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 投稿番号:100140 投稿日:2001年07月11日 19時07分49秒  パスワード
 お名前:なかにし
覚一本と延慶本の違い

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

みなさん、こんにちは。お世話係なかにしです。
代理投稿です。大学生さんが困っておられるようなのですが・・・扱いは皆様にお任せいたします。以下、原文そのまんま。

--------------------------------
新他です
大学の授業で平家物語での覚一本と延慶本の違いをテーマに論文を書かなくてはならないのですが、どう調べていいかわかりません。 提出日が近いので助けて〜!!!

[1]服部 明子さんからのコメント(2001年07月11日 22時22分21秒 ) パスワード
  

両方読んで比較検討する事ですが
羨ましいですね、両方読める立場にいらっしゃるなんて。

でも、この比較って結構お目に掛かりましたよ。
私にはどうでも良いことなので真剣に読みませんでしたから
どっちがどう書かれていたのか、
ここに書くほどの記憶がありません。

平家物語を解説した本を3冊ほど読めば一応書けるのではありませんか?
[2]なかにしさんからのコメント(2001年07月12日 00時13分16秒 ) パスワード
  

 根本的に、「どう調べていいか」っていうより、両方を読んで感じた違いを自分の言葉で表現したらいいんじゃないんですか? 「どう調べていいか」って表現に、原本を読まずに論文を書こうとしているのではないかという姿勢が見え隠れして・・・。

 論文のテーマが大まかなので、卒論研究ではなくて期末の提出論文ですよね。卒論研究でこんな泣き言言ってたらしばきます(これこれ ^^;)

 要するに、教官の意図をいくめば、平家物語の成立について論じればいいんでしょ? とにかくまずは原本を読んでくださいませ。古典平家は短いお話ですから。

 で、突き放すのもアレですので、私のささやかな蔵書の中から参考になる記述があるものを探してみました。

・絵で読む古典シリーズ「平家物語」(学研)
・「平家物語」石母田正(岩波新書)
・AERA Mook 「平家物語がわかる。」(朝日新聞社)
・古典講読シリーズ「平家物語」(岩波セミナーブックス)
・グラフィック版「平家物語」)(世界文化社)
etc....
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 00時45分54秒 ) パスワード
  

今日は今から出勤なので時間が無いですけど
帰宅したら私の持ってる参考書をちょっと調べてみますね。

興味の無い比較なので参考書があったかどうか、
処分していたらごめんなさいね。
[4]ラン2さんからのコメント(2001年07月12日 08時27分15秒 ) パスワード
  

覚一本と延慶本の違い。
つまり語り物系と読み本系の違いですよね。
覚一本は語り物系の代表、延慶本は読み本系の代表。
語り物系と読み本系の違いを論述すればいいんじゃないですか?
つっこんでレポートを書こうと思うなら、いろんなアプローチがあります。
たとえば成立年代や、巻の順番などなど・・でもその段階ではないようですね。
なかにしさんのおっしゃるように、
☆両方を読んで感じた違いを自分の言葉で表現したらいいんじゃないんですか?☆
のとおり。
両者をほんの数行読むだけで、その違いをすぐに理解できるはず。

☆「平家物語」石母田正(岩波新書)
☆AERA Mook 「平家物語がわかる。」(朝日新聞社)
☆別冊国文学「平家物語必携」(學燈社)
で、必ず手がかりが見つかるはず。がんばってね♪
[5]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 11時12分46秒 ) パスワード
  

ラン2さんの書き込みを受けて私もちょっと調べてみました:


私の愛用している「平家物語」角川文庫の<例言>に
平家物語は本によって本文にかなりの異同がある
と書かれています。



私の持ってる「平家物語」の中に取り上げられた諸本は次の通り:
1)流布本
(覚一本の別本ともいうべきもの)
(一方流の琵琶法師の語り本)


2)八坂本
(八坂流の語り本)
(この本は潅頂の巻を立てない)

3)長門本
(20巻本)
(下関市の赤間神宮所蔵など)

4)延慶本
(花園天皇の延慶年間に書写したとの奥書があり)
(6巻12冊)

5)源平盛衰記
(平家の異本)
(48巻)

他にも「平家正節」なんて本もあるようです。

平家物語を語るのにいろいろ比べてみないことには真相には迫れないのかな?
[6]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 11時17分06秒 ) パスワード
  

つづき


他にも屋代本というのもあるそうです。
[7]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 11時37分10秒 ) パスワード
  

