新風会(アーツ) シャベリン(アーツ) 式日
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
 投稿番号:100147 投稿日:2001年07月25日 17時30分40秒  パスワード
 お名前:皇竹
平家物語研究会ご案内
キーワード:平家物語
コメントの種類 :ニュース  パスワード

吾がふるさと三重県において伊勢平氏会、軍記・語り物研究会、
名古屋軍記物語研究会、による合同研究会が開かれます
8月22日:
午前:
シンポシ゜ュウム「平氏と平家物語」−愛知学院大・松薗斎氏、早大・鈴木彰氏
午後:
1.坂東平氏と平家物語−京都女子大学・野口実氏−
2.平氏ゆかりの人々と平家物語−早稲田大学・日下力氏−
3.伊勢平氏と平家物語−神戸大学・高橋昌明氏−

8月23日:
午前:
1.院政期末から鎌倉期における「武士」の認識と平家物語−近藤安紀氏
2.伊勢における平氏の足跡と家臣団−清水重久氏(伊勢平氏会副会長)−
午後:
研究発表会:
3.寛文・延宝期の平家物語をめぐって−出口久徳氏
4.アケガタ追考(覚一本の場合)−小林賢章氏−
5.「太平記」の歴史叙述とその思想的背景−大森北義氏

8月24日:
実地調査−伊勢平氏誕生の地を辿る−
8月24日以外聴講は無料。
平家関係、郷土史関係の書籍の販売も行われます

[1]ラン2さんからのコメント(2001年07月25日 18時38分07秒 ) パスワード
  

すご〜〜い!!
そそられる内容ですね。
情報ありがとうございます。感謝感激☆
万障繰り合わせて聴きに行こうと思います(^・^)
[2]服部 明子さんからのコメント(2001年07月25日 22時19分29秒 ) パスワード
  

いいですねぇ〜

私は特に
8月24日:
実地調査−伊勢平氏誕生の地を辿る−
に参加したいところですが無理ですね〜


こういう時、悔しいです。(泣)
[3]皇竹さんからのコメント(2001年07月26日 15時12分43秒 ) パスワード
  

間違いがありました
8月22日午前と書きましたが、
初日は12時受付13時から始まります。
閉会は17時30分の予定です。
23日は受付9時30分、17時まで。

場所は三重県久居市久居ポルタ−3階ふれあいセンタ−、
近鉄久居駅前です。

24日のバス見学会は22,23両日来られる大学の先生方を
中心に組んでいますので、ご参加頂くのはちょっと無理かと思います
ご参考になればと、コ−スのみ書きます
ホテルグリ−ンパ−ク津−結城神社・八幡神社−産品:忠盛塚・旭晶寺・正盛墓−
置染神社−世義寺−光明寺。
以上です。残念なのは知盛の隠れ里伊勢矢持の久昌寺を、道が狭くバスが
入らないためご案内できなくなった事です。
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年07月26日 22時05分45秒 ) パスワード
  

久居っていうのが私にはちょっとオカルトかかる場所なのです。

久居からちょっと行った榊原温泉あたりだったか
あのあたりで昔々ある不思議な体験があり
またまた3年前不思議な体験をしましたから
平家系でどんな意味を持つ土地だったのか
ちょっと気になるんです。


長野の近くなので南朝方系の関連の場所かも知れないのですが
ちょっとね〜
伊賀路でもあるからかも知れないけど。


子供の時に榊原温泉に行ったことが今でも前世の記憶に繋がりそうで
胸騒ぎが起こるのです。
[5]服部 明子さんからのコメント(2001年07月27日 21時41分50秒 ) パスワード
  

