
論文を見つけましたので、紹介します。

「平家物語と平頼盛一家」(多賀宗隼筆)
 東京大学国語国文学界編集『国語と国文学』1971年9月号

「平 頼盛について」(多賀宗隼筆)
 日本歴史学界編集『日本歴史』1969年7月号

前者の論文によると、頼盛一家には、頼盛一家側の視点から書かれた
文書、「平家記」なるものが存在し、慈円は、頼盛、光盛という当事
者から直接聞いた事、ならびにこの「平家記」から得た情報をも、「
頼盛関連の記述の際には、参考にしたのではないか、との論及がなさ
れていました。

しかし、「平家物語」の作者は、上記「平家記」からはあまり資料内
容を用いておらず、あえて推測するなら、俊寛ならびに高倉天皇に関
する記述において、「平家記」は参考にされたのではないか、との論
及もありました。

興味のおありの方は、京都では、

「平家物語と平頼盛一家」:京都府立図書館
「平 頼盛について」  :京都府立総合資料館

に所蔵されています。ともに、表ではなく、裏の書庫に所蔵されてい
ますので、係員に申し込めば閲覧可能です。

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