シャベリン(アーツ) 小川もこ 式日
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 投稿番号:100125 投稿日:2001年06月01日 19時41分19秒  パスワード
 お名前:そりちゃん
先祖を調べています:反田:石見:返田:大槻
キーワード:ご先祖を調べています
コメントの種類 :その他  パスワード

はじめまして。こちらの皆さんのお話の内容にはいつももの凄く
驚かされたり、勉強させていただいてます。
私は最近自分のご先祖を調査し始めたのですが、分家なので
なかなか思うように進みません。わかっているのは平家の関係らしい
ということと、曽祖父の代までは鹿島神社の神主をしていたということ。
家系図もあったそうなのですが、福島にあった本家は戊辰戦争のときに
焼き討ちにあってその時に焼失してしまったそうです。
ちなみに、姓は「反田(そりた)」といいます。福島には本家と叔父の
家の2件だけしかありません。家紋もと反田をアレンジしたものです。
身分を隠さなければならなっかったのかわかりませんが・・・。
平氏と鹿島神社は関係ないですよねぇ?
そして同じ反田の姓は中国地方に多いと聞いたのですが、出自をご存知の
方いらっしゃいませんか?

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[1]服部 明子さんからのコメント(2001年06月01日 21時33分24秒 ) パスワード
  

「反田さん」とおっしゃるのですか。
珍しいお名前ですね。
でも非常に日本的な読みですよね。

日本の名字って
元になる姓があって自由自在に変化してきましたから
遡るのは大変だって思いますよ。

でも「半田」さんとか←愛知県半田は元々は平氏系の土地です
「反町」さんとか
「反」の字をお使いの方もいろいろいらっしゃいますから
この方面からお調べになってもいいですね。


中国地方にいらっしゃって電話帳でお調べになってはいかがでしょうか?
東京でしたら全国の電話帳が揃ってるところがありましたし
図書館で置いてるところがあるかも知れませんし
鹿島神社に問い合わせてもいいですし

一生懸命調べていると吉報が向こうから飛び込んで来るようになりますよ。

県教育委員会などの発行する歴史書も参考になりますし
県や市町村の教育委員会も結構協力して下さいますよ。


1番良いのは菩提寺を突き止めて過去帳を調べて頂く事です。
それで明治初期の戸籍まで辿り付けます。
一族の事も広がって分かりますし。

いろいろやってみて下さい。
[2]川上 綾子さんからのコメント(2001年11月17日 00時20分14秒 ) パスワード
  

はじめまして、川上と申します。

実は私の旧姓も「反田(そりた)」と申します。
これまで同姓の方には、家族親戚以外にお会いしたことがありません。

私の父は山梨の甲府の出身です。
残念ながら、貧しい家にもってきて、歴史に興味のあるものがおらず
全く氏素性がわかりません。家紋もよく分らない有り様です。

以前、明治時代に編纂された名字辞典に
「反田:播磨の石見氏の分れ」
という記載を見つけたことがあります。
何故、播磨なのに石見なのか、今ひとつ謎ですが
こちらで中国地方に多いという話を伺って
何か糸口が見つかったような気がしています。

お邪魔致しました
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年11月17日 00時43分24秒 ) パスワード
  

川上さん

初めまして。
貴重な情報をありがとうございました!
さっそく反田さんがご覧になって下さると嬉しいですが。


>「反田:播磨の石見氏の分れ」
>何故、播磨なのに石見なのか、

それでしたら
足利尊氏の友人播磨の赤松則村の重臣に
「浦上・喜多野・富田・小寺・中村・上原・堀・櫛橋・依藤・明石・薬師寺・小瀬・城所・石見・後藤・衣笠」
の諸家が並んでます。
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年11月18日 23時04分02秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん:

スレッドのタイトルを1部変更させて頂きました。
「反田姓」の方から投稿がたくさん頂けるといいですね。
[5]さんからのコメント(2001年11月19日 12時00分44秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん、川上さん、どうもはじめまして。

