[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年05月21日 07時10分24秒 ) | パスワード |
古代日本でも名字の調査がありました。
明治になって
4年に「戸籍法」が出来
8年に「苗字必称令」によって殆どの人達が名字を公称するようになったそうです。
名字の無い家としては「天皇家」が有名ですね。
この時に立派な名前を登録した人の子孫は得をしましたね。
源平藤橘姓その他出身なのに分家だからと遠慮して本姓とは違う名字を登録した家は
悔しいでしょうね。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2002年05月21日 07時22分15秒 ) | パスワード |
秀吉のように名字の無い家もあったでしょう。
でもかなりの人達が名字を持っていました。
だけど江戸時代には苗字を許される家は特別な家でした。
明治になって苗字を名乗っていいと言われても・・・
言い伝えのあった家は晴れてそれを名乗ったでしょう。
でも言い伝えの無かった家は?
日本の姓は源平藤橘その他いくつかに限られています。
そしてみんな同じ姓では大変なので住んでる所を混ぜて伊藤と名乗ったり。
だから日本の苗字からは場所が読めますね。
職業も読めますが。
ところが謎なぞの好きなひょうきんなご先祖さまがいたりすると大変。
普通の学では読めない難解な名字をひねり出す。
「小鳥遊」でタカナシさん。鷹がいないから小鳥が翼をノビノビ出来るんですって。
「一尺八寸」でカマツカさん。鎌束は1尺8寸なんですか?
ん〜
読めない!
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年05月21日 07時30分01秒 ) | パスワード |
そこで先祖のつけた名字が余りにも珍しくて生活に不便だと裁判所に変更の届けを出す訳です。
申し立て書に記入して
氏を変えたい理由と戸籍謄本を提出し
裁判官に認めて頂ければ変更が可能です。
確か戸籍法では「やむをえない場合」に限ってたと思いますが
(アメリカの場合はこの部分かなり柔軟だけど)
ここの部分が「日本的」だなと思いますね。
今時は「名字でいじめに遭ってた」なんてのが精神的苦痛という理由になるかもですね。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年05月21日 07時36分50秒 ) | パスワード |
私の母方なんて大坂の役で落人になって姓を「内野」に変えたばかりに
江戸時代の終わりの40年前あたりにやっと「河野」に戻るのを許されましたが
あと40年も待たされたら明治4年の戸籍法で自動的に「河野」に戻る事が出来たのかしら?
それとも、やっぱり「内野」でしか登録を認められなかったのかしら?
そしたら明治になっても「河野」に戻れるように裁判所に訴えを起こしたのかしら?
「名字」
凄い問題だ!
[5] | 川口 信さんからのコメント(2002年05月21日 10時23分26秒 ) | パスワード |
その明治四年の婚姻通知書がありますが、これは分家に婚姻があったため妻を入籍したので本家に通知してきたもので、婚姻先の父、母、娘(妻)の名前、年齢、生国、何々寺旦那などが記載あり、そして当のご本人、裏面には確認したとの達筆な筆書(ふでがき)があり、その当時の戸籍係「東京府戸籍調所」のハンコが捺印されております。戸籍謄本とも違い、そんな制度があったのでしょうか。貴重なものと大事にしております。
だけど現在はその家と連絡は取れていない。悲しいものですね。何時の日か連絡の取れる日を願って。
[6] | 篙 宣宏さんからのコメント(2003年07月03日 21時55分17秒 ) | パスワード |
篙(ふなざし)宣(のぶ)宏(ひろ)と申します。
現在は阿蘇郡久木野村に住んでおります。
父方は熊本県玉名市の出身です。
たぶん こんな名字は珍しいかと メールしました。
[7] | 川口 信さんからのコメント(2003年07月03日 22時22分39秒 ) | パスワード |
篙 宣宏さん、いらっしゃいませ。
ふりがながないとどなたもよめないのではないでしょうか?。
そこで検索しました。すると水戸市、山口県徳山市、と貴家の阿蘇郡久木野村。
最初の2件は「超」難感じ苗字の中にありました。
「ふなざし」と「さお」とも読むみたいです。
由来など御座いましたら是非、お聞きしたいものです
[8] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月04日 00時14分36秒 ) | パスワード |
篙 宣宏さん
初めまして。
