[1] | 川口 信さんからのコメント(2002年04月03日 10時09分59秒 ) | パスワード |
「大河兼任の伝説」というURLがあります。
文治5年、伊予守義経と号して、あるいは左馬頭義仲の嫡男朝日冠者と称して、秋田仙北郡において乱を起こすとある。背景などは下記に。
http://st.rim.or.jp/~success/ohkawa kane.html
に詳しくアップされております。
[2] | 川口 信さんからのコメント(2002年04月03日 10時19分54秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2002年04月03日 10時22分39秒
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月03日 10時20分04秒 ) | パスワード |
大河兼任:生年不詳・没年建久元年3月10日(西暦1190.4.16)
以下は私の調べた事と「苗字・名前・家紋の基礎知識」より←別冊歴史読本・新人物往来社
藤原泰衡の郎従で秋田城に勤務していた大河二郎兼任は
文治5(1189)年、主人・泰衡が滅んだ後、
従来の権益を制約されたため
津軽で挙兵。
木曾義仲の子・朝日冠者と名乗り
泰衡の仇討ちと称して、
7000騎を率いて鎌倉に向けて進発。
裏切り者(泰衡の武将で鎌倉側に捕らえられ頼朝に下だった)由利中八維平を小鹿島に攻め
宇佐見実政津軽に攻め
その勢1万を超え
頼朝の命を受けた千葉介常胤や足利義兼らを翻弄し
秋田城を経て
大関山を越え
多賀国府を過ぎ
志加の渡しを渡ろうとした時
にわかに結氷が解け軍兵が溺死するもの5000に及び
たちまち勢いを減じ
敗走の途中の山の中で立派なみなりを怪しまれ
木樵数十人に取り囲まれて斧で殺されたのだそうです。
この間わずか3ヵ月余。
なんか明智光秀の最期を思い出してしまいました。
[4] | 川口 信さんからのコメント(2002年04月03日 10時25分43秒 ) | パスワード |
上記アドレスに欠落がありました。すみません。
http://www.st.rim.or.jp/success/ohkawa_kane.html
でした。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月03日 11時36分17秒 ) | パスワード |
残念ながら私のマシンでは行けなかったので「大河兼任」で検索しましたら
28件ヒットしました。
その中で出色のURLをご紹介します。
http://www.hi-net.ne.jp/~ma/ookawa.html
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月03日 12時05分50秒 ) | パスワード |
こちらに「奥州合戦」後、鎌倉よりの地頭による「制約」やそれに反発する兼任らの「叛乱」について経緯が詳しく書かれていました。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gi11496/00/0e-002.html
上記HPの管理人さんとどのように連絡を取って良いのか分からなかったので
自己削除しました。
大河兼任とは鎌倉幕府の搾取に対して最初の1矢を報いた人物ということですね。
以降「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺が定着ですか。。。
自分達の農作物がヨソに持って行かれると知って反発し
同じ考えの百姓衆7000人を束ねて一揆を起こし
地頭の橘公業を襲った為に後には引けなくなった兼任の半生は
日本の百姓一揆の先駆けとして歴史に記るされるべきですね。
[8] | 川口 信さんからのコメント(2002年04月03日 15時20分41秒 ) | パスワード |
度々すみません。私のマシンでもアップできませんでした。
http://www.st.rim.or.jp/~success/ohkawa_kane.html
これが正しいアドレスです。何時も間違ってすみません。自分で打って行っていたので。今度はアップした時にアドレスをコピーし、コメント欄で貼り付けしましたので間違いないと思います。
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月03日 22時13分45秒 ) | パスワード |
http://www.st.rim.or.jp/~success/ohkawa_kane.html
やっと行けました。
ありがとうございました。
詳しいですよね。
こちらのは兼任の悔しい思いが伝わるようでした。
[10] | たまねこさんからのコメント(2002年04月06日 01時18分21秒 ) | パスワード |
大河兼任、何だか怪しい人物のような気がしてまいりました。
私が怪しいと思った理由。
その1:「吾妻鏡」には、主人の泰衡の弔い合戦とありますが、頼朝の平泉攻撃の時は、全く動いていない。泰衡とそれほど密接な関係ではなかったというので、直接の原因は一体何だったのか?
