[1] | 川口 信さんからのコメント(2002年06月04日 09時39分53秒 ) | パスワード |
建礼門院については「平家物語:灌頂巻」女院御出家の段に詳しい。
他スレッドに乗せた「新釈平家物語」を今はやりのインターネットで注文し手に入れました。
それによれば平時忠が能登に流される折、吉田に老朽した坊舎に建礼門院をたずねた。
《花はいろいろ匂へども、あるじとたのむ人もなく、月は夜なよな射し入れど、詠めてあかすぬしもなし。昔は玉の台をみがき、錦の帳にまとはれて、明かし暮らしたまひしに、今は有りとしある人にはみな別れはてて、あさましげなる朽ち坊に入らせたまひける御心のうち、おしはかられて哀れなり、魚の陸にあがれるがごとく、鳥の巣をはなれたるがごとし。さるままには、浮(憂)かりし浪の上、船のうちの御住まひも、今は恋しうぞおぼしめす。蒼波路遠し、思ひを西海千里の雲によせ、白屋苔ふかくして涙、東山一庭の月に落つ。悲しともいふ、はかりなし》
建礼門院が落髪した際、導師は東山長楽寺に住した印西であったとも、巻十一では宗盛を教誨した湛斅であったとも伝えられている。
巻十二には覇者の非情・敗者の怨憎が語られた。しかし非情・怨憎を見せつけるのみで幕をおろしてしまっては、慰籍と救いがない。当道系の作者はそこに思い最後のまとめとして、慰籍の調べ・寂静の調べを残せないものか。そういう意図から、灌頂の名をあて仕立てられたものという。
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