[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年08月01日 02時05分45秒 ) | パスワード |
世界文化社から発行された「日本の古典を見る」(9)平家物語に
熊野信仰について大事なことが記されていました。
鬼界が島に流された康頼と成経は
島の中に熊野に似た地形を熊野権現に見立てて毎日お参りをし、
そとば1000本に歌を書いて海に流した1本が厳島神社に流れ着き
これが都に運ばれて赦免になりましたが
熊野信仰のなかった俊寛は許されなかったのです。
熊野信仰というのは当時の人々の精神的な支えだったというのが平家物語に書かれている、
と。
[2] | 嘉村孝さんからのコメント(2002年08月22日 22時13分41秒 ) | パスワード |
服部さん
佐賀市の嘉瀬というところに俊寛僧都の墓というのがあるのご存知ですか。
この場合、硫黄島は長崎港外の伊王島です。嘉瀬の荘もたしか平家に関係深かったかと。
今度、また詳しく書きます。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年08月23日 01時38分10秒 ) | パスワード |
伊王島と硫黄島。
本当はどちらに流されたのでしょうね?
またよろしくお願いしますね。
どうぞご遠慮なく新しいスレッドをお立てになって下さい。
[4] | 川口 信さんからのコメント(2002年08月27日 07時58分28秒 ) | パスワード |
27日朝刊(東京新聞)の記事全文です。
和歌山県那智勝浦町川関の熊野古道沿いに残る、樹齢推定約800年の伊勢平柿の古木が26日までに直径約六センチの黄色い実を二十個ほどつけた。
かっての巨木も長年風雨にさらされて高さ約ニ・五m、直径約ニmとなり、幹も空洞化。さらに今年は枝が二本枯れ実をつける枝は一本だけとなった。
古木を天然記念物に指定している那智勝浦町は補助金を出して鉄パイプの支柱を設置し台風シーズンに備える。
古木は平安時代、西国三十三所観音霊場一番札所の青岸渡寺などへの熊野詣での際、平家一門が植えたとされる。 以上
私も頑張らなきゃ。皆さんも古木に負けないように。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2002年08月27日 10時42分07秒 ) | パスワード |
ありがとうございました。
柿の木で思い出しましたが
NHKの大河ドラマの「太平記」だったか
楠木正成の妻がお嫁に来た時植えた柿の木で火葬にして貰うのだと言ってました。
それから木津の重衡どのの菩提寺?の柿は以来実が成らないとか。
地味でも柿の木にはドラマがあるのですね。
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