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 投稿番号:100337 投稿日:2002年07月22日 09時53分24秒  パスワード
 お名前:服部 明子
古代日本に栄えたロマンな一族:秦氏2

コメントの種類 :その他  パスワード

では切りの良いところで<2>にします。

[1]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月22日 17時26分18秒 ) パスワード
  

私はB型です。

ね、桓武天皇ってぜったいアヤシイでしょう?
彼が新羅系ならその後、清盛とかが国際貿易をしていってもおかしくないし。

それと、聖徳太子のママが秦氏説、私も昨日実家で
もしや、とその考えに辿りついたのですよ。

それか太子の実のパパが秦氏系とか?なんて。
中公新書から出版されている「歴代天皇総覧」を読んでいて
そう思ったのです。
太子の亡き後、山背大兄王子はいろいろあった末に妻子ともども自決
してしまうではないですか。でもこれは、天皇家に入った秦氏の血を
途絶えさせるための「虐殺」だったのでは、なんて。
そして、その後百済系の中臣鎌足が実権を握るのですよ。
どうでしょう?
[2]秦義則さんからのコメント(2002年07月22日 21時00分15秒 ) パスワード
  

ぼくはO型です
干支は亥
ちなみに、明日が誕生日。
年齢は内緒で〜す!

そりちゃんの言うように。
すごく怪しい!

同感です!
[3]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月22日 21時15分21秒 ) パスワード
  

お誕生日おめでとうございます。
干支が同じですね。

聖徳太子のときに天皇家との血を途絶えさせられた
秦一族がその怨みを忘れていなくて、後に桓武天皇の時代に
なって新たに政治の裏権力をにぎった、なんてね。

でも、きっと源平の戦いのときも秦一族は平氏側と源氏側に
わかれていたのでしょうね。
そうでなければ、脈々と続いていかないですものね。
[4]秦義則さんからのコメント(2002年07月22日 21時38分14秒 ) パスワード
  

最澄が開いた天台宗に祝詞があったって知ってますか?
もちろん現代の祝詞なんですが、
過去からも天台宗には祝詞があったと考える方が普通ですよね。
現代の天台宗の僧侶達は宇佐神宮をあがめているのですよ!
発見したので記載しておきます。

天台宗法華八講祝詞  

 掛麻久母畏伎 宇佐神宮乃 大前爾(齋主 宇佐神宮禰宜永弘健二) 恐美恐美母 白左久 大神等乎御守護乃 神登 崇奉里 尊奉留 天臺宗 僧侶亦 天台宗徒乃 諸人爾 有弖波 一二二○ 有餘年乃昔爾 傳教大師 最澄上人乃 八幡大菩薩乎 御守護乃神登朝奈夕奈爾 祈里 仕奉里弖有留程爾 更爾母 吾大神等乃 恩頼乎戴奉良牟登   平成十年九月二十九日乃 今日乃生日乃 足日乎 佳日登 選定米弖 大前爾 禮代乃 大幣帛乎安幣帛乃 足幣帛登 捧奉里 御饌 御酒 海川山野乃種々乃 味物乎 供奉里 拜奉良久乎 平介久 安介久聞食志 今志大前爾 法華八講乃 儀式 仕奉留登爲弖 比叡山延暦寺 天臺宗総本山 座主 大僧正 渡邊惠進伊乎始米 同久 宗務総長 藤光賢伊 同久 九州東教区内寺院住職宗務所長 秦順照伊 同久 東教区内寺院僧侶五○名亦信者乃人々乃 諸々伊 清伎 明伎 直伎正志伎 眞乃心 以弖 天皇命乃  大御代乎 手長乃御代乃 巖御代登 常盤爾 堅磐爾 齋奉里 幸奉給比弖吾大神等乃 御神徳乃 大御恵乎 関係諸人等乃上爾廣久厚久守給比  幸奉給比弖 各母 各母 其乃持分久留職務乃 任々爾 勤美 勵美 一向爾 平和志伎世界乎經營里 堅米成志 西爾東爾 睦毘 和美弖 遍久人類乃 福祉乎 増進米給閉登 恐美恐美母 稱辭竟奉良久登白須

かけまくもかしこき うさじんぐうの おほまへにいはひぬしうさじんぐうねぎながひろけんじかしこみかしこみも まうさく おほかみたちをまもりの かみと あがめまつり たふとみまつるてんだいしゅう そうりょ また てんだいしゅうとのもろびとに ありては いっせんにひゃくにじゅうゆうよねんの いにしへに でんぎょうだいしさいちょうしょうにんの はちまんだいぼさつをまもりの  かみと あさなゆふなに いのり つかへまつりてあるほどにさらにも あがおほかみたちの みたまのふゆをいただきまつらむと へいせいじゅうねんくがつにじゅうくにちのけふの  いくひの たるひを よきひと えらびさだめておほまへに ゐやじろの おほみてぐらを やすみてぐらのたるみてぐらと ささげまつり みけ みき  うみかわやまぬのくさぐさの ためつものを そなへまつり をろがみまつらくをたひらけく やすらけく きこしめし いましおほまえにほっけはっこうの のり つかへまつると してひえいざんえんりゃくじ てんだいしゅうそうほんざんざす だいそうじょう わたなべえしんいを はじめおなじく しゅうむそうちょう ふじこうけんいおなじく きゅうしゅうひがしきょうくない じいんじゅうしょくしゅうむしょちょうしんじゅんしょうい おなじくひがしきょうくないじいんそうりょ ごじゅうめいまたしんじゃのひとびとのもろもろい きよき あかき なおき ただしきまことのこころ もちて すめらみことの おほみよをたながの みよの  いかしみよと ときはに かきはにいはいまつり さきはへまつりたまひて あがおほかみたちのみうつくしびの おほみめぐみを かかづらふもろびとどものうへにひろくあつくまもりたまひ さきはへまつりたまひておのも おのも その もちわくる わざの  まにまにいそしみはげみ ひたぶるに おだしき よを つくり  かためなし にしにひがしに むつびなごみて あまねく ひとびとの さちを ましすすめたまへと かしこみかしこみもたたへごとをへまつらくとまをす。

延暦寺と宇佐神宮は関係あるの?
仏教と神道は?

奥が深い!



       
[5]さちこさんからのコメント(2002年07月22日 22時35分37秒 ) パスワード
  

秦さんO型でしたか。
迷える子羊さんもO型ですね。

私もO型です。
いまのところそりちゃんさんだけB型ですか。
たまねこさんはB型?
隈さんも意外とB型だったりして。

延暦寺、宇佐神宮。
ともに秦氏がらみ?
宇佐八幡宮と同じと考えていいのでしょうか?
宇佐八幡宮は九州の辛島氏(秦氏)絡みです。
延暦寺は勿論、最澄

http://isweb10.infoseek.co.jp/novel/paja_k/Msaichou.htm

<延暦寺の創設と桓武天皇の遷都>

最澄は、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし。」という考えで、最低の衣食住に耐え、ひたすら修行に勤め、「悪事を己へ、好事を他へ、己を忘れて他を利する。」という、謙虚で純粋な精神の持ち主だった。

そんな最澄を慕って多くの修行僧たちが集まり始め、22歳のときに彼らと共に比叡山延暦寺を創設し、厳しい修行を続けた。

数年後、朝廷では桓武天皇の命により、奈良から京都に遷都することになっていた。そしてそのためには、京都の鬼門(北東)の方角にある比叡山を怨霊から都を守る聖地としなければならなかった。桓武天皇が比叡山で修行に励む無名の僧、最澄のもとを訪れたことにより、最澄の宗教者としての名は世間に認められるものとなった。

<遣唐使となる>

37歳の最澄は遣唐使に加わり、天台仏教の研究の為に中国に渡った。天台山に向かった最澄は、天台仏教の教義を学び、僅か一年足らずで天台の奥義を極めた。そして帰国直前には「順暁」に就いて密教も学んだ。しかし最澄は密教の奥義を伝授される大前提である荒行を行なっていなかったため、密教の基礎を学んだに過ぎなかった。まもなく最澄は、おびただしい数の天台仏教の経典と共に帰国の途についた。

<桓武天皇崩御>

帰国した最澄を待っていたのは、彼の理解者であり天台仏教の庇護者でもある桓武天皇の病臥した姿だった。最澄は命がけで密教秘法の病気治癒の祈祷を行なった。しかし密教の奥義を極めていない最澄の力では、重病の天皇を死の淵から救うことは出来なかった。

最澄は秦氏、ここでも桓武天皇と秦氏が密接であったことがわかります。


聖徳太子の母、穴穂部間人。
蘇我氏に殺害された彼女の兄弟、
泊瀬部皇子
穴穂部皇子

秦氏関連のような気がします。
丹後に三柱神社というのがあるのですが、
間人皇后は、蘇我氏から逃れるためにこの地に来たと伝えられているらしいです。

会津に逃れた蜂子皇子も蘇我氏の迫害でしたね。
そして母の小手姫が蜂子皇子を探して会津にやってきた。
彼女は機織りに貢献し、
機織神社に祀られている。
この神社の前身が、服部御前堂といわれていた。

どうも蘇我氏が迫害したのは秦氏関連が多い。
蘇我氏は、
百済系らしいですし。

で、蜂子皇子ですが、羽黒修験道の開祖となったらしいです。
なんなの〜。



[6]秦義則さんからのコメント(2002年07月22日 23時59分28秒 ) パスワード
  

やはり修験道も秦氏関連ですよね。
役の行者も秦氏関連でしょうか?
大峯山の山岳信仰などもそうでしょうか。
呪術とか密教とか陰陽道とか神秘的な力に秦氏が関連しそうです。

聖徳太子が生まれた所に橘寺があります。
秦の河勝の庭に橘がありました。
御所の右近の桜と左近の橘、
雛人形も桃と橘でしたね。
天津祝詞にも日向の橘という土地が出てきます。
秦氏と橘は関連がありそうです。
呪術に橘が関係した?

聖徳太子の父は橘豊日命(後の用明天皇)と言います。
秦氏の血を引いているかもしれません。
太子の子も山背大兄皇子と言いましたね。
聖徳太子の一族は秦氏の血が流れていた!

物部氏に対抗して蘇我氏と秦氏が手を結んだ時代があって、
蘇我氏が主流派になると秦氏を必要としなくなった。
と言うより、危ない存在として、消そうとしたのでは?

[7]『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 01時08分50秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2005年11月21日 04時05分07秒
[8]たまねこさんからのコメント(2002年07月23日 02時46分48秒 ) パスワード
  

みなさん、こんばんは。すっかり、ドライアイになってしまいました。

子羊さん、ピンポン。几帳面なA型のたまねこです。蒙古斑はB型の弟にくっきりありました。

昨日、トンデモ本を立ち読みしていたら、「秦氏は念力を使って天皇を操っていた!」というのもありましたよ。宗教絡みの呪術は得意分野だったと思いますし、こういう仕事は表に出せないものが多かったのでは?裏がなければ、表も成り立たない。持ちつ持たれつの関係だったら良いのですが…

橘は、垂仁天皇が新羅系渡来人・三宅の連の祖である多遅磨毛理に献上させた木の実ですが、多遅磨毛理はどうして絶叫しながら死んじゃったのでしょうね??(イスラエル原産の柑橘類だったとか?)
橘氏は古代安倍氏と同族みたいですね。安倍晴明の母も橘だというし、「橘」って魔力でもあるのかしら?


[9]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月23日 08時58分43秒 ) パスワード
  

そうか、泊瀬部皇子(崇峻天皇)の皇子・蜂子王子と小手姫もこれで
きれいに秦氏につながりましたね。怖いくらい。

さちこさんの言うとおり、蜂子王子は羽黒修験道の祖なのですよ。
なんでも、都で父が殺された後、身の危険を感じて逃れているときに
舟から天女が舞っているのをみて、上陸したところが月山だったとかいう
話です。天女=羽衣=絹織物=蚕=秦氏・・・。
これは、秦氏の勢力のある土地に逃れてきたことを暗示しているのかしら。
そして、月山はその名のとおり「太陰信仰」があったそうです。
キーワードの「ツキ」もでてきますね。

橘氏も謎の一族ですよね。当時秦氏並に迫害されたのではないですか?
政治の表舞台からは失脚させられて、学問や文学の方面でしか能力を
発揮させてもらえなかった。
もしも橘氏も秦氏と深い縁戚関係にあったとしたら、納得できますよね。
でも、そうすると私のなかには半分ぐらい秦氏の血が流れているのかしら?
だから、こんなに燃えるのかしら?
よく、源平藤橘と四大姓としていいますが、橘氏はここに入るほど知名度
高くないですよね。他の三家と比較して歴史上の働きもあまり残っていないですし。
うちの母方の実家は御子神典膳の血を引いているらしいので、そうすると
十市氏か橘氏なのです。こんなところでつながってくるとは・・・
やはりオカルトサイトですね。

<天津祝詞にも日向の橘という土地が出てきます。
<秦氏と橘は関連がありそうです。

日向=九州のこと?
すると、やはり秦氏と関係深そうですね。
一説によると橘氏は天皇家と血縁になったので、四大姓のなかにいれられた
とか、あまり家柄は・・・という説もあるそうです。
(私も橘氏の血がきっと入っているので橘氏の子孫の方
気を悪くしないでね!)

