シャベリン(アーツ) くりらじ 小川もこ
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 投稿番号:100304 投稿日:2002年05月28日 01時00分08秒  パスワード
 お名前:た ま ね こ さん の代理
全国の鱗紋集まれ! 平家系有明氏vol.2
キーワード:先祖を調べています:平家系有明氏2 鱗紋
コメントの種類 :その他  パスワード

原題「全国の鱗紋集まれ!鱗紋友の会会員募集中!?」

たまねこさん E-mail=ingres@ezweb.ne.jp

 元スレ「先祖を調べています:平家系有明氏」 の続編です。
http://bbs.c-studio.net/heike_slink/100237_141.html

北条氏に限らず、三つ鱗は桓武平氏の子孫が使うことが多いとされていますから、
ひょっとしたら、これを見ている方に中にもいらっしゃるかも。
家紋の由来について、情報を募りたいですね。

[1]たまねこさん の 代理さんからのコメント(2002年05月28日 01時07分42秒 ) パスワード
  

あまりに重いので勝手に次スレ立てさせて頂きました。以下
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[141] たまねこさんからのコメント(2002年05月28日 00時17分20秒 )
   E-mail=ingres@ezweb.ne.jp

手元にある本で、三つ鱗紋を使用している姓を探していたところ、”九曜紋”でしたが、『戸沢(澤)』姓に、こう書かれておりました。

桓武平氏貞盛の子孫で平兼盛が陸中国雫石荘戸沢(岩手県雫石町)を領し戸沢氏を称した。兼盛は鎌倉初期に羽州鳳仙台(田沢湖町)に移り同地の豪族に成長。南北朝期の戸沢一族は岩手の雫石町と仙北郡にわたって勢力をもった。

戸沢氏は後の戦国大名ですか。兼盛が貞盛の子孫とは知りませんでした。(無知…)

実は、私が先祖探しをしようと思いたった時、百人一首や千人万首などの和歌を探しました。ここに先祖の謎が隠されていると思っていたのですが、最初に目に入ったのが、どういうわけか兼盛。歌を見ているうちに、なぜか、この掲示板を発見したのですよ、確か。怪しい巡り合わせとでもいいましょうか。

>たまねこさんのご先祖さまはどんな裏切りをなさったのでしょうね?

私のDNAからは、出世欲や功名心は殆ど感じられません。恐らく、主君に背くことができず、教え(信仰)に背いて、罪なき人々を苦しめたのではないかと…
結局、味方に騙まし討ちに遭い、手柄は横取りされ、汚名を着せられたまま、討死、或いは自害に追い込まれたのだと思います。それ以来、「神も仏も身内も」信じることができないような生活を余儀なくされたのかも… 生きる為に職人、商人になったということですね。或いは修験山伏や、闇の世界で暗躍していたとか。

しかし、戦国時代なら、こんな話、いくらでもありそうですね。以前の姓がわからない限り、調べようがない… 後は家紋の鱗に賭けてみるか!?(魚屋の鱗だったりして)

-------------------------------------------------------------------
原題は長いのか?全部入りませんでしたので分割しました。.....いつも通り
[2]いつも通りさんからのコメント(2002年05月28日 02時01分37秒 ) パスワード
  

岩手県雫石町と秋田県田沢湖町は秋田駒ヶ岳を挟んですぐ隣です。
 岩手県側の岩手山麓「網張温泉」や玄武洞付近の「玄武温泉」等と
 秋田県側の秘境「乳頭温泉」や田沢湖「水沢温泉郷」
は泉質の似た乳白色の温泉です。(良く行きましたよ)

仙北、北浦地方では応永年間(1423)頃より戸沢氏の勢力地
少し南下した秋田県角館町http://www.town.kakunodate.akita.jp/  は
秀吉の奥州仕置によって、この地に4万4千石の大名戸沢盛安が...。
ここには武家屋敷きの保存された町並みがありますね。
http://www.town.kakunodate.akita.jp/intro/intr.htm
http://www.town.kakunodate.akita.jp/towns/san/history/buke/bukef.htm

又、大曲を経由して大きく西南へ南下すると鳥海山の南、月山の北最上川沿に
 山形県最上郡戸沢村 http://www.vill.tozawa.yamagata.jp/
があります。確かこちらは戸沢藩の舟番所で
http://www.ybc.co.jp/TABI01/tabi477/tb4772.htm
現在は嫁不足で嫁いだ「韓国花嫁」による町興しで
道の駅戸沢に併設して「モモカミの里高麗館」
http://www.yamagata-np.co.jp/media/roadstation/kiji/rs08.html

で実際は山形新幹線の延伸した新庄市が戸沢藩の城下町です。
http://www.city.shinjo.yamagata.jp/
古城山城は戸沢藩が起こし、その後佐竹藩・芦名藩と続きました。
市民によって保存されている新庄囃子
http://www.city.shinjo.yamagata.jp/mein_img/kakko2.mid
はその昔の形態を忠実に保存しているそうです。

茨城県高萩市も江戸時代には現在の秋田県角館町から移された戸沢氏が
松岡城を築きましたね。 http://www.net-ibaraki.ne.jp/takahagi/
[3]いつも通りさんからのコメント(2002年05月28日 02時25分51秒 ) パスワード
  

