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 投稿番号:100348 投稿日:2002年08月17日 09時23分58秒  パスワード
 お名前:高田
以前お話したわが小松家墓石の菊紋について

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

以前、わが小松家の江戸時代のお墓に皇室と同じ十六弁の菊紋がついていることをお話しました。高遠のすぐそばの大鹿村に南北朝時代宗良親王が住んでいたと言うことでその子孫が関係しているのではないかと申しました。でも、最近別の可能性もあることを発見しました。それは、長谷村に移り代々暮した木地師と呼ばれる人々のことです。木地師は平安時代文徳天皇の皇子惟喬親王が、近江に住み、わんなどの食器をろくろで作ったことから始まり、これが従者に伝わりその子孫を木地屋、木地師と呼び許可制だった。木地師は諸国をめぐり山中に小屋がけして、食器や祭具を作った。高遠藩内でも長谷村に木地師が多かった。勝間龍勝寺に十八基の墓が残ってており、そこには十六弁菊紋、五十七桐紋が付いています。もしかしたら、この木地師の誰かがわが小松に養子に入ったかもしれません。また、いろいろ調べてみたいと思います。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年08月17日 10時47分42秒 ) パスワード
  

私の持ってる本には
明治の太政官布告によって菊紋の使用が制限されたとあります。

足利尊氏や豊臣秀吉は下賜され一族や家臣も使うようになって
結構広く使用されてたようですよ。

小松家の菊紋使用のいきさつが分かると良いですね。
途中経過のご報告をお待ちしてますね。


平家の中でも重盛の生母は貴族出身ですから
そこから使用してるかも知れませんね。
[2]高田さんからのコメント(2002年08月17日 22時41分04秒 ) パスワード
  

服部さんお答え有難う御座います。
わが小松家の家紋は丸に三階松と梅鉢です。他の墓石にもこのいずれかがついていますが、どういうわけか1つだけ菊紋がついているのです。このお墓の主1代限りです。
同様に丸に抱き冥加紋のついた墓石も1つあり1代限りです。両者とも養子のようですが、ちゃんと小松と名乗っています。どういうことなのでしょうか?よくわかりません。
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