[1] | そりちゃんさんからのコメント(2002年07月31日 19時06分15秒 ) | パスワード |
すみません、上のアドレスではそのページまで飛べません。
「社会」の27日を開いて、ご覧下さい。
[2] | たまねこさんからのコメント(2002年07月31日 20時53分59秒 ) | パスワード |
見てきました。今後、何が出てくるのか、楽しみですね。
「七天王塚」の周りの樹木を伐採すると祟られる?のですか。
工事、くれぐれも気をつけて、進めてもらいたいですね。
[3] | くみんさんからのコメント(2002年08月01日 12時11分29秒 ) | パスワード |
わたしは伊勢平氏の出身地に近く、苗字も関係あるらしいのですが、
わたしの主人は上総国香取で祖父が生れたそうです。香取と常陸あ
たりにしかいない稀少名です。
なんか、千年を超えた結びつきがあったのか? 同根か?
伊勢神宮と香取神宮の組合せなんですね。よくある。
香取は江戸時代は藤堂津藩の飛地領だったらしいし。
因みに、私は東京の業平という場所に住んでいます。
ここ、私の母方の苗字である安保と関わりがありますよね。
人に言うと、あまりにも偶然が重なっているというので笑われてし
まいます。
[4] | たまねこさんからのコメント(2002年08月01日 19時44分30秒 ) | パスワード |
くみんさん、初めまして。
>人に言うと、あまりにも偶然が重なっているというので笑われてしまいます。
偶然はない!ですよ(断言)。
安保(あんぽ)さんという名前は、同級生にいたので記憶していたのですけど、くみんさんは、あんぽさんですよね?
実は、うちの姉にくっついてた人(先祖ですか)?が「アボ」という名前で、こんな名前あるのかな?と、ずっと気になっていました。
姉の旦那が「塩谷」というのですが、アボさんとこの家とは、先祖代々、切っても切れない縁があるらしく、別れたくても別れられない悲惨な運命なのです。しかし、どういう縁なのかわかりませんので、くみんさん、安保姓の謎を調査をお願いします。(ちゃっかり?)
人間にも帰巣本能があるのかは定かではありませんが、私たちが生まれた場所、住んでいる場所等々も、調べてみると先祖の縁の地であったりしますから、全くの偶然ではないと思います。
ちょっと涼しくなりましたか?
[5] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月01日 21時07分16秒 ) | パスワード |
くみんさん、はじめまして。
たまねこさん同様、私も偶然はない!と思いますよ。
私の父は福島で母は千葉ですが、引越しで転々としたところは
千葉県館山市、栃木県宇都宮市、千葉県千葉市、そして実家のある
千葉県山武郡横芝町。
一見なんの関連もないようにおもえますが、私の先祖と関係のある
土地でした。
いまも住んでいる近くの神社の神紋が母方の実家と同じ「九曜紋」
だったり、義理の姉の旧姓が「千葉」だったり、なんだか
ある一点に向かって繋がっていくのですよね〜。
たぶん、これは必然では?
このサイトの皆様とも過去どこかでお会いしていたのかも???
将門について、今後少しずつご紹介していきますね。
なにせ、秦バテ気味でして。
[6] | くみんさんからのコメント(2002年08月02日 09時57分30秒 ) | パスワード |
安保は母方なのですが、アボと読みます。
曽祖父の本籍地を辿って行ったら、そこが鋳物屋敷跡ということが分
かったのです。その屋敷には簡単な説明書(私自身は見ていないので
すが)があって、明治天皇が御行幸された際に休憩された場所、とい
うことの方が主に書いてあるそうです。天皇が休憩する場所って、い
ったいどういう所なんでしょうか? やっぱり左幕派に大砲を打つ手
助けをしたんでしょうか?しかも遷宮街道からずれている場所なんで
すよ。
安保の人口分布は下記です。
安保 姓 市町村別分布一覧表
該当市町村 554
全国市町村数 3,368
該当市町村の割合(%) 16.448931
全国同姓者計 2,257 (平成11年度電話帳データ)
全国世帯総数 47,030,954 (平成12年度国勢調査)
同姓者/全国世帯総数(%) 0.004799
安保姓 市町村別一覧表 県名 市町村名 安保姓 全世帯数 %
青森県 東津軽郡三厩村 22 1,002 2.19561
岩手県 盛岡市 27 115,270 0.02342
岩手県 二戸郡安代町 66 2,029 3.25283
秋田県 秋田市 37 122,957 0.03009