それと、穴穂部王子。崇峻天皇と聖徳太子のママ・間人姫の兄弟。
なんだかすごい悪者に書かれて「古事記」等には記録を残されているようですが
これも後世「王子を暗殺した」人がそれを正当化するためにわざと
非道な人物として残したのだと思います。
つまり、蘇我馬子にとっては崇峻天皇の方が穴穂部王子よりはるかに
動かしやすい人物だったのでしょう。
その崇峻天皇も結局馬子の命令で東漢直駒によって暗殺されます。
言う事を聞かなくなってきたからです。
そして、推古天皇がでてくるのですね〜。

秦氏とどうして、蘇我氏が手を結んだのか、呪術の力が欲しかったのだとすれば、
石舞台古墳がありますね。
馬子の墓説があります。石舞台からずっと龍の道が通っているという話です。
そして、その道上にその当時の天皇の墓が造られているとか。
たぶん、これを造ることによって、蘇我氏が永遠に続くようにとの呪術だった
のだろうと。しかし、馬子の墓をあばいた事でその術は解かれてしまっています。
古代は本当に呪詛合戦だったのでしょう。
これは欽明天皇からはじまり、その後なぜか吉備姫王も入っているそうでう。
吉備姫王は欽明天皇の孫にあたり、天武・天智の祖母です。

ちなみに、猿石とかあの辺りにある石造群は龍道のパワーを補ったりする目的で
配置されているそうです。
そして、その龍道の東側の終着点には!!
鎌足を祭る「談山神社」があるそうです。
やっぱり、鎌足ぜったい怪しい!!!
[10]『迷える子羊』さんからのコメント(2002年07月23日 10時41分27秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2005年11月21日 04時07分00秒
[11]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月23日 17時58分22秒 ) パスワード
  

子羊さんは、藤原忠実の後裔でいらっしゃいますか?
保元の乱の後、たいへんでしたでしょうね。
でも、しっかりと後世にご先祖の記録が残っていることは
ちょっと羨ましいです。
[12]さちこさんからのコメント(2002年07月23日 20時22分38秒 ) パスワード
  

秦さんお誕生日おめでとうございます。

今は頭が???なのでまた。

迷える子羊さん。
いつも楽しいお話ありがとう。

柱は気になりますね。
意外なところから話が進展することもありますから気をつかわないでくださいね。

隈さんのスレッドで頭混乱してます。
[13]秦義則さんからのコメント(2002年07月23日 23時16分32秒 ) パスワード
  

皆さんありがとうございます。
「おめでとう」と言ってくれる人は少ないですから。

御柱は7年に1度なんですか。
日本人は7が好き?1週間は7日
これはキリスト教から?
神武天皇は7年かけて統一を果した。
??「果す」とはもともと「殺す」と言う意味?
「はたす」「ハタがする呪術」「呪い」「丑の刻参り」牛・・・
闇の世界に秦氏は確実にいたんですね。

最澄も法然も秦氏。聖徳太子のなかに見えるキリスト教。
仏教もキリスト教も道具の一つ。
橘を使って西域由来のカバラを原点とする
占いや呪い。それが風水となり密教となり陰陽道となる。
橘は神の木なんですね。

うん、鎌足も絶対怪しい!
[14]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月23日 23時28分43秒 ) パスワード
  

たまねこさん
<橘氏は古代安倍氏と同族みたいですね。安倍晴明の母も橘だというし、「橘」って<魔力でもあるのかしら?

清明の母って「狐」といわれている方ですよね。橘氏なのですか?
私はてっきり渡来系の女性かと思っていました。

ここに、おもしろい説が。
http://www4.justnet.ne.jp/~takeuchi_toshinori/tai_2_20.htm

ここでは、安部清明の父は将門か!?っという非常に大胆な推理が
展開されています。
私も清明と常陸の関係は非常に深かったと思いますし、将門が呪術に
長けていたという点でも、鹿島・香取神宮関係以外にもなんらかの
呪術集団がいたのではないかと思います。

橘氏は県犬飼三千代が橘宿禰姓を賜ったことに始まります。
彼女は高級女官ではじめ三野王に嫁ぎ、後に藤原不比等の後妻に
なりました。彼女に関して手持ちの辞書には「東人の女」としか
ありませんでした。東国出身=坂東出身ということかしら?
[15]さちこさんからのコメント(2002年07月24日 00時02分52秒 ) パスワード
  

七日間?
伊賀の服部家の敢国神社の黒党祭へご案内。
(くどいけど元はアベ氏の神社で桃太郎伝説にも関係する所。)

http://www.mpd.co.jp/net/ninja/japanese/bou/bou/kemuri/4.html

昨年、450年ぶりに復活
かつて上野市の伊賀一の宮・敢国(あえくに)神社には、「黒党(くろんど)祭」と呼ばれる奇祭があった。伊賀忍者の頭領、服部一族の私的な祭だったとされる。
みこしを担ぐ神事に携わる者は、服部一族に限られ、それ以外の者が参加する場合には、服部の姓を臨時に与えられてから、参加が許された。全員、黒装束に身を固めるならわしだった。黒装束は忍者のふだん着ではない。伊賀忍者はクレ染めの濃紺の服を身につけていたからだ。祭りの際の特別のものだったと考えられている。現代の冠婚葬祭に黒い服を着るのと似ていておもしろい。
ほかに黒装束を集団で身に着けた者に、日本刀などをつくるタタラ師がいる。タタラ師の祭神は金山媛命(かなやまひめのみこと)。敢国神社にも祭られている。忍者のルーツを探る上での重要な手がかりが秘められているように思える。
祭りがいつごろ始まったのかは定かではない。最盛期の平安時代末の記録を見ると、十二月初めの卯(う)の日、神社のご神体を北東約1.5kmの柘植川の花園河原に移すことから始まる。ご神体の前で、流鏑馬(やぶさめ)や歌舞などの芸能を七日間通して奉納。仮設の大座敷に大勢の人を招待し、一般の観覧も自由だったという。大規模な祭りだったがゆえに、経済的な負担が重く、戦国初期にはすでに「苦労当祭」、つまり苦労に当たる祭りと皮肉られるようになった。服部一族の衰退とともに次第に途絶えがちになり、戦国時代末、自然に廃止された。この黒党祭、敢国神社の太郎館季幹宮司の熱意で、昨年(平成8年)、実に450年ぶりに復興された。


現在の祭では当時の様子をうかがう事は多分できないと思います。
でもひっかかるものがあります。

明子さん〜〜。
昔は金持ちだったんですね。服部家。

そりちゃんさん。
そりちゃんさんが会津関係でなければ実は繋がらなかったのです。

蜂子王子は正記にはのってないらしい。


[16]秦義則さんからのコメント(2002年07月24日 23時59分02秒 ) パスワード
  

古事記は厩戸皇子が登場する直前までかかれています。
記紀には厩戸皇子の伝説がかかれています。
聖徳太子の登場とともに新しい日本が始まったように思えます。
古事記と記紀は旧約聖書と新約聖書になぞらえる事が出来ます。
太子の一族は蘇我氏によって非業の死を遂げます。
そこからも太子のカリスマ性がより強くなり、
イエスの話とダブってきます。
聖徳太子はメシアであり、救世主であり、弥勒菩薩であったのです。
太子が生まれる時、
穴穂部間人皇女の元旦の夢に金色に輝く僧(正体は西方の救世観音菩薩)が現れ、
「われに救世の願いあり。よって胎をかりる」との託宣がありました。
太子自身が新羅から西アジアに通ずる騎馬民族の皇子だったとしたら。
太子の血を受け継ぐ天皇家。
その血筋が日本固有のものでなく、西域からの渡来人だったとしたら、
そのような記録を残すことが出来なかった。
古代において中国王朝に使者を出し、貢物をして国家と認めてもらっていた時代がありました。
しかし太子は独立国家として遣隋使を送った。
その証が「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致(いた)す、恙無(つつがな)きや、云々(うんぬん)」と言う文書。
日本国としてのアイデンティティと万世一系の天皇を作らなければならなかった。
高天原から高千穂に降り立ち日本国家を形成し、
それを援助する形で渡来人が登場しなければならなかった。
その主役自身が渡来人であってはならなかった。
だから、様々な記録や記憶を橘で封印する必要があったのです。
現在でも日本は単一民族と考える人々もいます。
天皇家のルーツを探るのはタブーなのです。
そして平安と繁栄を願ってやみに沈んだ陰陽師たちが、
結界を作り守り続けた。
天皇家と裏から守った闇の一族が確かにいたのです。
[17]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月25日 00時20分05秒 ) パスワード
  

さちこさん
<そりちゃんさんが会津関係でなければ実は繋がらなかったのです。
<蜂子王子は正記にはのってないらしい。
ほんとに〜?そうなの〜?
ちょっとゾゾーっときました。
うちの家系のことを調べていた時にたまたまヒットして、
へーこんな伝承があるんだー、おもしろーい、ぐらい
だったんですけどね。気になってプリントアウトしておいたのですよ。

秦さん
膨大な祝詞、ありがとうございました。
でも、このカキコミの御蔭でやはり昔は神仏をあまり区別してなかったのね、と
確認できました。

渡来人、
確かに表舞台にはでられませんよね。出てきてもなんらかの力でまた
闇に戻されてしまう・・・。
でも天皇家とはきってもきれない間柄なのでしょう。秦一族のネットワークは
いまだ息づいているのでしょうか。
[18]たまねこさんからのコメント(2002年07月25日 02時22分49秒 ) パスワード
  

みなさん、こんばんは。

「黒党(くろんど)祭」…”くろんど”って、黒党のことだったのですか?
田舎の同級生の家が”くろんど”という店をやっていて、変な名前だなぁと思っていた…

古代日本を形成していたのは、紛れもなく渡来人のはずなのですが…(先住民は、とうの昔に、東北や日本海側に押しやられてしまったことでしょう)
戦時中の、日本天皇を中心とした国粋主義から、なかなか抜け出せないのでしょうか。
天皇の起源を探るのはタブーでしょう(笑)。知りたかったら「古事記」に書いてありますから、で終わりですね。神武天皇〜孝元天皇は、天皇ではなくて、地方の首長みたいなもんだったと思うのですが、いかがなものか…。

安倍晴明の母は「源平藤橘」のキツで、それが狐に訛ったのではないかという説もありますが、安倍氏が新羅系渡来人である「吉志」を厚く保護していたから、吉志族の姫君が母親だったのではないかという説の方が納得できますね。晴明の息子には「吉」という名前が付けられてますし。
桓武平氏と繋がっていたとされる、武蔵国の「壬生吉志氏族」は怪しい。

安倍氏、賀茂氏、平将門、秦氏、聖徳太子、やっぱり、ここを読むのが早い。

http://www4.justnet.ne.jp/~takeuchi_toshinori/tv_taira.htm

ここに出てくる縁の地の数々が、いちいち自分に繋がってくるので、気持ち悪いです。
そりちゃんとは、やっぱり「蚕の糸」で繋がるのかしら?(この時代は、蚕飼川?)



[19]さんからのコメント(2002年07月25日 11時10分13秒 ) パスワード
  

皆さん、どうもお久しぶりです。
最近忙しくてゆっくりカキコ出来ないけど、ROMだけはしています。

中臣鎌足が怪しい!というお話がありましたが、
それに関係ありそうなページを見つけました。

http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/shiten2taika.htm

百済系か新羅系かは置いといて、やっぱり渡来人かもね。

それから、大化の改新の陰の仕掛け人は安倍氏、なんてお話も。
反蘇我氏勢力の中心ですって!
それに、安倍氏が実は坂東の出身であるという説まで。
怪しい、怪しい!


え〜、ちなみに私の血液型ですが。

ブー、皆さんハズレです(笑)。
実は私もO型。

昔はおとなしかったのでよくA型と間違われましたが、
年とともにすっかり厚かましくなってしまったのか、
あまり間違われなくなりました(汗)。

ちなみに、私の蒙古斑はあまり目立たなかったようですが、
4歳の娘(O型)にはしっかり、背中まであります。


あ、そうそう迷える子羊さん、

私は秦氏の血が濃いみたいですが、藤原北家の血も混じってるらしいです。
父方の祖母の旧姓は山藤です。

もっとも、近年では貴族の藤原氏と藤原秀郷は繋がらない、という説も出てきているようですが(例えば鳥取氏であるとか)。
[20]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月25日 12時06分32秒 ) パスワード
  

たまねこさん
<ここに出てくる縁の地の数々が、いちいち自分に繋がってくるので、気持ち悪いで<す。
<そりちゃんとは、やっぱり「蚕の糸」で繋がるのかしら?(この時代は、蚕飼
<川?)
私もこの数日、怨念ツアーに入り浸りでした!近いせいか、筑波山には
よくいくし。
そして将門と蚕にこんな縁があるなんて!やはり蚕の糸でしょうか。

ルソー君、かわいいですね。

隈さん
鎌足と不比等は親子ではないかもしれないなんて、目から鱗でした。
なぜ「鎌足の血筋のみ」藤原姓を名乗ることを許されたのか、
「中臣氏」一族が名乗ってもおかしくないのに。
やはり鎌足出自を偽っているとしか思えない。そして、本当の中臣家の
血を引く不比等を養子にすることで、中臣一族と手を結んだのでしょうか。

安部氏もかなりアヤシイですね。
狐=キツ=橘、わかりますね。
そして、清明は常陸の出身だった・・・。
鎌足も常陸の出身との説があるので、なんらかの繋がりが鹿島の
中臣一族とあっただろうし。
将門も呪術使えたそうだし、常陸が本領だし・・・。

古代の常陸の国は、いったい・・・。
[21]秦義則さんからのコメント(2002年07月25日 23時43分44秒 ) パスワード
  

やはり怪しかったね、鎌足。
中臣氏の系図まで入り込んでいたとは、
大した策略家ですね。
鎌足の本拠地、摂津の三嶋は、御嶋と書き、朝鮮半島を指すようですよ。
やはり渡来系ですが、何かあまり好きになれないタイプですね。
[22]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月26日 18時15分39秒 ) パスワード
  

将門怨念ツアーを読み終わって、気がついたのですが、
平安時代に歴史上名を後世まで残している人物の影には
必ず「渡来人」の姿が見え隠れしていませんか?

