[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月30日 12時34分25秒 ) | パスワード |
どなたか詳しい方はいらっしゃいませんか?
お気の毒なご生涯でした。
崇徳天皇の第1皇子で
生まれて翌年(1141年)には親王宣下。
1150年元服。
当時順当な皇位継承者と考えられたのに
反崇徳天皇派によって即位を阻まれ(近衛天皇即位)
近衛天皇が17歳で若死になさると
後白河天皇が皇位に就いて再度即位を阻まれ
こうして後白河天皇と崇徳上皇との対立が激化し保元の乱(1156年)が勃発。
重仁親王は乱後、仁和寺に入り
寛暁大僧正の許で修行し
1162年が明けて間もなく足の病でお亡くなりに。
「今鏡」に詳しいそうです。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月30日 22時38分49秒 ) | パスワード |
>仁和寺の『華蔵院』とは、どこにあったのでしょう。
仁和寺に問い合わせたら良いと思いますが
普通、ご存じない方が多いのです。
興味の無い方も沢山いらっしゃいますので。
こういう場合は規模の同じぐらいの大きなお寺の配置図で『華蔵院』が何処にあるものか
いくつか当たってみるのが良いかと思いますが。
特に宗派が同じお寺さんが良いのではないでしょうか?
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月31日 11時43分11秒 ) | パスワード |
>そこで私は無理やり、『旅をしたんだ。』と仮定しました。
ロマンですねぇ。
実際はどうだったのでしょうね?
崇徳天皇は配流の上幽閉。
その子は罪1等免じてお寺に入れた、というのが定説?
罪を得ていなくても身分の高い余分なお子はお寺に入れるお話をよく聞きますね。
後白河さんも足利義昭将軍も。
以仁王の場合、
源氏方にかつがれて馬に乗って逃げなくてはならないのに落馬続きだったとか。
運動系は苦手な親王さんという感じは現代でも連想しますが。
親王さんの場合で「戦う親王」は後醍醐天皇のお子さん達は確かにそうなさいました。
重仁親王はどうなさっていらっしゃったのでしょうね?
私は「足が悪くて亡くなった」という情報から「歩き回れなかった人」と思いました。
ですから「旅に出た」というのは無いのでは?と。
ただ・・・
私が思うには「暗殺」されたのではないか?と。
それで足が悪くて亡くなったと記録されたのかしら?と。
糖尿病?
脚気?
若くても足が悪くて命に関わる?
どんな病気?
身体障害を持っていたら、
いくら崇徳天皇でも我が子を皇位にとは願わなかったのでは?
ですから足が悪くてというのは「死」の理由付けだけだったのでは?と。
崇徳天皇の激しさからしますと
その子も激しい気性を受け継いでいたかも。
そうしますと「旅に出た」というロマンは充分納得出来ます。
ここで「足が悪くて死んだ」とはどういう意味だったのか?
謎ですね?!
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月31日 14時28分52秒 ) | パスワード |
乱が勃発して守られて落ちて行ったというのは充分考えられますよね。
それにしても「足の病気」って?
仁和寺が当時どういう立場にあったかでも変わって来ますよね。
仁和寺=経正が連想されます。
経正のXXの相手の親王さんがいたとか。
ここは親王さんをお預かりするお寺の1つだったから重仁親王もお預かりした?
謎が謎を呼びますね。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月31日 22時10分52秒 ) | パスワード |
「足の病」
私は「足に傷を受けて」それで亡くなったと思ったのですけどね。
もし中年だったら糖尿病とか通風とか脚気を想像しましたが
そういう年齢じゃないですものね。
若いだけに足をどうかされて、それが元でお亡くなりになったのでは、と。
破傷風とかね。
最初は暗殺されたのかと思いましたが
崇徳天皇崩御の2年前にお亡くなりですから
ついでに始末されたという訳じゃないな、と暗殺説は諦めました。
親王さんが足の折れるような運動するなんて考えられないし病気も考えられないし
だったら何で?
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月02日 09時22分30秒 ) | パスワード |
高松では重仁親王は「頭痛」に悩んでいらっしゃった?
民間伝承では「頭痛」で
書き残されたものでは「足の病」ですか。
う〜ん・・・
[19] | そりちゃんさんからのコメント(2002年07月23日 23時06分41秒 ) | パスワード |
そうなんですか〜。でも、もしかしたら直接忠実公でなくても彼に
関係する方がご先祖なのでは?それか正史にはないけど子羊さんの
ご先祖のある娘さんが彼の子供を生んだとか。
なにか理由があると思いますよ。
滋野氏が自らを天皇と呼んだのも、たぶん領地を追われて漂白の民と
なったりして、苦労したけど自分達は選ばれた一族なのだっと
一致団結するためのものだったのかな、と。
当時所領を守ることはかなりの労力だったのでしょうし。
子羊さんもご近所の神社にハマっているのですね。
実は私も実家の近くにお宮参りまでした
「大六天神社」があってすごくそこが気になっているのですよ。
神社庁に電話して聞いてみたのですが、登録されていない神社で(!)
御祭神がわからなくて・・・。
なんで、こんなに気になるのか、自分でもわからない。
今度帰省したら、神社のご近所の方に聞いてみようと思っています。
<そこで、『重仁親王の行方』を掴めば明らかになるのでは、と思っています
そうですね、気になるということは、何かあると思います。
私もいままでそうでしたし。
そうそう、親王の「足の病」ですが、忠実公が「知足院」と
呼ばれていたことに関係してたりしないですかね。
[22] | ゆうこさんからのコメント(2003年02月19日 14時11分25秒 ) | パスワード |
重仁親王と元性法師って違う人なんですか?同じのとそうでないの両方見るけど元性のほうは出家する前の記録がないみたいだし、めんどくさいので(笑)同一人物ということにしちゃってました。それに「写経を返され、たった一人の皇子の死を聞いたとき院は爪も切らず・・・」という前に見た本の印象が強くて。まあ発効日は昭和でしたが。
[24] | 巫女さんからのコメント(2015年08月21日 22時58分37秒 ) | パスワード |
同じ名前で 重仁です。
天皇になれなくて残念です。
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