これらの町や村は私が趣味の西洋館の見学と温泉めぐりで
ちょくちょく歩いたところです。なにか因縁深いものがありますねえ。
戸澤藩と聞いた直後に何かピンと来ました。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年05月28日 05時40分20秒 ) パスワード
  

なかなか興味深いですね。
[5]たまねこさんからのコメント(2002年05月29日 01時20分26秒 ) パスワード
  

いつも通りすがりさん、たくさんの情報をありがとうございました。
とても、お詳しいので、ビックリいたしました。

戸澤氏との関係については、あるのかないのか定かではありませんが、鎌倉初期に雫石から田沢湖に移動して、豪族として成長していったというあたりが、怪しいと睨んでおります。ここでしばらくお世話になって、分かれていった可能性はあるかも。

東北を旅する時は、まず、あのあたりから…と決めております。私も温泉めぐりが好きなので、風呂に入りながら旅をしたいと思うのですが、一人旅では温泉大浴場のあるホテルには泊まれないでしょうね〜。本物の屋外の露天風呂は、さすがに勇気がいる…
どこか、適当なお宿があれば、現地調査の旅に出たいです〜。
[6]いつも通りさんからのコメント(2002年05月29日 06時52分11秒 ) パスワード
  

田沢湖から秘湯(観光化されてますが)乳頭温泉郷に登る途中に
水沢温泉郷があります。
 元湯・水沢山荘/仙北郡田沢湖町生保内下高野73-10 TEL 0187-46-2341
http://www.hana.or.jp/tazawako/yoyaku.html
は、外来用の露天風呂水沢温泉と同じ経営のたった15室の宿で
水沢温泉郷の源泉ですが、こちらは外来を受け付けておりません。
いつも通りのお気に入りの宿です。いつも独占状態。
豊富な湯量の露天風呂は深さ1mもあり肩まで浸かってゆったり入浴できます。
男女別24時間入浴可能で外からは全く見えません。
泉質は含硫黄カルシウムマグネシウム硫酸塩化物泉で含石膏の白濁。
http://google.yahoo.co.jp/bin/query?p=%b8%b5%c5%f2%a1%a1%bf%e5%c2%f4%bb%b3%c1%f1&hc=0&hs=0
[7]いつも通りさんからのコメント(2002年05月29日 07時17分02秒 ) パスワード
  

大曲だと
 姫神温泉 陽華苑/大曲市大曲西根字島居215-9 TEL 0187-68-4180
http://www.tohoku.ne.jp/user/yoiyado/yohkaen/touen.htm
しかないかな?
http://www.excite.co.jp/search.gw?search=%c9%b1%bf%c0%b2%b9%c0%f4&look=yahoo_jp


水沢山荘の画像がありました。
http://www.akita.mmd.ntt-east.co.jp/kan/onsen/mizusawa/mizu2/mizu4.jpg
こちら岩手県側温泉 http://www.highway.pref.iwate.jp/area/onsen/onsenchi/
[8]たまねこさんからのコメント(2002年05月30日 02時08分24秒 ) パスワード
  

いつも通りさん、温泉情報、ありがとうございます。
水沢山荘の露天風呂、結構、広いですね。

>泉質は含硫黄カルシウムマグネシウム硫酸塩化物泉で含石膏の白濁。

最近は伊豆、熱海のナトリウム泉ばかりなので、これは是非、行ってみたい!
…何だか、気分はすっかり旅モードに入ってしまいました。
[9]古田さんからのコメント(2004年04月19日 15時13分23秒 ) パスワード
  

私の家紋も「丸に三つ鱗」です。
私の性は「古田」です。
私の先祖は、昔、岩手の岩谷堂一帯の地主を務めていたみたいです。
私も、先祖について知りたいのですが、なかなか機会がありません。
何か分かることがあったら教えてください。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 17時06分03秒 ) パスワード
  

古田さん

初めまして。
御名字については全く分かりませんが
いわやどうの仙台箪笥で家具を揃えましたよ。

引越しした時に処分するつもりでしたが
飾り職人が消えるから処分しない方が良いと言われて今は東京の実家に預けています。

「天花」の中でちらちら見るので懐かしいです。

古田さんの御先祖さまの地の近辺に私の先祖の1人が北上山地に流されてそこで没したので
時々お墓参りに行きます。
タクシーで片道5000円の山の中です。

もしかすると先祖が知り合いかも知れませんね。
上記の先祖の正妻は北条氏の娘でしたから。
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 19時06分46秒 ) パスワード
  

思い出したことが1つあります。

我が家の伯父が茶道のしきたりにうるさい人で茶室の作りで「織部」がど〜たら言ってました。
床の間の板がなんとかかんとか(織部板?)訳の分からないことを話してました。
織部焼きというのも聞いたことがあります。


私は茶道は袱紗の段階で落伍だった(我が一族で私1人が表だったので袱紗捌きで皆から冷たい視線を浴びた)
ので
その段階でトラウマとなってたので明暦にお取り潰しになった某家と縁組があった時に茶道のしきたりで
結果破談になって私は喜びました。