持っている資料を見たのですが、私の先祖がいた備後(広島県東部)の向島にはあまり「反田」さんはいらっしゃらないようなのです。
でも現在、近くの三原市や山間部(島根県寄り)の三次市などには確かに反田姓の方がおられるようです。
読みは違うかも知れませんが(「たんだ」さんもいるらしい)。

ただし平氏系の「半田」さんなら向島にたくさんいらっしゃいます。
手元の資料では、
「同族の口碑によると半田姓元平田氏なり、
平田氏は平家の末裔、小早川に属して、
豊田郡沼田村(現・広島県三原市沼田)に住していたが、
小早川隆景死し、毛利氏長防(山口県)に去るに及び、
本島(向島のこと)津部田に来たり、
福島、浅野(何れも江戸時代の広島藩主)等源氏に対して平氏を隠すためと
一は毛利一族という名を隠すため、
平の字の上「一」を下に移して半田を名乗りたるものであると称し、
今も沼田村米山寺墓地に祖先を祭るものがあると同時に、
津部田五烏神社境内にその一族が小早川神社を建立しているものもある。」
となっています。

「半田」さん=「反田」さんかどうかはちょっと分かりませんが。

なお、小早川家の先祖は坂東平氏の土肥実平(源平合戦の時は源氏方についた)。
上記の沼田という所が小早川家の本拠地です。
戦国時代に毛利家から養子に入って小早川家を乗っ取った?のが小早川隆景です。
[6]服部 明子さんからのコメント(2001年11月19日 12時36分39秒 ) パスワード
  

向島の「半田氏」は平家の「平田家」の出身ですか。
そうすると伊賀の服部家長の兄弟の家継の一族になります。

大山田の平田を継いだ「家継」の一族でしょう。
壇の浦で滅びてから向島に落ち着いたのか?
やはり南朝方として向島に落ち着いたのか?
それは分かりませんが。

家継の一族は備後にも生き延びていたのですか。
姓を半田と替えて。

では「反田氏」とは違いますね。
[7]そりちゃんさんからのコメント(2001年11月22日 18時54分27秒 ) パスワード
  

服部さんメールありがとうございました!お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
私はここ数ヶ月間同姓の方にアンケートをお願いしたりこつこつと資料収集しておりました。アンケートを送って見たのは宮城・福島・茨城・栃木・群馬・新潟・千葉で
川上さんのように山梨県が本家という方が多かったです。ただ家紋はさまざまなうえ
詳しい言い伝えの伝わっているお宅は僅か2件でした。やはり明治以前のことはなかなかわからないようです。
ただ山梨以外の出身地に山口県熊野郡熊野町というお宅が何件か見られ、やはりもとは石見の地から発祥したのかな?と思う次第です。
宮城の方で元は「井戸」姓だったという口伝のある方がいらして、もともとは源頼朝の家臣で250石をもっていたが後に姓を変えられたというお話でした。
我が家も元は「樋口」で次に「長田」(おさだ)になり今の「反田」になったという話があります。でも詳しい文書などは戊辰戦争の時に燃えてしまったそうです。
(本家は福島です)
でも樋口だとすると木曽の義仲の家臣に樋口姓の人がいたようですが、平家にはいたのでしょうか?
でも、昔ってそんなに姓をころころ変えられたのですかね?
長くなってすみません。皆さんありがとうございます。また何か思い当たることがありましたらぜひ教えてください。よろしくお願いします。
[8]服部 明子さんからのコメント(2001年11月22日 23時19分25秒 ) パスワード
  

ご本家が福島でしたら宮城の井戸さんとご親戚かも?というのも有力ですね。「井戸」氏はもとは丹治<たじひと読む>党(または丹党)という武蔵7党の武士の1つで確かにお名前があります。武蔵の住人だったら源平合戦の時に当然源氏方に参加したと思います。丹治という人物は陽成天皇の時に秩父に流されて秩父氏を称したのだそうです。この分流の1つが井戸氏になります。後に丹治という人物は都に戻ったそうです。


