新風会(アーツ) 近藤栄次朗 くりらじ
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 投稿番号:100361 投稿日:2002年09月16日 10時23分46秒  パスワード
 お名前:代理投稿
西美濃:義朝逃避行を追って

コメントの種類 :史蹟  パスワード

メールで頂きました:

「西美濃」というのは、頼朝との縁がかなり有るんですね。
それに史跡もかなり残っている。

今回の旅行ではそういう物を見てきたのではなく、色々探してきました。
次回はじっくり見て回りますよ。

ただ今回見てきたかった「朝長の墓」は、迷子になって見れませんでした。
「しまった、道が違う」と感じた時は、夕方で暗くなってきてしまったんで。



義朝の青墓宿の愛妾は延寿、娘は夜叉。
義朝はその延寿を頼って、青墓の宿に向かったようです。

頼朝が捕まった悲しさで夜叉は、杭瀬川に入水しています。
その川は、今も清い流れをとどめています。
きっと夜叉は、頼朝に恋をしていたのでしょう。

近くに夜叉姫を祀った「夜叉堂」というのがありますが、
年代からみて違うようです。

頼朝寄進の寺領を持っていた円興寺の山麓に朝長の墓がありますが、
この墓は昔のままで、
寺は信長に焼討ちされたり破壊されたりであちこちに移った模様。
「元円興寺跡」などが2ヵ所もある始末。

この他、
墨俣川の合戦で(平盛綱によって)命を落とした頼朝の弟義円の墓があります。
今は義円公園として、古戦場跡として残されています。

また常盤御前の墓もあります。
義経が奥州に向かった時、ここ迄追ってきたとか。
ここで土賊に殺されたらしく、墓が今もあります。

ちなみに京都の常盤にも墓がありますよね。
西美濃の話は眉唾ものかも。

時期的に、その頃は清盛に下げ渡された先で、子供をもうけていた筈でしょ?
それとも、何もかも放り出して義経を追ったという話はあるのか。

とまあ、西美濃は源氏の史跡は多い所。
今度はゆっくり行きたいものです。
この史跡群、あちらこちらに点在しているため、
ここに泊まって見なければとても短時間では無理です。

尚、頼朝が義朝とはぐれたのは、
1回目が守山の宿(この時は鏡の宿で追いついている)
2回目が不破の関の北八丁小関辺りですね。
いつか、行ってみようかと。

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