そこのお家も茶道が厳しい家だったのです。
戦国時代に武将やってた家は茶道がうるさいから鬱陶しいです。

私は茶道は「志野が白いんだっけ?」という辺りです。
西南の雄藩の姫君は伝来の天目がなんとか赤がどうとか黄がどうとか言うのですが
私には(どこがいいのか分からない)です。


という訳で古田さん=織部さんというイメージを持っています。


古田織部の家紋が分かると良いですね。

[12]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 19時37分33秒 ) パスワード
  

志野が「白」で、織部って「緑」なんですか?(記憶があいまい。伯父は既に鬼籍に入ってます)


こういう事を書く無粋な人間が書き込むのも恥ずかしいのですが
古田織部の紋は「○に三」が代表紋で・・・・・
その他に花菱?木瓜?桔梗?みたいな花みたい(この部分は忘れてください。よく分からないので)
・・・・です。


○に三文字は三つ引き竜紋(三引両紋)で
元はわたくしの母方の大三島神社の大山祇神社の神紋で三は「月の神」を表すそうです。(ん?よく分からない)
河野洋平ちゃんとこも○に三を使ってる。一郎さんのお葬式の時これを使ってた記憶。


本姓・藤原氏の俗姓・古田さんがこの紋を御使用だそうです。
有名人では近藤勇さんが養子に行った先の近藤家が○に三です。
近藤さんは本姓が藤原氏ですから分かり易いですね。
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 19時44分26秒 ) パスワード
  

と、こうして書いていたら
なんと「私がもしかしたら結婚してたかも知れない明暦にお取り潰しに遭った某家」と繋がってしまいました。


ま、当時の武将は茶湯の世界でも繋がってましたから、繋がって当たり前なのですが。
早い話が日本人は8代遡るとみんな親戚になるそうで
私と古田さんは伊予の一族でも繋がるのかもですね。
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 19時50分47秒 ) パスワード
  

親戚かも知れないので正直に書きますと
上記に書き込んだ流罪に遭った母方の先祖というのは河野通信で
正妻は北条時政の1ダースいた娘の1人「谷殿」です。
頼朝と相婿でした。

正妻が北条氏出身という事で罪1等を免ぜられ奥州平泉(江刺)に流されたのです。


他に信州に流された息子や久慈に流された息子はその流刑先で斬られました。

真藤先生でしたっけ?
お世話になりました。(ぺこり)
もし御存知ならと思い書いておきます。
[15]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月19日 20時11分47秒 ) パスワード
  

という訳で皆さまのイメージを壊すようなわたくしの1面を書きました。


家紋って1家に1つだけではないという事をお忘れなきように願います。

今は着物を着ませんし
ましてや5つ紋羽織や裃や大紋服なんて作らない時代ですから
(着る着ないの問題よりお金がない深刻な理由から?)
家紋も1つしか伝わってない家が多いと思います。

更に呆れるのは貸衣装で間に合わせるという家もあり
貸衣装って人気紋が使ってあるわけで(桐とか蝶とか)
冠婚葬祭に貸衣装を借りて
つまりヨソの家の紋を背負ってるのに
時代が経って子や孫が記念写真を見て
その紋を自分の家の紋だと誤解するという馬鹿話もあります。


>私の先祖は、昔、岩手の岩谷堂一帯の地主を務めていたみたいです。

どうやら江戸時代名主をなさっていらっしゃったようで
という事は北条氏の関係者が地頭になって奥州に派遣され定住し
江戸時代に庄屋ということで村の管理を任されていたのでしょう。

古い記録に載ってるかも知れません。
教育委員会に問い合わせたり図書館で調べることが出来ると思います。
[16]田中愛造さんからのコメント(2004年04月20日 03時20分09秒 ) パスワード
  

元、奥州志田郡松山・千石城主、古田内匠(伊豆)重直1600年頃、江刺郡岩谷堂に移る。伊達政宗家臣であり、地元誌に有ります。恐らくご先祖様に間違い有りません。
[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月20日 11時11分28秒 ) パスワード
  

伊豆守ということなのかしら?
というと坂東平氏系になりますかね。

ですと鱗紋で合いますね。

やっぱり鎌倉時代に移住でしょうか?
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月20日 11時24分44秒 ) パスワード
  

他に
1598年 石川大和昭光伊具郡角田に移り、松山を古田内匠(伊豆)重直に賜う。
1603年 良元、松山を賜い赤萩より移り千石城三ノ丸に住む。古田氏は江刺郡岩谷堂に移る。
こんなのがありました。


やはり江刺市教育委員会から資料を頂くのが良いかと思います。
[19]古田さんからのコメント(2004年04月23日 22時47分23秒 ) パスワード
  

すいません。全く勘違いをしていたようです。
岩谷堂一帯を治めていたのは、私の母方の及川氏か高橋氏だったようです。
古田氏の方は元々岐阜の辺りにすんでいたそうです。
私の家は古田織部と深く関係しています。織部は私の家の分家の出なのですが、家紋が違います。どうやら、分家した後で織部の家が勝手に家紋を変えたのが原因だと思われます。織部の妻や子供は全員、暗殺されていますから、日本中どこを探しても、織部の直接の子孫はいないでしょう。
私の先祖はどういう人なのか、知りたいです。 こんなことをず〜と考えていたんですが、ついには何も実行せずに何十年もたってしまいました。(恥)
[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 00時45分37秒 ) パスワード
  

