[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 23時19分57秒 ) | パスワード |
さちこさんの書き込みより転載:
宗清が平から柘植に変えてますが、
伊賀から少し大阪の方へむかうと都祁というインターがあります。
同じくツゲと読みます。
この都祁というのは古くからあって、日本書紀にもでてくるとか。
三輪山の近くに弓月嶽というのがあったらしく、
昔は秦氏など新羅系の帰化人の始皇帝に関する信仰の地だったそうです。
そこに服部と都祁の地名が並んで出てくるのです。
なんか無関係に思えなくて・・・。
平家以前都祁を名のっていたのを柘植の字に変えたのではと。
なんの根拠もない勝手な推測ですが。
どう思われますか?
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 23時42分31秒 ) | パスワード |
<祁>
この字って、普通「キ」「ギ」と読むけど日本語では使われませんよね。
日本語で出て来るのは「三国志」の中で諸葛孔明が戦った<祁山>だけのようです。
あとは地名で<都祁>インターで使われてるだけでしょうか?
ですから古代帰化民族にとって懐かしい地名を記録してるのでしょうね。
宗清の<柘植>はつげの木を植えた記念に我が一族が再び栄えるようにという願いだと
思いますが。
でも「つげ」という音は古代から続いてたのかもね。
昔、帰化人が伊賀に土地を貰って移って来た時の土地が「つげ」とでも
呼ばれていたのでしょうか?
一からやり直すといいうことで?
なかなかロマンがありますね。
[3] | 川口 信さんからのコメント(2002年02月25日 09時03分38秒 ) | パスワード |
これで終わりになってしまうのではもったいないので、一言、二言。
源頼朝の使いで安達藤九郎盛長(比企の尼の婿)が伊賀の国に赴き、阿拝郡、山田郡三十三ヶ村を平宗清に与えたと言うことです。柘植氏を名乗ったのは前コメントの通りです。
柘植の由来
http://www.e-net.Or.jp/user/kosumosu/igaminwa/minnwa2.htm
壬申の乱ー5「柘植ー関」コース
http://www.yunisys.co.jp/KANSAI/manyo/32/2-1.html
に書かれております。なので柘植の下地はあった訳けになります。
話は違うがまだ平家全盛の時代:「吉備群書集成」中に「門出村・・和気郡・・宅地の後という所があり、播州の石田の庄、美作弓削の庄、備前佐伯の庄、三箇所平宗清に賜るとあり、石田の庄内に居りし頃は寿永年間の事なり、宗清の子孫刑部と言いまた、四郎左衛門ともいう。
また「美作略史」に御鳥羽天皇、元暦甲辰四月六日源頼朝、平頼盛に弓削荘を与うとある。
数年前になりますが岡山県和気郡和気町の川口家から手紙を頂きましたが、家紋は「鷹羽違」でありましたが、その地が宗清のゆかりの地であることを知ってか知らずか。これも偶然の一致か?。
平頼盛が尾張守となるや平宗清はその目代となった。それで野間の件は納得できます。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2002年02月25日 12時12分56秒 ) | パスワード |
http://www.e-net.Or.jp/user/kosumosu/igaminwa/minnwa2.htm
地名・柘植の元は「ざくろの杖を植えた」というお話が基でしたか。
根の無い杖でも根が生えたという故事にあやかろうとしたのですか。
この宗清の心境というのはほろりとさせるものがありますね。
[5] | 川口 信さんからのコメント(2002年02月26日 15時39分27秒 ) | パスワード |
壬申の乱ー5「柘植ー関」コース
のホームページのアドレスが違っていたみたいですみません。
http://www.unisys.co.jp/KANSAI/manyo/32/main.html
でした。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2002年02月26日 23時09分50秒 ) | パスワード |
変更ありがとうございました。
私のマシンは古いので、それでつながらないのか、と諦めてました。
天武天皇の敵であった大友皇子は母が「伊賀采女宅子娘」いがのうねめのやかこのいらつめ
で伊賀の豪族の娘だろうと言われています。ちなみに父は天武の兄の天智天皇です。
大友皇子は漢詩文にも秀でていて博学で多くの知識に通じていて群臣は畏れ服従していた
そうです。
大友皇子のブレインは百済出身の学者達であり
また政治的側近は蘇我氏や中臣氏だったので
要するに「古い」という事でした。
対して天武天皇の政策は新羅との親交にしようという「新しい」構想。
壬申の乱は単なる皇位継承問題ではなく「新旧の衝突」だった、というのが
辞書に書いてありました。
[7] | さちこさんからのコメント(2002年02月26日 23時40分09秒 ) | パスワード |
明子さん
さすが凄い!