これは当時、権力=精錬技術を持つこと=経済力&武力だったことを
意味しているのでは。

桓武天皇も清盛も、母親の出自がわざとぼかしてあるし、これは
高野新笠も祇園女御も渡来人系の女性で、もしかしたら「秦一族」の
女性だったのかしら。
茨城で「蹈鞴(たたら)」が発見されているそうですし、国香を始め
一族の者が本当に狙っていたものは「鉱物」とそれに伴う「財力&武力」
だったのでは。
また、渡来系の人が将門に関わっていたとすると「呪術」に長けていたことも
うなづけます。
ただ、将門のバックは妙見神を祭る一族から八幡神を祭る一族にかわります。
八幡=秦氏ですよね。
将門の頃に秦氏が常陸に居住していたということは、鉱物の豊富な陸奥にも
必ず流れていったと思います。

聖徳太子をはじめ、秦一族はかなり深く大和国家に食い込んでいたのですね。

しかし、鎌足の意図はいったいなんだったのでしょうか。
中大兄皇子に近づいたきっかけになった逸話は似た話が大陸のほうに
あるそうですし、ますます怪しい。
[23]川口 信さんからのコメント(2002年07月27日 14時55分07秒 ) パスワード
  

 さちこさんから「明智系図」でいい情報を頂きましたので私も「秦氏」に関係するいいHPを見つけましたのでお礼に。(ご存知の方がおりましたらご容赦を)

  http://www.kitombo.com/mikami/back.html (三神たけるのお伽秦氏)

 河童・猫・東儀さん等「秦氏」情報満載のものです。秦氏ファン必見です。

 こないだ新聞に載っていた話ですが。記事に「秦野川勝」と載せたところ、読者から苦情がきて「秦河勝」と書いて読みは「はたのかわかつ」であると訂正していました。「秦氏」もメジャーになってきましたね。 
[24]さちこさんからのコメント(2002年07月27日 20時56分36秒 ) パスワード
  

川口さん
ありがとうございました。
ひと通り見てきました。面白かったです。

それにしても、
東儀さんも伊賀の服部家もユダヤ人とはっきり断言してくれてますね。
ありがたい事です。
雅楽の東儀家というと由緒ある家柄とほとんどの人が感心しますが、
伊賀の服部家というと笑われる。
元は変わらないのにね。

たまねこさん
知り合いのかたのお店が「くろんど」ですか?
何故なのでしょ?不思議です。
私は元は蔵人、くろうど、くらんど、が訛ったものかとも思うのです。
黒装束といっても当時は忍者装束ではなかったはずです。
どんな祭り儀式を行っていたか?かなり怪しい。

秦さん
三嶋はミシマですよね。
越智氏の大三島神社、三島大社等との関連は。

この島、島という字秦氏に関りが深いような。



中臣氏を調べていたら、
鎌足のいとこの子に大島というのがでて来ました。

天武10年。
天皇は、川島皇子、忍部皇子、大島、平郡臣子首に、
帝記及び上古の諸事を記定めしめ。
などとかいてありました。

大島、大志万さんと関係ありでしょうか?
川島は確か秦氏にもいて、
忍?平?
考えすぎ?忍部(オサカベ)なのですが、何を意味するのか。
古代の人の名前は地名や職業経歴などが示されているそうですが。
こう考えて古代の系図をみてみると随分怪しいのですが。

もともと中臣氏は祭祀氏族だったらしいです。
地方の祭祀司った地方の、中臣幡織田(はとりだ)連等をを傘下におさめ、
政治力、経済力を向上していった。
とも書いてありました。

平安時代になって藤原氏は祭祀族ではなくなってるそうです。
中臣氏とも疎遠になってます。
なにか不自然ですね。
[25]さちこさんからのコメント(2002年07月27日 22時30分16秒 ) パスワード
  

本を見ながらだったのでいつもながら変な日本語かきました。
地方の祭祀を司った、中臣幡織田(はとりだ)連です。

今日は津島祭りですが、
織田信長が津島近くにに勝幡城を築いたのと関係あり?
[26]秦義則さんからのコメント(2002年07月27日 23時25分41秒 ) パスワード
  

さちこさん
三嶋は「ミシマ」です。
大阪府高槻市から三島郡一帯をそのように呼んでいました。
鎌足の墓といわれる阿武山(あぶやま)古墳がありますよ。

中臣幡織田(はとりだ)連って秦氏と関係アリ?
織田信長は闇の世界を滅ぼそうとした唯一の武将ですね。
仏教と神とシャーマニズム。
叡山の焼き討ちもその一つ?
信長は天皇を超えた存在になりたかった?

仏教と神とシャーマニズムといえば、
熊野大社を思い浮かべます。

紀州和歌山はみかんどころであり、山岳信仰の地。
神武天皇が東征服するとき、長髄彦の命の軍勢によって、大阪湾からの上陸を断念。
和歌山に回りこんで熊野に達し、迷った時にヤタガラスが道案内したといわれています。
熊野大社は山岳信仰の地、役小角や空海、一遍尚人などのゆかりの地。
熊野権現・・・権現とは
釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩を神になぞらえたもの。
仏が神の姿を“権(か)りて”、人々を救済するために我が国に“現れた”という説があります。神仏習合思想の前提ともなりました。
京都から熊野にいたるまでに九十九王子があります。
九十九とは百に一本足らない、「白」という字になります。
白王子=皇子なのです。
皇子とは誰を指すのか?
仏陀と神と聖霊の皇子、聖徳太子ではないでしょうか?
九十九王子の一つに橘木王子があります。
山岳信仰と呪術、それに繋がる九十九王子、聖徳太子、神武天皇のヤタガラス。
神の木、橘と呪術。
後白河法皇や後鳥羽上皇どうして熊野に足繁く通ったのか?
熊野に何かがある?


[27]さちこさんからのコメント(2002年07月28日 00時26分42秒 ) パスワード
  

ミシマですかやはり。

この高槻市の闘鶏(ツゲ)古墳のことを以前書きました。
4〜5世紀大和朝廷の海運を担っていた豪族のもので、
驚くほど盗掘もなく保存状態がよく今後の調査が期待される。

高槻にもやはりありました。
服部関連。

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/new/syoko/setukyokoen.html

神服神社、服部連塚。

ツゲ=みしま=服部

やはり繋がります恐いほど。



東儀秀樹マミィが東儀九十九(つくも)というのも何かありなんでしょか?

確かに鳥羽天皇、後鳥羽天皇、後白河等は平家関連、
承久の乱で服部家とはゆかりがありそうです。



[28]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月28日 00時40分32秒 ) パスワード
  

こんばんは。
私もいま熊野についてひっかかっていました。

いま奥州藤原氏の秀衡について調べていたのですが、
彼もわざわざ熊野に身重の妻をつれていってまでお参りしています。
しかも参拝の途中赤子が産まれてしまい、その子を近くにあった
洞穴においていってしまって、戻ってきたら無事であったという
いまだったら幼児虐待か!と思うようなことをしているのです。
その赤子が第三子の忠衡です。

でも、これは赤ん坊を熊野の神に預ける=ヤタガラス=修験者なのでは
と思いました。

奥州藤原氏の祖清衡は母が安部頼時の娘で、元は藤原経清の妻でしたが、
前九年の役で経清が処刑され清原武貞と再婚します。
秀衡の実父は清衡です。

安部氏の血が流れているし、奥州という地において秦氏とも繋がりが
あったであろうと思います。
熊野参詣とは「裏の代表者」との密会の場であったのでしょうか?
後醍醐天皇もたしか熊野の方に隠れてたのですよね。

そうそう、宇佐神宮は建設したのが欽明天皇でした。
欽明天皇の治世に任那が滅びてしまいますが、国内に数々の
宗教関係の建物を建てたことは関係しているのでしょうかね。

それとも国内の渡来人を味方につけるために条件を飲んだのかしら。
あ、そうかも。任那を再興するには武力や財力が必要ですものね。
そうならば、渡来系の人たちの「蹈鞴(たたら)の技術」や「呪術」、
そして「製錬製品を売ることによって得る収入」は絶対必要ですものね。

欽明天皇は蘇我氏から妻をもらっていますし、もしかしたら他の渡来系の一族
からももらっていたのかも。だとすれば、秦氏の血も入っているのでは。
そうなると、厩戸皇子はやはり。だって、蘇我稲目から二人も娘をもらうのって
妙だし、秦氏の娘をまずいからということで蘇我氏の娘にしたのでは。
そして、のちにその血は絶やされてしまう・・・。

しかし、「橘」にはどんな秘密が隠されているのかしら。
[29]たまねこさんからのコメント(2002年07月28日 02時23分01秒 ) パスワード
  

川口さん、面白いコラムの提供、ありがとうございました。

「猫」で、私の前世が2つ出てました(まだ確認中ですが)。うちの猫は、アフガニスタン原産のペルシャ猫。しかも、初代猫の血統書名はEden。
ここにお邪魔するようになってから、物事には偶然はない、あるのは必然のみ、という気がしてまいりました。安倍晴明は、未来もわかっていたと思いますよ。

「おでん」で思い出したのですが、弓月光の漫画に「おでんグツグツ」って、ありましたね。(…誰も知りませんよね)

熊野の熊は、「曲」「隈」「隅」であり、奥まった所、暗く影になっている所、秘めている所を表す言葉のようですが、修験の聖地は治外法権だったとか?先住民族を追い払って、ヤタガラスの本拠地になっていた?

八世紀の日本では、「橘」の実(ミカン類)を食べると、永遠に生きられると信じられていたそうですが、これに似た話がシュメールのギルガメシュ伝説にあるそうです。こちらはリンゴですが、いずれも黄金色の木の実ということで。
ところで、橘氏は仏教の普及とともに衰退したのでしょうか??

やはり、乱世になると隠れていた「秦一族」が出てくるような気がします。これから先のことを心配しても、もう遅いのですけれど…
[30]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月28日 10時05分52秒 ) パスワード
  

>やはり、乱世になると隠れていた「秦一族」が出てくるような気がします。これから>先のことを心配しても、もう遅いのですけれど…

どういうことですか?もう滅んでしまうということ?数日前に地球に隕石が
大接近し、もしかしたら地球に落ちるかもとかニュースになっていましたが。

でも、慌てても仕方がないですよね。これも運命なら、騒がすに
最後まで「平熱」しよう。

しかし、この不況の世の中、「秦氏」はこの国の行く末をどこから
見ているのでしょうね。
[31]秦義則さんからのコメント(2002年07月28日 22時13分00秒 ) パスワード
  

>この不況の世の中、「秦氏」はこの国の行く末をどこから
見ているのでしょうね。

ここから見てますよ〜ネットでね。

すいません、軽い冗談です。

今日の大阪は暑かったのでくらくら状態。
思考能力0です。

でも、世の中必然で成り立っているというご意見には、
全面的に賛成です。
運命は切り開くものとかいわれてますけど、
基本的に切り開けないものがあります。
いつ、どこで、どのようにして生まれたかなど。

いつも思うのですが、
運命は樹木みたいなもので、
生えている土地を変えることは出来ないと思います。
また、楠に生まれたら一生楠ですもの。
これが運命。
でも、地面に肥やしを撒くことによって、
枝葉の茂り方に違いが出るもの。
自分でできることは、
枝葉の茂らせ方や実のなり方かな?
よってくる小鳥も増えるよね。
楠で思い出したけど、楠正成は橘氏だったかな?
南朝は熊野に近い。
やはり熊野に何かあるね。

熊野で何かを授けられていたのかな?

闇の拠点の鞍馬、
鬼門の叡山
呪術の熊野
それが熊野に一本化されてゆくのだろうか?
呪術には橘が必要だった。
それは橘の木なのか?橘氏なのか?

漢方薬でもある橘、陳皮(チンピ)といわれ、
効能の一つに、「神に通ず」とあります。
[32]服部 明子さんからのコメント(2002年07月29日 11時07分52秒 ) パスワード
  

今、フジテレビの「安倍晴明」を見てるのですが(三上博史と陣内)
陣内演じる悪役の「橘 影連」って?

10世紀の後半に橘姓で問題児だった人っています?
[33]さちこさんからのコメント(2002年07月29日 12時45分24秒 ) パスワード
  

景気対策に聖徳太子の一万円札を復活させるのがいいかも?(笑)

福沢諭吉さんが悪いわけではないですが。
でも太子が消えてから、
日本人のお金に対する価値観が変わってしまってバブルに突入。
そして今日の大不況。

最近は聖徳太子は実在しなっかたなんて説もでてきたし。
太子少しひがんでるのかもしれないです。

太子の供養のために是非お願いしたいところです。
ついでに5千円は後醍醐天皇。
千円札は楠木正成。
2千円は松尾芭蕉と世阿弥!
だめ?

アメリカで阿倍晴明ですか?
しぶい!

もしかして英語の字幕がついたりしてるのですか?
[34]さんからのコメント(2002年07月29日 18時56分31秒 ) パスワード
  

> 今、フジテレビの「安倍晴明」を見てるのですが(三上博史と陣内)
> 陣内演じる悪役の「橘 影連」って?

う〜んと、「橘影連」が誰を意識して作られた人物なのかは分からないんですが、
実際の安倍晴明のライバルは、秦氏だったらしいですね。

川口さんご紹介の「三神たけるのお伽秦氏」に出ていましたよ。
(川口さん、私もあのサイトはお気に入りです。)

http://www.kitombo.com/mikami/0924.html

ところで、摂津三島郡も出てきましたね。
私の先祖(山藤氏、父方の祖母系統)も高槻出身。
ここの住人・三島氏って、やっぱり秦氏に近い一族だったらしいですよ。
彼らの祖神も少彦名命ですって。
[35]さちこさんからのコメント(2002年07月30日 00時31分53秒 ) パスワード
  

以前みつけたのですが、
面白いので是非。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage7-6.html

津島のお祭りのことも書いてあります。

一部抜粋。

あかねさん
源三位頼政って多田源氏でしたよね
で、遠州の三ケ日に鎮座する初生衣(うぶぎぬ)神社に以下の伝承があります。
この神社の宮司は、神服部氏
神服部氏は、承元三(一二〇九)年、三ケ日鵺(ぬえ)城主・源三位頼政の招きによって、山城国乙訓郡から神服部宿祢毛人女の裔・神服部宿祢安詮が三ケ日の岡本の地にきた。
神服部氏は、先祖代々「蟇目の秘術」を伝える家柄であった。
仁平三(一一五三)年に、宮中に鵺が出没した。
源三位頼政は、鵺退治を命ぜられ、神服部氏の「蟇目の秘術」の伝授を受け、鵺を射落とした。
二年後の久寿二(一一五三)年、今度は、宮中に白狐が出没したが、白狐の退治を命ぜられたのは、陰陽師・安部清晴であった。
神服部氏は、白狐退治を命ぜられなかったことを不名誉に思い、郷里の山城国乙訓郡に引きこもった。
これを知った鵺城主・源三位頼政は、神服部氏を呼び寄せ、伊勢神領のある三ケ日の岡本に住まわせた。
神服部氏は、岡本の地に初生衣神社を建立し、三河赤引きの糸を受納し、和妙(にぎたえ)を織り、伊勢神宮に奉納するようになったと

初生衣神社の宮司さん。
現在唯一、神服部家を名乗っていらっしゃるとか。

阿倍氏も服部氏も敢国神社との接点から、
同じだろうと考えましたが。
複雑だったのかしら?判りません。

阿倍晴明Vs芦屋道満は作り話らしい。
道満は架空の人物とされてますが、
漂白陰陽の象徴的な人、
秦河勝の子孫とされてます。

伊勢志摩の海女さん、
お守りに晴明のセーマン(五角形の星)
道満のドーマン格子柄?の刺繍を身に付けるそうです。


[36]くみんさんからのコメント(2002年07月31日 09時14分27秒 ) パスワード
  

http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/1_J.html

という説もあります。トンデモかも。
[37]さちこさんからのコメント(2002年07月31日 22時57分44秒 ) パスワード
  

くみんさん

はじめまして。

トンデモなんて、とんでもないです。
ここでは定説になってます。(笑)

川口さん、隈さんのご先祖の服部家が茗荷紋を使用していて、
この紋を使うのは摩多羅神の信仰に関係してるらしいです。

このHPは、
私の先祖がアヤハトリとクレハトリという機織りを伝えた帰化人と伝えられていて、
先祖が気になって検索をしていてみつけました。

びっくりしました。何故私の先祖が太秦に?
これを見てから人生観変わったかも?