>及川氏・高橋氏
奥州の名門ですね。
この御苗字の方が水沢江刺や仙台に友人としていますよ。


>古田氏の方は元々岐阜の辺りにすんでいたそうです。

やっぱりそうでしたか。
私には「古田さん」イコール尾張や美濃の「古田さん」のイメージでしたから。
こうしますと、やっぱり私が18歳の御歳に御縁があって運良く?破談になった!明暦にお取り潰しにあった
某家とやっぱり繋がりますね。

更に茶室普請が趣味だった上記の伯父の家とも繋がりますね。
伯父が生きてましたらいろいろ聞けたと思いますが残念ながら私は無粋な人間なので理解不可能でしたでしょう。


家紋はあんまり気になさらないで下さい。
家紋は変わりますから。
どういう経緯で変わったか・替えたか、という部分が面白いですね。


ワタクシが想像しますに
やっぱり伊予の河野家と関係があるかもですよ。
美濃の堀田家とか稲葉家と繋がりがあるかも。稲葉一鉄さんとか春日野局とか。


その前は南朝方か北朝方か?
気持ち的には南朝方であって欲しいのですが
北朝にも御縁があったような気がします・・・尾張の妙興寺で何か感じません?ここは尾張北朝方の拠点でした。


元は尾張〜美濃あたりでチャンチャンバラバラやってたかもですね。伊勢も入るかな〜?
北畠家にくっついて奥州に下ったという伝承はないでしょうか?
もっと後なら丹羽さんにくっついて奥州に御動座なさったとか?

でもその間に伊達さんとの御縁があるんですよね。
そうしますと丹羽さんの線は消えますか。


それで家紋の件に戻ってみると
織部さんのもう1つの紋が花として
あれは美濃の桔梗なのかな〜?
そうすると古田さんは土岐や明智と繋がるお家だったのかしら?


ワタクシ的には南北朝〜戦国時代古田織部さんの線で美濃をイメージしてます。
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 01時06分29秒 ) パスワード
  

ワタクシが思いますには

織田信長の美濃攻めで古田家が出て来る。
この時代の美濃の武将の家を調べたら古田家も出て来るのでは?閨閥で。

古田織部ってお名前を重然さんっておっしゃるんですってね。
やはり上記の伊達家臣の「古田内匠(伊豆)重直」と通字が同じですから元は同じというのが分かりますね。


とすると合理的に考えますと
美濃古田氏と奥州古田氏は出自は同じ?
美濃から奥州に移った?16世紀中頃?古田家はもともと奥州にも力を持っていた?

北畠顕家の配下に古田姓の武士がいらっしゃったら「見つけた〜」かしら?
[22]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 01時14分12秒 ) パスワード
  

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/matumae/matumae11.htm

ここの御家には北畠家や古田家の名前が出てますね。

更に「横井家」なんて
北条義時3代の孫の子孫(尾張に下向して尾張藩の御重臣だった家。今の御当主は35代の子孫で家紋は鱗紋)
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 01時18分34秒 ) パスワード
  

http://homepage1.nifty.com/_16/douzou/dou51-60.htm#No.057

に古田重二良?さんとおっしゃる福島の名士の銅像がありますね。
やはり御一族の御様子。
[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 01時41分02秒 ) パスワード
  

ちょっと検索しましたら ↓ のような記事があり


http://www.geocities.jp/link_castle/cas_miya.html


千石城は、鎌倉時代に文覚上人(遠藤盛遠)が現在の三の丸付近に居住したと伝えられ、その後、関東公方足利満兼から志田・玉造・加美郡の三郡奉行人に任ぜられたその子孫11代盛継が応永8年(1401)に千石城を縄張・造営した。以後、遠藤氏は二百年17代高康まで7代にわたり松山に居住した。この間、天文5年(1536)に15代光定が大崎氏の内訌に際し古川城攻撃に参陣している。天正16年(1588)には、高康の時には中新田合戦に際して伊達軍が千石城を基地として参集し、天正18年(1590)においても大崎一揆の平定のため伊達政宗が千石城に入城した。その後、遠藤氏は天正19年(1591)に領地替えとなって登米郡石森村(現中田町)に移封され、その後、石川昭光が慶長3年(1598)まで、


次の城主古内重直は慶長8年(1603)まで居城した。慶長8年からは茂庭良元が赤萩城(現岩手県一関市)から松山の城主となり、千石城を修築して三の丸に居館を構えた。

ワタクシから:古内は古田のタイプミス?