樋口さんというお名前は役所の係りの1つにあったように記憶してますから結構古い名字と思いますよ。平安時代に樋口姓を称しているお公家さんもいるし。木曾義仲の乳兄弟の樋口さんは父親が「中原」という姓でご先祖は天武天皇だそうで木曾の豪族の家で義仲の父が殺された時の縁で義仲を育てたのだそうです。また樋口の弟は今井姓を使用してます。清和源氏六孫王経基(清和天皇の息子で陽成天皇の弟)の子孫にも樋口姓がいらっしゃるので義仲の乳兄弟の樋口は義仲の義兄弟であることからこの姓を称していると思います。また寺田寅彦の家は旧姓が吉村で物部氏出身で曽根連韓犬の子孫樋口・片岡と同族だそうです。(そねのむらじからいぬ、と読むと思います)

ですから昔の役職名を名字になさったのかも知れませんし
お公家さんのご子孫かも知れないし
清和源氏のご子孫かも知れないし
物部氏ご出身かも知れませんが、神主さんをなさっていらしゃったなら物部氏なんて重要ポイントですよね。鹿島神宮(神社)の神主さんと言ったらやっぱり氏素性がハッキリした家系のご子孫と思います。やはり鹿島神宮にお問い合わせも必要かも、です。


長田さんは上記丹治党にも長田さんがいらっしゃいます。それから桓武天皇の子孫の平良文の子孫三浦氏の分家にも長田さんがいらっしゃいます。それから清和源氏義家の3男の義国の分家に長田さんがいらっしゃいます。尾張の長田氏は平氏の子孫ですが源義朝に仕えてました。近江の佐々木氏にも長田さんという名前があって永田を使ってるけど正式には長田で登録しているそうです。「長」という字が縁起が良いからいろいろな姓氏に長田さんが存在すると思いますよ。

名字は本当にころころ変わるんですよ、日本の場合。中国や韓国は名字を変えたりいじったりしないけど日本は名字の複雑さでは世界1じゃないですか?タイは名字が長いですけど、そうやってアイデンティティがあるのだと思います。血の系譜だけでなく、日本の名字は地名だったりアダナだったり、先祖が記録を残さないことには子孫から遡って調べるのは難しいですね。


家紋の複雑さも名字同様難解と思います。家紋は一族の中で区別の為に差別の為にいじりますから目立つのが好きなご先祖がいらっしゃると思わぬ奇抜な紋を用いたでしょうから、それからエライ人から賜わったという事もありますし。


そりちゃんさんは一生懸命捜していらっしゃいますから、その内にご先祖さまの方からいろいろ教えて下さいますよ。
[9]さんからのコメント(2001年11月24日 09時44分04秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんのご先祖様に関係あるかどうか分からないのですが・・・

上のコメントを拝見して一つだけ気付いたことがあったので、お知らせします。

アンケートで回答頂いた反田さんの中に、山口県出身の方々がいらっしゃるとのこと。
同県熊毛郡熊毛町(の事だと思いますが)は現在私が住んでいる町と同じエリアにあるので、ふと思いついてハローページを見たら、熊毛町に一軒だけ反田(そりた)さんがいらっしゃいました。

その方の住所が、「熊毛町樋口下大歳」となっています。

もちろんこれだけでは何とも言えないのですが。
名字は住んでいた地名から取って名乗ることが多いので、もしかすると「樋口〜長田〜反田」と姓が変わったそりちゃんさんのご先祖様に繋がる情報が出てくるかも、と思った次第です。

もしまた関係なかったらすみません・・・
けれど、これが何かの手掛かりになれば幸いです。
[10]そりちゃんさんからのコメント(2001年11月25日 11時23分30秒 ) パスワード
  

