[1] | 皇竹さんからのコメント(2001年09月20日 15時24分43秒 ) | パスワード |
その古文書によれば竈方の祖先は平維盛の妾腹の子
岸上行弘である。
維盛−行弘−長盛−行盛と続く
行弘は一の谷後父維盛と紀州に落ちて来て、
維盛は熊野へ身をかくしたが、行弘は熊野河合郷に隠遁した
そして行盛の代になって、南勢町船越のあたりに一族を
連れてやってきたというのである。
「平家秘史」−落人からの報告−の中で伊藤加津子氏は
次のように推測されています。
>行盛をこの地へ呼んだのは、伊勢矢持へ隠れ棲んだ知盛の
孫知則である。
伊勢矢持から南勢町船越へは山を越えて2時間位のところ。
いろいろ下調べをした上で呼び寄せたのではないか。
維盛は叔父忠度の生家を頼って紀州へ落ちて来て、
行弘を預けたが、行盛の代になると頼ってばかりいられず、
自立する必要が出て来たのである。
この岸上一家と知盛一家とは親密な関係を築いていた。
というのは知盛一家は
知盛−武盛−知則−維弘−知弘と続くが、四代目で
血筋が絶えたのか岸上家(維盛流れ)から養子をもらっている。
知という字を使っていない維弘であると推測する。<
[2] | 皇竹さんからのコメント(2001年09月20日 15時54分19秒 ) | パスワード |
この竈方には平家落人だけでお奉りしている
統括の神社(八幡社)とお寺(大智院)が大方竈にあります。
私が訪ねた時は土砂降りの雨で、日帰りで時間も
なかったので全ての竈を見ることは出来ませんでした。
もう一度天気の良い日に行くつもり。
何しろ景色は最高です。
相賀竈の村田忠一さん、大智院の浅井住職さん、
南島町教育委員会の加藤さんのお話を参考にしながら書きました。
尚村田さん(86才)は最後の本式の竈まつりをやられた方だそうです。
大智院の浅井住職さんは滋賀県より当地へ来られた方で
浅井長政ゆかりの末裔とのことでした。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月20日 21時27分47秒 ) | パスワード |
皇竹さま
貴重なお話をありがとうございました。
伊勢志摩のリアス式海岸の入り江の多い所なら隠れるのに都合良かったでしょうね。
紀伊と隣り合わせて、平家落人村にはぴったりですね。
[4] | 平信浩さんからのコメント(2003年01月17日 09時44分42秒 ) | パスワード |
まるで吸い寄せられるようにやってきてしまいました。
八ケ竈の一つ、道行竈を訪ねたのはもう何年前になりますか。母と二人、峠を越え、入り江を望んだとき、私は、やっと来たと心中で叫んでいました。
木々が騒ぎました。風がうなりました。沖合の波が逆立つのを確かに見たのでございます。今まで、先祖の話など何一つ信じなかった私が、この瞬間、曳かれると感じたのです。
誰かが手招きする。誰かが笑いながら呼んでいる。早う来い、早う坐れ、というているような錯覚におちいりました。
私はまぎれもなく、この村に帰る平家の落ち武者でした。世の矛盾に戦いを挑み、敗れ、ズタと心を傷つけられ、海でも見るか、とやってきたのです。母は私の心中を知っていたのでしょう。迷わず、道行竈へ戻ろうといったのです。
私は何かに癒されたいと願っていたのでしょうね。母とは折り合いが悪く、いつもいがみ合うのに、その時だけは素直に、うなずいたのです。(続けます。しばらく猶予を)
[7] | 平信浩さんからのコメント(2003年01月18日 13時10分39秒 ) | パスワード |
二度とこんな仕事をしてをならないと心に決めました。私はテレ朝の「23時ショー」の司会を降板したのです。心も体もずたずたになっていました。髪の毛も半分以上が白髪になっていました。理由は、何一つ、自分の意見は吐けなかったことです。もともと自己主張の強い私は、そんなところで生きていけるはずもなかったのです。
母と母の故郷、三重県南島町道行竈へ旅立つ前、私はいくつかの霊に纏い付かれました。人は、そんなものと相手にしてくれませんでした。
住んでいたのは茅ヶ崎市堤という新興住宅地のマンション。夜中、金縛りになんどもあいました。胸が苦しく、助けを呼ぼうにも声が出ない。このまま死ぬのではないか、と恐怖にかられました。と、突然、
「そのまま黙ってわしの話しを聞け」
という声が聞こえたのです。目を開けようとしました。
「目を開けてもまだお前には見えぬ。それよりわしの話しを聞け」
とまた言われました。声はしわがれていました。しかし、どこか気品のある凛とした声は、私を粛然とさせました。
「お前は、これまで人を何人殺してきたか」
