[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月09日 09時07分15秒 ) | パスワード |
慈円の父・藤原忠通は37年にわたって日本の政治を握っていた人物でした。
忠通の弟が頼長。
この対立が保元の乱の要因の1つでした。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月09日 09時17分49秒 ) | パスワード |
忠通の男子達は摂関政治をその手に握ろうと武士達と組んで画策しました。
慈円の長兄(近衛)基実は清盛の娘盛子の夫になりました。(しかし24歳で死亡)
慈円の次兄(松殿)基房は木曾義仲の婿となり
慈円の同母兄(九条)兼実は頼朝と親密な関係を結びました。
慈円は仏門に入れられ政治の表舞台にこそ立ちませんでしたが兄兼実を助けました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年07月09日 09時33分01秒 ) | パスワード |
忠通 vs 頼長のバトルが忠通側の勝利で終わったと思ったのも束の間
私達の目が平家 vs 源氏に行ってる間に
摂関家の中では兄弟の摂政関白の座をめぐる死闘が繰り広げられていたのですねぇ。
平家と源氏のバトルで源氏が勝利し
九条家バンバンザイかと思いきや
公武合体を唱える兼実が失脚。
ここで慈円が九条家を盛り立てて・・・
順徳天皇までの日本の歴史の正当性を示したのが愚管抄でしたか。
はぁ〜
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年09月04日 12時04分03秒 ) | パスワード |
基房について: 1145 〜 1231 :別名・松殿
この人物の一生は平家との対立に翻弄された、と書くべきか
または平家を翻弄した、と書くべきか
平家との対立に精力を使い果たした、
感じですね。
まず兄・基実の後妻が清盛の娘の盛子で
兄が24歳で亡くなると、その財産が兄の前妻の子・基通相続。
22歳の自分は摂政・氏の長者となったものの経済的には悔しい思いをした。
1170年には清盛の孫・資盛と殿下乗合事件を起こす。
その後は後白河法皇と組んで平家と対立。
1179年に清盛のクーデターで負けて流罪。
その後、木曾義仲と組んで・・・ごちゃごちゃ・・・
打倒平家の藤原方ボスですね。
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