マイホームフォーラム くりらじ シャベリン(アーツ)
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
 投稿番号:100360 投稿日:2002年09月12日 17時30分22秒  パスワード
 お名前:皇竹改メ伊勢平氏
吾が町の服部郷
キーワード:服部
コメントの種類 :ニュース  パスワード

私の住む町にも服部(ハトリ)という地名の処がある。
尾張国海東郡服部村(現在名古屋市中川区富田町服部)である。
富田町史によれば、
織布に従った部氏がいたので、そこより村名か゜生まれたといわれている
「地名考」には、「服部の二字を波登利とよむことを義割にして正字にあらず、
正字は機織部の義なり、部は郡の約也とぞ」とある。また、「本国の麻績村、服部村は往昔伊勢国より移りたる因縁に
出る地名なるべし、かくて、松下、服部村の辺は中古の時海浜なるべく覚えて、、さのみ古村とも見えざる地也、
後世室町の時、津島藩士服部平左衛門は服部村の地頭ながら、是は南朝の残卒七氏の内なれば、氏と知行所相に会たる
ものなるべし」とある。とくに麻績、服部が天白とともに、伊勢から流されてきた部族であることを指摘していることには
注目に値するものがある。
さらに、付言に、「谷川土清日く伊賀国服部に呉服、漢服の二流あり、格酒公の末流なり、服部平左衛門家長より盛になるといへり」
とある。
私の住む町戸田にはかつて戸田城があり、「張州府志」、「朝野群載」などに大膳少進平季政の名がみえ、
平氏の一族が住んでいたことがうかがえる。。
また、「海道記」(貞応二年-1223)には桑園が広がっており、養蚕に忙しいことが記されていて、服部との関係が深いことが知れる。

七宝焼きの由来<中川区の歴史>
七宝焼の祖として有名な梶常吉は父の旧知行地であるこの服部村に移り住み(文政五年六月・19歳か)、鍍金業に従事していた。
常吉は元亀元年(1570)に書かれた古書から、七宝は珊瑚、瑪瑙、琥珀、及び水晶などから作ることを知り、長い間研究をした。
しかし七宝焼きは抄本に書かれているようなそんな簡単なものではなかった。
そして天保三年(1832)、名古屋末広町の骨董商から、オランダ船が持って来た一枚の七宝皿の美に魅せられ、これを譲り受けた。
これを自宅で粉砕しその原料を分析研究した結果、問題はその成分となる薬剤あることをつきとめ、出来たのが径五寸の小鉢である。
時に天保4年(1833)のことであった。これが後に所謂「泥七宝」と呼ばれているもので、今日の尾張七宝の始まりである。

この梶常吉も遠く祖先は、ハイテク技術集団として渡来した秦氏まで遡るのであろうか。
鍛冶--→梶 金属鍍金にはるか祖先のDNAを受け継いだのであろう。

日本各地に存在する服部郷(町や村)について書き込んで頂ければと思い、新しいスレッドを立ち上げました。

今回より皇竹を伊勢平氏に改めたいと思います。
というのは、
少年の頃、目と耳のどちらかが、左右の大きさが違っていたみたい、
それで「平氏の子、平氏の子」といわれよくからかわれたものです。
今は両方とも同じですが・・・・。
要するに、伊勢の子はほとんど片目、片耳であったみたい。
そんなことが今は懐かしくて、伊勢平氏と改めます。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年09月13日 00時29分24秒 ) パスワード
  

おやおや皇竹さん改め伊勢平氏さんですか。
ふふふ
これからもよろしくお願い致します。


富田の服部というのは初耳でした。
「大膳少進平季政」
確かに平家系ですね。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年12月18日 02時56分08秒 ) パスワード
  