秋田県 大館市 25 22,830 0.10951
秋田県 鹿角市 261 12,328 2.11713
秋田県 鹿角郡小坂町 50 2,571 1.94477
秋田県 山本郡藤里町 25 1,438 1.73853
岐阜県 中津川市 30 17,819 0.16836
岐阜県 恵那郡福岡町 56 1,933 2.89705
三重県 津市 19 62,314 0.03049
三重県 一志郡嬉野町 21 5,765 0.36427
兵庫県 朝来郡和田山町 21 5,552 0.37824
兵庫県 朝来郡朝来町 24 2,275 1.05495
広島県 尾道市 24 34,080 0.07042
広島県 御調郡向島町 104 5,994 1.73507
なんか共通性はあるような無いような。で、家紋なのですが、
安保は養子をとってますが、戸籍上は養子の姓。つまり
養子ではないわけで、実は安保は祖母の姓です。養子と書い
たのは「養子待遇」であったこと、祖母が生まれる前に養嗣
子をとり、その後に実子の祖母が産まれ、家督を巡ってもめ
たそうです。私らは、祖父は養子そのものだったように思っ
ています。ところで、祖父の生まれた所や親戚付き合いが皆
無に近いので最近、調べてみました。祖父は母が耳で憶えて
いるだけなんですが「みせだに」と発音する所で生まれてい
るようです。安保の本家の御祖母さんも、やはり「三瀬谷」
の出身であることが分かりました。この御祖母さんは全く過
去を語らないそうです。語るのは嫁に来て、直ぐに東京で住
むことになり、夫は都の官吏だったそうです。息子さんが居
るようですが、ただ一人で屋敷に帰ってきたそうで、いまは
90歳くらいらしいです。週の半分を施設で過ごしているみた
いで尋ねに来た郷土史家を煙に巻いているようです。
なんにも知らないで、嫁に着たので、安保家のことなんかは
全く知らないと。そんなことってあるのでしょうか?
私が伺うのは「迷惑」な感じなのかもしれませんが、早くし
ないと、と思っています。
なお、阿保屋敷という表示ですが、やっぱり所有者は安保姓
でした。安保も阿保も同じことが判明した経緯です。
[7] | くみんさんからのコメント(2002年08月02日 10時05分25秒 ) | パスワード |
すみません。家紋は「違え鷹の羽」というどこにでもあるものです。
ただ、これが祖父家のものか、祖母家のことか分かりません。
祖母は生前、「うちは播州から来たんだよ」とか言ってましたが。
で、柏紋は「安保の会」という会合のものらしいです。でも、柏な
のかどうかイマイチ見取れないのですが。
[8] | 隈さんからのコメント(2002年08月02日 18時49分29秒 ) | パスワード |
たまねこさんも、安保氏に縁があるのですか?
本当に涼しくなってきた・・・
今年の5月に向島のご先祖様(服部家)のお墓参りに行った時、
私の高祖父(ひいひいおじいさん)が建てた墓石の側面に「安保」の名が刻まれていて、
それで初めて高祖父の生みの母が安保家出身だと知ったのです。
ちょっと気になったけど、まさか安保家まで平熱で繋がってくるとは思わなかった。
ご先祖様が「安保氏を調べてご覧、縁深い一族だから」と言ってるみたい(怖)
[9] | たまねこさんからのコメント(2002年08月02日 20時14分02秒 ) | パスワード |
くみんさん、人口分布をありがとうございます。
「アボ」さんだなんて、おお、こわっ、て感じです。アボさんは、姉の父方(私とは異なります)だと思います。
私の父は東京、母は広島出身なのですが、父方の祖父の代までは、秋田の大曲が本拠地でしたので、安保さんが東北・広島に多い姓となると、深い繋がりがあるのではないかと思う次第です。
ところで、そりちゃん。そりちゃんの福島の拠点は、「三春町」ではないですよね?
もし、そうだとしたら、秋田や常陸に繋がってくるのですが…
[10] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月03日 08時43分23秒 ) | パスワード |
残念!
私の本家は福島県伊達郡桑折町といって、とっても宮城県に近いところです。
ただ、主人の本家は三春に近いです。主人の方の伯父さんは「うちは田村家に
関係していたのでは」なんていっていたそうですし。
田村の家臣に「富塚」姓の方がいたみたいですし。
でも、伊達家にも「富塚」姓の家臣がいるのですよね。
しかし、皆さん「広島」に縁がありますね。
「反田」姓も広島県と山梨県に多いのですよ。
広島と東北、特別なつながりがあったのかしら?
蚕関係かな?
