くりらじ 株式会社 エミ 小川もこ
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 投稿番号:100169 投稿日:2001年09月17日 06時00分30秒  パスワード
 お名前:服部 明子
鎌倉と標準語

コメントの種類 :その他  パスワード

メールを頂きました:


最近ことばについて考えたのですが、
関東武士が全国に散ったことが標準語の一源流になった・・・と考えたんですが、
どうでしょうか?

[1]服部 明子さんからのコメント(2001年09月17日 06時03分03秒 ) パスワード
  

鎌倉時代は関東出身の武士が日本全国に散らばりました。

たとえば、毛利元就の安芸の国の武士は、
児玉(現・埼玉県児玉郡)、熊谷(埼玉県熊谷市)、小早川(神奈川県湯河原町。土肥実平の末裔)、吉川(静岡県)、宍戸(常陸。小田氏の一族)、武田(甲斐武田氏の一族)といった具合です。

各地に盤踞した武士の素性を調べると、
大友(小田原市東大友)、長尾(鎌倉市大船)、南部(山梨県南巨摩郡南部町。甲斐武田氏の一族)、曽我(小田原市下曽我)、芦名(横須賀市芦名)、相馬(下総相馬郡)、山名(群馬県新田郡)、伊東(伊豆伊東)、相良(駿河)、工藤(伊豆)、宇佐見(伊豆)挙げるとキリがないんですが、

ここまで全国あまねく浸透していると、標準語の母体は江戸時代ではなく、鎌倉時代にあるような気がしてなりません。これらの武士は、鎌倉時代にはけっこう鎌倉に住んでおり、おそらく出身地/任国によらず、共通語としては関東南部の方言を喋っていたと推測されます。

どうでしょう? 鎌倉武士が標準語の母体になったという仮説は?
[2]服部 明子さんからのコメント(2001年09月17日 11時47分01秒 ) パスワード
  

続き


標準語の母体になっているのは東京の「山の手」のことばだとか。
ここがポイントで、要するにサムライのことばが標準語なんですね。
江戸時代、支配階級たる武士は東京の西のほうの高台に、
一般庶民は東の低地に住んでたから。

東京弁と標準語はまーた違うものなのよ。


世界中どこでも、標準語は美しいとされる。
てことは、人工的なものだが、そういう意識が使用者にあるってことだ。
明治の変革なんて、所詮は武士が強権を発動して推進したものだから、
言語政策にもそれが反映されているのでしょう。
日本標準語って、武士の感覚が強く生きてるんでしょうね。


日本の歴史はけっして一枚岩ではない。
特に昔は西と東の対立がひどく、東日本は独立国みたいなものだった。
東北は初代鎌倉殿が征服するまで独立国だった。
こういう構造を無視して、国粋党のように日本は単一の・・・みたいな考えで歴史を見ると、けっこう大切な部分が削げ落ちてしまう。


過去1000年の日本史を見ると、日本で経済力が最も強い地域は関東か近畿しかない。
東北は慢性的に関東に従属し(今も変わらんね)、
西には近畿を圧倒するほど経済力ある地域がない。

んで、日本の歴史を振り返ると、
不思議と京都に政府がある時はまとまりが悪く(平安、足利)、
関東にある時はまとまりがいいんだよね(鎌倉、徳川)。
まあ、簡単には言えないけど、たぶん東のほうが一枚岩なんだろうね。
特に関東は。
地域構造も単純でしょ? 東北と関東しかないし。

西ってさあ、まとまり悪いじゃん。よく言えば多様なんだろうけど。
九州なんて、西に残った東、みたいなとこだよね。
んだから、東の人間には関東南部のことばが一番カッコいいと感じられるんだ、たぶん。


東って、やっぱ西よか田舎の要素が強く残ってる気がする。
だって、東京以外に大都市がないじゃん?
(札幌は例外)
だから逆に言うと、関東中心にまとまりやすいと思うんだ。
東京しかないんだから。


だってさあ、考えてみれば、日本で訛りを恥じない人種って、関東人と関西人しかいないよね。
関西人は標準語っていうと、関西弁だと信じているらしい。
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年09月24日 11時01分13秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


文字の機能はおもしろいよね。
似たようなことを、糸井重里が以前NHK教育で言ってた。
要するに、
話してる時と文字にした時じゃ、話し手と聞き手/読み手のあいだで「温度の差」が生じる、と。

文字ってそもそも、そういう側面があるんだよね。

東アジアローカルだと漢字がその典型なんだが、
あの字はもともと、方言差いちじるしく、また常に多言語文化圏だった中国が
(中国は昔っからずーっと多民族国家!)、
どんな地域に行っても意志疎通できるように作られた文化なんだよね。

発音をまったく無視して書ける文字ってことで。


漢字の機能は日本語にも影響を与えてるんです。
たとえば「合戦」とか「仏門」なんて単語は方言差がないのね。
外来語だから。
平家物語〜太平記を経て和漢混淆文が日本語文章の主流となる背景もここにあ
る。

山崎正和さんが「足利尊氏」って本で面白いこと言ってる。
「ああいう漢文棒読みみたいな文が一種の標準語だったんじゃないか」って。
つまり、太平記は最初っから
「音読され、一般民衆にも理解できるように作られたんじゃないか?」
ということ。

文字による表現て、最大公約数なんだよね。
つまり、しゃべってる時の微妙なニュアンスを切り捨てて、
誰にでもわかるようにしちゃってる文化なんですよね。
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年09月25日 21時52分40秒 ) パスワード
  

本のご紹介:



「声に出して読みたい日本語」
斎藤 孝
草思社
1200円


<例>

腹から声を出す:
べんせいしゅくしゅく夜河を渡る

リズム・テンポに乗る:
せりなずなごぎょうはこべら

しみじみ味わう:
月日は百代の過客にして

腰はらを据える:
高砂やこの浦舟に帆をあげて

身体で覚える:
善人かをもて往生をとぐ

季節を肌で感じる:
うの花におう垣根に

物語の世界に浸る:
いずれの御時にか女御・更衣あまた
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