千石城は、志田郡にまたがる丘陵が連なる自然の地形を利用した典型的な連郭式中世山城で、丘陵先端部に位置する山の山頂部に細長く曲輪が連続し、各曲輪はそれぞれ深い空堀に囲まれ、それぞれ独立形となる。城の規模は標高80m(比高30m)、東西250m、南北600mに及んだ。また、千石城は北の鳴瀬川を挟んで大崎領の南端と境を接しており、伊達家臣団の最北限の拠点となっていた。
 現在、平場・土塁・堀切が残っており、城趾より四方を眺められ、秋にはコスモス園として観光客を集めている。

 城所在:志田郡松山町千石字本丸囲




http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/datekei/date3.htm


3 伊達一族の諸氏
... その子下野守康長は北畠顕家と同じく関東 ... 盛宗は伊達郡東根小梁川村(梁
川町小梁川)に住んで号し、その子尾張親朝・信濃宗朝兄弟の子孫は仙台
藩士にあるが、信濃宗朝の後は 古田 を名乗った。小梁川親朝は永正十一
年 ...
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/datekei/date3.htm - 29k

ワタクシから:どこか見つかりませんでした。
[25]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 01時55分33秒 ) パスワード
  

興味深いサイトなんですが欲しい情報が見つからないです。


更に情報が錯綜していますが、これは仕方無いですね。
私も曾祖母の1人は(貧乏)公家の藤原氏出身なので彼女の家に焦点を当てれば「私の先祖は貴族よ」となり(笑)
本当は伊賀の山の中にいたことや伊予の海の上にいたことを隠せますか?(笑)


50代も御先祖さまを遡るとその数たるや天文学的数値になります。
そういう御縁を辿って家臣になったり結婚したりするんですから
大変!
麻のごとくぐちゃぐちゃに絡まってますね。
[26]古田さんからのコメント(2004年04月24日 17時56分34秒 ) パスワード
  

私は公務員をしていて、なにかと土曜・日曜は暇になります。古田家の本家の墓(私の家の墓なんですが)を調べてきました。どうやら、何度も建て直しをしたみたいなんですが、一番最初に作られたのは天正元年でした。  慶長20年に「宗屋」と刻まれてありました。しかし宗屋という人物は私の家の者ではないらしいのです。おそらくこの人物こそが 「古田織部」 に違いありません。 織部は、幼名「左助」から、「織部正影安」 「織部正重然」という様に名前を変えています。 そして、彼の戒名が 「宗屋」なのです。  分家したはずの人物を本家の墓に刻んだのは、おそらく、「俺の親戚にはこんなに凄い奴がいたんだぞ」という戒めのためでしょう。

私の息子も今年で二十歳になり、ほっとしているのですが、その息子も「俺の先祖は誰なんだろう」 などと言い出し、独自で探しているようです。 自分の息子には先を越されたくないですね。
 
結局、私の家は一体どのような家柄なのでしょうか?



[27]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月24日 23時58分16秒 ) パスワード
  

そうしますと
美濃の古田織部さんと奥州の古田さんは
かなり強い繋がりがあるようでございますね。

古田織部の死の理由は「大坂方に内通」と言われてますから
伊達さんの不穏な動きも考えますと
やっぱり美濃古田家と奥州古田家は、絆が強い、ですね。


やはり伊達家の陰謀に関係して来る気が浮かんで来ます。
五郎八姫のお輿入れの部下に古田家がいらっしゃいましたら
面白いですね。


だって幕府方から死を賜った人物の墓を建てるというのは凄いことですよね。
普通は御遠慮申し上げることでございましょう?


やっぱり
伊勢尾張美濃あたりにいた御先祖さまのお1人が14世紀に北畠顕家にくっついて奥州まで行ってそこで定着
伊達家に仕えることになり
美濃に残った一族と連携しながら戦国時代を迎え
美濃古田家は信長に滅ぼされ秀吉に仕え
大坂の役で美濃古田家と奥州古田家は伊達政宗の陰謀に動いた
と考えるのが合理的かしら?


我が家ですと新田さんと一緒に後醍醐天皇の皇子さんを戴いて信州浪合村まで転戦した記録があります。
そこに名前が出てます。


北畠顕家もやはり皇子さんを戴いて奥州を守っていますから
この記録に古田家の名前が出て来ましたらバンザイですね。


我が家の1部は他の皇子さんを戴いて薩摩まで転戦してるんですよ。
もしかすると奥州まで北畠顕家と転戦したのがいるかも。


戦国時代に我が家は北畠家に正月の挨拶に行って騙されて信長方に殺されています。
反信長として尾張美濃あたりの古田さんと御縁があったかもです。


すっかり定着した今の時点から過去を考えるから分からないですね。
人間は移動する
それを頭に入れて時代の大きなウネリや大移動を考えたら
御先祖さまは思わぬ所からやって来て今の所に定着するようになった
というのが分かると思います。


是非とも北畠顕家の動きを追ってみてください。
[28]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年04月25日 09時43分52秒 ) パスワード
  

今テレビで「江戸開府400年シリーズーー大江戸繁盛記」というのを見ているのですが
(去年の番組と思います)

この中でシオサイト(汐止地区)には昔の竜野の脇坂家・伊達家?・保科家の屋敷があって
ここから出て来たものに○に三文字紋の伊達藩の家紋のついたなんとかが出て来た
と紹介してました。


○に三で伊達家?
こはいかに?