[11] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 10時50分28秒 ) | パスワード |
成田山新勝寺に関する本より
「下総・常陸地在は牧が多く、これらの牧には野生の馬が放牧されていた。
将門の母方は相馬牧で防人部領使として馬を養い、防人の訓練をしていた
犬養氏であるといわれている」
将門が相馬小次郎と名乗ったのも、幼くして父と離れ母方に養育された
ためであった。将門の妻は「君が御前」といい父良将の客将であった
平真樹(またて)の娘で、はじめ源護の息子が望んでいたが承平元年
(931)に将門の妻となった。君が御前は承平7年(937)伯父
良兼らによって子供たちとともに殺されたという。
[12] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 11時01分55秒 ) | パスワード |
成田地方における将門伝説
七人の影武者
将門を領内の治水事業につくした人物として領民は彼をたたえている。
彼はまた戦略にもたけ、常に彼の身辺に彼に似た七人の影武者をおいた。
このためどの武者が本当の将門かわからなかった。たまたま藤原秀郷が
将門の愛妾であった桔梗ヶ姫より「こめかみ」の動くのが本人であると
内通を受けたので、秀郷は将門を射て、戦死させたという。
桔梗ヶ姫は香取郡牧野(現・佐原市牧野)の庄司小貫家の娘といわれ、
今日でも牧野の小貫家を「王宿(おやど)」と呼んでいる。
咲かずの桔梗
佐倉市大佐倉にある将門山には桔梗ヶ一本も咲かない。いわゆる「咲かず
の桔梗」伝説がある。また、印旛郡印西町竹袋城址は将門の出城で、この
近くの井ノ内という家にも、こうした伝説が残っている。
我孫子市の日秀(ひびり)にある将門神社にも桔梗は咲かない。それだけで
なく、この付近の人は将門調伏祈願した成田不動にはお参りしないという。
これらの神社では桔梗が咲かないのではなく、官軍に内通した姫を憎んで
咲けば引き抜き根絶やしにしてしまったのであろう。
[13] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 11時17分49秒 ) | パスワード |
平忠常の乱についてもすこしのせてしまいます。
将門の父良将と兄弟である良文の孫にあたる忠常が上総介を退官後、
千葉県山武郡土気大椎城を中心に房総、武蔵に勢力を張り、長元元年
(1028)に地方官の悪政に怒り、安房国守平惟忠を襲い、ついに
上総、安房にまで侵入した。
将門の乱後、80余年。下総、上総、安房の三国の大半は再び、戦乱の巷と
化した。中央政府は源頼信に忠常追討を命じた。しかし、忠常は頼信の軍と
戦うことなく、降伏し、京に護送される途中美濃で病死している。
5年間続いたこの兵乱により、房総三国の疲弊は深刻なものがあった。
左大弁源経頼の日記「左経記」をみると、上総守辰重から直接に聞いた話を
記録しており、上総国は、本田22、980町余あるところを、戦乱の終わり
ころに、国司平維時が調査した分では実際に耕している田がわずかに18町
余にすぎなかった。
また右大臣藤原実資の日記「小右記」によると、損害をうけたのは上総一国
だけではなく、下総国も悲惨な状態にあった。国守為頼までが飢餓状態になり、
妻女は憂死し、道路も家屋も荒廃し、房総三国は殆ど亡国のありさまであった
という。この折に寺社もやかれ、諸記録も失われてしまったのであろう。
[14] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 11時41分04秒 ) | パスワード |
将門の乱は有名ですが、忠常の乱は知名度が低いのですよね。
なぜなのかな、と思っていたのですが、今回ではっきり
しましたね。
千葉県の伝説等にも「忠常」の名はぜんぜん出てきません。
将門とちがって忠常は民衆を苦しめただけだったのでしょうか。
御霊信仰めいたものは「将門」に対しては残っていますが、
「忠常」に関しては本当にいまのところ、聴かないです。
悪政に怒り乱を起したあたり、将門の血縁ね、という気もするのですが、
この差はどうしてなのでしょうね。
今回将門の妻の君が御前がでてきました。
はじめて知った方です。良兼との間に起こった「女論」とはこの女性で
あったのでしょうか?
