[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年03月27日 00時30分25秒 ) | パスワード |
以下メールより:
最近よく思うんだけど、
1189年の奥州合戦て、
実は小型の民族大移動だったんじゃないかって(もう「小型」どこじゃないか)。
あの時、頼朝は28万の大軍を連れていったというんです。
でも、軍事力としちゃ、大きすぎる気がしません?
武田信玄の時代でさえ3万もあれば大軍で、数千程度が普通でした。
昔は領主の移動に伴って領民もついていったと言われるんですけど、
奥州合戦も、そういう移民が非常に多く含まれてたんじゃないかって気がします。
もちろん、あの数値そのものが疑わしいけど。
東北は非常に植民地的な経済構造になってるんです。
面積の割に非常に人口が少ない。
それでも、あの辺の人は関東に出稼ぎに来るんです、今でも。
でも、江戸時代には間違いなく北海道に出稼ぎやってるんです。
特に南部藩下北半島の出稼ぎは有名です。
そして、東北には関東と「同一の」地名が非常に多い。
久慈郡(岩手)、志太郡(茨城)。
どっちとも、常陸の国にあった郡です。
これやっぱ、関東の人が移民して開発したらしいんです。
似たような例だと安房の国があります。
安房の語源は「阿波」で、阿波からの移民が開発したと言われてます。
「八犬伝」にも書いてある。
で、安房には「平群」って郡があったんですよ。
これ、奈良県にある地名なんです。
これって、古代に安房〜畿内からの移民による開発を示してるんでしょうね。
関東の影響力が強かったことは、豪族にも反映されてて、
東北の戦国大名の大半は関東御家人なんです。
相馬、国分、武石・・・これ千葉氏なんです。
伊達も芦名も関東の人。
現地出身らしいのは安藤(秋田)、由利、田村ぐらいかな?
あと全部関東。
で、前の論理に照合すると、
関東からの移民が東北に大量入植し、
その支配者が関東の武士だった・・・ってことになるんでしょうね。
これはある種の民族大移動って気がします。
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