[1] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 14時31分10秒 ) | パスワード |
ゆっこさん
タイトルに「登根氏」を加えさせて頂きますね。
その方が情報が集まり易いと思いますから。
手登根氏というのは沖縄のご名字のようですよ。
こうして考えると平家が沖縄に逃れたというのも本当みたい。
登根さんとおっしゃる映画関係の方もいらっしゃいますね。
それから登根孝之氏は芦屋セントマリア病院(兵庫県芦屋市大原町5-20)で管理人さんをしていらっしゃる。
電話番号:
23-1771
http://www2.tip.ne.jp/~kondou00/hikoreki2.htm
では彦島の河野さんとおっしゃる先生が登根氏について
建保3年(1215) 平重衝の郎党冨田刑部之助久次、登根金吾忠光が彦島に入島
とお書きです。
漢字は平重衡が正しいのでは?と思いますが。
平家が滅びてから30年後ですねぇ。
忠光というので有名なのは藤原(または伊藤)忠光ですが
兄弟で頼朝の命をつけ狙ったことで有名ですね。
父親は藤原(伊藤5)忠清。
弟は景清。
年齢的には合いますが
でも同一人物かどうかは分かりません。
登根氏は藤原(伊藤)忠清と関係があるのでしょうか?
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 14時42分36秒 ) | パスワード |
平重衝(平重衡?)の郎党冨田刑部之助久次、登根金吾忠光:
伊勢の地名に富田とか、名字に富田姓があったと思いますが
伊勢か伊賀に登根という地名があったら有力ですね。
「金吾」というのは漢語で天子さまの護衛兵という意味です。
将軍と訳しているのを見たことがあります。
藤原忠清の息子の忠光だと思いますがねぇ・・・
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 14時57分54秒 ) | パスワード |
刀祢/刀禰
この地名から何か得られるといいですね。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 15時16分04秒 ) | パスワード |
沖縄の手登根さんは「てどこん」さんとお読みするようです。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 15時38分27秒 ) | パスワード |
あっそんさんお書きの「平家12苗祖」の第1陣に河野通次というのが出ていますが
上記の河野先生作成の表のもう1つ前の時代の表に
保元2( 1157 )年 保元の乱に敗れた伊予勝山城主河野通匡の嬢子通次、
園田一学尚久、二見右京勝貞、河甚六安友、片山藤蔵正直、柴崎甚平信重ら
彦島に落ちてくる
とありました。
嬢子というのは意味が分かりませんが「嫡子」の間違い?または娘の子供?
それとも長曽我部元親のように幼い当時は姫君のようだったという意味?
河野先生は彦島にお住まいのようですから
お訊ねになったらいいかもですね。
そして情報をこちらにもお知らせ下さい。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 15時47分07秒 ) | パスワード |
私の母方も伊予河野の出身で私は河野の84代目なので
この河野先生とは繋がってるかもです。
我が家は特に明治維新後は宇摩(川之江系)河野氏です。
鎌倉時代末期は北条市の柚之木谷住まいでしたが。
南朝方です。
河野先生が河野氏にご興味がおありでしたらお近付きになりたいです。
景浦勉先生にはご紹介まで頂いたのですが遠慮してお会いする機会を持ちませんでした。
と、お伝えして下されば、私がどの程度か、お分かりになって下さると思いますが
もし河野先生にお会いなさることがありましたらよろしくお伝え下さい。
[7] | 隈さんからのコメント(2002年01月16日 11時15分24秒 ) | パスワード |
ゆっこさん、どうも初めまして。
登根姓の由来をお探しとの事。
主な苗字の出自を検索できるサイトで調べてみたら、「登根」姓は比較的珍しいのか、
残念ながら出てきませんでしたが、「刀根」姓なら現在三重県に多い、と出ていました。
参考になるかどうか分かりませんが、「登根」さんと「刀根」さんが同系の可能性も否定できないと思いまして。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2002年01月17日 01時22分50秒 ) | パスワード |
「刀根」姓って三重県に多いのですか。
はぁ〜
やはり「とね」さんが伊勢・伊賀系+平家というのは確かのようですね。
私が調べた所「戸根」姓というのは大昔の姓だそうですが。
もともと「戸根」という地名や姓があってそこから派生したのかも知れませんね。
刀祢/刀禰はちょくちょく見掛けますが・・・でもどこで?・・・記憶に無いです。
利根というのは関東でしょう。
[9] | 中禰兼治さんからのコメント(2005年08月31日 13時30分11秒 ) | パスワード |
URL=http://www.proid.co.jp |
服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 14時57分54秒 )
たまたま、ここに出くわしました。私は中禰と申します。江戸時代までは
代々、日本海の曽々木海岸で加賀藩配下の刀禰部落の庄屋をしていて、
いつの頃か、刀禰姓ばかりなので姓を中禰に変えたと、過去帳にあります。
元をたどれば、西暦1000年頃に琵琶湖の堅田三豪族の刀禰家・居初家・
小月家のひとつで、平家に付いて壇ノ浦でボロ負けして一族は中国、四国
近畿地方へと散り散りになり、私の先祖は平家の時国家に付いて能登半島に
逃げ落ちて、当時は陸の孤島の曽々木海岸にたどり着いて住み着いたと
聞いています。
[10] | 中禰兼治さんからのコメント(2005年09月01日 16時25分30秒 ) | パスワード |
中禰です。前項の書き込みに少し補足させてください。
堅田三豪族の刀禰家は湖賊で、琵琶湖を往来する船の自由通行権を
持っていて、積み荷の1割を徴収していたそうです。ある種の水軍
のようなものです。
後に刀禰家の当主(作家:吉川英治はこの当主を刀禰弾正介と記して
います。)平家の傭兵となり、壇ノ浦の合戦に参加するのですが、
残った堅田湖賊は後に織田信長の安土進出で滅ぼされてしまいます。
結果として、平家に付いていって源氏に負けたけれど、平時忠に付き添って
奥能登に配流された結果、戦国時代を経て私の曾祖父の代まで、曽々木海岸の
真浦で700年近く代を重ねられたのはラッキーだったのでしょう。
ただ、血筋というものほどアテにならないものはなくて、絶対途中で養子が
入ったりで継いでいるのは名前だけかと思います。
我が家と平家との関わりは以上の様な事とされていますが、琵琶湖の湖賊の
前の事は親族が集まっても皆目分かりません。もっと以前から平家筋と関係が
あったのか興味があります。
[11] | 服部 明子さんからのコメント(2005年09月01日 23時33分18秒 ) | パスワード |
中禰兼治さま
はじめまして。
経正でしたっけ?
琵琶の上手。
この人は琵琶湖の竹生島で秘曲を奉納したとか言われてますから
琵琶湖にゆかりがあったかもですね。
経正関係で調べたら平家との繋がりが出て来るかもですね。
>西暦1000年頃に琵琶湖の堅田三豪族の刀禰家・居初家・小月家のひとつ
滋賀の琵琶湖あたりの地元史を調べたら書かれていると思います。
滋賀県教育委員会の歴史編纂所に資料があると思いますので取り寄せたり
大きな県立図書館などにも置いてあるので
機会があったら滋賀県にいらっしゃったりなさったら詳しく分かると思います。
確かに湖族は歴史的に分かってますものね。
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