つづき


延慶本の作者は平家物語の作者とされる信濃(下野?)前司行長については記さず
この人のきょうだいの東大寺長官中納言宗行のことを詳しく述べているのが特徴だと。

この宗行について書いたのは2人の父である行隆が平家につながることからの栄えを経験した事と宗行が承久の変で京方に付いたために斬られることになった破滅を対比させる為だと。


ちなみに、この本の佐藤謙三さんは信濃の行長と下野の行長は別人と思ってらっしゃる様子。
[8]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 11時57分14秒 ) パスワード
  

1975年別冊太陽の日本のこころシリーズの「平家物語絵巻」の
「平家物語の成立と流伝」 by 富倉徳次郎より


1)語りものとしての平家物語

2)6巻本治承物語ーーー平家物語の芽生え
A・・・6巻本治承物語
B・・・平家勘文録の伝承
C・・・徒然草の伝承

3)屋代本ーーー12巻本の成立
A・・・読み物系諸本の成立
B・・・雲井本の伝承

4)読み物系諸本
A・・・延慶本平家物語
B・・・長門本平家物語
C・・・源平盛衰記

5)覚一本ーーー平家物語の完成

6)平家物語の流動
A・・・平松家本
B・・・120句本
C・・・中院本
D・・・城一本
E・・・城方本
F・・・米沢本
G・・・覚一別本
H・・・下村時房本

7)江戸時代の平曲と現況
[9]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 12時12分34秒 ) パスワード
  

つづき

○語り物系:平家滅亡の哀史という点にその歴史語りの面の纏まりを見せる
○読み物系:源氏方の話も取り入れているので歴史の捉らえ方に客観性がある
[10]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 13時05分46秒 ) パスワード
  

つづき


「平家物語」が語り物文芸であるということは
単にこの物語が琵琶法師達によって語られたということではなく
この物語の成立当初から約束された事実であって
そこにこそ、この物語の文芸性が捉らえられなくてはならないのである。
[11]服部 明子さんからのコメント(2001年07月12日 13時11分54秒 ) パスワード
  

つづき


唱導文学性と歴史物語性とのみごとな融合ーーーそれが「平家物語」の芽生えを生んだのである。
そしてそれを果たしたのは
実はなによりも古代律令社会から中性の封建社会へと移る
歴史のうねりのなせるところだったといってよいだろう。
[13]ワトソン・マイケルさんからのコメント(2002年03月12日 21時10分12秒 ) パスワード
  

琵琶法師の伝統の記録といわれる「平家勘文録」を読んでいるところですが、面白くやめられない。ですが、分からないところが多い。言葉というより人物の名前。例えば、

「高野の宰相入道が作文の平家は。本末ととのほらず有けれども。其詞其詞優美なる故に。世にひろく用られたり。是を北国平家と云。赤坂の道信が流と云也。三十六巻の文書也」

「赤坂の道信」は人物ですか?(国史大辞典でみ たんですが、ダメでした。)

「平家勘文録」についての解説書、読みやすい論文ないの?
(英訳をしてみたい)

[14]勝田 至さんからのコメント(2002年03月12日 22時11分43秒 ) パスワード
  

門外漢ですが、赤坂の道信というのは、美濃の赤坂宿にいた道信という人物、という意味じゃないかという気がします。
「とはずがたり」巻四には、後深草院二条が東国への旅の途中、赤坂の遊女姉妹に琴や琵琶を弾かせた話があります。これは平家語りとは違うでしょうが、こういう場所で伝承が育っていったのかもしれません。美濃が「北国」かどうかはちょっと疑問ですが。
ついでに、赤坂のとなり青墓も平安末期から遊女がいたところで、後白河院は青墓の白拍子を都に呼んで今様を習ったとか(梁塵秘抄口伝集)。源義朝の馴染みの遊女もいたところで(平治物語)、のちの説経節「をぐり」の舞台にもなりました。

なお赤坂という宿は三河にもあって、平安時代の三河守大江定基が出家したいわれの説話が、中世にはこの赤坂の遊女との間の話にされていました(海道記など)。定基の愛妻が死んで、愛情のあまりしばらく葬らないでいたが、腐臭がしたので泣く泣く葬り、それによって道心を起こし出家したという話です。ただ三河を「北国」というわけにもいかないので、地名とすれば美濃のほうかなと思います。北陸にも赤坂があるかどうかは寡聞にして知りません。
まったくの見当違いなら、詳しい方ご訂正を(笑)。
[15]川口 信さんからのコメント(2002年03月13日 13時35分51秒 ) パスワード
  