夫が「家紋 服部」で検索したらこんなのがありましたので
こちらに「矢と服部と伊賀」関係分を書きます。
正しくは・詳しくは下記へ:

http://4d.hops.co.jp/4DACTION/WebH_Kmnkan/6016


『参考諸家系図』から見た盛岡藩士諸家家紋12【器財門】矢」 


【矢】
                          

 1 丸内一矢筈  
苗字  本名  家祖               併用家紋

難波  難波  本国備前 難波貞右衛門政職


 2 花木瓜内二矢筈 
苗字  本名  家祖               併用家紋

岡田  岡田  岡田清左衛門忠政


 3 輪内二矢筈 
苗字  本名  家祖               併用家紋

服部  服部  生国江戸の人服部三郎左衛門
服部  服部  服部三郎左衛門二男三郎兵衛保如  


 4 輪車内二矢筈  
苗字  本名  家祖               併用家紋

中原  守岡  本国伊賀 中原甚右衛門正利    唐花
中原  守岡  中甚兵衛正辰二男清九郎政貞    唐花 
中原  守岡  中甚兵衛正辰三男甚兵衛正春    唐花 


 5 二矢筈 
苗字  本名  家祖               併用家紋

服部  服部  生国摂津の人服部判兵衛福高


 6 輪内立二本矢 
苗字  本名  家祖               併用家紋

服部  服部  伊賀平内左衛門末流、
        或は小川原式部三男服部左京亮   矢車


 7 隅切角内矢羽 
苗字  本名  家祖               併用家紋

矢口  矢口  本国陸奥大崎の人矢口采女次親


 8 四矢筈 
苗字  本名  家祖               併用家紋

安村  安達  丹波の人安達監物孫安村監物正年
玉井  音羽  音羽刑部大輔貞秀二男左馬允秀須  三左頭巴 


 9 五本矢筈 
苗字  本名  家祖               併用家紋

長沼  小山  小山下野大掾政光二男長沼五郎宗政 三左巴
                         水色石畳


 10 六本矢車   矢車とする服部氏を含む
苗字  本名  家祖               併用家紋

河島  矢具島 本国伊勢 河島庄七定康      亀甲内花 
服部  服部  伊賀平内左衛門末流、
        或は小川原式部三男服部左京亮   輪内立二本矢
[4]空の青海のあをさんからのコメント(2010年04月06日 07時46分40秒 ) パスワード

さっき父と話してて

中川区の万場の向こうの富田
    (とみだ、と読むと思う。これは  戸田  の美化の漢字だそうです。そうすると本来は とだ と読む?)

に大字服部という所があって

七宝焼きの始まったところで  
中学もあるけど  「はとり中学」って言うんだって
なんで ハットリ じゃなくて  はとり?


前田犬の妻の  おまつさん  は  七宝村の出身なんだって。

ま、荒子は中川区だし
犬とおまつさんは従兄妹関係だし

で、うちの親戚にも七宝焼きをやっている人がいる、と父が言うのです。

あらら・・・
あ、そうだったの?


ということで上げました。恥
[5]空の青海のあをさんからのコメント(2010年04月07日 03時42分32秒 ) パスワード

旧加賀藩御用商人の子孫の友人からのメール:


愛知県が七宝焼の始めなんですか。

しかも利家の妻であるまつは、七宝焼の名産地から金沢に嫁入り。


加賀藩と言えば九谷焼ですが、焼き物繋がりは当然あって不思議じゃないですね。

まつの父親は篠原一計氏。
篠原一計の弟は利家の上級家臣を勤めた人ですから、
篠原氏から「まつという娘がいるがどう?」と利家に進言した可能性だって無きにしも非ず。


おたくは遡ればまつと親戚になり得るかも。


我が家は、九谷焼関係ですからね。
おたくと我が家は縁戚関係はないでしょうね。
あったとすれば、「顔見知り」程度かな?

歴史というか、家系の遡りって面白いですね。
どこでどう繋がるか。



この友人宅は前田家の家紋の使用を許された家ですから
案外
加賀の前は荒子かあの辺りの出身だったのかも。
案外服部村の出身だったかも。笑
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.20 by Rapha. WEB design Rapha.