在原業平の父安保親王その父が平城天皇。
平城天皇は薬子の変で秦氏と親密なので秦氏関連でも何か見つかるかも。

よろしくお願いします。

秦熱、夏バテぎみですか?
[38]くみんさんからのコメント(2002年07月31日 23時32分22秒 ) パスワード
  

知り合いに秦さんて多いですが、ハタと読みます。ところで、最近、
シンと呼ばれる人と出会いました。そういうのってあるんですか?

>川口さん、隈さんのご先祖の服部家が茗荷紋を使用していて、
>この紋を使うのは摩多羅神の信仰に関係してるらしいです。

うちも茗荷なんですが。摩多羅神の信仰って芸能の神とか聞きましたが、
どうなんですか? 夜に牛を走らせたりしてる神社って、ありますよね?
母方の近くにあるようです。
[39]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月01日 12時38分08秒 ) パスワード
  

昨日購入した本に「秦の始皇帝は日本を手に入れることを望んでいたが
出来ないまま亡くなった」なんて、説が。
その本によると、日本には「不老長寿の薬」があって、それが欲しかった
が手に入らず、その死後も日本を狙って墓の向きが「東」向きなのだ、と
ありました。

始皇帝の時代から、不老長寿の薬=水銀って豊富だったのですかね。
ということは、その時代からすでに製錬技術のある集団が居住していたと
いうことですよね。
中国のミイラで手足が曲がり、肌も驚くべき弾力性をいまだ備えているものが
あります。馬漢ナントカの妃のミイラで棺が3層になっていて、最後の柩は
「黄色い液体」のなかに浸けられていたそうです。それこそが「水銀」です。
(しかも、中国のミイラは脳や内臓はそのままなのです)
(普通はくさりやすいため除去します)

古来鉱脈の争奪戦なんかも激しかったのかもしれませんね。
イザナギノミコトが火の神達を出産するところなんて=火山の噴火ですよね。
イザナギが吐いたものが水銀や鉄になりっていうように思えました。

さちこさん
暑くて思考がまとまらなくて、皆さんのレスを読むだけで
精一杯です。
秦バテかも。
[40]さちこさんからのコメント(2002年08月01日 12時54分51秒 ) パスワード
  

くみんさん

くみんさんも茗荷紋ですか?
なにか凄い偶然です。

秦と書いてシンと読む方がいらっしゃるのですか?
初めてききました。珍しいですね。
摩多羅神は秦氏と関係のある信仰みたいなので芸能とも関係してるかもしれません。

上記のHPでは摩多羅神は秦河勝と地元の人は思っているというようなことが書いてあったと思います。

そりちゃんさん

私も秦バテです。
水銀、ミイラ、中臣と藤原氏の関係の真実とか調べたいことが一杯!
でも秦氏でクラクラ、暑さでクラクラです。
[41]さんからのコメント(2002年08月01日 16時14分17秒 ) パスワード
  

> 夜に牛を走らせたりしてる神社って、ありますよね?

京都広隆寺の牛祭りの事ですか?
秦氏による摩多羅神=秦川勝信仰のご本家ですね。
もともと大酒神社のお祭だったのを、明治の神仏分離令で大酒神社が広隆寺から分離された時、広隆寺に管轄が移ったのだとか。


> 秦熱、夏バテぎみですか?

真っ先に秦バテしている私。(^^;
書きたいことはあるけど、まとまらない。

今は取りあえず、ついに大枚叩いて買ってしまった「秦氏の研究」を、
眠気と戦いつつ読んでいる途中です(だってこの辺の図書館、置いてないんだもん)。


取りあえず、余談みたいな話になるけど。

秦氏って、水銀とか銅とか、鉱物関係の職業に縁深いようですね。

私の祖母の伯父(服部家の跡取で、お祖母ちゃんは安保氏)が大正〜昭和の初めに勤めていたのが、
愛媛県新居浜市の「住友別子銅山」だったんですって。

う〜んいかにも帰化人の末裔らしい・・・


おととい久しぶりに図書館に行ったら、全国の電話帳が置いてあったので、
うちの先祖が居たという旧服部村があった、広島県福山市の電話帳を覗いてみました。

そうしたら、服部さんよりも秦さん・畑さんが多くてびっくりしました。
秦さんが多いのは関西だけじゃないんですね。
改めて、備後は秦氏色の強い土地だと思いました。
[42]たまねこさんからのコメント(2002年08月01日 19時44分12秒 ) パスワード
  

みなさん、秦バテですか。

秦一族、全国、至る所で繁殖していますね。
うちの実家は茨城の古河市という、足利氏で栄えた城下町なのですが、ここも養蚕が盛んだったようです。鳥の名前がつく地名が多く、私の産土神社も「雀神社」。秦さんはいないけれど、お寺関係の方で「幡」のつく姓が多かったような…
常陸は帰化人が多かったのでしょうね。今思えば、先祖返りしたのかと思うほど、日本人離れした肌色、顔立ちの人が何人もいました(笑)。

秦氏は、帰化人を束ねて操った、影の元締めだったんじゃないですか〜?「古代日本に栄えたトンデモな一族の総支配人」だったかも。
秦一族が来日する以前から、日本にやって来て、各地に土着した渡来人もいたはずなのに、今では何か説明できないこと(不都合なこと?)があると、秦一族の仕業ということで片付けられているような気がいたします。これって、差別かも?

不老長寿の薬って、本当は、ただのダイエット薬だったのかも。貴族は「ブロイラー生活」していたでしょうから…
[43]秦義則さんからのコメント(2002年08月01日 22時28分42秒 ) パスワード
  

はい秦バテです。
月曜に会社で38.4度の熱が出て、
以来微熱が続き、
やっと、良くなってきました。

こんな事ならご先祖さんに、呪術のやり方教えてもらえばよかった!

それと、くみんさんが教えてくれたHPを見て、少し考え込んでました。

秦氏=ユダヤという説、
僕自身、否定すればするほど、調べれば調べるほどユダヤに行き着くのです。
自分の血に流れるものなので、少し戸惑いもあり、
そんなバカな、・・・という考えもどこかにあったのですが、

秦氏=ユダヤであってもいいなと思うようになってきました。
渡来人であることは、代々言われてきてましたから、
大陸から渡ってきたことに間違いないのですが、
ユダヤに繋がってるなんて、最近知ったのですから。

僕自身、不思議体験をよくして来ている方ですし、
人より敏感に自分の気の乱れを感じ易く、
呼吸や脈の打ち方を気にしながら、生きています。

突然ですが奈良の天理が気になります。
卑弥呼大和説の箸墓古墳が近くにあります。
日本最古と呼ばれる古墳の天理市じゃなかったでしょうか。
物部氏の石上神宮もすぐ側にある。
宗教都市です。
僕の家は真言宗をずっと守っているのですが、
京都、亀岡の本家筋は、明治に天理教が興ると、
一族そろって改宗しているのです。
天理教の繁栄に何かあるような気もします。
[44]さちこさんからのコメント(2002年08月02日 00時39分30秒 ) パスワード
  

秦さん大丈夫ですか?
まさしく秦バテしてしまって。
蚕の糸で感染力強いからうつさないでね。

秦さんも帰化人だと代々伝わっていたのですか?
うちの先祖については系図も残ってないし、
平家だったとは伝わってましたが、
機織りを伝えた帰化人と代々言い伝えてきました。
うちの先祖それだけで大した先祖のいない平凡な家系と思ってました。

でも色々調べてみてうちは伊賀の服部家、
確かにあまり特筆する人物はいないけど不思議と時の権力者とは関ってます。
でもそんなことは伝えずに帰化人、渡来人と代々残してきたのは、
やはり一族の誇りだったからと思います。

でも矛盾するのですよね。
秦氏はもっと古くからの、
日本の神道に関っているみたいで。

たまねこさんのおっしゃる様に、
秦氏は色々な人々、
差別される人、敗者等を同じ一族として保護してきたような。

今日の野党というか、
主流ではないけど日本の根底を支えてきたようなそんな気がします。
[45]さちこさんからのコメント(2002年08月02日 00時50分42秒 ) パスワード
  

追伸

隈さん。

秦氏の研究買ったのですか?
これは重宝します。

秦バテ防止の昼寝の枕になりますよ。

なんて冗談。
初めは??ですが、
繰り返し読むといいみたいです。あっ!そうかと思うことが。

私は一年経って少しは判ってきました。
隈さんなら一ヶ月ですね。

またご伝授お願いします。
[46]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月02日 13時10分59秒 ) パスワード
  

秦バテですね〜。

私も秦氏が漂白の民や他の帰化人たちを保護していた説、賛成です。
そうだとすれば、秦氏が彼等を動かす力はたいへん強かったということになり、
イコール裏の権力者でありえたということになるのでは?
製錬技術の集団である帰化人の人々や、
さまざまな姿に身を変え町から町へ渡り歩くことのできる「漂白の人々」。
彼等を保護することによって、帰化人からは経済力を、
漂白の民からは情報を得て、朝廷でさえも怖れる存在となったのではないでしょうか。

秦氏=ユダヤ人説
私も半分信じています。
古代文明のなかにはまったく名の知られていない遺跡もたくさんあります。
その中でも多くは「どこから来て、どこへ行ったのか」謎の民族が多く
あります。その人たちもユダヤ人と同じように故郷を捨てねばならない
事情があったのでしょう。
消えた十二支族(?)でしたっけ、本当に存在したと思います。
古代文明では「太陽」と「月」、おおきく言えば「天文」がとても
重要視されていました。
地球規模で見ても、当時連絡が取れないであろう土地に同じような
信仰を持つ人々が存在しているということは、大元の文明の名残では
ないかとさえ感じます。
日本の神社にある神鏡は「太陽」をあらわすと
いいますし、もともとは「太陽信仰」が主流であったのではと思います。

しかし、長い年月の間に仏教やいろいろな民族の影響を受けて、現在のような
形になってしまったのだと。

秦氏の力がピークだったのが「河勝」の時代で、朝廷も協力を促すために
その存在を認め、公にしたのかもですね。
しかし、のちに聖徳太子一族は抹殺され、また闇の中へと戻されてしまった。
裏で糸を引いたのは安倍氏?鎌足?

秦氏は橘氏とは仲が良かったかもしれませんね。その出自といい、後の扱いと
いい非常に似ています。

平安京が出来て、秦氏も大仕事を終えた後、表に出てこなくなったのは、
そういう約束だったのかもですね。また、裏家業に戻ったとか。
それとも、平穏を願い静かに暮らしたとか。

そうそう、藤原秀郷は俵藤太ともいいますが、別名に「近江藤太八幡太郎」と
いうのがあるそうです。
ということは、将門側の秦氏と、秀郷側の秦氏の権力争いも
天慶の乱にはあったのでしょうか?
将門も現代に語り継がれるほど妖しげな人物ですが、
秀郷もムカデ退治したりとか「呪術」を匂わせる人物です。
[47]たまねこさんからのコメント(2002年08月02日 20時14分40秒 ) パスワード
  

日照り続きで、頭のお皿が乾いてしまいました。今、蝦蟇の妖術で雨乞いし、水分補給したところです。(そんなわけないか〜)
でも、昔は「妖術」「神通力」が使えたんじゃないかなぁ…
みなさんの”勘の良さ”って、遠い先祖の名残かもしれませんよ。

どうも、近い将来、表が裏にひっくり返る事態が起こりそうな気がしてなりません。
表舞台の人間が引き摺り下ろされて、裏の人間が取って代わるような時代が到来するのでは?
太古の昔は、呪術や祈祷をやっていた一族が、権力者=支配者だったわけですから、その末裔が潜在能力をフル回転させて、先祖を辿って、横の繋がりや隠された真実を探しているのかもしれない。
しかし、何の為に?…危険を回避しようとする、本能的な力でもあるのでしょうか?

トンデモ話のついでですが、100年以上も前から、神様が世の中の立て替え・建て直しを計画しているという話があります。天理教の開祖は、確か、その計画ができてから、神様から降ろされた最初の人だと聞いています。因みに、今は8番目まできている段階です。教祖が亡くなったり、教義が本筋から外れてしまった時に、新たな使いが降ろされるので、天理教はすでに形骸化していると思います…私は無宗教なので、教義については全く興味ありませんが。

そういえば、なぜか、みなさんは、ミッション系の方が多かったですよね。
先日、うちの祖父が若い頃、宣教師をやっていたと聞かされた時、ゲッとなりました。やはり、海の向こうにルーツがある。カモがネギしょって、やって来たのかも?








[48]秦義則さんからのコメント(2002年08月02日 22時53分47秒 ) パスワード
  

こんばんは!
暑いですね〜

そろそろ皆さんの神通力を使って、
秘密結社作りましょうか!

晴明のセーマン型の魔方陣を床に描いて。
真中に三段の祭壇を作ります。

摩多羅神、アメノヒボコ、始皇帝を奥に祭って、
次に、銅鏡、銅矛、銅鐸を配置し、
手前に復活を意味する弥勒菩薩を安置し、
弥勒菩薩の左右に桃の花と橘の木を飾って、
聖徳太子の1万円札をお供えして、

うーん、その前で火を焚こう!

火を前にして、髪を振り乱して九字を切りながら祈祷するのは、
やはりオーナーの服部明子さんがお似合いかと・・・

祭壇の周りで舞いを舞う白拍子3人。
白拍子は美人と決まってますので、定員3人です。
お好きな人から、早い者勝ちで決めてください。
(ここは美人が多いようですので、喧嘩しないでね)

雅楽も必要ですね、笛や太鼓のメンバーも決めないとね。
東儀さん呼ぼうか!