隈さんありがとうございます。でも熊毛町にも一軒しかないのですね。
いまのところ山梨県と広島県に50軒ぐらいづつあるのが一番おおいぐらいです。

ところで、樋口についてですが古代のどのような職業なのでしょうか?
水に関係しているとなにかで見たような気もするのですが。
そうだとすれば、うちの本家は四方を堀で囲まれていて(現在は埋めてしまった
ところもありますが)何か関係あるのかな?とおもったのですが。

ちなみに山口の方の反田さんは「そりだ」と読むそうです。

でも服部さんや隈さんのようにご先祖の手掛かりが残っている方が
正直うらやましいです。でも、わかっている方がいるのだという
ことを励みに今後も地道にがんばります!
[11]服部 明子さんからのコメント(2001年11月25日 13時36分55秒 ) パスワード
  

>うちの本家は四方を堀で囲まれていて

上記の隈さんの書き込みも背筋がゾッとしましたが
この<堀で囲まれていて>というのにもゾッとしました。

というのは私の母方の先祖の墓が周りを濠で囲まれていて
これは鎌倉時代の豪族の墓の造りと管理している教育委員会の掲示板に書かれていたからです。

「そりださん」の件は英語でも同じですが
Tの音は前に母音が来ることでDに変化するんです。

トヨタ自動車の豊田さんは本来は「とよだ」なんですが
濁音だからと「TOYOTA」にしてアメリカで売りに出しましたが
結局は英語でもTの前に母音があると発音は「トヨダ」なんです。

ですから「そりだ」さんは「そりた」さんと同じで
昔は日本語の表記に濁点が無かったので「そりだ」さんも「そりた」と言うわけです。
でも同じご一族と思いますよ。


「樋口」というのは「樋」のある所とか「水門」とか、そういう意味です。
ですから「水」を管理なさっていらっしゃったのかも、ですね。
私は古文は読めないのでよく分かりませんが
すごく重要な所を守っていらっしゃったお役人だったと思いますよ。
お公家さんの家も「樋口」姓を名乗っていらっしゃるのですから。
[12]服部 明子さんからのコメント(2001年11月25日 14時34分03秒 ) パスワード
  

樋口さんが物部氏出身というお話ですが
もうちょっと書かせてくださいね。

物部氏は日本に仏教が入って来る前は日本が神道でその神道を司っていた一族なのです。
ですから古代日本の凄い豪族でしたが
蘇我氏は仏教を信じていて
物部氏と大変な争いをしました。
大阪の四天王寺は当時を記念したもので蘇我氏の中心人物が聖徳太子です。
(だから聖徳太子は日本仏教の擁護者なのです)

という訳で戦いに敗れた物部氏は歴史から転落してしまいました。


だから職を失った物部氏は他の職業に就いたでしょうね。
神道が日本で勢力を盛り返したのは明治時代だと思います。
天皇家と結びついて神道が国教の地位を得て仏教は地に落ちました。

だから明治時代に神主さんになることは昔が物部氏のご出身なら当然だったと思います。

「反田氏」は石見氏から出ているというご指摘で
ちょっと思うところがあるのです。

鎌倉幕府崩壊時代に石見氏が散見出来るということは
その前に石見国の豪族かその関係者かな?と。

お隣の出雲国との関係までは分かりませんが
もともと神道が盛んだったのかも。つまり物部氏が勢力を持ってたかも。

石見氏がもとは物部氏のご出身だったら?!
物部→樋口→石見→長田→反田氏へ
というのは「長田」というのは「はせだ」とも読めるでしょ?それが詰まって「反田」になったかも。そして現在の「そりた」姓になったかも。

そりたさんというのは非常に高度な日本語の読み方だと思うのです。
謎々みたい。
身分を隠す為にそういう複雑な名乗りにしたのかな?と。


どこかできっと繋がって本当の由来がいつか分かると思いますよ。
ご先祖さまに話しかけてください。
どういう悲しい過去があったのですか?とか、楽しかったことは?とか。
なるべく大きな本屋さんには足を運んで立ち読みしてください。