伊藤家と服部家の対立は百済VS新羅にさかのぼると考えていたので。
壬申の乱服部家が関ってると思うでしょ?
私がはっきりと結論づけるまでに先に結論が出たような。
後の承久の乱の発端の亀菊という白拍子、伊賀の局ともいいますがこれも怪しいです。(笑)
壬申の乱、吉野やら伊賀の阿拝国、伊勢、なんか後世と変わってないですね。
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2002年02月27日 00時13分04秒 ) | パスワード |
>承久の乱の発端の亀菊という白拍子、伊賀の局ともいいますがこれも怪しいです。(笑)
ちょこちょこ歴史の暗部に関わってるかも、ですね。
ふふふ
こういうの好きですよ。
伊賀は今でも古い空気が流れてると思いましたけど
やっぱり今でも凄いパワーが渦巻いてるし
なかなか興味の尽きない所です。
[9] | 川口 信さんからのコメント(2002年02月27日 10時54分57秒 ) | パスワード |
早速読んでいただけましたね。
同32号の「三上山麓」コースには平宗盛父子の墓があるとあります。
「忉利天の億千歳」ただ夢のごとし。三十九年を過ぎさせ給けんも、わずかに一時の間なりしと(「平家物語」巻十一・大臣殿誅罰)・人生のはかなさを説く。
同16号の「名張の山」には新笠間峠に出て名張の坂の下に向かう「県道都祁名張線」とあり、「ルビ」がふってあり、「つげ」とあります。
桑名の旅館の名を思い出しました。たしか、「旭館」か「旭旅館」(割烹旅館)だったと思います。何年か前テレビで若女将が登場していました。私が宿泊していた時はまだオシメをしていた時であり、多分下のほうのお嬢さんだと思いますが。
時の流れを感じます。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2002年04月19日 22時48分25秒 ) | パスワード |
川口さまから教えて頂いたURLの転載です。
http://www.hi-ho.ne.jp/tsuge/link1.htm
ここに宗清子孫についての研究が出ています。
ありがとうございます。
[17] | 宮本 勝二郎さんからのコメント(2013年03月31日 17時50分29秒 ) | パスワード |
川口さまへのコメント
旧住所 岡山県和気郡吉永町高田の下門出というところに
平宗清と彫られている墓石があります。
真偽のほどはわかりませんが・・・
今まであまり興味がなかったのですが実在の人物というのがわかり
参考までにお知らせします。
ご存知でしたらあしからず。・・・
[79] | 宗清征勝さんからのコメント(2014年10月06日 16時07分35秒 ) | パスワード |
宮本勝二郎さまへ
コメント拝見しました。
和気郡吉永町に平宗清と彫られた墓石があるそうですが、もう少し詳しいところを教えて
いただけないでしょうか。詳しい所在地や現在の墓石の状況が分かれば幸いです。
現在、祖先の調査をしており、当家の過去帳にこの墓石に刻まれた文言が記載されております。
系図や祖父、父の話で先祖がもともとこの周辺にいたということでした。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
[81] | 宮本 勝二郎さんからのコメント(2015年10月19日 13時39分53秒 ) | パスワード |
宗清征勝 様
ご返事遅くなりました。(久しぶりにここに来たので)
所在地は私の故郷、岡山県備前市吉永町高田620−○です。○は宅地から離れているので不明です。
墓石は比較的新しいもののように思えます。身分?を示す石碑のようなものが一緒にあります。
すぐ隣に「宗清」姓の現在の墓がありますが、どなたのものかわかりません。
[82] | 柘植さんからのコメント(2018年06月09日 11時36分46秒 ) | パスワード |
柘植と申します、岐阜県八百津町です、私で16代目らしいのですが、もう聞く家族もなく詳しいことはわかりません、父は生前、元は忍者で後々、武士となり落武者で山奥に辿り着いたらしいです、柘植ろくだいもん?はご先祖の名前だと言う話を聞きました、昔は、お世話の方や見張りの方、刀や鎧もあったそうです、私は名古屋生まれで愛知県で育ちました、今は県外で生活しております、柘植姓は妻と子供達だけです。
[83] | 空の青海のあをさんからのコメント(2018年06月09日 12時33分51秒 ) | パスワード |
柘植さん
初めまして。
全く分かりませんが、八百津は江戸時代、尾張藩の飛び地でしたよね。
木曽の檜なんかを木曽川から流して堀川に回して名古屋城の近くまで運んでいますから
名古屋や八百津の教育委員会の歴史編纂をしているところなどから史料を得られると良いですね。
柘植さんなら、元は、伊賀のご出身でしょうね。
家紋は何か分かりますか?
