[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月30日 22時27分18秒 ) | パスワード |
メールの続き:
<武士が美化される訳>
僕は男なので、何で武士が美化されるか分かるよ。
また、ガキや自民党のおじさま方(最近、亀井静香がそんなこと書いてたね)が
ナゼ自分を武士になぞらえたがるか、簡単簡単。
武士は「暴力」を象徴しているものだからだ。
「暴力」的に強いことは男性としての美徳なんだよ。
これは洋の東西を問わず変わらないと思う。
しかもここに、想像世界で造りあげられた武士像が加味される。
廉直、無私、潔癖・・・何でもいい。
おおよそ封建時代の人が美徳だと考えそうな性質を適当にミックスすれば、武士像は完成する。
知的であることはあまり関係ない。
文武両道は武士の本質と関係ないから。
教養を崇拝してるなら、公家も好きなはずだしね。
だから、精神構造の幼稚な男性諸兄は武士に憧れるんだよ〜。
かれらは歴史を真面目に勉強して武士の実態を知ってるわけじゃない。
頭の中でふくらました理想の武士に自分をなぞらえることで、一種の恍惚感に浸ってるんだ。
ま・・・実際にその理想の男性像に近づいてくれるならいいが、
それと遠い人ほど武士の悪い側面をムキ出しにしているように見えて・・・ねえ?
武士好きには「事大」主義者も多いでしょう?
ここは武士が一貫して失わなかった「功名心」と直結する。
出世欲は人並み外れて強いから、自己顕示欲も強いわけだ。
次々と領土を拡大した戦国大名と自分を錯覚してるんだね。
強さをアッピールすることと、物欲の強さは表裏一体だから。
ま、僕から言わせれば、この武士観ほど、男性中心主義を露骨にしたものはないね。
サムライの土地に生まれてこんなこと言うのも何だけど、僕は自分を武士だと思いたくないね。
そういう連中と同一視されたくないから。
(実在した武士が特に嫌いなのではなく、観念世界の武士を美化する連中が嫌いなのです)
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月30日 22時33分41秒 ) | パスワード |
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義経記は未見ですが、将門記は読みましたよ。短かったし、面白かった。原漢文じゃなかったけど。
義経記は意外と図書館に置いてありません。岩波が出したっけかなあ?
やっぱ僕、武士は嫌いだ。
少なくとも、なってみたいとは思わん。
武士のメンタリティーが嫌いなんだよなあ。
でも、ここでも僕が男だってことが作用する。
武家の男はさほど嫌いじゃなくても、武家の女性は非常に嫌いなんだという。
何で嫌いかっていうと、
完全な男性原理で動いてる武家にあって、
それを肯定し、
その中で理想の女性であろうとする人間性が嫌いなのだよ。
「燃えよ剣」の沖田の姉貴みたいな女が嫌いなのだよ。
自分がない人間の典型みたいでさ。
それにまあ、そういう女のほうが「男はこうあるべし!」みたいなこと言うしさ。
あ、僕が好きな武家の女性は、巴御前みたいのだけよ(美人ブスは関係ないね)。
先週は講義もさぼって原田美枝子を熱く語ったんですが、
「時宗」でキャラ立ってる女性は「ききょう」さんしかおらんじゃないか、と
あのぐらい、強い女の方が魔界都市・鎌倉には似合ってるんじゃないか、と。
僕は「じゃじゃ馬」ぐらいのがいいね。
おしとやかな女性は気に入らない。
弱っちい女は大嫌い。
つーか
まず、病弱な女が嫌いだ(医者志望だった人間の言うことか?)。
万一結婚するはめになっても、僕が死んだ後のことも考えると、弱い女だと子供が心配だ。正直な話。
こういうとこだけ、鎌倉時代然とした武士心理が僕にも残ってる気がする。
[3] | 源三さんからのコメント(2001年10月01日 01時49分37秒 ) | パスワード |
僕は貴族の退廃した生活は嫌いです。性に奔放で乱れた男女関係など到底肯定できません。これは鎌倉時代の武家中心に広まった禅宗からくる廉恥、清廉などにはじまり、江戸期に入り当時の徳川幕府が広めた儒教の教えの影響を代々武士であった僕の
血脈、家系から受け継がれている影響でしょう。特に私の先祖のいた肥前・佐賀藩は
