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 投稿番号:100182 投稿日:2001年10月23日 00時08分03秒  パスワード
 お名前:なかにし
義経と頼朝の、仲違いの原因

コメントの種類 :人物  パスワード

みなさん、こんにちは。
代理質問ですので、よろしくお願いします。

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高校の、中間テストの問題に、義経と頼朝の、仲違いの原因について
小論文を書かなければいけないのですが、教科書にはそんなこと載っ
ていないので、詳しく教えてもらえませんか?

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 中間テストって、もう始まってるんじゃないんですか? (^^;) 頑張ってくださいませ。

[1]服部 明子さんからのコメント(2001年10月23日 01時34分56秒 ) パスワード
  

頼朝と義経の仲違いを見ていると「兄弟は他人の始まり」という言葉を思い出します。
特に源氏系は平家系に比べて一族間の抗争が伝統的?家系的にあるように思われます。
そういう血が流れているのでせうか?



頼朝と義経の仲違いに絞って考えるとそうなる要素に満ちていたと思います:

もともとママが違うから心情的なすれ違いがあるし
兄への応援というのに戦力も引き連れず得体の知れない人間を連れてのこのこやって来るし
戦術的には弟の方が上手で目立つし
勝手に恩賞を京の最高実力者から貰うし
世間の人気は弟に集中してるし
2人の間を裂こうとする人もいたし←代表は梶原景時

頼朝にしてみれば自分の顔を潰すは、苛々するは、堪忍の限界だったと思いますよ。
ところが末っ子の義経にはそういう人間の心を押し量る性向がゼロだった。

人間の感情(嫉妬・憎しみ・優越感そういう全て)がモロに出た兄弟仲だったって思います。

戦略的な頼朝にすれば事成ればもはや用の無い存在の弟だった、と。
[2]服部 明子さんからのコメント(2001年10月23日 01時59分30秒 ) パスワード
  

上記では「世間話」的でしょうか?
学校のテストにでしたらもっと政治的に優れた兄と軍事的に優れた弟の対立
ってのを書かなくてはいけないのかな?

結局は頼朝と義経を論理的に比較すれば人間としての器は国のあり方を大きく転換させた頼朝の方がずっと優れていた。そういう過程で起きた兄弟の不和だった。


頼朝:武家政治を確立した偉大な人物
政治的
戦略的
源氏一族の頭領であり諸豪族の調整役
後白河院にしてやられないよう牽制
武家の最終的勝利の追求


義経:個人人気に頼る一過性の人気者
軍事的
戦術的
一族の駒に過ぎず技術屋としての牽引役
自分の実力を誰でもいいからとにかく認められたいという自己顕示欲
目標が目の前の平家や義仲などの見える敵
[3]なかにしさんからのコメント(2001年10月24日 21時28分15秒 ) パスワード
  

 あ、すいません、説明不足でした。
 ご質問を下さった方は、高校生さんですので、わりとオーソドックスな答えがいいのかも。

>>勝手に恩賞を京の最高実力者から貰うし

 ポイントにすえる点は、頼朝なりの政治戦略があるにもかかわらず、義経が公卿から勝手に恩賞もらって、頼朝の計画をぶち壊しにしそうになったから・・・ってのはどうでしょう?

 それの肉付けとして、義仲討伐以降の義経と後白河のやり取りなんかを書き加えて・・・梶原君は・・・教科書的にはどういう扱いなんでしょうね? 一般には梶原君の讒言は頼朝の行動にはさほど影響を与えていないと思われていると思うのですが、でも、原典に従うと(?)讒言のウエイトも大きいですよね?
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年10月25日 01時21分39秒 ) パスワード
  

世間一般の感情的感傷的評価で頼朝と義経の「兄弟仲」を書くとすると
頼朝が不当に評価の低い冷酷な兄の姿になります。

源氏の頭領としての頼朝
末っ子で人気者の義経

弟の活躍は平家討伐後の恩賞では莫大な力を持った存在となってしまう。
それでは東国の武士達には面白くないし
兄の力をも脅かしてしまう。
大活躍したとはいえ平家さえ滅亡してしまえば今度は自分達にとって危険な存在に変わる義経だから兄と腹心の東国の武士達で制裁してしまった。

**********************************


頼朝にすれば母親が違うから実の兄弟のようないたわりは無かったでしょう。
頼朝にしてみれば何か訳の分からない弟が出現して
妻の実家には頭が上がらないし
義経のような戦術は持ち合わせても無いし
脅威に思ってたかも知れない。


義経にしてみれば自分の母は身分の低い女性であっても父は源家の頭領だから
自分も源家の頭領の資格があると思ってる。
特に頼朝とは離れて暮らしていたから兄に何かあれば弟の自分が頭領だ
という思いがあったでしょう。

自分のお陰で源氏方は大勝利が続いたのに
それを認めない兄はまわりにそそのかされて正しい評価をしてくれないと思っている。

義経は不満で一杯だったと思いますね。
だから認められたいと思っている義経は京都が誉めてくれると喜んで京都の権威になびいてしまう。
京都だって自分の力を認めてくれたではないか何故兄上は認めてくれないのか?誉めてくれないのか?