本当に不思議な事というのは関連して起きるのですが

友人が日本から持って来た本を借りて昨夜読んでたら
「榊原温泉エッセイ大賞」
の募集が載ってました。

「枕草子」に<湯はななくりの湯>と書かれているそうです。
それで枕草子がまとめられて1000年を記念して
エッセイを募集しているのだそうです。


伊賀と伊勢を結ぶ榊原温泉はやっぱり私の前世の記憶に繋がるのかとチョット不思議。
[6]服部 明子さんからのコメント(2001年07月27日 22時19分04秒 ) パスワード
  

http://www.1000nen.com

で応募出来るそうです。
[7]皇竹さんからのコメント(2001年07月28日 13時00分52秒 ) パスワード
  

久居来られると霊感が宿るのでしょうか
どんな不思議な体験をされたのか興味がありますね

久居は池大納言頼盛の領地が合ったようです(木造荘)
周辺一志郡は平信兼の所領でもあった。
榊原温泉から奥へ美杉村には六代の墓があり、又
ここは畠山の城跡・霧が城があります
奈良県境へかけては維盛が熊野で入水すると見せかけて
山中に入り、点々と隠れ住み子孫をのこし、最後は
芸濃町河内で没したという足跡が言い伝えられております
伊勢北勢に劣らず南勢のほうも、なかなか興味のある地域です
[8]服部 明子さんからのコメント(2001年07月28日 14時08分09秒 ) パスワード
  

>久居は池大納言頼盛の領地が合ったようです(木造荘)
>周辺一志郡は平信兼の所領でもあった。
>美杉村には六代の墓があり、又ここは畠山の城跡・霧が城があります

やっぱりねぇ〜血は争えないというかDNAの記憶は蘇るというか

平 信兼は平(藤原・伊藤5)忠清や平田(服部)家継と一緒に行動を起こしていますから
やっぱりねぇ〜
忠清の子孫と家継の血を受ける私が榊原温泉で子供の時に出合ったというのは
やっぱり先祖の結び付きのせいかも。
血の中のDNAの記憶が呼び合ったのかな?と思うのです。

それに長野氏の出身の地でもあるので
やっぱり南朝方の仲間としての過去からでも榊原温泉はそういう力が働く所のようです。


血縁と地縁というのは日本人には切れない関係にあるのかしら?と。
[9]服部 明子さんからのコメント(2001年08月01日 01時02分08秒 ) パスワード
  

平 信兼は別名「関」と称するそうです。

資盛が追放されてた家なのでしょうかねえ?
子供が産まれて「関」姓を名乗ったと聞いています。
[10]皇竹さんからのコメント(2001年08月01日 19時32分32秒 ) パスワード
  

平 信兼は貞季の流れで、伊勢鈴鹿郡に本貫地があり
その為か関 信兼ともいわれていますね。

一方<資盛−盛国−実忠ときて「関谷」を名乗り、
その裔関四郎が関家を、その嫡子を神戸へ次男を国府に、
次を亀山の家督を継がせ、一人は鹿伏兎、ひとりは峰に据え置いた。
また、この実忠は藤原秀郷流関氏との説もあり、
この辺のところは私にはよく分かりません。
もう少し勉強します。

平 信兼は平家一門の都落ちに同行せず、一の谷合戦も静観。
しかも頼朝の代官としての義経に合力している。
しかしその後同士を募り頼朝に叛乱をしている。
この辻褄の合わない行動は何なのか。
宗盛や知盛との約束事があったのかも。
一門が西海へ落ちた後、後方撹乱を意図したのか、
一門がもし滅びた時再興を期すためであったのか。

信兼の菩提寺は現飯南町有馬野字神原の浄源寺です。
[11]服部 明子さんからのコメント(2001年08月01日 22時34分10秒 ) パスワード
  

ありがとうございます。

信兼は不思議な事をしているのですねえ。

「関谷」氏ですか。
私が幼稚園の時にすごく可愛がってくれる先生がいて「関谷先生」とおっしゃったのです。
今日の今日まで何故なのか非常に気になっていました。
私は幼稚園時代は凄い腕白で(オテンバなんて生優しい表現ではと言われてました)
この「関谷先生」は凄く優しい人で
乱暴者の私をどうしてあんなに可愛がってくれたのか今日まで実に不思議だったのです。

「関」とおっしゃるんでしたらチョット納得出来たのですから
「関谷先生」とおっしゃったのでどうしてかずっと不思議でした。

慈愛に満ちた女性という意味で私の心の原点にある存在です。
もし彼女が信兼の流れの「関谷氏」でしたらしっかり納得がいきます。



ありがとうございます。
[12]皇竹さんからのコメント(2001年08月05日 19時20分07秒 ) パスワード
  

関谷先生とも何か目に見えない糸が?