珍しいですね。
音で「カ」
訓で「あなぐら」
と読むだろうあたりは分かりましたが
名字ではなんと読むのか見当もつきませんでした。
どのような由来なのか御存知でしたらお披露目をお願いします。
[9] | 川口 信さんからのコメント(2003年07月04日 08時38分42秒 ) | パスワード |
[7]の文字が間違っていまして、失礼しました。
http://www1.odn.ne.jp/~namako/fn_nankanji2.htm
「超」難漢字名字でした。上記URLにあります。
[10] | 太郎さんからのコメント(2003年07月04日 08時40分33秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2003年07月07日 14時58分47秒
[11] | 山本さんからのコメント(2005年03月15日 17時54分45秒 ) | パスワード |
教えて下さい。
先日田舎の土蔵を掃除していたら、私の姓である山本は、明治11年以前は山元だったのです。どうして明治11年に「元」が「本」に変ったのかはわかりません。なぜそれは明治11年なのか、誰か教えてください。
[12] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月16日 10時57分11秒 ) | パスワード |
山本さんへ
初めまして。
全く分かりません。どなたかが答えてくれると良いですね。
お彼岸やお盆お正月など御一族の長老がいらっしゃる時に話題を振ったら良いと思いますよ。
御一族のどなたかが御存知でしょうから。
私が読んだ情報では 山本=山元 となってました。
また「やまもと」を漢字変換すると 山本 山元 両方ありました。
山「本」さんというのが多いように感じています。
私の親戚も「本」でしたっけ。
山本姓は日本で4番目に多いんでしたっけ?山「元」さんは見掛けないような?
姓を扱ってるサイトで山元さんはどこに多いか分かると良いですね。
想像ですが
「山本」ですと左右対象ですから、そういうゲン担ぎもあるかもですね。
「山元」も左右対称に書けますからゲン担ぎのせいとは言えないですね。
それから画数上 山本なら8画 山元は7画 両方とも良いですよね。
どなたか御存知の方が見つかると良いですね。
[13] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月16日 11時02分12秒 ) | パスワード |
宮城県亘理郡山元町
ここは山元さんが多い所なんでしょうか?
元は坂元氏から派生した山元姓でしょうか?
[14] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月16日 11時07分10秒 ) | パスワード |
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/yamamoto.html
小林先生のHPにも山本氏=山元氏で出てました。
家紋はどれになりますか?
[15] | 田中愛造さんからのコメント(2005年03月16日 22時40分47秒 ) | パスワード |
山本《山元》様
先に服部様が言明されてる様に、明治3年に平民の苗字関して、太政官より『自今平民苗字被差許事』と布告あり、翌年戸籍法が発布され、壬申戸籍が成立致しました。更に明治8年太政官布告22号『苗字必称令』により、国民の誰もが必ず苗字を称すべしとされました。当時は、日本の姓の数は約3万(350万人)程でしたが、一挙数倍に増え、又、其れまでの姓も、届けに依っては、山元が山本に生った事も充分考えられます。
元来、山元姓も古くから存在し蝦夷から琉球まで在ります。最も有名なのが鹿児島県に多く見られ出自も様々ですが、島津公より賜った山元氏も有ります。又、士族以外にも、郷士・地士や褒賞による苗字帯刀、大庄屋・名主・御用商人・本陣役と云った人々も姓を許されて居り、ご先祖の地位の有無、出身地・墓所・過去帳・家紋、或いは又、除籍簿等からも見出され山元様の疑問も解ける思います。
[16] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月23日 04時51分36秒 ) | パスワード |
「ひょっこりひょうたん島」の 作詞は山元護久と井上ひさしというのをテレビを見てて気付きました。
山元姓は確かにいらっしゃるんですねえ。
タイトルにやまもと姓というのも居れますね。
[17] | かみやさんからのコメント(2005年06月04日 10時12分58秒 ) | パスワード |
山元(ヤマモト) 姓の人を知っています。