確かに本姓藤原姓俗姓伊達家の紋の1つに○に三紋があるんですよ。
[29]田中愛造さんからのコメント(2004年05月09日 02時10分11秒 ) パスワード
  

古田氏に関しての書籍文献・資料情報により、頗る複雑で年代の食違いや、出自等に於いても諸氏の入混じりが多いのが実情です。(姓氏家系)その他の文献から辿ると
  「奥州」伊達政宗家中に古田内匠あり。伊達大膳大夫持宗ー盛宗中務少輔(小梁川氏称す)−信濃守宗綱・・子孫古田氏を名乗る。
  「信濃」諏訪郡古田邑より起こる、(古田山城)諏訪神家有賀氏族・有賀美濃入道惟存の一党とあり。(
  「三河」式内八名郡石巻神社祠官神主に古田氏あり。(藤原姓)
  「美濃」中野城主美濃の族古田氏、和田掃部康信の時、土岐頼忠に仕え猪狩御供御前に見事射止め(獅子の古田の中に伏すたるを、古田の手柄)とご褒美になり改名したと云う。(美濃焼・徳林寺古田家譜)。
  「伊賀」那賀郡高尾邑に古田城あり、伊勢国司築き目代を置く。
  「伊勢」員弁郡古田邑より起こる、五郎右衛門ー重則ー重勝の系・後記す。
  「山城」革島家臣に古田左介あり、他にも多いらしい。
  「河泉」永禄2年河内国交野郡五ヶ郷総連名帳に(芝村古田四郎左衛門尉綱澄)あり、又、泉州日根郡下荘村名族との事。
  「美作」勝南郡監湯郷明見村の名族、(大庄屋古田次郎兵衛は古田勝重の余裔で古田織部正重然の消息を所持し、丸の内三引紋を茗荷紋に改め、播州佐用郡より明美郡に移り、森家入国時に弓術にて召され、土地取締り)とある。
  「防長」吉川記に古田右京あり。
  「讃岐」香河傳に古田右兵衛尉あり。
  「伊予」寿永年間忽那家臣に古田角左衛門義政あり。
  「豊前」文明大永の頃宇佐郡豪族に古田下野守あり。
  「肥後」菊地家臣に古田新十郎公棟あり。
  「豊後」清原一族の古後時助ー助通を祖とする古田氏。
  「清和源氏」武田一族、松前藩蝋崎資広ー信直(信真・直記・栄助・永介)家臣の古田信村養子となる。
  「清和源氏」新田一族、小澤壱岐守宣景・古田重勝に仕えて古田氏を賜う。
  「その他」岡中川藩老職古田広計・同藩藩儒古田重威、京極給帳古田喜四郎、箱崎社祠官古田源之丞。とあります。
 藤原姓と云われる武家家臣団には、古田重長(修理)−景重(兵庫)−高重(上野)−勝信(左近)−重方ー重安(五郎右衛門・正重・大膳・肥前・山口城主・長浜城番)−重則(吉左衛門・重清)ー重勝(彦三郎・信勝・重恒・兵部少輔、日野松坂城主)−重恒(叔父重治継嗣希代丸、兵部少輔・浜田城主)とあり。重則ー重忠(半左衛門)−重直(重続の子、重続は重則の弟)(重勝の弟重治、大膳・兵部、松坂より浜田に移る)。重方ー重定(大膳正)−重然(左介・景安、織部正、重安養継)ー重尚(左介、弟・山城守重嗣西岡継・小三郎重広・九八郎重行・左近重久)(重然の弟、左五右衛門重府ー菅野甚斎正的)(重方ー與兵衛重俊ー重友)。
 【濃陽諸士伝記】による、本巣郡本巣には山口城於いての事跡が見られ、美濃土岐に仕えた古田氏が代々を記すものの、名が本来でなく最後の織部正重然にしても重能
・重勝・重就に作られ、名乗りの多いのも追求に支障をきたしている。
 5代信正(彦右衛門・彦太郎、細目郷の族、子の勝信・信清船田の乱討死)仕政房
 6代正重(兵庫助・大膳亮、長良川合戦討死)仕頼芸
 7代重清(吉左衛門・重則)                         別の代名と考える[土岐氏の代名との違いがある]
 9和田掃部康信、仕頼忠
 12信景(要一)仕頼益
 13信一(主殿)仕成頼
 14信友(求馬)仕政房
 15信忠(兵部少輔)仕頼芸
   信昌(左将、信友次男、稲葉山討死)
旗本
 重忠ー重直ー重政ー重次ー寛重ー勝・ー勝里ー勝嘉ー勝美《500石》
|  |
|  ー重弘ー重弘ー某男ー重興ー古好ー春道ー祉久ー祉堅《500石》

|重治ー重延ー従真ー稠延ー重いー休甫ー休安《25人扶持》
      |                                     ー元淑ー永延ー栄真ー明恒ー恒享《15人扶持》

重定の子正的は御茶道頭家の養嗣なれど7代目正房(古田姓に復す)
  
[30]田中愛造さんからのコメント(2004年05月09日 03時11分35秒 ) パスワード
  

書き方の違いで解釈がしにくいと思います。其方で御理解ねがいます。早く、もっと詳しく致したかったのですが、双子の実弟の死去があり・・本家一人になりました。跡取も無く、私の代で終わります。因果応報とはこの事かも・・残念無念。
 私情を挟み申し訳け有りません。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月09日 06時24分29秒 ) パスワード
  

