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『愚管抄』は『吾妻鏡』より信憑性があると言われている。
その『愚管抄』の一節。
建久八年七月十四日、京ヘ参ラスベシト聞コエシ頼朝ガ娘、
永ク患イテ、ウセニケリ。
(中略)
今ダ京ヘ上リツカヌ先ニ、失ウセヌルヨシ聞ヘテ後、京ヘ入レリケレバ云々。
大姫は上洛途中で亡くなり、京に埋葬されたらしい。
一方、大姫の妹、三幡はどうか。
正治元年六月十日、ソノ夜ノ戌ノ刻、親能ノ亀谷堂の傍ラニ葬ラレ云々。
この親能の亀谷堂は、今の亀ガ谷の切通しの近くにあったことが明らかに。
前々からの私の仮説通り、
「岩船地蔵堂」は大姫のではなく、三幡姫の葬地ということになる。
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