 ワトソン・マイケルさん、初めまして。
 
 明治学院大学の教授をなさっているのですか?
実は私はその明治学院の高校を卒業したもので、懐かしく思い、コメントを差し上げます。

 資料をお探しのことで下記のように検索しました。

 「日本文学学術的電子図書館」の中に「平家物語研究辞典・見出し」とう言うのがありまして、その中に人名・赤坂の道信という項がありました。「平家勘文録」に関係した本ではないがなにか参考になると思います。

 「平家物語研究事典」(明治書院発行:定価12、000円)

http://www.j-text.com/index.html

上記アドレスの中データ・所在 hmkim.htmlにあります。

 平家物語で関係する人物で「道信」というのは河野道清の子供河野四郎道信だけだと思いますが。
 道信で有名な人物と言えば「明けぬれば 暮るるものと 知りながら・・・」の藤原道信ですが平家物語と関係は無いみたいです。
 また何か分かりましたらお知らせいたします。
[16]服部 明子さんからのコメント(2002年03月13日 13時43分24秒 ) パスワード
  

補記させて頂きます:

>平家物語で関係する人物で「道信」というのは河野道清の子供河野四郎道信だけだと思いますが。

私の母方の先祖になりますね。
一応「河野(川野)通信」と書くのが正式みたいなのですが

我が家の家系書に出て来る先祖の65代目あたりからは「道」を使用しているのです。

「道直」とか。

勿論昔は適当に混ぜて書いてるのでなんとも言えませんが
ちょっと面白かったので書かせて頂きました。
[17]勝田 至さんからのコメント(2002年03月16日 22時32分59秒 ) パスワード
  

前にいい加減なことを書いたもので、ちょっと平家勘文録について調べてみました。ワトソン・マイケルさんには先刻ご承知と思いますが、有精堂から出ている栃木孝雄編『あなたが読む平家物語1 平家物語の成立』(1993年)に、平野さつき「平家物語と作者伝承」という論文があって、平家勘文録の作者伝承についても触れています。
もっとも赤坂の道信については何もわかりません。また勘文録についての論文というものでもありません。

続群書類従に収められている平家勘文録を見てみましたが、この諸本の伝承は面白いですね。信西の嫡子、高野の宰相入道が書いた三十六巻もある平家とか、その妹の善恵比丘尼が書いた仮名書きの平家とか。
作者の伝承は別として、平家勘文録が書かれた南北朝期にはこういういろんな平家が各地に「乱立」していたのでしょうか。このような本があったこと自体は事実らしく思えますが、たとえていえば太平洋戦争のあとにいろんな戦記が書かれたようなもので、いまの平家物語と直接関係ないが同じ合戦に取材したいろいろな平家物語があったということか、などとも想像します。

高野の宰相入道というのは、信西の嫡男で参議(宰相)にもなった藤原俊憲のことで、勘文録にはあとの方にも「俊教」という字で名前が出ますね。ただこの人は平治の乱の後に越後に流罪になり、翌年赦免されて京都に帰りますが、仁安2年(1167)に死んでいます。『山槐記』仁安2年4月10日条に「今日午剋宰相入道〈俊憲〉入滅、〈於綾小路南油小路西家入滅云々、〉住臨終正念云々、年四十六」とありまして、貴族同士の情報ですから間違いないと思いますが、源平の合戦はどうしても書けない人ですね(笑)。
勘文録の「高野の宰相入道」の「高野」はどこから出てきたのか。もっと長生きして高野山に上ったという風な伝承でもあったのかもしれませんが、「北国平家」という言い方とのつながりがよくわかりません。赤坂の道信という人が説明抜きで出てくるところを見ると、あるいは当時の人にとってはよく知られた人名で、それがわかればみなつながってくる、というものだったのでしょうか??
[18]勝田 至さんからのコメント(2002年03月22日 19時09分11秒 ) パスワード
  

赤坂の道信についてですが、その後、水原一『延慶本平家物語論考』(加藤中道館、1979年)を見ましたら、これについて詳しい考証がありました。以下長くなりますが引用します。(同書576〜578頁)