とその物の怪は問うのです。滅相もない。私が人殺しなど。そう口にしようとしたのですが、声はやっぱり出ません。
「自分で手をかけて殺したのではない。祈り殺した。あるいは呪詛して殺したことはあるはずだ」
確かに。こんな奴、死んでしまえ、と声に出し、恨みをこめて言い放ったことがあったのです。
「そして、その結果、お前の呪った相手はどうなった。死ななかったか」
「死んだ。確かに死んだ」
そうつぶやいた途端、私の胸は苦しみから嘘のように解放されたのです。
「それは我らがお前を救ったのだ。よいかお前が苦しむのを我らは見ていられなかった。お前を苦しめ、お前を誹謗する奴らを許してはおけなかったのだ」
「なぜ。なぜですか。あなたはどなた様なのですか」
「わしか。わしはな……」
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月18日 13時33分52秒 ) | パスワード |
平信浩さま
面白くなって参りましたね。
いかにも「平家」らしい展開でございます。
平家は矢張り「怨霊」「オカルト」ぴったり合います。
わたくしは「滅びし平家の怨み、忘れたわけではあるまいな〜」
(ナムコの景清のせりふだそうでございますが)
これが好きでございますのよ。
これからどのような展開になって行きますのか楽しみでございます。
オドロオドロシイ?
ドロドロの人間模様?
(わくわく)
[9] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月18日 13時46分08秒 ) | パスワード |
確かにテレビのお仕事って
田丸みすずとかいうTBSの「報道特集」のキャスターでも
彼女の言葉かと思っていましたが
本当は「セリフ」を読んでるだけだって聞きました。
これは何かの訴訟で
実は彼女の言葉じゃなかったと分かった、と。
それでテレビのお仕事をお辞めになったのですか・・・
[10] | 平信浩さんからのコメント(2003年01月18日 14時08分51秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2003年01月18日 14時10分44秒
[11] | 平信浩さんからのコメント(2003年01月18日 14時14分35秒 ) | パスワード |
はい。そんなところです。まだ存命中の方も多く、いいかげんなことはいえませんが、辛い毎日でした。
それより小説が書けなくなっていました。顔と名前が売れますとろくなことはありませんでした。
昨日は阪神大災害のあった日。我々の方はノースリッジ地震です。これが同じ日に起きたことを、どうお思いになりますか。私は天の啓示と受け取りました。いや、清盛殿のお告げととりました。
神戸は清盛殿にとっていかなる地か。
我らの霊は、ノースリッジ地震の後、神戸福原に近づくなと我らに厳命したのです。それはいかがわしい所に近寄るなという知らせかと思ったのですが、そうではなかったのです。天変地異を知らせて来たのです。
私は神戸の友人に正月のラグビー大会を観に来い、と東京に誘い、そして帰さなかったのです。ラグビーは神戸製鋼が優勝しますが、これも何かを感じませんでしょうか。幸い、私の薦めに応じてくれた友人は助かりました。亡くなった友人はいませんが、苦労をしました。
この現象を細かに書いてみたいと思っています。
清盛殿の霊を慰めることができたら幸いです。
[12] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月19日 00時12分34秒 ) | パスワード |
>この現象を細かに書いてみたいと思っています。
>清盛殿の霊を慰めることができたら幸いです。
はい、そうできますように願っております。
清盛=悪役が定着していますが、
これは畏怖の裏返しだと平家一門の者として考えております。
凄い人だったというのは分かる人に分かればいい、と。
是非ロス地震と神戸大震災の啓示についてお書きになってくださいませね。
[13] | 皇竹さんからのコメント(2003年01月19日 12時39分49秒 ) | パスワード |
平信浩様
服部明子様
お久しぶりです。
平家に係わりのある方は、
多かれ少なかれそのような体験をされるのですね。
私は平氏の子孫でも何でもないのですが、
一昨年から昨年にかけて二人の知人が
相次いで交通事故でなくなりました。
いずれも平家のことを勉強しようとしている人達でした。
その前にTVたけしの「アンビリバボ−」を見ていましたら、