聞くと、こちら彦島 出身と伺っています。
先祖は、鹿児島だったとか仰っていました。
通称 ヤマゲン とお呼びしており、
某電機メーカーの設備調整員で、ある産業・部門の
スペシャリストです。
[18] | 小林雅成さんからのコメント(2005年06月05日 11時42分18秒 ) | パスワード |
URL=http://ww1.tiki.ne.jp/~chigusaya/bframe.htm |
暇潰しのギャンブラー様
>http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/yamamoto.html
これは、播磨屋(T)さんのHPですよ(^^)首都圏でグラフィックデザイナーやってはって、家紋のうんちくHPをつくってはる人です。中国山地の中ほどの町出身で、実はその町には小生のご先祖様が居たといわれている山城があるのですが、まあ、不思議な縁ですなぁ。ちょっといけば柳田國男先生の生誕地やし。家紋と名字から判断して清和源氏新田氏族のようです。農家やいうてはったけど、ほんならやっぱし南北朝でやぶれて浪人して播磨の赤松軍団に再就職した関東武士の末裔で、戦国末期に帰農なんやろうなとおもいます。
>小林先生のHPにも山本氏=山元氏で出てました。
これは、パクリ防止の立場で異なる表記をまとめてます。最近の私見としては山本と山元は違って【元:ゲン】の方は、新羅系統でやっぱ騎馬民族かな?まあ、このへんのことは大阪のカルチャースクールでだべってますので、秋以降日本に起こしの節はぜひいらしてくださいませ。
田中愛造先生へ
ご心配をおかけしました。おかげさまで、術後まだ血が完全に止まってはいませんが、ぼちぼち活動しております。京都よりの高槻は少し不便です。10月から大阪市内のターミナル駅近辺で、家紋講座の話が新たに来ております。こちらの方が便利ですので、また会場、日程が決まりましたらお知らせ致します。病み上がりで用意不足のときに田中先生にお会いするのが恥ずかしいという面もございます。
[19] | 田中愛造さんからのコメント(2005年06月06日 01時50分13秒 ) | パスワード |
小林先生
大手術でした様で・・口先だけのお見舞いで相済まぬ思い出です。
ご無理をすれば後に来ますのでくれぐれもご注意下さい。6月8日も駄目な様ですから、又の機会にお会い出来る事と楽しみに取って置きます。余り構えたカタチで無く生徒に会う気軽さでお願い致します、大阪人ですので(毎度)で結構かと。
私は、前に申し上げたとうり田中先生はやめて下さい!地位も学歴もありまへん。
ご本復を衷心より祈ります。英語に訳すと変な言葉ですね。
[20] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月06日 23時48分24秒 ) | パスワード |
小林雅成さま
失礼をば致しました。
訂正忝うございます。
ぺこり
小林先生は手術をなさっていらっしゃいましたか。
大変でしたね。
お大事に。
我が家はロスの従兄弟が最近とうとう亡くなって
それで昨日までバタバタやってました。
それで今朝こうしてやっと復活(?)です。
無理は10年後に出ると言いますね。
私は手術になるのはイヤなのでノンビリぼちぼち元気でやっていこうと思ってます。
[21] | 前後左右さんからのコメント(2005年07月14日 19時14分18秒 ) | パスワード |
はじめまして
たまたま通りがかった者です。山元姓をよく見る県は、鹿児島ですちなみに松元、坂元、四元などよく見ます。参考になりますでしょうか。
[22] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月18日 05時28分26秒 ) | パスワード |
今日テレビを見てたら(NHKの日本巡礼・心の旅で)隠岐騒動を紹介してました。
慶応4年(1868年)(この年9月に明治改元)の3月19日、
隠岐(当時 幕領隠岐=松江藩が預かっていた)で
松江藩と隠岐島民の間で争いが起きました。
隠岐島民が勝って自治が成ってしまいました。
その後いろいろあり
島民が処分され、名字を変えさせられたそうです。
番組では「森」さんが「吉田」さんに改姓させられ
今でも吉田姓を名乗り
この騒動を記念して「檄文」を読む大役を代々なさっていらっしゃいます。
[23] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月18日 07時23分22秒 ) | パスワード |
http://www63.tok2.com/home/okiyaima2003/komyun323.htm