「葉隠」で有名な日本一厳格な鍋島儒教で徹底的に代々しこまれて今日・私の代に至ってます。鎌倉以来武士に伝わっている武勇、礼節、廉恥、節倹は今も尚我々武士系の子孫の生活の中心軸になっています。「葉隠」読んで自分の家の生活習慣のあり方や由来にいちいち今も納得して読んでいます。だから貴族の「源氏物語」は大嫌いです。その物語の中にはなんにも男のロマンはないです。女性はあるでしょうが。
源氏物語の中で、「よ、よ」と泣く弱い貴族の女性と違って、武士(武家)の女性は強いですよ。主人がいなくても、いざとなったら槍をもって戦い、城や屋敷を枕に討死にできる器量を小さい頃から躾られます。弱い女ではない。僕の祖母なんか凄かったもの。すごく矍鑠(カクシャク)として強くたくましい精神の人でした。さすが武家の女性って今思いだします。さすが葉隠れ武士の女って感じ。質素、倹約、細かい作法、躾に父と田舎に帰れば、大阪ではこんな無作法なこと教えてるのかって怒られぱなし
でした。僕の母も一様、大阪では上町の出で代々大名貸しもする両替商で、しまいには明治になって大和郡山藩の柳沢家から僕の曾祖母が嫁いでくるくらいだったのに、
細雪よろしく、いとはん、とうさん、こいさんの女姉妹で、無作法ではなかったのですがよく怒られてました。武士(武家、士族)の家はことのほか躾、作法に厳しい
のかって子供心に刻み込まれました。なにより武士がお金のこと話すことはハシタナクてタブーみたいなところがあり、利潤を追求や、お金を稼ぐなどもっての他のところがある。お金は士農工商の卑せんな商人(お金を追求するから)に任せて明治になって生活に困った元・佐賀藩の士族の俄か商人はよく人をだましたりしないで、人がいいから、大阪商人によくだまされたそうです。所詮・銭欲などがないので旧城下町の人間の商売はへたですね。なにを書いてるのかわからなくなりましたがとにかく
武家の女性は弱くないです。(芯)強いですよ。多弁も武家では、はしたなくて、
よく祖母は大阪ものを馬鹿にしていたのを思いだしました。
なんか継ぎ足し継ぎ足し無茶苦茶な文章になってしまいすいません。
あっ、そうだ服部さん、大友能直の母は波多野四郎経家の三女(実は養女)が桓武平氏の平貞能の娘ってことで頭が混乱しておりました。本当にびっくり、大友氏にも伊勢平氏の血がこんなにも大きく関わっているとは、しかし考えてみると大友(三代)頼泰の母は紀伊守護・三浦(佐原)家連の娘、大友(二代)親秀の母は畠山(高山)重範の娘でともに平氏の血を受け継いでいたのですね。思わず桓無量?です。(笑)
また書きます。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2001年10月01日 10時03分45秒 ) | パスワード |
源三どのと上記の男の子と全く考え方が同じで驚いています。
ではメールの続きを書きますね。
昔の武家女性は実家に帰属する意識が強かったんだから、
亭主を殴り飛ばすくらいでいいと思うんだけどね。
だいたいさあ、
武士は女傑がけっこう好きだったはずだぞ?
巴御前は猛女なのに絶せの美女だったわけじゃん?
あれって、当時の人の意識を象徴してると思うんですよ。
たぶんねえ・・・弱い女性を好きな男なんて「珍獣」だったと思うんだ、鎌倉時代。
平安貴族だってさ、文化風流に通じた女性が理想だったとは言っても、
なよなよっとした女性が好かったなんて、だーれも言ってないんだよね。
永井路子さんが書いてたよ:
「昔の男は味がある、巴御前を美女としたんだから・・・」って。
鎌倉時代の女傑で有名な人に「板額(ばんがく)御前」ていたんですよ。
この人はね、鎌倉初期に越後で叛乱が起こったときに捕らえられたの。
そして鎌倉殿の前に引き出されたとき、
やっぱ、ある御家人が「是非それがしの嫁に・・・」って言ったんだってさ。
永井路子さんはある対談で「徳川家康は女性の力を弱くした・・・」って言ってたけど、これも誤認で
ね。
家康の長女は猛女だったんですよ。
家康の娘はあんまり家柄の高いとこには嫁がず、
譜代の家臣に嫁いだ人が多かったんだけど、この長女はその典型。
本田正純失脚にも関与したと言われるこの女性は、
バリバリの戦国女性だったようで(徳川開幕のころ40くらい)、
惰弱な男はぶっ飛ばすぐらいの勢いだったそうです。
お市の方だって、そんな女性だったわけでさあ。
弱い女性を求める男性心理は、当人のダメさを象徴してるものでしかないと思うね。
バカ男ほど、自分よりバカな女を好むのと同じでしょうね。
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