[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月10日 03時09分13秒 ) | パスワード |
http://bbs.c-studio.net/heike/100049.html
に「梶原景時」のスレッドがありました。
参照願います。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月10日 03時12分37秒 ) | パスワード |
こちらにも転載して置きます:
<寒川>
宮山駅南東の寒川神社って「名神・大社」と記されるほどの古社だそうです。
727年の創建で
頼朝・義時・信玄・徳川将軍代々の信仰を集めていた、と。
4万7千平方米の敷地に本殿を中心に21もの棟。
堂々とした構えだ、と。
5月5日の「相模国国府祭」さがみのくにこうのまち、と読むらしい。
7月15日の「浜降祭」
8月15日の「薪能」
9月19日の「流鏑馬」
9月20日の「例大祭」
大変な人出だそうです。
梶原景時屋敷跡は寒川駅の南西方向10分ほど?
一の宮交差点近く。
守護神と伝えられる「天神さま」が残されている、とか?
相模國唯一の明神大社で、
鎌倉時代(恐らく頼朝時代)に相模國一の宮と位置付けられたと言われている。
神階従五位下。
頼朝、頼家誕生で馬奉納。
再建時、旦那となる。
築造・造営・再興には、
頼朝を始め政子・義時・重時・氏綱・氏康・家康などが奉幣に名を連ねる。
>4万7千平方米の敷地に本殿を中心に21もの棟。堂々とした構えだ、と。
今はそんなに多くの棟はないが、社殿は平成に入り新造され、
深い森に囲まれて燦然と輝いている。
>国府祭
二の宮との座争いの名残であるが、
今は寒川神社が一の宮で二宮にある川勾神社がニの宮と定められている。
>梶原景時屋敷跡は寒川駅の南西方向10分ほど?
>守護神と伝えられる「天神さま」が残されている、とか?
今でも濠跡がわずかに残る、広大な敷地が屋敷跡。
天満宮として今も残るが、歴史を知らない人が増え宅地が近くまで迫り、
荒れるにまかせている。
これも時代の流れなのか。
文化財、史跡を後世に残すには、如何に難しいか如実に物語っている。
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