ヤタガラスのお面と
牛のお面と
ついでに河童のお面を用意してありますので、
どなたか、つけて踊ってくださいな。
僕は牛のお面で裸踊りが似合ってるようです。

さー皆さん何選ぶ?
さちこさんは?隈さんは?そりちゃんは?たまねこさんは?くみんさんは?迷える子羊さんは?飛び入りも歓迎です!

呪文は天津祝詞をベースにして、
般若心経の「アノクタラサンミャクサンボダイ」をいれて、
ついでに「エロイムエッサイム」をいれて
最後に「アーメン」で締めくくったらどうでしょう?

秦ばて解消と不景気な世の中を立て直すために祈りましょう〜アーメン!


[49]服部 明子さんからのコメント(2002年08月02日 23時12分45秒 ) パスワード
  

>火を前にして、髪を振り乱して九字を切りながら祈祷するのは、
>やはりオーナーの服部明子さんがお似合いかと・・・

私は99年にオカルト力を離れてしまったので引退です。
93年から99年にかけてだったら面白い事になったかもです。
[50]秦義則さんからのコメント(2002年08月02日 23時21分43秒 ) パスワード
  

引退ですか〜

おしいな〜

代わりの方、立候補お待ちします!
[51]くみんさんからのコメント(2002年08月02日 23時29分50秒 ) パスワード
  

うちの安保のお祖母さんは若いときにクリスチャンに改宗して、
母達は洗礼を受けたそうです。で、私も子供の頃、5年くらい
日曜学校に通わされました。
「見よ! あれがベツレヘムの星だ!」という3人の賢者の台詞
を今でも憶えてます(クリスマスの寸劇でやらされ)
でも安保のお祖母さんは度重なる苦労のせいで、金光教に嵌った
り、山奥の穴に入って天理教の中山ミキ?もどきの祈祷師にも私
を連れて行ったりしてましたっけ。お祖母さんは85歳の正月、交
通事故で即死しました(叔父さんも一緒でした) 初詣の帰りで
した。

お陰参りを自然現象という人もいます。国中総一揆状態で、赤と
白の野次喜多が2大民族代表で行脚をした寓話は、高騰した株価
がシュンと弾けるように民衆が暴れた。空から空札が落ちてくる、
みたいな感じでしょうか。これには周期があるそうです。
[52]たまねこさんからのコメント(2002年08月03日 00時45分54秒 ) パスワード
  

牛と河童のお面…秘密結社の儀式というよりは、盆踊り大会?
揚羽蝶模様の浴衣を着て、太陽を背にしたヤタガラスのイラスト入りの団扇を持って踊ります!秦バテで、頭の中が花火大会!
ハタと気付きましたが、盆踊りや花火大会も、秦一族が始めたのだろうか??

くみんさんへ。

うちの父親の実家は、墨田区の向島あたりにあったのですが、東京大空襲で隣近所が全滅。祖母の機転で、隅田川に飛び込んだおかげで、父の一家(大家族です)は全員無事だったとか。祖母は100歳近くまで、ボケもせずに生きましたが、亡くなったのが正月。葬儀の都合上、しばらく冷凍保存しました。そのまま、水銀を入れて、ミイラにしておくという手もあったかも?

金光、天理とくれば、大本教。ここは、京都の綾部が本拠地でしたっけ。
人の御縁も、土地の因縁も侮れないものがあると感じます。

世の中の周期って、あると思いますよ。私は200〜300年の周期で生まれ変わってますけど、それはいつも決まって、一族が分裂・衰退(滅亡)する時期。当然のことながら、その時期が世の混乱・低迷期と重なります。寿命も短いことが多い…とか書いておきながら、後に、長寿日本一で表彰されたらどうしましょう。
[53]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月03日 08時58分47秒 ) パスワード
  

盆踊りはいいかもですね。
私はいま祭りばやしの笛をやってみたくて、ご近所の神社を狙って
いるのですが町(ちょう)が違うからだめかな〜。

でも、本当にいわゆる「乱世」に蚕の糸で集まった皆さんと
昔の記憶を探るこのサイトは、とっても不思議ですよね。
飽きっぽい私が一年以上もかけてご先祖のことを調べ続けていることも
私自身驚きなのですが。

たまねこさん
生まれ変わりに周期なんてあるのですね〜。たまねこさんの使命は
そういうことなのですね。
私はなんなのかな?もしかしたら、火事で家伝書を焼いてしまった
方というのが実は自分で、それを後悔していて今調べているのかな〜、
なんて(^^)
[54]さちこさんからのコメント(2002年08月03日 22時27分36秒 ) パスワード
  

花火ですか!
秦氏関連かも?
私の部屋から長島温泉の花火が見えます。
夏の土日だけですけど。
今日もやってました。

あまり確かな記憶ではないのですが、
花火の発祥は日本?
もしくは日本が先端の技術を持っていたそうです。

日本で花火の製造地と有名なのは愛知県岡崎です。
以前TVで、岡崎の代々花火師の服部さんという方がでてました。

戦国時代、忍者が火薬の入った筒に火をつけ、上に飛ばして、
情報の伝達にしていたというのもTVで見たことがあります。

これが花火の原型かもと思ったのですが。

オッリンピック、ワールドカップ、ディズニーランド等。
花火は全世界のイベントで付き物ですが。

花火でなく、秦火と商品登録、
特許を申請しておいたなら一族儲かったかも?

とにかくというか、
御祭り騒ぎは秦氏一族好きでしょう。
そんな感じです!


[55]たまねこさんからのコメント(2002年08月04日 01時20分57秒 ) パスワード
  

「あいつは怪しい!」「先代の不始末、不名誉な事件があって…」「一体、これは何故なんだ〜」と思って調べていたら、実は自分が犯人だった、ということも有り得るかも。

中国では、お正月やお葬式に花火(爆竹)をやりませんでしたっけ??
縁日の綿菓子やヨーヨーまでも、秦一族が絡んでいたりして。

いずれにせよ、日本文化の発展に大きく貢献したのでしょうね。
[56]さんからのコメント(2002年08月05日 09時59分12秒 ) パスワード
  

私もお祭は好きです。
主人や娘は人込みが苦手なので、なかなか見に行けませんけど。

先週土曜日に、毎年恒例の地元のお祭&花火大会があって、
ちょうど我が家の二階の窓から花火が良く見えたので、家族で眺めていました。
でも、花火を見て一番はしゃいでたのは娘ではなく、私でした。。。(^^;


さちこさん

> 戦国時代、忍者が火薬の入った筒に火をつけ、上に飛ばして、
> 情報の伝達にしていたというのもTVで見たことがあります。

> これが花火の原型かもと思ったのですが。

実際、花火はもともと忍者の狼煙だったらしいですね。

http://www.iga.ne.jp/ninja/essey/no8.html

三河地方は昔から花火が盛んだそうですが、
実は、三河の花火師は忍者の末裔が多かったのだとか。
つまり、家康に仕えて伊賀から移り住んだ忍者ってことか。。。


「秦氏の研究」、いつも寝る前に読んでるけどなかなか進みません。
すぐ眠くなっちゃって、ほんとに枕にならんばかりです(笑)

でも、いろんな事を考えるヒントになることは確かです。

どうして鍛冶屋=シャーマンなのか、という話とか、
今まで私があまり知らなかった、白山信仰と秦氏の関わりとか。
[57]秦義則さんからのコメント(2002年08月05日 22時14分15秒 ) パスワード
  

火薬は中国で発明されたでしょう?
元寇の時に蒙古軍が使用して、
日本軍が驚いたとか、

それ以来、日本でも火薬の研究がされたのだと思いますが、
蒙古のチンギスハン=義経伝説もあるよね。

この頃、トンデモ説も侮れないと思ってますから。
逆輸入だったかもね。

[58]秦義則さんからのコメント(2002年08月11日 22時46分52秒 ) パスワード
  

坂口安吾は、源氏は新羅系、平氏は百済系であるといっています。
桓武天皇の血を引く平家ですから、可能性はあります。
新羅「ペクチャ」から平家「ヘイケ」となまったという説もあります。

源氏は新羅系。
八幡太郎義家や新羅三郎義光の兄弟の名前の由来も分かるような気がします。
日本書紀に新羅は白旗の国であるとの記述があるようです。

源平の合戦は、新羅対百済の日本国内の権力抗争だったのでしょうか?
[59]さちこさんからのコメント(2002年08月11日 23時44分43秒 ) パスワード
  

秦さん

秦バテなおりましたか?
私の住んでる所では今も連日猛暑続き、へとへと。(笑)
雨乞いの祈祷をしても御利益ありません。
ここ数日雨が一滴も降ってません。
ベランダの花もしおれてしまって、乾燥気味で大変です。

ご指摘のように源氏にははっきりと秦氏系の名が残ってます。
私は武士系=秦氏。
なんて考えたりもしたのですが。

以前見つけたものですがご参考になれば。

http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-51.html

でも服部家は平家ですし、
厳島神社に清盛が雅楽のため四天王寺の楽師(秦氏)を招いたと言う話もあります。

源平は、単純に新羅Vs百済と考えることはできないのでは?

私見ですが平安時代の藤原政権が百済系なのではと私は考えてます。


[60]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月13日 00時53分16秒 ) パスワード
  

ただいま〜、実家から戻ってきました、そりちゃんです。


>源平は、単純に新羅Vs百済と考えることはできないのでは?
そうですねぇ、私は秦氏の同族争いが裏にあったらおもしろいな、
なんて考えていました。例えば平家側の秦氏が富をむさぼっているのを
快く思わない別の秦氏達が源氏に味方して、頼朝は囚人であったのに
鎌倉幕府を建てることができた、なんて。
武力と財力の黒幕がいたからこそ成功した勝利だったのでは。

余談ですが私の実家の隣町は「松尾町」。
そこには、やはり?「八田」という地名が残されています。
この町の周辺には古墳が多く、土器の出土も多いです。
私も中学のときに友達とサイクリングにいって畑で土器をひろって
帰りました。(なぜか今も持っている)
そして、極めつけは「はにわ道」です。
この道沿いには人と同じ位の大きさの「はにわ」が点々とたっています。
夜中や嵐の時は非常にびっくりします。

松尾町のホムペによると県内でも最大規模の古墳があるそうです。
古墳時代から勢力を振るっていた一族。
山間部において地名を残し、今は往時を偲ぶばかりです。
[61]秦義則さんからのコメント(2002年08月13日 11時30分52秒 ) パスワード
  

そうですね、新羅と百済と単純には考えられないですよね。
平家に百済系の要素が強く、
源氏に新羅系の要素が強いのだけど、
百済系の桓武天皇を助けたのも秦氏ですし、
義経の背後にいたのも秦氏。
平家とともに落ちていった秦氏もいる。

秦氏は、新羅なの?
秦氏は百済とか新羅とか超越していたのかな?
日本国の建国そのものに関わって、
平家でも源氏でもどちらが勝っても、秦氏の血脈は続くようになっていた。

そりちゃんお帰りなさい。全国どこにでも渡来人の足跡はあるね。

さちこさんの教えてくれたHP参考になりました。

ある意味、秦氏と日本国家の成立その時代を集約したHPですね。
また教えてくださいね。

自分の名前とすんでいる地域の伝説に興味があってネットの中や文献を旅するうちに、やっとここまで来ました。
トンデも説の入口まで。

「スメラミコト」がシュメールに繋がってたなんてほんと?
多田源氏がタタールジンに繋がるのは、うそでしょう?
西域に弓月国ってあったの?
弓月の君はその国の王子?

今日からお盆休みです。嫁さんの実家、徳島に車で行ってきます。
中国道、22キロの渋滞だって〜いやだな〜

しばらくお休みします。

皆さん夏ばてしないでね!
[62]さちこさんからのコメント(2002年08月13日 13時39分23秒 ) パスワード
  

私も今日から夏休みです。

北海道へ行ってきます。
寒いらしいですね。今年の夏の北海道。
また風邪ひかないように気をつけます。

どうぞ皆さんよいお盆休みを。
[63]秦義則さんからのコメント(2002年08月18日 00時03分06秒 ) パスワード
  

邪馬台国が三島だったという説があります。
邪馬台国は邪馬壹国が本当で、
当時の呉音で邪馬は「シェマ」と発音します。
つまり邪馬壹国はシェマ一国です。それが島一国となります。
日本は島国ですが、島とは鳥が羽を休める海から突き出た山のことです。
島は嶋、嶌とも書き、文字通り鳥が休む山なのです。
嶋、嶌を倭人は「ヤマトーイ」と発音していました。
ヤマトーイの国=邪馬壹国
島一国があるなら、島二国、島三国が有ったのでしょうか?
それら三国を合わせて三島だったのです。
全国にある三島、三山、三国などに共通するものがあるはずなのです。
僕が住んでる近くに摂津の三嶋と呼ばれた地域があります。
そこには三島鴨神社や三島溝咋「ミゾクイ」神社があるのですが溝咋とは何なのでしょうか?
溝咋の娘の溝咋玉櫛媛は事代主神の妃で、その間に生まれたのが五十鈴媛。そしてこの方が神武天皇の皇后となられました。
神武天皇の皇后の祖父か祖母の名前を溝咋なんて付けられたのでしょうか?
溝の中で首を突っ込んで餌をとる水鳥、鴨、「カモ」トモエガモの昔の読み方の「アジ」
神武天皇のには賀茂氏の血が流れていました。
賀茂氏は現在の宮崎県、日向の国に王国を築いていました。鏡を用い鳥を敬い海を支配し呪術を得意とした鳥族の国です。卑弥呼はこの国にいたと思われます。天照大神を祭っています。
ニの国はウサギの国、大分の宇佐氏。月読命を祭り、農耕を得意とし勾玉がシンボルとなります。
三の国は出雲の牛族。素戔嗚神と大国主命を祭り、山を掘り鉄生産を行い草薙の剣をシンボルとしていました。
この三国の連合体制が三島体制であり、お互いの得意分野を活かして全国を統一していったのです。
その拠点が全国の三島、三山、三国だったという説があるのです。
奈良のヤマトにも有った三島。大和三山。
皆さんの三島にもこのようなお話が残ってないでしょうか?
[64]秦義則さんからのコメント(2002年08月19日 00時13分02秒 ) パスワード
  

