[1] | 秦義則さんからのコメント(2002年09月19日 23時53分04秒 ) | パスワード |
秦氏のスレッドでお話した、三島体制についてもう一度ご紹介します。
邪馬台国が三島だったという説があります。
邪馬台国は邪馬壹国が本当で、
当時の呉音で邪馬は「シェマ」と発音します。
つまり邪馬壹国はシェマ一国です。それが島一国となります。
日本は島国ですが、島とは鳥が羽を休める海から突き出た山のことです。
島は嶋、嶌とも書き、文字通り鳥が休む山なのです。
嶋、嶌を倭人は「ヤマトーイ」と発音していました。
ヤマトーイの国=邪馬壹国
島一国があるなら、島二国、島三国が有ったのでしょうか?
それら三国を合わせて三島だったのです。
全国にある三島、三山、三国などに共通するものがあるはずなのです。
僕が住んでる近くに摂津の三嶋と呼ばれた地域があります。
そこには三島鴨神社や三島溝咋「ミゾクイ」神社があるのですが溝咋とは何なのでしょうか?
溝咋の娘の溝咋玉櫛媛は事代主神の妃で、その間に生まれたのが五十鈴媛。そしてこの方が神武天皇の皇后となられました。
神武天皇の皇后の祖父か祖母の名前を溝咋なんて付けられたのでしょうか?
溝の中で首を突っ込んで餌をとる水鳥、鴨、「カモ」トモエガモの昔の読み方の「アジ」
神武天皇のには賀茂氏の血が流れていました。
賀茂氏は現在の宮崎県、日向の国に王国を築いていました。鏡を用い鳥を敬い海を支配し呪術を得意とした鳥族の国です。卑弥呼はこの国にいたと思われます。天照大神を祭っています。
ニの国はウサギの国、大分の宇佐氏。月読命を祭り、農耕を得意とし勾玉がシンボルとなります。
三の国は出雲の牛族。素戔嗚神と大国主命を祭り、山を掘り鉄生産を行い草薙の剣をシンボルとしていました。
この三国の連合体制が三島体制であり、お互いの得意分野を活かして全国を統一していったのです。
その拠点が全国の三島、三山、三国だったという説があるのです。
奈良のヤマトにも有った三島。大和三山。
畝傍山は「畑の畝の傍らの山」畑の畝の傍らには溝があります。溝咋と関係が有ります。
それにしても、あまり言い名前とはいえませんね。畝傍山にはもう一つの呼び名があり、それを雲飛山といいます。こちらの方がいい名前ですね。
畝傍山に溝咋はがいて、その孫が神武天皇の后となっているのに、この名前には作為が感じられます。
神武天皇はカムヤマトイワレビコと呼ばれます。=カモヤマトーイハレヒコとなり、鴨嶋晴彦と訳せます。
* 畝傍山=鳥族=卑弥呼=天照大神=神武天皇=鏡=ヤタガラス=呪術と繋がります。
* 香具山=牛族=大国主命=素戔嗚命=大物主命=饒速日命=鉱山=草薙の剣と繋がります。
* 耳成山=菟族・馬族=月読命=農耕=長髄彦命=勾玉と繋がります。
大和の三島の地で王位継承問題がおこりました。
饒速日命は長髄彦命の妹を嫁にしながら、溝咋の孫にも言い寄っていました。溝咋は直系を大王にしたく、神武天皇を呼び寄せました。しかし長髄彦命の抵抗にあい、すぐに大和に入れません。日下の地で神武の兄は傷つき、仕方なく迂回し和歌山から熊野に上陸しました。ここでも、農耕の長、長髄彦命に従ったまつろわぬ人々、土蜘蛛や赤目と呼ばれた人々の抵抗に会います。畝傍へ援軍を呼んでもなかなか来ません。畝傍と香具山の連合軍も耳成山との決戦で援軍をよこせなかったのです。神武はヤタガラスの助けを借りてやっと大和に入り本軍と合流し長髄彦命を破ります。こうして耳成山には耳がいなくなったのです。耳成山から馬族が追放されました。長髄彦命は関東から東北の地に落ち、いつの日にか馬族の世を作る事を誓うのです。こうして三島体制は崩壊し邪馬台国の記憶も闇に葬られる事となりました。
物部氏は牛族、蘇我氏は鳥族、聖徳太子は馬族、桓武天皇は馬族、平家は鳥族、源氏を菟か馬族と考えられないでしょうか?
聖徳太子として救世主のように復活した馬族。このように馬族が復活した時代がありました。馬族の屈辱の歴史があり。古事記を編集した人が馬族だったら鳥族を悪く書くことでしょう。雲飛山を畝傍山と卑弥呼に繋がる天照大神を溝咋などと。
馬を復活させたのは誰なのでしょうか?
素戔嗚命は、ある村で、美しい娘、クシイナダヒメと会います。
クシイナダヒメは、頭が8つある恐ろしい大蛇、ヤマタノオロチに生け贄として差し出されるところでした。そこでスサノオはオロチ退治を決意します。オロチとは何だったのでしょうか?よく川の流れを大蛇に見立てる事があります。川の氾濫を治めるために土地の人が川の神に生贄をささげようとしたのかもしれません。それを見た素戔嗚命は土木技術で川を治めたのでしょう。
スサノオ夫婦は出雲の須賀というところに落ち着きます。そこでオオアナムチノミコトを生みます。この神様は大国主命とも大物主命とも言います
大国主命はスクナヒコナノミコトと一緒に国造りをしたとのことなので、秦氏とも関係が深かったと思われます。
出雲が新羅の国で最初に新羅から素戔嗚命一族が渡来し、後にスクナヒコナノミコト一族がやってきたのかもしれませんね。
大国主命の子供にアヂスキタカヒコネノミコトがいますが大国主命の后は鳥族だったのでしょうか、アジスキという言葉が見られます。アジは鴨、スキは船の櫂を意味するといわれています。土を耕すのがスキで海をかくのがカイなのです。
ちなみに、船をこぐ時に号令をかける役割が必要になりますが、これをアドといいます。
アドの身=アドミ=アズミ=安曇氏となります。安曇氏は鳥族ですね。
カモの身がカミ=神の語源になったのでしょうか?
中大兄皇子は「ナカノ」とあるので、島二国の菟族・馬族だったのでしょう。
大海皇子は海を治めた鳥族でしょう。
神武天皇ははじめから大和を目指したのではないと思います。兄と一緒に自分達にふさわしい三島の地をたずね放浪していたと思われます。あちらこちらに数年滞在しています。そんなときに大和三島の大王の候補になったのです。三島の耳のすべての同意の下に大王になる資格が与えられるのですが、耳成山の耳は反対します。ここで違う種族間の戦争がはじまったのです。今までは協力して各地の三島を治めていたのですが、醜い血で血を争う結果となったのです。
二度とこういう忌まわしい歴史を繰り返さないように聖徳太子は17条の憲法を作ったのです。その代わり、邪馬台国、三島体制の記憶を封印しました。そして追放されていた馬族を復活させたのです。現在の人々に邪馬台国の歴史は記憶に有りません。しかし、少なくとも聖徳太子の頃か平安の頃までは記憶が残っていた事でしょう。
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