新風会(アーツ) 株式会社 エミ 小川もこ
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 投稿番号:100346 投稿日:2002年08月08日 23時08分57秒  パスワード
 お名前:高田
河内谷の場所について

コメントの種類 :史蹟  パスワード

先日皇竹さんから情報を頂き、河内谷のはっきりした場所がわかりました。今までは
三重県南島町の竈と呼ばれている付近だとばかり思っていましたが、皇竹さんのおかげでそれが現在「香落谷」落合であることがわかりました。ここは奈良県よりのところで、北畠氏の在所からもとても近いので、北畠氏のために戦ったというわが小松家の文献の内容と合ってきます。うちの文献は享保7年に小松万次郎盛忠(花押)が書いたものです。この時代、伊勢の維盛のことについてどれだけ世に知られていたかわかりませんが今よりは詳しく解らなかったと思います。その時代にこれだけ地名や経緯など詳しく書いているということは結構信憑性は高いんだなと改めて思いました。ただ、まだまだ内容について疑問に思うことは多々ありこれからもひとつひとつ裏づけをしていきたいと思います。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年08月09日 00時29分01秒 ) パスワード
  

高田さん

場所が分かって良かったですね。


三重県は確かに南朝方が多かったと思います。
もともとが平家の勢力下でしたから。
[2]皇竹さんからのコメント(2002年08月09日 15時43分38秒 ) パスワード
  

高田さん
>皇竹さんのおかげでそれが現在「香落谷」落合であることがわかりました。
それでしたら私の勘違いでした。
私の書いた河内の成覚寺は三重県安芸郡芸濃町河内の成覚寺で、
錫杖岳の南にある平家谷の中にあります。伊賀に近いところです。
高田さんのいわれる「香落谷」は三重と奈良にまたがる地域ですね。
熊野の方からこの地域にかけては維盛の隠棲した伝説の残るところです。
又六代君の伝承も多いです。
服部さんの言われるように南朝北畠の本拠地に近い。
平家の残党は多く北畠に召し抱えられています。
[3]高田さんからのコメント(2002年08月10日 00時44分50秒 ) パスワード
  

皇竹さん
勘違いで無いかも知れません。
皇竹さんがやはり正しいのでは思う気もします。
わが小松家の文献では「平家没落の時、勢州河内谷に隠れ、維盛子孫代々同所に住む。上古は菊桐の紋を用うるといえども、後代これを憚り、嫡家として「」三階松を用う。よって民間に下り数百年を経る、此間の系脈これを知らず。」と隠れた場所や経緯などはこれしかありません。なかなか場所を特定するのは難しいようです。

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