嶋を山と鳥と並べて「ヤマトーイ」と呼び
火を「ヒ」「アベ」「カグ」と呼んでいた人々がいました。
古代三島体制ではお互いの領地を守りながら助け合っていました。
出雲の大国主命は因幡(稲場)の宇佐氏を助けた事も有りました。
* 南方系の海人と混血しながら海洋技術と呪術を司った、天の国、日向の鳥族
* 稲作の技術を広めた、地の国の菟族
* 山を掘りたたらで鉄を溶かし鉄器を作った、黄泉の国、火の国、出雲の牛族
この三つ動物をシンボルとした人々が弥生人として広く日本に入ってきました。
後に馬をシンボルとする人々が入り、やがて菟と馬は混血しました。
馬族は「駒族」駒とは子馬の事で、句と馬を分けて「クマ」と呼ばれました。
熊本は駒本で馬族の本拠地です。
熊襲とは馬族と曽族の混血です。ソとは新羅の金氏のこと。ソウルのソです。
熊野、生駒も馬族の地。
奈良の富雄は菟身の地、宇佐族の地。
賀茂や有+鳥「アジ」や鳥のつく地名は鳥族の地
これらの種族がお互いの耳(古代では王の事を耳と呼んでいた)のなかから大王を決めていた。
奈良の三島、大和三山。畝傍山。香具山。耳成山。
耳成山「ミミナシヤマ」王がいなくなった山。
なぜ王がいなくなったのか?その王とは誰なのか?
神武の東遷とかかわりがあるようです。
[65]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月19日 13時25分18秒 ) パスワード
  

秦さん、すごい!
お休み中にかなりパワーアップしたようですね。
トリの国
ウサギの国
ウシの国

このお話しで古代種族の形がはっきり「見えた」気がします。
クマやアジの説もおもしろい。

やはりこの国は御伽噺や言い伝えのなかにすごい真実が秘められて
いる気がするな〜。
ミミナシヤマの大王ってナガスネヒコなのでしょうか???
私も休みボケしてしまった頭をリセットしなければ!
[66]秦義則さんからのコメント(2002年08月19日 23時23分06秒 ) パスワード
  

畝傍山は「畑の畝の傍らの山」畑の畝の傍らには溝があります。溝咋と関係が有ります。
それにしても、あまり言い名前とはいえませんね。畝傍山にはもう一つの呼び名があり、それを雲飛山といいます。こちらの方がいい名前ですね。
畝傍山に溝咋はがいて、その孫が神武天皇の后となっているのに、この名前には作為が感じられます。
神武天皇はカムヤマトイワレビコと呼ばれます。=カモヤマトーイハレヒコとなり、鴨嶋晴彦と訳せます。
* 畝傍山=鳥族=卑弥呼=天照大神=神武天皇=鏡=ヤタガラス=呪術と繋がります。
* 香具山=牛族=大国主命=素戔嗚命=大物主命=饒速日命=鉱山=草薙の剣と繋がります。
* 耳成山=菟族・馬族=月読命=農耕=長髄彦命=勾玉と繋がります。

大和の三島の地で王位継承問題がおこりました。
饒速日命は長髄彦命の妹を嫁にしながら、溝咋の孫にも言い寄っていました。溝咋は直系を大王にしたく、神武天皇を呼び寄せました。しかし長髄彦命の抵抗にあい、すぐに大和に入れません。日下の地で神武の兄は傷つき、仕方なく迂回し和歌山から熊野に上陸しました。ここでも、農耕の長、長髄彦命に従ったまつろわぬ人々、土蜘蛛や赤目と呼ばれた人々の抵抗に会います。畝傍へ援軍を呼んでもなかなか来ません。畝傍と香具山の連合軍も耳成山との決戦で援軍をよこせなかったのです。神武はヤタガラスの助けを借りてやっと大和に入り本軍と合流し長髄彦命を破ります。こうして耳成山には耳がいなくなったのです。耳成山から馬族が追放されました。長髄彦命は関東から東北の地に落ち、いつの日にか馬族の世を作る事を誓うのです。こうして三島体制は崩壊し邪馬台国の記憶も闇に葬られる事となりました。
物部氏は牛族、蘇我氏は鳥族、聖徳太子は馬族、桓武天皇は馬族、平家は鳥族、源氏を菟か馬族と考えられないでしょうか?
聖徳太子として救世主のように復活した馬族。このように馬族が復活した時代がありました。馬族の屈辱の歴史があり。古事記を編集した人が馬族だったら鳥族を悪く書くことでしょう。雲飛山を畝傍山と卑弥呼に繋がる天照大神を溝咋などと。
馬を復活させたのは誰なのでしょうか?
全国の三島を渡り歩き情報の伝達を行い闇で三島体制を支えた人々もいたのではないでしょうか?自由に全国を渡り歩いた放浪の一族。国に関係なく八幡神社や稲荷神社を全国に広めていった一族。
[67]たまねこさんからのコメント(2002年08月20日 01時41分10秒 ) パスワード
  

秦さん、夏休みをとられてから、パワーアップしましたか。

そりちゃん同様、お伽話や民間の伝承の方が、政治的に歪められてしまった歴史の本よりも、真実を語っているのではないかと思う、今日この頃。

鳥と兎と牛で、三つの国ですか。
鳥と兎は大量飼っていたのですけど、牛はまだ飼ったことがないです。
蛇は日本在来の種族だったのでしょうか?

トリと言えば、Tri=3を意味している?
三が付く地名や言葉は多いのは、何故なのでしょう?
三笠山、三輪山、三島…、三つあるからではなくて、どうしても三にしなきゃいけなかった理由があるような気がします。

ここにお邪魔するようになって、大昔の地名や、古語と数字の関係など、思い出さなければいけないことが、山ほど出てきました。
私は鶏だから、三歩、歩いただけで忘れてしまうからなぁ…
[68]秦義則さんからのコメント(2002年08月20日 23時17分21秒 ) パスワード
  

出雲の素戔嗚命は新羅に一度行っているとのことなので、新羅と交易していたのだろうか?
素戔嗚命は、ある村で、美しい娘、クシイナダヒメと会います。
クシイナダヒメは、頭が8つある恐ろしい大蛇、ヤマタノオロチに生け贄として差し出されるところでした。そこでスサノオはオロチ退治を決意します。オロチとは何だったのでしょうか?よく川の流れを大蛇に見立てる事があります。川の氾濫を治めるために土地の人が川の神に生贄をささげようとしたのかもしれません。それを見た素戔嗚命は土木技術で川を治めたのでしょう。
スサノオ夫婦は出雲の須賀というところに落ち着きます。そこでオオアナムチノミコトを生みます。この神様は大国主命とも大物主命とも言います
大国主命はスクナヒコナノミコトと一緒に国造りをしたとのことなので、秦氏とも関係が深かったと思われます。
出雲が新羅の国で最初に新羅から素戔嗚命一族が渡来し、後にスクナヒコナノミコト一族がやってきたのかもしれませんね。
大国主命の子供にアヂスキタカヒコネノミコトがいますが大国主命の后は鳥族だったのでしょうか、アジスキという言葉が見られます。アジは鴨、スキは船の櫂を意味するといわれています。土を耕すのがスキで海をかくのがカイなのです。
ちなみに、船をこぐ時に号令をかける役割が必要になりますが、これをアドといいます。
アドの身=アドミ=アズミ=安曇氏となります。安曇氏は鳥族ですね。
カモの身がカミ=神の語源になったのでしょうか?
中大兄皇子は「ナカノ」とあるので、島二国の菟族・馬族だったのでしょう。
大海皇子は海を治めた鳥族でしょう。

神武天皇ははじめから大和を目指したのではないと思います。兄と一緒に自分達にふさわしい三島の地をたずね放浪していたと思われます。あちらこちらに数年滞在しています。そんなときに大和三島の大王の候補になったのです。三島の耳のすべての同意の下に大王になる資格が与えられるのですが、耳成山の耳は反対します。ここで違う種族間の戦争がはじまったのです。今までは協力して各地の三島を治めていたのですが、醜い血で血を争う結果となったのです。
二度とこういう忌まわしい歴史を繰り返さないように聖徳太子は17条の憲法を作ったのです。その代わり、邪馬台国、三島体制の記憶を封印しました。そして追放されていた馬族を復活させたのです。現在の人々に邪馬台国の歴史は記憶に有りません。しかし、少なくとも聖徳太子の頃か平安の頃までは記憶が残っていた事でしょう。
[69]さちこさんからのコメント(2002年08月22日 00時34分58秒 ) パスワード
  

北海道から帰ってきました。
また明日にでも詳しくはご報告したいですが(東北にも帰りによりました)

秦さん

すごく詳しくお調べになったのですね。
ミシマの件は気になっていたのです。
ありがとうございました。

邪馬台国と秦氏?
私も何か関連があると思うのですが。
卑弥呼が女性シャーマンで大陸とも関りが深かったそうですね。

ところで、古代豪族の三輪氏、
これも村上家と同じくうちとは関りがあって。
父の田舎に多いのですよ三輪さん何か繋がりがあるみたいに思います。

東北はやはり秦氏パワー強いですね(笑)
[70]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月22日 13時23分14秒 ) パスワード
  

秦さん、勉強になります。
ところでスサノオについてですが、私は大蛇は火山の溶岩流のことかな、
と解釈していました。古事記のイザナミノミコトが火の神を生むところは
火山の噴火を描写したものだと考えていましたので。
火山のある地域の昔話にはたいてい大蛇の話が残っているようです。
この場合の大蛇=溶岩流です。
でもクシナダヒメの名前に稲田が入ることから、洪水と考えるのが
妥当なのかもしれませんね。
出雲は大量の鉄剣が出土したり、古来から蹈鞴の技術があった地ですし、
秦氏も確実に「居た」と思います。
出雲の神話で対馬列島を朝鮮半島の国と「国引き」をして勝ったので
出雲のものになったというようなお話しがあります。
このことから、大和政権とは別に出雲では大陸と直接交易があったのでは
ないでしょうか。
それに、旧暦の「神無月」。
出雲では「神有月」というそうです。これも日本中のいろいろな土地の
「王(神)」が出雲に一年に一度集まって会合を開いていたことだった、
なんて考えるとおもしろいですよね。

三種族で「王」のもと国を運営していたと考えると、「欠史八代」の謎も
わかりますね。天皇家は当初第一子が祭祀権を継ぎ、第二子が統治権を
継いだそうです。祭祀権のほうが重要視されていたのですね。
なにか思い出しませんか?
そう、卑弥呼です。呪術で国を動かし、実務は弟王が指揮していた。
邪馬台国方式がここにうっすらと見え隠れしています。
[71]秦義則さんからのコメント(2002年08月22日 23時21分45秒 ) パスワード
  

確かに鉱山があるということは、火山帯だという事ですし、
大蛇が火砕流のようなものでもあったでしょうし、
川の氾濫でもあったのでしょう。
大陸の人たちは、それら自然災害に対して果敢に挑んだのかもしれませんね。
出雲は不思議な土地柄で、
他の国の人たちを自由に入国させていた。
海外との交易も盛んな国際都市だったのでしょうか?
平和主義の国で、戦乱を避け国までも譲ったのでしょうか?
しかし、鳥と馬の戦いに巻き込まれてゆくのですね。
皆さんは、何族でしょうか?

ところで、葵の紋が鴨の「水掻き」だったなんて、面白いですね。
徳川家は「水掻き」が三つです。
三本足の鴨、ヤタガラスのようですね。
どうも日本人は三が好きなようですね。
[72]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月23日 10時01分06秒 ) パスワード
  

なぜ、「日本」を「にほん」と読むのでしょうか?
もともとは「ひのもと」だったのでしょう。

では「ひのもと」とは?

出雲に「斐の川」があり、その周辺ではじめの国が起こったからだ
という説があります。
「斐の元」=「日の本」=日本となった。

でも「肥の元」とも考えられます。
肥の国の川の近くに当初の国があった。
そして、戦乱のすえ、東方に良き地をみつけるため移民がはじまった、
と考えてみると、あながち記紀に記されていることは全部が全部造り
話ではないように思えます。

もともとの高天原は大陸にあり、朝鮮半島へ移り、九州に建国され、
ついで大和へ移民してきた、なんて。

「ひのもと」の真の意味は???

[73]秦義則さんからのコメント(2002年08月23日 23時19分04秒 ) パスワード
  

ああ、そうだよね。
日本は、「ひのもと」
「ひ」とは「肥」
肥前や肥後という九州の地域も有るね。

肥とは肥えた馬のことを指すようなんです。
九州は馬族が多いし
鳥族の土地でも有る

火の国、熊本とも言うよね。
熊本は「句馬本」
う〜ん、九州や出雲が日本の起源ですね。
[74]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月24日 10時15分02秒 ) パスワード
  

ちょっとおもしろいお話しを見つけました。

狼信仰
http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~raifuku/special/wolf/details/myoken6.htm

秦大津父という人が聖徳太子の祖父の欽明天皇の時代にいたのですね〜。
初耳でした。
欽明天皇のときに任那がたしか滅びてしまって、外交に尽力したのでしたよね。
そうすると、やはり渡来系の人々の力も相当勝っていたのではないかと思われます。
秦氏が表に出てきたのはこの辺りからなのでしょうか?

蘇我氏についてですが、応神天皇の時に百済王が亡くなったことをいいことに
王妃にいいより政権を握りやりたい放題していた木満致(もくまんち)という
人物を大和に呼び寄せたそうです。この人物がのちに蘇我氏の祖満智だという
ことです。でも、なぜそんな家臣をわざわざ呼び寄せたのでしょうか?
いくら百済王朝に頼まれたからといっても???

履中天皇が皇太子のときに思いを寄せた黒媛は羽田八代宿禰(はたのやしろのすくね)の娘ですが、この人物は秦氏につながるのでしょうか?

そして、非道の大王・雄略天皇の妃・葛城円大臣の娘韓媛とは?
彼女との間に生まれた第22代清寧天皇は白髪大倭根子命(しらがの
おおやまとねこのみこと)ともいい、生まれながらにして白髪だったそうです。
それって、金髪だったのかな?

この他にも生まれながらにして逆髪だったという方もおられますが、
いったいどんな髪型だったのか・・・?