並び矢系ですか?これでしたら簡単ですけど。伊賀+平家系だな、と。
たぶんヒントは書けたと思います。
頑張っていろいろ読みまくってください。
[84] | 柘植さんからのコメント(2018年06月09日 13時48分56秒 ) | パスワード |
空の青海のあを様
ありがとうございます、家紋もわからない状態で、幼少期に父から聞いた話を憶測でしか
調べられず、確信的な情報はありません、こちらでいいヒントをいただき、ありがとうございます、少しずつ繋ぎ合わせてみます。
[85] | 空の青海のあをさんからのコメント(2018年06月09日 15時21分06秒 ) | パスワード |
柘植さん
もし名古屋にお帰りになることがありましたら
徳川美術館とか蓬左ほうさ文庫とかでちょっとは情報が得られるかも
と思って戻って来ました。
蓬左文庫では1年に1回だったか数年に1回だったか忘れましたが
旧藩士に分限禄のようなものを見せてくれた記憶です。
名古屋では「柘」という1字の家もあります。
http://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%9F%98
【名字】柘
【読み】つげ
【全国順位】 14,735位
【全国人数】 およそ390人
柘植と起源をともにするという説もある。
関家に仕える臣下にみられる。 ← 平家。三重県
近年、愛知県に多数みられる。
http://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%9F%98%E6%A4%8D
【名字】柘植
【読み】つげ,つげうえ,つげしょく,しげうえ,ざくうえ,しゃうえ,しゃしょく,しゃち,しゃくうえ,しゃくしょく,たくうえ,たくしょく,せきしょく,たっしょく
あ、そうだったの。いろいろあるのねぇ。たくしょく大学は知ってた。
【全国順位】 1,301位
【全国人数】 およそ13,400人
現三重県北西部である伊賀国阿拝郡柘植庄が起源(ルーツ)である、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)高棟王流がある。
ほか清盛流などにもみられる。
植物の柘植の木が語源。← 平家が壇の浦で滅びてから、平宗清が一命を救った頼朝から、土地を貰って柘植の木を植えて名字にした
ここでアップ
[86] | 空の青海のあをさんからのコメント(2018年06月09日 15時34分16秒 ) | パスワード |
続き
では、ご自分の戸籍から遡って除籍謄本を取れるところまで取ってください。
出来たら明治の初めの戸籍が手に入ると良いですね。
なんとか原簿という昔の身分の載っているのがあります。
私達、フツーの人にも取れるかどうかは分かりません。
我々が簡単に取れる戸籍謄本は1970年代あたりに紙で昔の身分の部分を隠すようになったから
お父さまかどなたかの古い戸籍が見つかったら昔の身分が読めます。
隠してある文字数からその家の秘密が分かってしまうから他人は取れなくなったんじゃないかと思います。
明治の初めに住んでいたところは江戸時代に住んでたところでしょうから
だいたいその場所の近くの柘植さんとはご一族の可能性があると思います。
そしたら家紋が訊けますしね。
いろいろ知恵を働かせて頑張って下さい。
東京の国立図書館も行けたら行ってみてください。
参考になる本の奥付からもいろいろな読むべき本が分かるでしょうし
土地の郷土史家を教育委員会から紹介してもらうという手もありますしね。
八百津の大きな本屋さんとか
岐阜や愛知県の大きな図書館で参考史料を置いていると思いますし
これからお盆に向かってご先祖さまがパワーを送って来ているのですよ。
先祖を敬愛すると助けてくれたりします。
とにかく為すべき事は山のようにあります。
頑張ってくださいね。
[87] | 空の青海のあをさんからのコメント(2018年06月09日 15時43分23秒 ) | パスワード |
そうそう、今時の戸籍謄本は昔のとは違っているかもですね。
古い時代は手書きでしたものね。
30年ほど前に母方の祖父の戸籍謄本を取りに行ったことがありましたが
祖父の名前が間違ってました。
アルバイトがやっつけ仕事でテキトーに植字したのかも
祖父の名は「喜」ですが、その戸籍は「善」になってました。
「うちの祖父は喜び多い人だったけど善人じゃなかったわよ」
と言ってやりましたが
あれって、漢字を書き換えるのに手続きが必要なんでしょうね
役所の間違いでも。謎
ということで戸籍謄本が100%正しいというわけじゃないので気を付けてくださいね。
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