良兼の娘説もあるのですが、それもやはり源護の息子と争っているのですよね。
桔梗については愛妾であったとされていますが、存在しなかった説や
秀郷の妹説などさまざまです。
ですが、治水事業をしたというのは知りませんでした。
茨城県は水の豊富な土地ですから、昔は洪水などしょっちゅうあったのでは
ないでしょうか。
このような大掛かりな工事の技術を持つ集団、というとまた秦氏にイコール
したくなってしまうな〜。
しかし、「七人の影武者」は北斗信仰と関係があるようにおもえますし、
将門自身妙見神を信仰していた時期があるのでその辺と関連していると
思われます。
将門は朝日に向かって毎朝祝詞を唱えていたという伝説もありますし、
近くに常陸一宮鹿島神宮があることから、密教や陰陽道等に接する機会は
あったと思います。当時兵法を学ぶのも寺社であったようですし。
亡くなってのち、五体をバラバラに葬られたのも、復活を恐れそれを阻止する
ための一種の呪詛であり、当時の人々はそれだけ将門に対して畏怖の念があった
ことの表れであると思います。
何に対しての恐怖なのか。忠常のときはこのようなことはしていません。
これは将門に霊力のような力があったという証拠ではないでしょうか。
[15] | そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 12時04分33秒 ) | パスワード |
将門の母方、犬飼氏はもとは犬飼部であったのでしょうか。
犬飼部には県(あがた)犬養・稚(わか)犬養・阿曇(あずみ)犬養・
海(あま)犬養とありました。
犬養部は番犬を飼育し、屯倉や倉庫、宮門の守衛に奉仕していたという説と
猟犬を飼育・訓練して狩猟に奉仕していたという説があります。
でも今のところ「常陸犬」「千葉犬」などの和犬の種は関東にはいないですよね。
将門に関する伝説で犬に関係する話はまだ出てきていないですし。
牧であったとするなら馬に関する伝説が多くあるのもうなずけます。
将門の後裔とする相馬氏の家紋は繋ぎ馬ですし。
将門の馬が死んだところとか、将門の馬が白馬であったので
飼わないとか、いろいろあります。
ところでこの犬飼氏の系かはわかりませんが、のちに天皇家に嫁した女性で
東人の娘で県犬養三千代がいます。
彼女は後に橘宿禰(たちばなのすくね)姓を賜っています。
[16] | 服部 明子さんからのコメント(2002年08月29日 15時05分52秒 ) | パスワード |
>この付近の人は将門調伏祈願した成田不動にはお参りしないという。
凄い情報ですね。
でも、こういう事を知ってて話題に出さないというのが「配慮」というものでしょうね。
貴重な書き込みをありがとうございました。
[17] | 南 新さんからのコメント(2005年04月09日 02時04分30秒 ) | パスワード |
私の母親の郷は安保姓です。 弟が跡を取りましたが昭和62年に他界し今は屋敷も残っておりません。 場所は岐阜県恵那郡の福岡(本年中津川市に併合されました)。 祖母は中山道中津川宿の本陣を勤めていた市岡家から来ました。 曽祖父は安保に男の子がいなかったようで中の方村の(現在何町なのか何市なのか分かりませんが)柘植という家から養子に来ました。 柘植は苗木藩遠山家の藩士であったそうです。 福岡の家は昭和60年頃取り壊しましたがそれ以前は家の門の前に家の長さ分の池があり、家の壁の四方には四方門と呼ばれる石の柱が建っていました。 幕末には平田門下となり勤皇派として中津の同士などと活躍したようですが、明治になって薩摩や長州や土佐などの下級侍が権力を握るに至り邪魔者扱いをされてその後はひっそりと故郷で暮らしてきたようです。 島崎藤村の「夜明け前」に出てくる医師宮川完済(字が違うかも知れませんー本名は馬嶋せいあん)の養子は安保から行った人です。 なぜあれほどに夜明け前の主人公(藤村の父)があせり、最後は座敷牢の中で焼け死んだのか気持ちが分かるような気がします。 因みに安保の姓は小野で小野安保と続きます。 表紋は菱(うろ覚え)裏紋は十の字(うろ覚え)旗印は釘だったような気がします。 以上安保本家の話です。
[18] | 梅木さんからのコメント(2008年10月20日 01時01分35秒 ) | パスワード |
梅木と申します。初めまして、現住所は東京都町田市相原ですが、私の実家は山形県庄内町余目です。16代続いた安保家が祭られています。そこは実家から近くです。インターネットで見たところ ”成澤道忠 (?〜?)氏家守棟の従弟。光氏の実父。入道し道仲。成澤城主五千石。武藤氏(庄内を支配していた)の属将安保余太郎兄弟と戦い、これを破る。最上義光(山形城主)は名族安保家を絶やすまいとして、幼い余太郎の三男に安保家の元の姓である梅木姓を与え庇護した。”とあります。小学校ではクラス1/4が梅木性でした。たぶん安保家と関係があります。実は40才過ぎたところで霊感が強くなり、成田新勝寺の童子とか、源永成という人物(清和天皇の関係で実在しました)が来たりします。自分の先祖と関係があると考えています。何か情報がありましたら教えてください。
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