その内に自分が兄から完全に敵意を持って見られていることに気づいてこれは何かの間違いだ!周りが自分と兄との仲を裂こうとしている!と思う。

権力者のポストは1つしか無いからそれを争うとしたら自分にも奪えるチャンスはある筈だと
奥州藤原氏が自分の味方になってくれる筈だと
それなら受けて立とうではないかと思ったでしょう。

ところが義経の甘い期待は奥州藤原氏まで道連れに滅ぼしてしまった。
頼朝と義経の兄弟仲の争いは頼朝に日本の天下を与える結果になってしまった。

だから「兄弟は仲良くしましょう」というのが学校的解答でしょうか?
[5]服部 明子さんからのコメント(2001年10月25日 01時50分22秒 ) パスワード
  

兄の立場を考慮しなかった義経と
弟を全力で守ってあげなかった頼朝

ま、そうなんでしょうけど
そういうお涙で理解するより

英語で「シブリング・ライバルリー」という言葉があるんですが
これは兄弟姉妹とはいたわり合うより争いの始まりという意味です。

オトコの存在本能って「兄弟仲良くしましょう」じゃなくて
兄弟間で血みどろの争いをして初めて人間として存在するって。

骨肉相食む

頼朝も義経も源家の頭領の座を争う者として
非常に優れた資質を持ってたと思います。

だけど兄弟は資質の点で大きく異なっていた:
戦略的な頼朝 vs 戦術に優れた義経

この違いは戦略的な頼朝の方が決定的にリーダーとして上手だったということも証明した。

ところが人間性の評価となると:
人には争いを好まない部分もあるから
兄弟なのに
という感情の部分で頼朝は低い評価を受けてしまう。


頼朝と義経の争いは
義朝に両方を備えた息子を設けなかったという所から始まった悲劇ですね。

頼朝1人では天下統一にもっと時間がかかったでしょうし
義経1人では後白河院にしてやられて元の木阿弥になったでしょうし。

頼朝と義経の仲違いは歴史的偉大なる兄弟喧嘩でしたね。
[6]源三さんからのコメント(2001年10月26日 07時31分26秒 ) パスワード
  

中西さん、ご挨拶がおくれましてすいません。度々ここに書き込みさせていただいています源三と申します。本当にこの様なすばらしい掲示板を作って下さり感謝です。楽しく平家などの歴史を学べて嬉しいです。平家のことは全然知らなかったのですが、ここの数ある掲示板のスレッドから多くのことを学び吸収させたいただいてます。これからもよろしく御(おん)願い申し上げます。源三・・・。

さて服部氏(うじ)御無沙汰です。確か平家のまえの平氏勃興期の関東で、一族争いで平氏も仲が悪かったですね。同族争い。伊勢に移り、平家になってから仲良くなった気がします。とくに平清盛一家は仲がいいですね。
清和源氏も源義家(河内源氏)の宗家にいちゃもん付けた尾張源氏・源重実((清和源氏満政の流←源経基の次男の系統、長男は満仲でその子から頼光(摂津源氏・頼政や多田・土岐・ほか出)頼親(大和源氏・宇野ほか)頼信から河内源氏・八幡太郎源義家や源頼朝・足利・武田氏が出。))と義家の間、義家とその家人の源国房(土岐祖、頼光孫・頼国六男・摂津源氏嫡流源頼綱弟)、光国父子の争い、義家の子で源家嫡流を継いだ源義忠殺害で源義家の次弟・賀茂次郎こと源義綱一党が濡れ衣きせられ
義忠の子の源為義らによって討伐をうけ、源義綱親子七人がそのことで死んだりして源氏のなかで内紛がありました。これってどうも源義忠殺害は義家の三弟の源義光(佐竹武田祖)が真犯人だそうです、どうも彼は比叡山と仲が良く、先の比叡山の悪僧討伐を朝廷から命じられた、源義綱と大和源氏の宇野親治が、その後比叡山や義光の裏のはたらきかけで朝廷からいらん濡れ衣(源義忠殺人事件)きせられ討伐や宇野親治は佐渡に流罪になってますね。とにかく兄を売る新羅三郎源義光は抜け目ない奴ですねー。これからいっても後の源氏内紛も同じく朝廷が大きく関与してきてますね。源氏の勢力を削ぐ為みたいですね。どうも源氏は源為義あるいわ義朝、頼朝一家を形成できなかったんですね。清盛一家みたいに。では行って参ります。
[7]服部 明子さんからのコメント(2001年10月26日 10時16分39秒 ) パスワード
  

>確か平家のまえの平氏勃興期の関東で、
>一族争いで平氏も仲が悪かったですね。
>同族争い。
>伊勢に移り、平家になってから仲良くなった気がします。


そうですね。
坂東平氏も仲悪かったですね。

1番凄い争いは平 将門の父親が亡くなるとおじさん達で遺産を奪ったというのですね。
そして従兄弟間争いで貞盛は将門を滅ぼしてしまった。


伊勢に渡って平家となる過程で清盛の父・忠盛が優れた人物だったそうですね。
現在日経新聞に連載になっている池宮彰一郎の「平家」では
忠盛が人間的に立派な人だったと描かれていますね。

同じく征伐に出ても源氏がやれば恨みを買うばかりだけど忠盛がすれば人が寄って来る、と。
[8]なかにしさんからのコメント(2001年10月26日 22時46分06秒 ) パスワード
  

 源三さん、こんばんは。
 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
[9]源三さんからのコメント(2002年01月08日 23時32分49秒 ) パスワード
  

中西さんの書き込み発見しました。めちゃくちゃスレッドが増えて
かなり下に潜っていて発見するのが遅れました。
中西さんあけまして!こちらこそご丁寧に、よろしくお願いします。
末永く書き込ませていただきます・・・。
また義経と頼朝関係書き込ませてもらいますね。
あえて要略してひとことでいえば、
個人プレー大事の義経と集団プレー大事の頼朝でしょうか。
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