私は昔の友人が大学で教えていたので待ってる間にその大学の図書館にいたのです。
あんまり面白そうな本が無いけど、1冊の本を偶然手にして読んでいたら
母方先祖が承久の乱で流されて亡くなった場所が凄い正確さで書かれていたのです。
もうびっくりでしたよ。
そしたら孫の一遍上人が訪問した時の絵と同じお墓が昭和の30年代に発見されてて
教育委員会が整備してくれてたのです。
そしてその碑を見に行った時に見た名前の人に手紙を出したら
その人も同じく河野家84代目だと言ってました。

私が思うに上記に書いた大学の教授のご先祖と私の先祖が関係あると。
向こうは老中だった稲葉(河野の子孫を称している)の関係ですけど。

良く分からないパワーが働くのですよ。
上記の教授とは学生時代クチもきいた事が無かったのです。
それがご先祖のことを調べていたら突然親しくなってしまって先祖の墓が分かってしまった。

このお墓が分かった当時はテレビを見てても河野氏関係の情報が向こうから飛び込んで来たのです。次から次へと。

だからご先祖の胸中になってみてください。なにか訴えて来ますから。
[13]さんからのコメント(2001年11月27日 13時13分36秒 ) パスワード
  

検索していたら下記のような図書館の検索結果の切れ端??が出てきましたが。

http://jupiter.lib.kyushu-u.ac.jp/namazu/micro/data/M3567.html

この方はそりちゃんさんのご親戚でしょうか?
確かご本家は伊達の養蚕農家だったと伺ったように思いますが。

だとすると伊達の「樋口」さんの中に由来を知っている人がいるかも??
なんてすいません、推論ばかりで・・・
「一つの説」として聞き流して下さいね。


>隈さんのようにご先祖の手掛かりが残っている方が
>正直うらやましいです。

いえいえ、私も分家筋ですから、はっきりしたことは何も分からないんですよ。
(探しているのは母方の祖母の実家の先祖です。)
現地の図書館から郷土資料のコピーを取り寄せて、その記述から「おそらく」平氏系だろうと思っているだけですから。
菩提寺も家紋も分からないけれど、明子さんのおっしゃるように「ご先祖様のパワー」に引っ張られてここまで来たという感じです。

だからそりちゃんさんもいつか必ず、ご先祖様が助け船を出して下さるに違いないと思います。
[14]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月02日 00時15分42秒 ) パスワード
  

隈さん、ありがとうございます。樋口姓の方の本だなんていろいろ
偶然があるものですね。
私もがんばって調べていこうと新たに決意を固めました!

ところでまた私の本家の話ですが、実は阿武隈川に
すごく近いのです。たぶん昔は氾濫とかよくあったと
思うので、推測ですがそれで「樋口」としてその地に
住んでいたのではないかと。

今度親類に調べてわかった分だけの家系図などを
送ってみようと思っています。
それで誰かが何かヒントをくれるといいのですが。

[15]服部 明子さんからのコメント(2001年12月02日 00時33分20秒 ) パスワード
  

>それで誰かが何かヒントをくれるといいのですが。

どなたかが何かご存じだといいですね。
(^^)
[16]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 00時20分21秒 ) パスワード
  

以前に発言いたしました、川上@旧姓・反田です。
皆様の発言、非常に刺激されてます。

ところで、前回書き忘れましたが、我が家は数代前までは
しんにょうのつく「返田(そりた)」でした。
この「返田」姓の方、いまも山梨では大勢いらっしゃいます。
この「返田」について、何かご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか。

また、以前に「反田」とは『焼畑の意』であるとの記載を見たことがあります。
[17]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 00時24分48秒 ) パスワード
  

蛇足めいた話で恐縮なのですが

私も独身時代はまともに名字を読んでもらえず困っておりました。
その読み間違いのうち、もっとも多かったのが「はんだ」なのですが、

興味深いことに、これまでに「反田」の字を用いて「はんだ」と読むものに
いまだめぐり合ったことがないのですね。

ひょっとして、「はんだ」は「半田」が殆どなのか…?
「反田」とくれば「たんだ」「そりた」なのか…?