本当に神代・古代の天皇家についてはロマンを掻き立てられますね。

いま、一番の疑問は熊野についてです。
神武天皇が上陸した時からすでに人がいる「聖地」だったのでしょうか?
現在の日本の中でもたいへんな霊力を秘める土地とされている熊野、
いったいどのような秘密がかくされているのでしょうか。

ちなみに私の本家の神社にも境内末社として熊野神社があるのですが、
末社とは思えないような大きさで、鹿島神社とほぼ同様の大きさの
本殿が建てられていました。すごく不思議におもったのですが。
そのため最近妙に気にかかるのですよね。
熊野に行くしかないかな〜、
行きたいな〜。
[75]秦義則さんからのコメント(2002年08月24日 23時53分26秒 ) パスワード
  

そりちゃんの教えてくれた狼信仰のHP面白かったよ。
狩りだけでなく害獣退治にも狼や狼と犬との雑種を使っていたんですね。
神社の狛犬は狼なのでしょうか?
狛犬「コマイヌ」「駒犬」「馬と犬」
狼はオオカミと呼ばれるように、神として崇められていましたね。

秦氏が騎馬民族で大陸から馬に乗ってやってきた馬族だったら・・・なんて思ってしまいます。
中国の北方にいた匈奴は騎馬民族ですよね。

中国の人々はいつも回りの国の名前を卑しめて書いてしまいますね。
匈奴なんて嫌な名前ですよね。
鮮卑も日本の倭も卑弥呼も漢奴倭国も句奴国も嫌な名前ですね。
中華思想なんでしょうね。

句奴国・熊本、馬の国です。

話がそれましたが、
秦氏一族が馬を自由に扱って各国の三島の連絡をとっていたなんて考えると面白いですよね。
諜報活動から忍者にも繋がってゆく。
忍者犬にも繋がる。

最後に日本オオカミの生息が確認されたのも熊野地方です。
クマノ「句馬野」には何かありそうですね。
[76]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月26日 10時25分21秒 ) パスワード
  

駒犬がなぜ神社にいるのか、ということに繋がるのでしょうかね。

いま私達のまわりに当たり前のように存在する物達も、そのルーツ
は不明確でよくわからない物が多いですよね。
疑問に感じたことを深く掘り下げるのは難しい作業ですが
今年はちょっと専念してみようかと。

そうそう、テレビでみたのですが虫歯の治療につかわれている
アマルガムだったかな?その成分の半分はなんと「水銀」なのだ
そうです。そのためそれが原因でアトピーになっている人も
多いのだとか。怖いですよね。

古代の権力者も「水銀」飲みまくっていたのでしょうけれど、
例えば妊娠中に女性が服用していたら・・・。
考えただけでも恐ろしい。
だから天皇はたくさん妃をかかえたのかしら?

でも、家康は長生きしていますよね〜。
[77]秦義則さんからのコメント(2002年08月28日 22時33分19秒 ) パスワード
  

熊野もやはり三島の一つだったのだろうか?
熊野三山
三島の神々が集まっているようにも思えます。
三島体制が崩れる時、その行く末を熊野に託したのでしょうか?
もともと熊野は山岳信仰の地でもあり。
ヤタガラスをトーテムとした種族がいたのでしょう。
神武天皇が大和を目指した時、ナガスネヒコの抵抗に遭い、
回り込んで熊野に上陸。
熊野の地が神武にとって味方の種族がいたと考えるのが自然でしょう。
神武も鳥をトーテムとする種族ですから、ヤタガラスをトーテムとした種族と関係が深かったでしょう。
畝傍山(雲飛山)の耳が治めた地なのでしょうか?
雲は太陽の光を遮り地上に隈を作ります。
深い隈に覆われた土地、熊野(隈野)
隈は神や呪術に通じます。
神々と仏と山岳信仰が融合した地でもあります。

熊野那智大社、那智山中腹に熊野那智大社の社殿はあります。
もとは滝の近くにあり、仁徳天皇五年(317年)に現在地に遷されたと伝えられています。那智の滝そのものが御神体です。
大正年間に、大滝への参道口の左、「沽池」と呼ばれる所から経塚が発見され、2000点ほどに及ぶ仏教遺物が出土したそうです。
 経塚とは、仏法が滅んだ後の世のために、経典や仏像を地中に埋納し、弥勒仏が出現するという五十六億七千万年後のはるか未来にまで保存する目的で造営された仏教遺跡のことです。
ここでも、メシヤの復活が望まれたのでしょうか?
[78]たまねこさんからのコメント(2002年08月29日 00時37分01秒 ) パスワード
  

みなさん、こんばんは。
狼信仰の話、ピピピッときました。いろいろなものが繋がってくるのを感じました。

犬を狩りに使うのは、原始時代からあったと思いますが、軍事犬の歴史も、結構古かったのですね〜。紀州犬は熊野出身だったのを忘れていました。
その昔、白い秋田犬(私は”くま犬”と呼んでいた)を飼っていたのですが、なぜか花火や爆竹が好きだったので、ひょっとしたら「忍犬」に使われていたのかも?秋田犬は、よく人を襲いますからねー。

「ヴォーダン神」が「なまはげ」の起源ですか。確かに、怪しい。
ちなみに、「なまはげ」の語源は、囲炉裏や炬燵で長く暖をとっていると、足の脛などに火斑(男鹿ではこれをナモミという)ができるますが、これを剥ぐことが「なまはげ」。「怠け者は禿げるよ」じゃなくて、怠け者は皮を剥いで懲らしめてやるという意味なのですね。痛そう。

神社の狛犬について。
「高麗犬」とも書き、お寺にもあります。狛犬の原型はオリエント・インドにおけるライオン像に起こり、中国・朝鮮を経て渡来したものと言われています。
日本では、その異形な姿を犬と考え、異国の犬=高麗の犬と言うようになりました。
このように、狛犬と獅子を混同していたものの、平安時代には明確に区別していました。左に口を開いた獅子、右に口を閉じた狛犬を置くなど、魔除けとして使われていたようです。

宮中における魔除けの具である狛犬が、やがて神社や寺に取り入れられ、魔物が入らぬように神域を警護する象徴になったものと思われます。

狛=高麗だとすると、狛○とつく地名の周辺は、高麗人の居住区だったのかしら?

[79]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 10時11分48秒 ) パスワード
  

神社では通常神を必ず三柱お祀りしています。
神道を勉強しなくては正確にはわかりませんが、私がいままで見てきた神社で
大きなところは大体そのように説明がありました。自宅の神棚のお祀りの方法も
やはり三柱でした。

この三柱は三島体制の名残りなのでしょうか。
そう考えると他の宗教と異なる日本独自の「神道」に隠された意味が見え隠れ
ですね。

アマテラスは女神になっていますが、本当は男神だったのではないでしょうか。
アマテラスを祀る国の女王が偉大であったことから同一視されるようになった。
アマテラスがスサノオと誓約をするお話しで、アマテラスの方に男の子が生まれ
スサノオには女の子が生まれ、自分に敵意がないから私の勝ちだとスサノオが
喜んだ場面がありますが、これはアマテラスの部族とスサノオの部族が互いに
血を混ぜるために男女を出して子孫をつくった、ということなのかなと考えました。

古代においては「血縁」になることは互いに敵意のないことを示すための手段
だったと思います。どちらかが征服されて奴隷になるのとはまた別です。

そうして婚姻関係を結びながらバランスを保ってきたのでしょう。しかし、なぜ
ツクヨミ系の一族は伝説にほとんど出てこないのでしょうか?
記紀の編纂時に往古の力が失われてしまっていたのでしょうか。


話はまた「水銀」ですが、
秦の始皇帝の墓は伝説によると広大な墓室には彼が統治した町がミニチュアで
つくられており、天井には真珠をはめこんだ星座が描かれ、海や川は水銀で
あらわされているそうです。
始皇帝は日本の「不老長寿の薬」をひどく欲していたそうです。
この薬は水銀からできるものですが、中国にも同様にあったはずです。
ではなぜ日本だったか?
それは水銀の製錬技術が当時の日本にしかなかったのではないでしょうか?

その技術者達が大陸からきた人々なのか、日本にもともといた倭人なのかは
わかりませんが、埴輪などによく顔に隈取をしたものがありますが、
当時の日本の人々にとっては水銀から取れる「朱」は魔よけとしてたいへん
重要だったのでしょう。

魔よけで朱を使用するのは日本だけではありません。死者を弔う時に大量に朱を
用いるのは日本の古墳に多くみられますが、マヤ、アステカ、インド、中国も
みな使用しています。
神社の鳥居を赤く塗るのも朱をあらわしているそうです。
朱=魔よけです。

歌舞伎などの隈取にもそのような謂れがあるのでしょうか?

[80]そりちゃんさんからのコメント(2002年08月29日 10時21分12秒 ) パスワード
  

>それは水銀の製錬技術が当時の日本にしかなかったのではないでしょうか?

高度な技術の間違いです(汗)。

朱は古はたいへん貴重なものであり、重要なものだったのでしょうね。

よく黄金伝説に
「朝日さし 夕日輝く木のもとに 黄金千杯 漆千杯」というような
言い伝えが各地にありますが、
この漆もどうやら朱のことらしいです。
[81]秦義則さんからのコメント(2002年08月29日 22時24分11秒 ) パスワード
  

月読命と饒速日命はあまり尊ばれていませんよね。
まして三島溝咋(湟咋)なんて知りませんよね。
月読命と饒速日命は神武側が征服した種族の神ですよね。
三島溝咋は卑弥呼に繋がる系図としながら、
後に馬族から歴史的に葬られてしまったと考えられないでしょうか?

高麗=駒=狛
百済=鳥=鴨=ヤタガラス=神武
新羅=牛=スサノオ=大国主命=少名彦命
? =兎=月読命=ナガスネヒコ
秦氏一族はどこに系列に入るのでしょうか?
秦氏一族のルーツは朝鮮半島より西のように思えてきました。

出雲の「斐の川」も「肥の川」と言ったそうです。
やはり日本の語源は「肥の本」ですね。

「ヒ」は日であり火でも有ります。
「ヒ」のあるところ、必ず「クマ」が有ります。
陰と陽ですね!
天皇が天皇であり続けるために、クマが必要だったのでしょうか?
平安京と熊野これも、陰と陽だったのでしょう!


[82]たまねこさんからのコメント(2002年08月30日 03時28分40秒 ) パスワード
  

みなさん、こんばんは。

面白いのを見つけました。「天文民族学のページ」。まだ全部は目を通していませんけど、見応え、ありそう。

http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/index.html
[83]秦義則さんからのコメント(2002年09月01日 00時33分02秒 ) パスワード
  

秦伊呂具が開祖とされる伏見稲荷。
神の使いとされる狐も狼が間違われた様子です。
稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐になったといわれています。
伏見の地には昔から狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合したと梅原猛氏は推測していますが、
狛一族に九州からやってきた兎族や馬族が混じったのだと思います。

稲荷神社を広めたのが空海といわれ、
「空海が東寺を作るとき、稲荷の山の木を勝手に切り出したため稲荷の神が怒って害をなしたため、空海が謝って、その後逆にこの神社をよく崇敬し、空海の人気が全国に広まるとともに稲荷神社も全国に広がったと」と言い伝えられています。

空海が秦氏であるという説も有りますが、本当でしょうか?

伊奈利山に三つの峰があり、その頂きに神が示現しました。三島体制の名残だと思います。
文徳実録に天安元年(857)に「稲荷神三前に正四位下を授ける」という記事があり、これが神の数が三柱になっている最初だといわれています。

これも三島の名残だと思います。

邪馬台国の記憶はこのように形を変えながら今に伝わっているのですね。



[84]ハシモト ミチオさんからのコメント(2002年09月04日 15時54分39秒 ) パスワード
  

雅楽に現れる菩薩の舞について、教えて下さい。
現在では廃絶の舞になっていますが、舞譜は現存するという噂があります。
[85]服部 明子さんからのコメント(2002年09月05日 03時31分40秒 ) パスワード
  

ハシモトさん

門外漢なので全く分かりませんが
下記の方にお問い合わせになったら何か分かるかもです。

http://www.syomyo.or.jp/mai/rv6.htm

http://www2u.biglobe.ne.jp/~gagaku/mai.html
[86]そりちゃんさんからのコメント(2002年09月10日 22時08分47秒 ) パスワード
  

井沢元彦さんの「逆説の日本史」のなかで
藤原氏について「天皇家の寄生虫」というような表現が
なされていました。
でも、本当にそうなんですよね。(藤原氏の子孫の方
怒らないでね)
天皇は傀儡で実権は一族が握り、同じ身分の他の一族が
目立ってくると、策略を巡らし失脚、或いは暗殺させる・・・。
すごすぎる!藤原一族!!

秦氏が平安建都の際に政冶にあまり積極的に参加しなかったのは
「藤原氏」のそういう面を見抜いていたからなのでしょうか。
藤原氏に敵対することを避けたのでしょうか。

しかし、「政冶への参加権」以外に土地を提供して何かメリットが
あったのか?
しばらくこのことばかり考えていたのですが、よくわかりませんでした。

自分達の土地に都が移ってきたことにより、畑や絹織物などの「商品」の
需要が増え、経済力がさらに増すということ。
自分達が信仰している宗教の「信仰の自由」を許してもらうこと。

この2つぐらいしか思いうかばなかったのですよ〜。
秦さん、さちこさん、いかがでしょうか?
[87]秦義則さんからのコメント(2002年09月10日 22時43分47秒 ) パスワード
  

秦氏そのものは一貫して政治権力には興味がなかったようですね。
こだわったのは富と宗教だと思います。
藤原氏には「天皇家の寄生虫」というような表現も有る意味であたりなのかもしれませんけど、
秦氏は一族の女を藤原氏に嫁がせたりしてますし、
天皇に嫁がせたりしていますよね。
男は嫁さんに弱いから、藤原氏を操っていたのも秦氏だったりして?

天皇自体、昔から象徴的なところが多く、
天皇自身が権力を握った時代なんて、そんなに多くなかったのではないでしょうか?
聖徳太子以前の天皇はそれぞれの豪族の長だったりするわけですし、
蘇我氏が実権を握ったり、平家だったり、鎌倉以降、武士の世の中になったわけですし、

天皇にならなくても権力は握れるんだからね。
天皇になりたかったのは、道鏡か信長か?
信長は天皇を超える存在になりたかったらしいけどね。

まあ、秦氏は商売でしょう!稲荷神社が4万社もあるのですから
[88]さちこさんからのコメント(2002年09月15日 17時55分23秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2002年09月15日 22時05分27秒
[89]さちこさんからのコメント(2002年09月15日 17時57分20秒 ) パスワード
  

お久し振りです。

実は秦バテでしばらく入院してました。
いえいえ、私ではなくてパソコンがですので御心配なく。

藤原氏が天皇家の寄生虫!
みごとな表現です。(笑)
藤原氏も秦氏にかかれば成り上がりだのボロクソですね。
秦氏と縁が深かったのは藤原氏式家。
薬子の変で藤原式家とともに秦氏は北家に排斥されたみたいな気がするのですが。
秦氏の血筋は北家にも流れていると思うので、
はっきりと藤原氏Vs秦氏という形にするのは無理かもしれませんが。

以前服部天満宮の話がありましたが、
菅原道真は秦氏系だったと思うのです。
母が出雲の身分の低い人とか。
だから藤原一族に妬まれた?

