[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月03日 11時51分10秒 ) | パスワード |
当時の諸悪の根源は天皇家の乱淫と摂関政治を操る藤原氏の骨肉相食む権力争いにあった。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年09月04日 11時57分04秒 ) | パスワード |
源三どのの系図こちらにも1部転載:1部修正
●桓武天皇
●葛原親王
●高見王
●平高望(平朝臣の姓賜り上総介に任じられ、土着して坂東平氏の基礎を築いた) ●平国香(常陸大掾、鎮守府将軍、おいの将門に殺され平将門の乱となった)
●貞盛(将門の乱になったとき京にいたが直ちに帰郷、叔父良兼とともに将門に向かったが、敗れて京に戻った。その後再び帰国、藤原秀郷と強力して将門を攻め乱を平定、その功により、鎮守府将軍、丹波守、陸奥守)
●維衡(上野、常陸介、伊勢陸奥出羽伊豆の守を歴任、とりわけ、伊勢守になって一族が栄え、★伊勢平氏として発展していった。
●正度(出羽守、越前守)
●正衡(出羽守)
●正盛(伊勢、因幡、讃岐守、配流先の隠岐を脱出して出雲で暴行を働いた源義親を(八幡太郎源義家嫡男、頼朝曾祖父)を追討し一躍★伊勢平氏の勢力を高め、延暦寺僧兵の神輿ぶり、強盗鎮定等で武名を上げた)
●忠盛(1096〜1153播磨、伊勢、備前守、検非違使など歴任、山陽、南海の海賊を討ち、また鳥羽上皇の命により得長寺院を造営、但馬守から刑部卿に進み昇殿を許された。日宋貿易を進め、和歌もよくし「金塊集」に歌を残している。
*忠盛の弟・忠正は保元の乱で源為義と共に崇徳上皇側で後白河天皇側と戦い
敗れて捕われ、子の長盛、忠盛、政盛、道正らと共に死罪となった。
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