その2:八郎潟で、湖面の融氷により5000人を溺死させたとありますが、かなりの人数の遭遇であったにもかかわらず、遺物の出土は確認されていない。
その3:上記のHPにもありましたが、何故、敵の武士ではなく、樵夫に殺されなければならなかったのか。いくら着ているものが田舎臭くなかったからといって、樵に怪しまれてどうこうというのは、何だか変ではありませんか?首に賞金でも掛かっていたのかしら。
その4:樵に殺害されたのは、兼任ではなく、息子の兼友で、実は栗原寺の僧になって生きていた…そんな伝説までありましたか〜。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月06日 12時04分22秒 ) | パスワード |
>主人の泰衡の弔い合戦
これが「大義名分」ですね。
>直接の原因は一体何だったのか?
要するに「利権争い」ですよ。と今の言葉ではそう表現するのかしら?
「既得権」が脅かされたから。と政治経済上は表現するのかしら?
従来の権益を鎌倉に制約されたから、というのがお上品な学術的な表現のようですね。
>頼朝の平泉攻撃の時は、全く動いていない。
これは義経討伐が鎌倉の大義名分だったからではありませんか?
泰衡も自分まで討伐されるとは思っていなかったようですし。
ですから兼任は奥州の危機など全く考えてはいなかったのでは?
義経の死が旧暦閏4月30日(今のカレンダーでは6月15日)
泰衡の死が9月。大館で家来の河田次郎に殺されたそうです。
能代に出て北海道に渡るつもりだったそうなので兼任は待ってたのかしら?
兼任挙兵を欲得の方から理解すると
鎌倉から地頭が来て自分の収入に影響が出て初めて気がついた
と悪く?解釈されるわけで
これがそうだったなら奥州合戦の意義を全く理解していなかった普通の人だったから
となるのでは?と。
後から思えば義経と一緒に泰衡も片付けられたというのは分かりますけど
当時は分からなかったと思います。
頼朝は日本史上最高の戦略的大政治家の1人ですから。
泰衡がまさか家来に殺されるとは思っていなかったんじゃないかしら?
>何故、敵の武士ではなく、樵夫に殺されなければならなかったのか。
単騎だったように読みましたけど
逃げる途中で裏切りがあったのかな?と。
明智光秀も土民に殺されましたし
兼任が木樵というのはそうだろうな、と。
平安時代の終わり頃から落武者を襲って殺して衣類をはいで売ったりしてたそうですから
兼任が単騎ウロウロしてたのが「いいカモが来た」とばかりに襲われたのでは?と。
「落武者狩り」という言葉がありまして
日本の非武士男子にとっての楽しみだったそうですよ。
>樵に殺害されたのは、兼任ではなく、息子の兼友で
これは英雄伝説の1つなのか
実際に息子が身代わりになったのか
義経ゆかりの栗原寺に逃げたというのが私には「謎」なのですよ。
逆に栗原寺から来て貰っては困ると木樵を教唆して殺させたのでは?と私は疑ってます。
想像が広がって行きます。
地方の名もない武士が、頼朝相手に戦ったからこそ日本史に名を残した、って
私は誉めてあげたい。
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月06日 12時12分46秒 ) | パスワード |
日本語で表現すると鎌倉に「ひと泡吹かせた」ですね。「1矢報いた」とか。
武士だったらそうしたかったというのを実行した人、って思う。
最期はみじめですが。
それだからこそ「兼任、よくやった!」という人が生存説をこしらえたのかしら?
息子が木樵に殺されそうになったのを兼任が身代わりになって殺された
という方がお話としてはもっと楽しめるのですけどね。
その方が日本人好みでしょうね。
[13] | たまねこさんからのコメント(2002年04月07日 03時18分52秒 ) | パスワード |
何だか、哀れな兼任さんだったのですね。でも、お話が後世に伝えられただけでも、武士としては幸せだったのかも。当時、活躍されていた方でも、今の時代まで、名前が残る方は少ないでしょうから…
「落ち武者狩り」なんて、今の「オヤジ狩り」みたいなもんですか?おお、こわっ!
[14] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月07日 23時14分46秒 ) | パスワード |
>「落ち武者狩り」なんて、今の「オヤジ狩り」みたいなもんですか?おお、こわっ!
そういう風に考えれば「落武者狩り」も「オヤジ狩り」も日本的風俗という事になる?
これは大発見でした。
日本的風俗では言葉が過ぎるとしましたら「人間の本性」なのでしょうね。
そうか、日本人は昔っからたいして変わってはいないのか。。。と。。。
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