「「北国平家」と称せられたその宰相入道作の「平家」が「赤坂の道信が流といふなり」とは何を言わんとしたのかよく判らず、道信なる人物も不明とされて来たが、吉田多津雄氏の報告によれば(「金刀比羅神社本平治物語考―泉本・朝長伝承を中心として―」駒沢国文・一三号)美濃青墓円興寺の過去帳に見える人物であろうという。円興寺は、平治乱にこの地で最期を遂げた中宮大夫進朝長(義朝の次男。その死については『平治物語』に見える)を葬った所であり、過去帳には、
  中宮院殿良円大居士、大夫進朝長公、平治元年己卯十二月廿八日未刻死去、廿一世貞存焼香す、
  道心禅定門、中宮院家来、平治元癸卯十二月廿八日、平野八十郎政高、申刻切腹す
  心秀禅定門、中宮院家来平野藤十郎政安、勢州平賀村、平治元年己卯十二月廿八日切腹す
  善光禅定門、朝長の僕八助、平治元己卯十二月廿八日切腹す、
と、朝長以下同日殉死した家来を記しとどめている。
 家来殉死の事は『平治物語』に見えず、その名前も当時の風俗と異った頗る怪しいものであるが、赤坂は青墓の東、平野はまたその東で、美濃源氏の地盤でもあり、特に青墓の大炊一族は為義・義朝と縁が深かった。その地域出身で源氏の家来となった者が多かったのは事実である。右の過去帳にはなお青墓の大炊一族の戒名・命日を記す中に、
  妙心禅定尼、永仁四年八月十九日、大炊道心の息女、
ともある。永仁四年〈一二九六〉は伏見帝の頃で、この女性の父「大炊道心」は如何に遡っても平治の平野八十郎ではあり得ないが、「赤坂の道信」はむしろこの「大炊道心」に相当すると見なすべきではなかろうか。「大炊」は平治物語では青墓の宿の女長者である。大炊の姉は為義の晩年の妾となり、四人の子を処刑されて自身も入水した悲話が『保元物語』に見え、その弟かと思われる内記平太も殉じている。『平治物語』によれば、大炊の娘延寿は義朝の妾として夜叉御前を生み、夜叉御前は異母兄朝長の死を悲しんで入水した。『梁塵秘抄口伝』には延寿が今様の名手で、後白河院にも召されたといい、青墓にはその他にも今様に秀でた傀儡(くぐつ)がいて話題が伝わっている。だが美濃辺に伝わる何種かの青墓長者の系図では「大炊」は豪族としての姓であり、長者は男性である。思うに古く女系長者制であった青墓の傀儡が鎌倉期中頃からであろうか、男系の支配に交替して行き、道信(道心)はその男性長者の名で、青墓を中心としてさらに野上・鷲巣・赤坂・平野等々に経営の縄張りを広げ(その傾向は平治の頃に既に見えている)、傀儡すなわち遊君を統率して、その芸能をも管理していたのであろう。そのような地には付き物ともいってよい、東光寺及び白山社という寺社が存在した事も注意されてよいであろう。その青墓の遊君の文芸的芸能の中に軍記物語の材料となるものがあったという推論は、保元物語・平治物語の為義妾とその子供たちの蜒々とした哀話が、合戦や歴史記事とは明らかに異質の“女語り”である事から言えるし、平治物語の義朝・朝長をめぐる話題が美濃の地域的条件と緊密に結びついている事からも言える。とすれば、平家物語のある種の話材が青墓・赤坂辺に語られていた事も考えられるし、「道信が流」とは語り物の方法とか伝統とか管理とかの形態的な何かの条件をいったものかとも考え得る。ともかく今後の謎多い課題であるが、勘文録を全く根も葉もないものと黙殺する必要もなさそうなのである」
[19]勝田 至さんからのコメント(2002年03月22日 19時10分04秒 ) パスワード
  

この水原氏の説は非常に面白いと思います。また最初ワトソンさんの書き込みを読んで連想した美濃赤坂という方向とは合っています。ただこれで証明できているかというと、円興寺の過去帳が後世に作られた可能性も否定できないでしょうから、何ともいいがたいものがあります。
しかしもし永仁ころに青墓や赤坂一帯の遊君を統括する道心という人物がいたなら、平家勘文録を伝えた南北朝時代の琵琶法師には「あかさかのどうしん」と聞いただけで「ああ、あれね」とわかったということは十分考えられると思いますので、この説は魅力的です。
赤坂は水原氏の文章にもあるように、義朝・朝長らを中心とした源氏の伝承が多いところですが、後世の謡曲『熊坂』では義経が盗賊の熊坂長範を退治したのも赤坂のこととされていますし、幸若舞の『山中常盤』では、山中の里で常盤御前が盗賊に殺されたとき、牛若丸は母に会うために奥州から上洛の途中、三里へだてた赤坂にいたのに死に目に会えなかったという話にしています。(山中の常盤御前の墓は別スレッドにあるようですね)
ただ平家物語に直接かかわるような話は、赤坂にはあんまり伝わっていないように思えるので、「北国平家」を赤坂の道信(道心)が伝えていたというのがやや意外なのですが、どんな平家物語だったんでしょうね。
以上お騒がせしました。
[20]服部 明子さんからのコメント(2002年03月22日 23時54分49秒 ) パスワード
  

勝田さん

ありがとうございました!
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