ある旅行社の資料を見ておりましたら、
片山津温泉の老舗の一流旅館「せきや旅館」は
平氏 関氏の末裔だそうです。

実忠は父盛国が関東で歿後、鈴鹿郡関谷を領地して
関を姓として地頭職に補せられ、左近太夫将監に。
鎌倉に住んで将軍に臣仕し、次いで足利氏に仕えて繁栄した。
それより五世にわたり左近と称し、
十一代四郎盛政は将軍尊氏に近仕し、
十二代織部とその子十三代七郎は
将軍の家臣畠山義続に所属した能登の地頭長英連に臣仕した。
・・・とあり、今の「せきや旅館」の当主はその末裔とのことです。

どなたか片山津温泉へ行かれたら、確かめてきて下さい。



[13]服部 明子さんからのコメント(2001年08月05日 21時43分39秒 ) パスワード
  

では「関谷」姓が本来の姓だったのですね。

日本の名字は難しいですね。


そうそう名古屋に多い「横井」姓は
北条義時の孫が名古屋の横江に土地を貰って「横井」と称した
と聞いています。

江戸時代は尾張藩のご重臣でした。
義時35代の子孫は私のロスでの上役でした。
やっぱりお名前に「時」がつきました。

だからすぐに分かりました。



日本の名前って実に恐ろしいと思いましたね。
過去が全部分かってしまう。
[14]服部 明子さんからのコメント(2001年08月06日 00時27分15秒 ) パスワード
  

>信兼の菩提寺は現<飯南町>有馬野字神原の浄源寺です。


向こうのスレッドの平家の姫君の<大台町>のすぐ北の町なのですねぇ。

このずっと東が伊勢神宮ですから
やっぱり平家の勢力の強かった場所なんでしょうね。
[15]皇竹さんからのコメント(2001年08月06日 18時27分41秒 ) パスワード
  

神宮の御厨も多い地方です
平氏が大分神宮領を奪っていたようです
[16]芹 摘 姫さんからのコメント(2001年08月06日 23時31分51秒 ) パスワード
  

服部さん
前世の記憶と聞かされてほっとしました。実はわたしの名前はHN○○姫から離れられないそんな気がしてならないのです。そして屋根の跳ね上がり具合に(例えば沖縄の首里城の跳ね上がりのような)旅行で行った時になみだが止まらない。そんなことが度々ありました。吉野(近畿地方)に一度だけ行ったことがあるのですが。
そのときは帰りたくないこの吉野越えて行くんだって想いに駆られたことがあります。吉野はしらない始めての所だったのになんで超えて何処へ行こうと言うのでしょうね。(-^〇^-)アハハハ 吉野を知り尽くしているような錯覚に陥ったこと。
デジャブ(既視感)ということを後で知りました。
超能力者と言われる人にあなたは巫女だったと言われたことがあり、神社に縁が深かったそのときある武将と泣く泣く別れたとその武将は平氏一門。だから生まれ変わりに出会うまで探すでしょうって気にとめてもいませんでした。
だけど姫君探索するのも縁なのでしょうね。不思議な縁で結ばれているのでしょう。