田中愛造さま

大変でございましたね。
御愁傷さまでした。


古田氏というのは分かっているだけでこんなに色々あるんですか・・・
日本全国ですね。奥州から九州。
いよいよ分からなくなりましたね。
[32]古田さんからのコメント(2004年06月04日 20時14分48秒 ) パスワード
  


このごろ忙しくてこのページに来る事ができませんでしたが、
  その間に、お2人がこんなに調べていてくださったとは、・・・
  本当にありがたいです。

  ところで、お二人は歴史に詳しいようですが、どの様なお仕事をされている方なんですか?
  私は、公立高校の教頭(日本史が専門)をやっている者です。(55歳です。)
[33]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年06月05日 01時44分22秒 ) パスワード
  

古田先生

お久し振りでございます。
「北畠顕家」の家臣団に古田家は出て来ませんか?
新田氏に対して古田姓を名乗ったのかしら?とも想像が働きます。
これで合ってますと謎々好きのひょうきんな人物だったのかもでいらっしゃいますね。

わたくしの母方の家にも激動の時代の波に突き動かされて
出奔し浅野長政公に仕えたというのがいます。

古田織部がどのようにして戦国時代に彗星の如く登場し消えたのか
彼の○に三文字紋から稲葉(や堀田や安藤)とのお付き合いを感じますが
文化人として名が残っていますから当時は凄い影響力を持った人物だったと思うのです。

つまり政治的に。切腹の原因。
ここで美濃の古田家と仙台の古田家が切れてしまった   ?
でも墓に名を留めている。


凄いミステリー!
お盆までに縺れた糸が解けると良いですね。



私は2年前までロサンゼルス国際空港で働いていました。
2年前の独立記念日の7月4日にエジプト人がエルアル・イスラエル航空のカウンターで乱射事件を起こし
(いつもなら私もそこにいたのです)
それでその日を限りに仕事を辞めました。
[34]田中愛造さんからのコメント(2004年06月07日 02時55分35秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラー様

先日は、慰め癒しのお言葉、有難う御座いました。古田氏に関して余計に解かり難くしてしまった様で、申し訳け有りません。しかし、古田氏の除籍簿を閲覧致すと幕末の頃までのルーツが見られ、年齢からして4・5代は誰もが解明が可能であり、江戸末期に於いての所在地や、宗派(寺社)による戒名等が記されて居るものです。余り飛び越えず探る方が先が(ご先祖)が見えて来るのでは無いでしょうか。
 私の分野でなく、小林先生の専門ですが。
家紋で、丸に三つ鱗の古田氏が出てきません。一般に藤原氏の支流とされてはいますが、大足彦國押人命の流れで春日氏流古田氏もあり複雑でですね。
 藤原氏支流古田氏の定紋(三つ引き両)《寛政譜15》替紋(三つ笠・抱き菊葉に菊
・五三桐)又、重秀・重弘の替紋に(十六葉菊)元淑の定紋。
 美作系(丸に三引両より茗荷紋に替わる)武蔵系(違い鷹羽)藤原氏秀郷系(源氏車八本骨)等など見られます。
 尚、家紋旗本八万旗には、「丸に三つ引両」に「三つ唐人笠」を加えたのは、古田重勝が朝鮮の役に出動し敵将の首級三を得た戦功記念と同家に伝えたとあります。
 
 古田先生
私には経歴は在りません。学歴も無く、autlawの世界のbossです、名乗れるべき者では有りません、当平熱で新参者として勉強させて戴いております。良識ある皆さんの教えに従い、約一年になります。私の親友に大学教授や某社研究博士・僧侶・神主・医師等多彩な分野で活躍致して居り、家系譜調査研究の代表に祭り上げられて、少しは理解できる程度のものです。余り気に為さらないで下さい。
[35]工藤利悦さんからのコメント(2004年08月04日 19時19分53秒 ) パスワード
  

偶然拝見しました。
岩谷堂邑主古田氏についてお調べのようです。

 古田氏(着座)
「岩谷堂城主代々申伝書上」によれば、慶長七年(一六〇二)より元和四年(一六一八)までの十七年間、古田伊豆重直が城主であったと伝えています。垂直は伊達家の支流小梁川摂津宗重の三男として生まれ、初め小梁川九兵衛と称しております。のち政宗の命により古田氏と改め、登用されて国老をつとめています。曽孫九兵衛共直の代に、寛文元年正月無嗣子のまま死亡して家名は断絶した(『伊達世臣家譜略記』)とあります。

 古田略系図
伊達持宗┬成宗(伊達世)         
    └小梁川中務少輔盛宗┬尾張親朝 
              └信濃宗朝─摂津宗重┬安房宗秀 
                        ├摂津宗重 
                        └古田伊豆重直 

『伊達世臣家譜』を一覧すれば、いま少し詳細がわかります。
今後の調査進展を祈念いたします。
[36]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年08月05日 01時27分05秒 ) パスワード
  

工藤利悦さま


「古田家」というのは名家だったというのが窺えますね。
そうしますと矢張り「古田家」の元はナンだったのか?
いよいよ興味津々。
[38]ありちゃんさんからのコメント(2005年04月01日 02時24分23秒 ) パスワード