道真の怨霊は秦氏がつくり上げたのでは?

ところで今朝の新日曜美術館は中国西域、新疆ウイグルについてでした。
ウイグルの絹織物、景教徒の書いた十字や興味深いものが紹介されてました。
朝からお客さんだったのでゆっくり観れませでしたが、
午後8時から再放送があるのでよっかたら観てください。
東儀さんもでてました。(今からでは間にあわないかな?)

今日テレビをみながらお昼を食べてたらNHKののど自慢三重県の鈴鹿市からだったので知ってる人がでてるかも?とつい観てしまいました。

マイマイクを持ち込み矢沢永吉になりきってステージを歩き回って熱唱するする人が
いてよくやるなと笑っていたらみごと合格。

「お名前とお所をどうぞ」

「四日市からきました、タイラです。」

字は判らないのですが思わず、ブッ。

暫くするとまたステージを歩き回って歌うおじさんが。
ピンクの鉢巻に北島三郎のイラスト入りのピンクのTシャツで、
シナをつくりながら原田ゆりの歌を。
この人は合格ではなかったので名前は聞かれなかったのですが、
Tシャツの後ろにしっかりとHATTORIと書いてありました。アワワ〜。




[90]秦義則さんからのコメント(2002年09月16日 00時02分19秒 ) パスワード
  

さちこさんお帰りなさい!
服部天神は僕が住んでる、大阪府豊中市服部にあります。
菅原道真が流される時、足を傷めて、この地で、少名彦を祭る祠で祈祷したところ、
足が治ったという言い伝えがあります。
そこで足の神様と呼ばれるようになり、
今ではサッカーの神様にもなりました。
服部天神ではその他いろんな神様を祭っています。
少名彦をはじめ、お稲荷さん、恵比寿、大黒さんなど沢山おられて、
正月は初詣、1月10日に十日恵比寿、夏は天神さん、秋祭り、七五三、などなど、
商売上手なんです!
さすが秦氏ですね。
池田市の呉羽神社も同様で宮司は馬場さんで、この方も秦氏の血を引くのでしょうか?
秦氏を調べると、荒唐無稽な話が荒唐無稽でなくなるのです。
それこそシルクロードから卑弥呼、そして神武天皇から聖徳太子、源氏と平家、藤原氏と際限なく続いてしまうのです。
「火」を「ヒ」「アベ」「カグ」と発音した三つの部族がいました。
トーテムを「鳥」「兎」「牛」の部族。後に「馬」も加わり三島体制が成立。
邪馬台国の始まりです。
「ひ」卑弥呼の「ひ」なのでしょうか?
太陽を「ひ」と発音した部族。
「かぐ」は鹿児島の語源となり、天の香具山もそうです。
火の山は「たたら製鉄」の山です。
「あべ」で思い浮かべるのは、やはり阿部氏ですね。
賀茂氏・阿部氏・物部氏・宇佐氏・辛島氏など古代の豪族が秦氏繋がりですね。
その後いろんな氏族に秦氏の血は生き続けてゆきます。
どこまで広がるのでしょうか?

伊予の三島神社、伊豆の三島神社とあまり知られていない、大阪の三島鴨神社。
これが三大三島らしいです。
三島鴨神社の側に三島溝咋神社があるのが面白いですね。溝咋も鴨のことですからね。
ちなみに山咋とは鉱山のことでしょうね。山を掘っている人たちのことですから。
溝を掘ったり山を掘ったりするような人々の身分は卑しいとされてきましたけれど。
日本の基礎を築いたのはこのような人々だったのでしょう。
そして天皇家の血筋にも確実に繋がっているのに、それを封印しなければならなかった。
身分の低い人を作る事で身分の高い人の地位が揺らぎないものになる。
ぼくは「はたびと」ですから。昔なら身分は低いのでしょう。
人の体に触り、糞尿にまみれる仕事は昔から卑しいとされる仕事だったのでしょうけど、僕はそういう仕事をしています。今は介護保険が出来、日の目を見ていますが・・・

昔から表舞台で活躍する人々と闇で蠢く人々の間に何らかの取り決めがあったのではないでしょうか?
それが熊野に残っていたのではないでしょうか?





[91]たまねこさんからのコメント(2002年09月16日 22時55分47秒 ) パスワード
  

出雲の一族は祟りますよ(笑)。もっとも、祟られるようなことをされたら、の話ですけれどね。

そういえば、『額田王の暗号』という著書に、大和三山のことが書かれていました。
万葉集は、古代日本・朝鮮・中国語で読み解けるという仮説を基に、原文を読み解いていく手法なのですが、読み下し文とは違う世界が見えてきます。

古代日本の歌人たちは、単なる表記文字としての漢字を使用していたのではなく、漢字の意味も熟知していて、巧みに使い分けていたのです。これができるということは、渡来系の人だったという可能性を示しているのでは?

中大兄皇子(天智天皇)と大海人王子(天武天皇)が額田王をめぐって三角関係を連想させる歌を詠んでいますが、読み下し文にすると、
「香具山は 畝火雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然るにあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」
という、山が山に恋をしたという、素朴?で妙な解釈になってしまいます。

原文では、「香具山」は「高山」になっているのですが、「天」は古くは「タカシ」と訓じられているので、同義語になる。「天」ではなく、敢えて「高」を使っているところから、『高句麗』が浮き上がってきます。

「畝火山」の「畝」は「子を産む」という意味があり、母、山と同義語で女性を表す。「畝」はもともと十歩平方に畑を区切るさまを表しています。『百済』の「百」は十が十個集まった数であり、「済」は揃って並ぶことを表しているので、まさに「畝」です。「妻」は「済」の同系語でもあります。

「耳梨」と「耳成」も同義語で、「耳」「梨」「成」は、「きれいに揃う」ことを意味している。朝鮮語で読むと、「イリ」「イルダ」になり、日や太陽、白を表し、太陽の輝きを表す白色、すなわち『新羅』を指していることになります。

大和三山の嬬争いの伝説も、『三韓』を当てはめると、
「高句麗は百済をめぐって新羅と争った。神代もこのようであったし、古昔もそうだった。時代が移り変わっても争うのだろう。」という解釈になります。

中大兄皇子は、一人の女性巡って争う自らの姿と、皇位を掛けて戦う自分と大海人皇子の姿と、三韓の興亡までも織り込んで詠んでいたのですね。この時代の歌は面白いです。人麻呂は藤原一族の悪政を歌で告発しているし。
中大兄皇子とは、一体何者だったのか?

http://www.tanutanu.net/history/hist05.html

やはり、古代史最大の謎は天皇家。記紀はいかにして創作された小説なのか?
藤原鎌足=百済の亡命皇子「豊璋」だったと考えてみると…、天皇の傀儡としてしか生き残れなかったから、自分と同郷の一豪族に過ぎなかった天皇家を擁立し、大和の旧豪族の共和制を崩壊させ、ありとあらゆる罠に掛け、滅亡に追いやった…そういう仮説もあり?(不敬罪でしょっ引かない下さいネ、猫の世話ができなくなるので。)

土蜘蛛や長髄彦…「手足が長い」という意味なら、古モンゴロイドの縄文人のことですか。それが出雲の神につながる旧豪族で、これが正統な流れだったのではないかと
感じています。鬼と呼ばれて退治された一族や、三輪山の蛇…。

秦氏は、藤原氏が天皇を利用した以上に上手の、殖産民族だと思います。
裏に徹することで、消されるのを免れ、現在も日本全国に脈々と生き続け、時の権力者が弱体化する事態が起きると、表に出てくるのかもしれませんね。

[92]そりちゃんさんからのコメント(2002年09月17日 00時50分03秒 ) パスワード
  

さちこさん、お帰りなさい。
パソコン治ってよかったですね。

秦さん、たまねこさん、
だんだんはっきりと形がついてきましたね。

「万世一系」の天皇家も実は数度王朝交代劇があったようです。
その頃は「傀儡」としてではなく、「権力」を振るっていたようです。
たぶん、現在のような形にしてしまったのは鎌足からなのかもしれません。

「欠史八代」頃の天皇は第一子が「祭祀権」を
第二子が「統治権」を相続していたのです。
これは邪馬台国の「統治方法」だと考えられます。
つまり、天皇家はお手本を邪馬台国にしていたと
いうことですよね。
ということは、深い関係があったのでしょう。

卑弥呼は実名ではなく、通称であったとする説があります。
昔は名前を知られるのを非常に嫌ったそうですから、真の名前では
ないでしょうね。
卑弥呼=日巫女とすると、太陽の巫女として仕えていて、死後
アマテラスと呼ばれるようになったとすんなり繋がります。
卑しいなんて悪字を当てているのはなぜなのか。
なぜ、祀られるようになったのか?
当時日食が起きたりしたようですし、
倭国騒乱などの責任を負わされたのではないかと。
霊力の無くなった王を殺して新しい王を立てる、というような
風習は古代文明でもよくみられます。

たぶん、卑弥呼が殺された後、人々が祟りだと恐れるような「何か」が
起こったのでしょう。
そのため、全国各地で祭られるようになったのではないでしょうか。
しかし、責任を取らされて殺されたため卑弥呼という呼び方は
変えずに、信仰していたアマテラスオオミカミという呼び名にした、
または同様の地位を与えることによってその荒ぶる魂を慰めようと
したのではないでしょうか。

出雲も「大国主命」は出雲大社に祭られているのではなく、「封印」されている
そうですよ。
しめ縄の張り方が通常と逆なのだそうですし、参拝すると、大国主は横を
向いている形に鎮座しているのです。
これはやはり不当な死による祟りを恐れて祀ったものの、そのまま祀ると
勝った側が実は卑怯な手を使って相手を殺したということが判ってしまうため
正当性がなくなるのを怖れて、わざとそのようにしたのでしょう。
そして出雲大社は「二礼四拝一礼」なのです。
普通は「二礼二拝一礼」です。
この「四」は「死」をあらわしていて、一種の呪術なのではないかと
いいます。それは「もう死んでいるのだから出てくるな」と。

宇佐神宮も「二礼四拝一礼」なのです。
宇佐に祭られている「比売大神(ひめおおかみ)」は卑弥呼のことでは
ないかといいます。

まあ、ほとんど井沢元彦さんの本からの受け売りなのですが、
天皇家が決して「正当な血筋」で「日の御子の子孫」というわけでは
ないということですね。

たぶん、秦氏は邪馬台国の盛衰を「見てきた」のではないでしょうか。
それゆえに、三島体制に加わることもせず、天皇家とも距離を置きつつ、
藤原氏をも適度にあしらいながら、身分こそ「卑しい」とされながらも
連綿と一族の誇りや独自性を培ってきたのではないでしょうか。

当時の権力者達と「血縁」にあれば、簡単に手出しはできませんし、
それ以前に権力者達にとっても秦氏の経済力や機動力はたまらなく
魅力的でしたでしょうし。

さて、弱体化しているこの国を救うために、また表舞台に現れて
くれるのでしょうか?


[93]フレイさんからのコメント(2003年02月22日 02時10分29秒 ) パスワード
  

僕はAです(笑 干支は白虎(ぇw)うそうそ^^ 辰です

祝詞と仏教>無関係ではないと思いますよ^^ 
もとをただせば神道から分裂したようなものなので・・・。推論ですけど・・・。
もちろん物的証拠はないですけどね(w

日本史は専門外なのですが、子供の頃から古代史には興味があり、
少しはわかるつもりなので、・・・。みなさんよろしくね^^

神道>そういえば、神道といわれる前は「鬼道」といわれていましたね。
卑弥呼の時代です。そこから時代を経て、五世紀に「神道」として歴史上に復活します。

秦氏>神道のルーツとか言われる一族ですね。説はいろいろあるようですが・・・。
ある本いわく、「秦氏はユダヤ系だった」とか言う説もありますよ。
あんまり関係ないかな(苦笑

中臣鎌足>なるほど^^ それおもしろいです!^^
しかし、いつの時代も、恨みとか呪いとか。どろどろしてますよねえ。
[94]フレイさんからのコメント(2003年02月22日 02時31分51秒 ) パスワード
  

レスを下から上に読んでました。笑

アマテラスが男>はい。そうですね。
ホツマツタエという書物では、はっきり、「男」とされていますから。
それに、卑弥呼は称号だそうです。身分を表す名前だということですね。
釆女という職業も同じような意味があるんでしょうね。
しかし、そうなると、一般で言われる「卑弥呼=アマテラス説」があやういですね!?

道鏡>彼の場合、悪意じゃなくて、純粋に天皇を助けたかっただけじゃないかと(笑
よくありそうなネタですけど・・・道鏡をやっかいなものと思いこんだ輩にそういわれたのだと思いますねぇ。(;^_^A

古代の天皇>欽明、崇峻。魅力的なキャラばかりで、古代は大好きです(w
穴穂部の皇子にしても、憎めないなぁ。反対に蘇我馬子は苦手です(+_+)
天武天皇の時代は古事記の時代でもありますから、
特に調べたこともあって、大好きです(w
[95]さちこさんからのコメント(2003年02月22日 13時03分19秒 ) パスワード
  

フレイさん。

はじめまして。
古代史がお好きなのですね。
私は今だチンプンカンプンですが、
何しろ専門家でもはっきりした事は特定できない分野なので、
素人がいいかげんな事を言ってても間違いとはいえない所がいいです(笑)

古代史に強い方がいらっしゃると力強いです。
どうぞお知恵をかしてください。

漢詩がお好きなのですね。
私も結構好きです。

秦氏のスレッド3があります。

http://hikoshima.com/bbs/heike_slink/100362_50.html

こちらの方が軽いのでこちらへお越しください。
よろしくお願いします。
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