ある青年がロックのCDを聞いていたら、突然琵琶の音に変わり
耳なし芳一の話に変わってしまった。
その後その青年は交通事故で入院してしまった。
見舞いに来た友人たちも次々と交通事故に会い、
中には亡くなった人もいたという。
妻がその時に
「平家の墓の写真を撮ってくるのはもう止めなさい。
怨霊がとりついたらどうするの」と。
それ以来私は未だビビッているのです。
平信浩さんに期待しています。
いいお話を書いて、平家一門への供養にして下さい。
[14] | 皇竹さんからのコメント(2003年01月19日 12時44分39秒 ) | パスワード |
追伸
メ−ルアドレス変更しました。
引き続きよろしくお願いします。
tokiwa@sf.starcat.ne.jp
URLも変わりますが
又後日連絡いたします。
皇竹。
[15] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月19日 13時02分31秒 ) | パスワード |
皇竹さま
>それ以来私は未だビビッているのです。
大丈夫でございますよ。
清盛塚に触れると祟りがあるという言い伝えに逆らいましたが
まだピンピンしてこうして書き込みをしていますから。
他にも1名ピンピンしてるのを知ってますから。
わたくしには「平家について知らしめるように」との啓示でございますが。
皇竹さまの御活動にも平家一門は喜んでおります。
[16] | 平信浩さんからのコメント(2003年01月20日 00時00分38秒 ) | パスワード |
平家落ち人伝説異聞
プロローグ
バブルのはじける前のことです。
私は茅ヶ崎のチベットと呼ばれる遠藤、大庭、駒寄、滝ノ沢一帯に造成された新興住宅地に移りました。住宅公団が売り出すマンションを抽選で当てたのです。初めて家をもった妻は喜びました。頭金と月々の支払いを計算し、ここでやっていく決心をしました。決心する前に茅ヶ崎に何度か足を運びました。夏、焦熱の東京から降り立ってみると思いの外涼しい風が吹いていました。私は、
「これだ!」
と指を鳴らす思いでした。
引っ越して数ヶ月は何もなかったのです。ところが駒寄に新しいマンションが建つ頃から、奇妙な胸のざわつきに襲われ始めたのです。
マンション予定地を業者が掘ってみると、そこから中世の民家の跡と思われる遺跡が出てきたのです。マンション建設は中止されました。藤沢市役所の文書課と東京大学中世研究室がその発掘に当たりました。
私はなんどかその発掘現場におもむきました。どんな物が出てくるのか興味があったのです。研究員か市役所の職員かは分かりませんが何人かの現場の人に話しかけてみました。
「人が生活しとった跡でしょうな。便所や柄杓が出てきますよ」
と発掘現場にいた男性が笑いました。しかし、それは貴重な発掘だったのです。当時の人は、どんな物を食べていたかなど、生活の一部が分かるはずだからです。
「良い成果をお祈りします」
そういましたが男性の反応は鈍かったのです。それには理由がありました。
遺跡のおかげで都市計画が大幅に遅れることになったのです。この問題はどこの自治体でも抱えているといいます。
建設予定地から奇妙な物が出るのを極力関係者は畏れています。人骨など出れば格好の研究材料で、それこそ何層にも掘り起こされ、建設予定は見通しが立たなくなるからでした。
やはり、この地もマンション完成予定が二年延長になったのです。
[18] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月20日 01時01分33秒 ) | パスワード |
そうそう海老名に引っ越した友人がこんな事を教えてくれました。
誰かが玄関から入って来てヅカヅカ歩き回るから
息子が帰宅したのかと思って「お帰り」と声を掛けたのに
返事がないから叱りに行ったら息子はまだ帰ってなかった
って。
他にも何度もそういう事があったという事を聞きました。
時々誰かが歩き回るって。
このお話を頂いた時は
友人は私が新居を覗きに来たと思って
問い合わせて来たのです。
わたくしは他人の家の中を知りたいという趣味はないので
私じゃない
と返事しましたが。
この人とはテレパシーごっこを数年やってます。
(でもモノスゴク疲れますからお薦めしません)
[19] | 服部 明子さんからのコメント(2003年01月20日 06時29分29秒 ) | パスワード |
平信浩さまの「平家落人伝説異聞」は新たにスレッドを立てさせて頂きました。
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