そんなことも思ったりするのですが、如何でしょうか。
[18]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 00時40分58秒 ) パスワード
  

反田さんとは「焼き畑」の意味なのですか。
本当に読み方も意味も非常に日本語なのに日本人には難しいご苗字ですねぇ。

確かに「たんださん」とおっしゃる苗字も存在しないようですね。

ホントにご先祖さまはどういう経緯でお名乗りになったのでしょうね?
[19]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 02時11分47秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2001年12月05日 02時20分31秒
[20]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 02時23分31秒 ) パスワード
  

「反田」で「はんだ」と読む名字はないのか、
などと書いてしまいましたが、先ごろ、検索していて
「反田(はんだ)」姓の人を見つけてしまいました。

しかし、字面が同じでも、読みが違えば、当然、氏としては流れが違うのでしょうね。
[21]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 06時00分04秒 ) パスワード
  

流れが違うと思いますね。

反田姓で「はんださん」がいらっしゃったのですか。
日本の苗字はホント難しいですね。

反を「そる」と読むのが難しいから「はんだ」「はんだ」と読まれるうちに「はんだ」と
名乗ることにしたかも知れないです。

だって「そりたでございます」と言って「え?どうやって書くんですか?」と
一々聞かれると面倒ですから。


愛知県出身で半田市出身で「半田」さんは考えられますけど、この半田さんが反田と書くとは思えないので、こっちのはんださんは半田で固定だと思います。
でも「反田さん」の「はんださん」はややこしいから易しい方に変えたかも。

ご縁があって知ったのですからメールなされば良かったのに。
出自を問うだけですから。


私の苗字の辞典には「半田」姓も載って無いのですよ。
でも私のクラスメートに「半田」さんはいらっしゃいましたが。

苗字って難しいですね・・・
[22]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 15時12分28秒 ) パスワード
  

服部さん、こんにちわ

「半田」にしても「反田」にしても、どうも昨今の苗字辞典に載るには
インパクトが足りないようで、私も何度ほぞをかんだことか…(苦笑)

ところで、山梨の「反田」姓には、
元はしんにょうつきの「返田」だったのではないか…?
と思しき家が多いようです。
(だからといって、全て「返田」→「反田」と変化したとは考えませんが)

このしんにょう付「返田」について、何かご存知のことはないでしょうか。
[23]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 21時32分46秒 ) パスワード
  

「あ」から始まって
全部苗字を見てみましたが
載ってませんでした。
ひょっとして別な読み方で載ってるかもと思ったのですが。

反田さんのご先祖さまはヨホド謎なぞがお好きだったのでしょうね。 (^^)
それとも当時はそういう表現が普通だったのか?

「返田」でも田んぼをひっくり返す=耕作=って分かりますよね。=田んぼを作る。

稲作に関係してるから非常に日本的。
なのに!

「返田」さんは「反田」さんでは単純過ぎるからとしんにゅうをつけたかも知れません。
なにかソフィスティケートな理由で。


昔は漢字の使い方が緩やかだったのです。

私の母方の河野でも平家物語には川野とも書かれています。
人の名前の方でも「継」と「次」が混用されたり
私の先祖のなんとかのミコトでも
我が家は南朝方で「鳴」を用い北朝方は「嶋」を用いています。

最初私は自分の家の家系書を見た時(漢字が間違っている)と思いましたが
その差が我が河野家の南朝方子孫と北朝方子孫の区別だったんです。


反り返る、という言葉から
「我が家はもっとしっかり田んぼを引っ繰り返してるから」と「返田」さんにしたのかも。

ユーモアのある謎なぞ好きなご先祖さまのお姿が浮かびます。
本当に見掛けた方にお問い合わせになったら良いのですよ。
苗字にはどなたもプライドがありますから
ご存じでしたら教えて下さいますよ。