振り出しにもどりますが・・・・有明の本流、家系わかりましたか?実はPCをつい最近習いましたので自分の性の<有明>を検索してましたらこのページみつけました。家紋も三つ鱗、本籍も秋田大曲です。私と親戚?でしょうかね?
[39]ありちゃんさんからのコメント(2005年04月02日 22時33分50秒 ) パスワード

たまねこさんへ

2002年05月30日以降、こちらにアクセスがないみたいですがもう大曲には行かれましたか?祖父が秋田より大学、東京のため出てきましたのでそれ以来本郷〜埼玉くらしをしております。たまねこさまの親族で(顕治)(武太郎)をご存知の方はいらっしゃいますか?
[40]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年04月04日 00時53分35秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm

有明の地名は全国に多いが、いずれも後世に付けられたもので、歴史的地名は越後国磐船郡小泉庄有明(現・新潟県岩船郡神林村大字有明)に限られる。
小泉庄は中御門家領および新釈迦堂領であるが、平家全盛時代は余五将軍平維茂の曾孫城永基が勢力を持っていたものと認識されている。
恐らく有明氏の祖も城氏の配下であり、城長茂が源氏方の源頼朝に付き奥州征伐に従軍した際に共に行動したことが推測される。
城長茂は頼朝没後、再び源氏打倒をはかったが鎌倉幕府軍に負けて越後の城氏は衰亡する。
以後の小泉庄は色部氏および一族の本庄氏が横領して上杉氏の越後統一まで支配する。
城氏と呼称するのは、祖平繁茂が秋田城介だったことによる。
推測だが、奥州征伐後に有明氏は羽後に土着したのではないだろうか。
三つ鱗紋は鎌倉幕府執権北条家一門との姻戚により下賜されたのではないかと思われる。
[41]有明さんからのコメント(2005年04月05日 22時04分59秒 ) パスワード

私も有明姓の由来を調べているとたまたまこのHPを拝見しました。
私の姓も有明です。出身は岡山県です。私の祖父の出は香川県です。
香川県には有明姓が少数ながら存在してます。当然私の親戚なのですが。私も平家の流れをくむと聞いていますが、家紋は丸にだき茗荷です。
東北ばかりの話が出ていますが、西日本にも少数ながら有明家は存在してます。私も全国にあまり無い苗字のため少し興味があって由来を調べたいなと思っています。
[42]ありちゃんさんからのコメント(2005年04月08日 01時17分33秒 ) パスワード

日本の苗字七千傑さんへ
たいへん参考になりました。在所の蔵には刀、槍などあり本物か贋作か真偽のほど不明ですが曽祖父から昔は武士だったと聞いておりました。

香川の有明さんへ
西日本の同姓の親戚はあまり聞いたことありませんのですが、秋田の方にそちらで親戚の方いらっしゃいませんか?電話帳の登録からですと北海道7軒、秋田市14軒、大曲25軒、盛岡、長野1軒ずつであとはちらほらちのこと、九州は0とのことです。
家紋は丸に三つ鱗ではないようですね。
[43]有明さんからのコメント(2005年07月16日 21時29分42秒 ) パスワード

スレが止まっちゃってるみたいで残念ですが…
私は大曲出身の有明です。
家紋は確か二重丸に三つ鱗です。
この夏実家に帰省し墓参りの際、お寺で過去帳を拝見してこようと思ってます。
自分の生い立ちがちょっと普通では無いので、何かあるのではないかと…
疑うのは大変失礼なことだとは思いますが、何か過去にあるのではないかと思えて仕方がありません。
[44]有明さんからのコメント(2009年05月18日 23時56分05秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2009年07月01日 23時45分38秒
[45]いやっほうさんからのコメント(2011年11月08日 00時22分29秒 ) パスワード

誰かいますか?
有明氏のことについて書いてあるサイトがあるので貼っておきます。

有明平右兵衛 (?〜?)
 本庄家臣。天文四年、本庄房長に謀反しようとしたが、事前に察知されたため出奔。房長は捕縛しようと躍起になったが、須貝党の援護により出羽方面に逃走。
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/honzyou.html


たぶん旧神林村有明の住人だったと思います。
そこの有明は色部氏の出身地です。
[46]名無しの権兵衛さんからのコメント(2012年09月19日 20時00分01秒 ) パスワード

僕の家紋は、丸に三つ鱗です。先祖は伊勢の辺りから後北条家に仕えていたみたいです。

そして、僕の姓は石井です。

先祖などに関すればどんなことでもよいので何か分かれば教えて下さい
[74]中瀬さんからのコメント(2014年03月22日 08時54分06秒 ) パスワード

私の家系も丸に三つ鱗です。
偶然、私も祖先探しをしていたところです。
うちの家系は伊勢ノ国(鈴鹿市)でお寺を代々していたのですが、
(曽祖父が分家)私の代であるなら17代くらいになると思います。

私の苗字は中瀬で、伊賀市にも中瀬という町名があります。

どなたか、そのあたりをご存じの方おみえになりましたら教えて下さい。

宜しくお願い申し上げます。

nakase0221(あっとまーく)snow.plala.or.jp
[75]おおまがりさんからのコメント(2015年03月04日 07時44分09秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2016年09月07日 03時48分20秒
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