[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月13日 23時02分32秒 ) | パスワード |
当時、伊豆の目代は山木判官兼隆で、三島の近在大場という所に屋敷を構えていたが
国府に出仕するのは稀で、
実務は在府官人の北条四郎時政が父・時方の後を継いで取り仕切っていた、そうです。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月13日 23時12分02秒 ) | パスワード |
<続き>
この北条時方という人物について更に詳しく書かれていました:
北条時方は部門平氏の末流で
その血縁により伊豆介という官職を得て
伊豆・田方郡(たがたごおり)の北条(現在の静岡県韮山町)に屋敷を構え
北条氏を通称した。
北条時方はなかなかの野心家で
伊豆介という卑職にはあきたらず
関八州一円にはびこる源氏に接近を図り
氏長者である源 為義に自分の所領である鎌倉の地を贈り
その歓心を得ようと努めた、
のだそうです。
時に保元の乱が起こり
崇徳上皇方に味方した為義は惨敗して処刑。
時方は失望の末、間もなく死んでしまったそうです。
「鎌倉」がここで出て来たのにはビックリしました。
頼朝と鎌倉の関係がちょっと先入観と異なりました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月13日 23時18分10秒 ) | パスワード |
幸い、時方と為義の関係はバレずに終わったが
兼隆は時方の異心を薄々感付いていた節があるそうです。
こうして時政は時方の死後在府官人の職を得
時政は平治の乱で流されて来た頼朝の監視を命じられる事になった。
山木は時政を凌ごうと時折それを口にする。
時政は兼隆のその当てこすりに悪感情を抱いた。
2人の仲は抜き難いものであった。
こういう所に文覚が流されて来た。
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