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 投稿番号:100328 投稿日:2002年07月10日 07時25分36秒  パスワード
 お名前:服部 明子
大庭景親:平家一の律義者

コメントの種類 :人物  パスワード

池宮彰一郎「平家」405より

相模の東辺、大庭御厨に、大庭氏という豪族がいた。
先祖は桓武平氏の末、鎌倉権五郎景政。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 07時36分37秒 ) パスワード
  

鎌倉権五郎景政:大庭氏+梶原氏の祖

鎌倉権守景成(かげなり)の子
鎌倉生まれ

後三年の役(1083〜87)に源義家に従い
右目を矢で射られたまま奮戦。
傍輩が顔に足をかけて矢を抜こうとするのを恥として怒ったという
東国武士の武勇を象徴する逸話を残す。

長治年間(1104〜06)相模国高座(たかくら)郷の土地を開発。
これを伊勢神宮に寄進し大庭御厨おおばのみくりやとした。

以後ここを拠点に在地領主として成長を遂げる。

源氏を棟梁とする東国武士団の典型で
鎌倉幕府草創期の有力御家人大庭氏+梶原氏の祖となる。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 07時40分07秒 ) パスワード
  

権五郎景政の子孫は代々大庭御厨の庄司を務め

大庭景親は保元・平治の乱には源義朝の下に属し
敗れて一時囚人となったが
清盛が桓武平氏の名門の滅びるのを惜しみ
助命したため
事無きを得た。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 07時49分49秒 ) パスワード
  

大庭三郎景親:

父は景宗。
保元の乱(1156)に兄・景義(または景能)と源義朝に従い活躍。
不仲の兄・景義は平治の乱(1159)の後も源氏に通じたが
一時囚人となった景親は平家の計らいで助命され
その恩義で平家に属した。

景親はその恩義に感じ入り
名馬を贈って報いたという逸話がある。

東国の御後見を勤めた。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 07時59分25秒 ) パスワード
  

大庭家のお家事情


大庭景親と仲の良い弟が俣野五郎景久。
石橋山の戦いで頼朝勢を破る。


大庭景義と仲の良いのが豊田次郎景俊で
治承4年(1180)2人は源頼朝の挙兵に応じ
俣野景久は京都に逃げたが
景義は降参した弟景親を固瀬川辺に斬った。
[5]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 08時08分43秒 ) パスワード
  

大庭景親は治承4年(1180)
以仁王・源頼政の挙兵に平家方として動員され

平家の東国侍別当・伊藤忠清に頼朝謀反の企てを聞く。

8月の頼朝挙兵の第一報を清盛に送る。

自ら兵を催して相模の平家勢の総大将として
弟俣野景久と共に箱根石橋山で頼朝勢と戦い、破る。
[6]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 08時14分17秒 ) パスワード
  

大庭勢3000は武勇で聞えた熊谷直実ら鍛えぬいた東国平家武士集団。

頼朝勢は公称5000と号するも実勢3千余、
烏合の衆に等しい雑兵である。

しかも戦の半ばに
背後よりかねてより怨念を抱く伊東祐親300余騎が駆け付け挟撃したため
頼朝勢は一気に崩壊し四散する有り様となった。
[7]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 08時21分10秒 ) パスワード
  

ここで洞穴に隠れた頼朝を救ったのが当時平家方の梶原景時。

頼朝は
辛うじて土肥実平に導かれて真鶴に至り
漁舟をあがなって海上に逃れ
海路房総の南端、安房を目指した。

世に言う石橋山の戦いは8月23日
海上脱出が翌24日
決起以来7日を閲したに過ぎない。

頼朝挙兵を告げる第一報が福原の清盛に届いたのは8月の末頃。


池宮平家では頼朝の挙兵に清盛が「忘恩の徒」と言ったのは訛伝であろう、と書いています。
[8]服部 明子さんからのコメント(2002年07月10日 08時28分50秒 ) パスワード
  

治承4年10月
頼朝は房総・武蔵の軍勢を率いて鎌倉に入り
さらに駿河に進出。


景親は東国へ下向する平家勢と合流しようとしたが行く手を阻まれ
河村山に逃げ入り
弟・俣野景久は京都へ逃れ
景親は黄瀬川在陣の頼朝に降参。

本領没収の上、上総広常に預けられ、
治承4年10月26日、
頼朝の命を受けた兄・景義によって固瀬川辺で斬首された。
[12]しまちゃんさんからのコメント(2004年11月03日 20時17分54秒 ) パスワード

私は静岡県三島市に住んでいます。
大庭景親のこんな伝説が残っているのでご紹介しますね
頼朝が三島大社に百日祈願している時の事です。

景親は頼朝を闇討ちにしようと考えていました。
ところが妻は源氏のものだったので、闇討ちを反対しましたが、きいてもらえませんでした。待ち伏せしていた所に、一人の女が現れたので、切り捨てたところ、それは
心配してかけつけた奥さんでした。景親は悲しみそこに祠を作って祭りました。。
今でもその祠はのこっています。
[17]大庭力之典さんからのコメント(2019年05月14日 11時29分50秒 ) パスワード

[9]の大庭力之典のコメント(2004.10.21)を削除したい。
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