「隠岐騒動+隠岐コミューン祭」を検索したら
檄文を読む吉田さんの写真が下の方にありました。
農民3000人が決起し松江藩から送られてきていた郡代を追放。
ここに自治政権樹立。
結局は圧倒的軍事力を有する松江藩に屈し
14名の戦死者を出し81日で自治政府は解体。
この時のリーダーの1人が森勝右衛門で最初に戦死。
勝右衛門6代の子孫が上記の吉田さんで「隠岐コミューン祭」で檄文をお読みです。
この騒動は明治政府により鎮圧処分を受け逆賊とされ姓を変えることになったのだそうです。
この「隠岐コミューン祭」は10年前から行われていて早朝開始のようです。
他にも隠岐では仏教が伝わってきた時の喜びの舞の奉納があったりして
「竜王の舞」は平安時代の舞いの原型だなあとテレビを見て思いました。
[24] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月18日 07時40分45秒 ) | パスワード |
隠岐は724年遠流の地と定められたそうです(続日本紀)。
幕末までに3000人をくだらない罪人が流されたそうです。
後鳥羽上皇の御歌が紹介されてたのでこちらでも御紹介:
流された当初の心意気:
我こそは新島守よ 隠岐の海の荒き波風 心して吹け
望郷:
鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに この里出でよ 山ほととぎす
同じ世に また住之江の月や見む 今日こそよそに 隠岐の島守
諦め:
いざさらば ここを都と定むべし 松尾の山のあらむ限りは
まことには 仏の国もよそならず 迷ふかぎりぞ 憂き世とも見る
後鳥羽上皇の身の回りの世話をなさったのが中ノ島の海士町の村上家。
現在は助九郎さんが48代目当主。
[25] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月18日 07時51分50秒 ) | パスワード |
上記の竜王の舞のお話は
天平年間に創建された国分寺で行われる蓮華会舞(れんげえまい)で
中国やシルクロードの影響を受け
日本ではここ隠岐と大阪の四天王寺だけで今は舞われるそうです。
他では消えてしまったそうです。
隠岐の池田町では伝承された120種の舞のうち今は7種だけ舞われるそうです。かな?
重要無形民俗文化財の指定を受けているそうです。
[26] | やまもとさんからのコメント(2005年08月31日 18時41分20秒 ) | パスワード |
山元さんです。
少し話の流れを「山元=山本」へ戻してしまいます。
確かな話ではなくてもうしわけないのですが(^^;ゞポリポリ
私が小さい頃から物知りな祖父に聞いた話です。
戦国時代末、有名な関ヶ原の戦いがありました。
そこへ、薩摩藩主であった島津氏が豊臣側として参戦しました。
ご存じの通り、敗戦に至り薩摩へ命からがら帰ったと言います。
その際、徳川側であった本多氏の執拗な追撃を受けたようで、
そのあまりの執拗さに島津氏が薩摩での「本」の字の使用を禁じたのが
始まりだそうです。
参考としては、テレビや本などでみる「ナンチャラ本」とかいう苗字は
鹿児島では滅多に目にせず、その代わり周りもみんな「ナンチャラ元」という
苗字ばかりです。
確証がないですが、なかなかおもしろい話でした。w
[27] | 布袋竹さんからのコメント(2005年08月31日 23時17分28秒 ) | パスワード |
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/ |
そうですね。
鹿児島では、現在も本より元が多いですね。
山本→山元 坂本→坂元 岩本→岩元
で、ここでtakahiroさんが出てきても良いのに、池家と小松家にも未だ・
大変お忙しいのでしょう。替わりに・
薩摩では、この「本」のほかにも「家」は使えないようになったようです。
これも、徳川家康の「家」に絡むのでしょうか、
[28] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年08月31日 23時25分38秒 ) | パスワード |
>字の使用を禁じた
こういうのは日本中で行われてたようで
明治維新後の皇室でも
お妃に入った女性の名前が前に入った女性の漢字と同じだと
恐れ多いということで漢字を替えたなんて聞いてます。
島津藩ではいくつかの漢字は使用禁止ということを某氏から教えて頂いたことがあります。
5つぐらいだったかしら。
昔は藩によって着る物の柄の制限があったそうで
すごい制限の時代だったから今からでは想像を超えますね。
本多にトラウマを感じたら「本」の字なんて見るのも嫌でしょうね。
ふふふ
