[1] | 川口 信さんからのコメント(2002年05月10日 20時07分25秒 ) | パスワード |
櫻間さん 初めまして。
お探しの「よしとう」の漢字の書き方が出ていました。「櫻間 平家物語」で検索しましたら、下記URLの索引の部分です。
☆「平家物語・巻十一」 此の邊に、平家の後矢射つべい者はいないか。」「阿波民部重能が弟、櫻間介能遠とて候。」「いざさらば蹴散らして通らん。」近藤六が勢百騎許が中より、三十騎許すぐり出いで我勢にぞ具せられける・・・
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/heike/Ano11He.html
念のため「志度合戦」の一部をコピー
判官志度浦に下居て、頸共實檢しておはしけるが、伊勢三郎義盛をめして、宣ひけるは、「阿波民部重能が嫡子、田内左衞門教能は河野四郎通信が、召せども參らぬを責んとて、三千餘騎にて、伊豫へ越えたりけるが、河野をば打泄して家子郎等百五十人が頸斬て昨日八島の内裏へ參せたりけるが、今日是へ著ときく。汝行向て、ともかくもこしらへて具して參れかし。」と宣へば、畏て承り、旗一流給はてさす儘に、其勢僅に十六騎、皆白裝束にて馳向ふ。義盛教能に行合たり。白旗赤旗、二町許を隔てゝゆらへたり。伊勢三郎義盛使者を立て申けるは「是は源氏の大將軍九郎大夫判官殿の御内に、伊勢三郎義盛と申者で候が、大將に申べき事有て、是まで罷向て候。軍合戰の料でも候はねば、物具もし候はず、弓矢ももたせ候はず、あけて入させ給へ。」と申ければ、三千餘騎の兵共、中を開てぞ通しける。義盛教能に打雙て、「且聞給ても有るらん、鎌倉殿の御弟九郎大夫判官殿院宣を承て、平家追討の爲に、西國へ向はせ給て候が、一昨日阿波國勝浦にて、御邊の伯父櫻間介殿討たれ給ぬ。昨日八島に寄せて御所内裏皆燒拂ひ、大臣殿父子生捕にし奉り能登殿は自害し給ひぬ。その外の君達或は討 死に或は海に入り給ひぬ。
とりあえず判った事だけですが。「阿波民部の弟」とありますのでその辺から調べればと思います。
[2] | 川口 信さんからのコメント(2002年05月11日 00時07分35秒 ) | パスワード |
続き
他スレッド完訳「平家物語」第十二章の二をお読みになれば同様の文章が出てきます。さらに阿波民部重能の嫡男田内左衛門教能の名前が見出せます。ご参照のほど。平家物語にも色々な種類がありますので。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年11月08日 16時48分12秒 ) | パスワード |
川口さまご紹介の「電子図書:源平盛衰記42章」にも出てらっしゃいました。
こちらでは「良遠」でした。
S4202 勝浦合戦附勝磨並親家屋島尋承事
判官虜の者に問給けるは、平家軍兵は、屋島よりこなたには何の所にか在と宣ふ。此より三十(さんじふ)余町(よちやう)罷候て、阿波民部大夫(たいふ)の弟に、桜間介良遠と申す者こそ五十(ごじふ)余騎(よき)計にて陣を取りて候へと申。さては小勢や打や/\とて押寄、時を造る。城内にも時も合たり。良遠は大堀を掘て水を湛、岸に■(ひし)植櫓掻て待受たり。輙く難(二)責落(一)かりけるを、源氏の兵其辺の小家を壊堀に入浸して、■(しころ)を傾一味同心に責入ければ、城内乱て我先にと落行けり。良遠を延さんとて、家子郎等三十(さんじふ)余騎(よき)残留つて禦矢射けるが、一々搦捕れて、忽(たちまち)に首被(レ)刎、被(レ)祭(二)軍神(一)。
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