[17]服部 明子さんからのコメント(2001年08月07日 00時29分45秒 ) パスワード
  

ああ
芹摘姫さんはその姫君の前世をお持ちなのかも知れませんね。
というか科学的にはDNAでしょうけど。

私は「泣く泣く別れた武将」に会いましたよ。
最終的には私が会いに行きました。
赤間神宮で必ず約束の場所に来て欲しいと何度も何度も頼みました。

ヤツは前の晩
私が本当に来るのか調べに来ましたよ。

私が生まれた時(って39年前じゃないですよ)839年前ですけどね
赤ん坊の私の顔を覗き込んだ時のように私の寝顔を見に来ました。

翌日私が来るのを遅し遅しと外に出て待ってましたよ。


本当はその武将の子孫の男の子と一緒に行きたかったのですけど
昔喧嘩別れしてたから
事後報告という形になりましたけど。


彼の家は父親は明治以降お伊勢さんの神官さんで
母親は藤堂家の家老の家の出身でした。


子供の時に初めて出会った時にすぐにお互いにDNAが騒ぎましたよ。
ここの家とは関ヶ原でタモトを分かったのでそれ以降仲が悪いです。
でも南北朝の時でも戦国時代でもずっと行動が一緒だったんです。

だから出会ってすぐ「あっ!」ってお互いをすぐに捜し出す事が出来ました。
離れてても月を見ると必ずヤツの事を思い出してたし
向こうは毎晩月に向かって私に話し掛けてたと言ってました。
細かい事迄1つ1つ同じで
DNAって昔の事を記録してるんだって思いましたね。


私は三重県って全く土地鑑が無いんです。
日本にいた時三重県の友人が四日市に住んでるのでその人の家を捜そうとしたら
一志とか長野とかその他
知らない地名が浮かぶんですよ。


この皇竹さんのスレッドで「一志」という場所が平家関係だと知って真っ青になってます。


名古屋から四日市には行けたけど四日市に着いた途端知らない地名が渦巻いて
知らない方向にどんどん歩いて行ってしまうんです。
完全にどこにいるか分からなかったです。
恐くなって頑張って家に帰りましたが。


デジャブってやっぱり深層心理にインプットされた場所かも知れませんね。
DNAが記憶してるんでしょうね。

芹摘姫さんも一生懸命捜していると向こうから地名とか教えて来ますよ。
[18]芹 摘 姫さんからのコメント(2001年08月07日 16時43分27秒 ) パスワード
  

ありがとうございます。服部さんのコメント見ながら鳥肌が立つほどの想いに。
心の奥で感じ取ったのでしょうね。

わたしは縁があるというだけで土地鑑も知識もなかったのですが
吉野は記憶にあると確信があって不思議な気持ちでした。

泣く泣く別れた武将に逢いましたに鳥肌がたったのです。
見えない世界があるあってもいいそんな気持ちでおりました。
でも超能力者やお坊さんや易の先生やチャネラーに言われていたことが

全て繋がっている事に気がついたばかりです。
連動しているとはちょっと驚きでしたが心戸惑うこともなく意外でもなく穏やかだったことあぁ・・・・そうかって感じです。ここに来てほんとうによかったとしみじみ想うのです。

『一生懸命捜していると向こうから地名とか教えて来ますよ。』
この言葉に希望と勇気を添えていただきました。ありがとう。
[19]服部 明子さんからのコメント(2001年08月07日 23時23分01秒 ) パスワード
  

吉野でしたら芹摘姫さんとこも後醍醐天皇にお仕えした
「5名家・7名字・11名なんとか」の1つではございませんか?

藤原・長野・赤堀・平野そして服部しか記憶していませんが
蜂須賀小六の継母の実家「大橋家」もお1つです。

そうそう三河の鈴木さんもお1つでしたっけ。


後醍醐天皇にお仕えした忠臣のご子孫でしたら
その前はやはり平家や平氏や源氏に関係してたのかも知れません。

現在名乗っていらっしゃる姓からは難しいですけど
早く何か分かるといいですね。

皇竹さんも機会があったら何か調べてくださるかも。


ロマンがありますね。
[20]足立 勗さんからのコメント(2015年08月23日 20時48分34秒 )

本人によりコメントは削除されました。 2015年08月26日 10時09分38秒
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.08 by Rapha. WEB design Rapha.