[29] | 太郎さんからのコメント(2005年08月31日 23時48分53秒 ) | パスワード |
トラウマで思い出すのは、徳川家康は武田家の真っ赤な鎧の武者たちにさんざん追いかけられて、何度も「これが最期か」と思ったことがあったらしいんですね。
で、それがトラウマだったのだけど、逆にその恐怖の対象と同一化したいと思ったのでしょうか、あとで井伊直正に真っ赤な鎧の武者たちを率いさせたそうです。
そして実際、井伊直正の率いる真っ赤な鎧の武者たちの中には、滅びた武田家の武者たちが沢山いたようですよ。
後に今度は真田家の真っ赤な武者たちに、また追いかけられることになるのですが(笑)
[30] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月01日 02時49分53秒 ) | パスワード |
赤というのは派手なので戦場で良く目立ちますからね。
でも「赤」には「魔除け」の意味もあるんですよねえ。
それで平家の赤旗は赤だったのかな?と。
「黒」もコワイですよね。
相手を怖がらせるというのでは良い色じゃないかと思います。
ワタシ自身は「黄色」が好きなんですが
黄色は中国の皇帝の色だそうで。
ところが今の中国の黄色は日本の「ピンク」に相当するんだそうです。
ピンク映画=黄色映画 あはは
[31] | 太郎さんからのコメント(2005年09月01日 11時58分59秒 ) | パスワード |
どうして黄色が日本のピンクなんでしょう?(笑)
ちなみに、ずっと前カンフー映画を見ていたら、中国の女性の下着が真っ赤でした。
悪いカンフーの使い手に、良いカンフーの使い手(女)が服を脱がされちゃう、という場面で、それが見えたのです(笑)
で、多分ひどいことをされたのでしょう、その後の場面では頭がおかしくなっていて、主人公がその女性の仇をうつ!!という展開でした。
ジャッキー・チェンの映画だったかなあ?
話がそれましたが、どうして真っ赤な下着だったのだろう?
昔の中国の女性は、みんな真っ赤な下着だったのかなあ?
[32] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月01日 12時39分32秒 ) | パスワード |
>昔の中国の女性は、みんな真っ赤な下着だったのかなあ?
太郎さん
赤は「魔除け」の意味があるんです。
それで中国の人は赤が好きで下着もド派手な真っ赤なパンティにブラなんですよ。
日本人は下着は綿で白というイメージでしょ。最近はベージュが流行ってますけど。笑
国民性の違いですね。
最近の若い日本人女性は「勝負パンツ」なんて言ってド派手なのをつけてるらしいけど。
そういえば日本でも真っ赤な腰巻というのが昔の日本女性の着物の下のイメージでしたっけ。笑
多分若い人は知らないわよね。
私の元同僚の中国人女性が何やら赤い糸をつけてましたっけ。
お札を下げてるのかそこまでは知りませんが。
魔除けだろうというのは分かってました。
身体の弱い人でしたから訊かなくても魔除けなんだって分かりました。
[33] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月01日 12時45分52秒 ) | パスワード |
安倍晴明のスレッドで紹介したURL
http://pengzipk.hp.infoseek.co.jp/02/iro.htm
面白いですよ。
黄色について
>現代では、ワイセツなどの意味がある。
>黄色小説はポルノ小説。
>黄色録像帯はポルノビデオという意味になる。
緑の項も面白いですよ。
大陸での緑の意味は100%知らなかったです。
私には台湾の長栄航空の緑のように「長寿」の緑しか知らなかったです。
ふふふ
どうしてこういうバカ話って楽しいんでしょうね。
[34] | 太郎さんからのコメント(2005年09月01日 12時53分51秒 ) | パスワード |
緑にまで変な意味があるんですねえ!!
僕は緑も好きなんだけどなあ!!
色には、色んな意味があるんだなあ… なんちゃって(笑)
[35] | 暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年09月01日 13時08分44秒 ) | パスワード |
そうですね。
あのURLを知ってから中国人に「私は黄色が好き」と言うのはマズイと思いました。
笑
そういえば今年は「酉年」でしょ。
中国語で雌鳥は売春婦って意味があるって聞きました。
だから「酉年」を英語で言う時は「ルースター」(雄鶏)を使わなきゃマズイって。
笑
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