分かりましたら是非わたくしにもお知らせ下さいね。 (^^)
[24]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 08時54分16秒 ) パスワード
  

今いろいろ見てたら
弦巻紋使用者に「吐田」はんだと書いてありました。
[25]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 10時15分52秒 ) パスワード
  

半田氏は藤原氏出身が1つ出てました。
(藤原氏だけとは思いませんが)
[26]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 10時18分03秒 ) パスワード
  

<24>補足

弦巻紋使用者に「吐田」はんだと書いてありました。
奈良県だそうです。

また弦巻紋は蛇の目紋と混用されるそうです。
[27]さんからのコメント(2001年12月06日 11時18分01秒 ) パスワード
  

地図を見たら、奈良県磯城郡川西町に「吐田(はんだ)」という地名がありました。

ちなみにこのすぐ南に「結崎」とか「保田」という地名があるんですけど。
また服部氏と繋がった??

すみません、脱線しました。
[28]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月09日 00時30分33秒 ) パスワード
  

ごぶさたしてます、そりちゃんです。
私は返田姓も反田姓と出自は同じなのではないかと考えています。

角川書店から出ている姓氏家系大辞典山梨県版の「反田」姓の
項目に一緒に載っていましたし、昔の人は本家に対して
分家とわかるようにわざと漢字を同じ読みで違う字を用いたり、
同じ字でも点を取ったりしたそうです。
また、私が集めましたアンケートの内容で数代前までは「そりた」と
読んだという方もいれば、うちは「そりた」だが本家は「そった」です
などの回答を下さった方が何人もいらっしゃいました。

どの方も読みを変えた理由は「きちんと読まれないから」でした。

「はんだ」と読む方は以外にも一件もありませんでした。
そりた・そりだ・たんだでした。

地名辞典によると反田は焼畑の意味のほかに山間部の傾斜地の田の
意味もあるそうです。
私は反田姓発祥の地は「山間部」と考えています。
そうすると山梨県はぴったりなのですよね。

反田姓は現在山梨と広島に約50件あり、そのほかは首都圏と
京都・奈良・鳥取・鹿児島・福島ぐらいです。

返田のほかに曾利田・曽利田・剃田・卒田・輪田ともかくようです。

山梨だと塩山市に反田は多く、返田は御坂町に多いと姓氏辞典に
ありました。

ただ、うちの本家のすぐ近くに「半田」という地名があるのです。
関係あるかはまだわかりませんが、昔「半田氏」がいたそうですし、
何かあるのかもしれないです。
[29]服部 明子さんからのコメント(2001年12月09日 02時18分50秒 ) パスワード
  

矢張り「反田氏」は読みが難しいのですねぇ。
刀の「反り」という言葉があるけど、これからますます読める人はいない時代になりますね。

でも「はんだ」とは読んで貰いたくない。読まれたくない。混同されたくない、というのは
伝わりますね。


でも随分分かりましたね。
>返田のほかに曾利田・曽利田・剃田・卒田・輪田ともかくようです。
曾利田・曽利田さんは「間違えずちゃんと読んで欲しい」というのがよく伝わりますね。
(^^)


かなり迫って来ましたよね。
石見氏との関係も分かるといいですね。
[30]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月11日 00時12分17秒 ) パスワード
  

こんばんわ、親戚に家系図を送ったら本家の叔父が
協力を快く引き受けてくれました。

とりあえず、過去帳を移して送ってくれたのですが、なんと
寛文年間からのものなのですが、「大槻」姓なのです!

そして安政年間の米箱に「反田魚店」とあるものが残っている
そうで、そのあたりから「反田」姓になったのではないかとの
ことでした。

でも、叔父いわく過去帳にはいろいろな姓の方が記載されており
いまとなってはどのような縁なのかわからないとのことでした。
有縁無縁すべてのっているのかな?

なんだか、また振り出しです、クスン。
[31]服部 明子さんからのコメント(2001年12月11日 00時36分29秒 ) パスワード
  

寛文年間って1661年からですね。
「大槻」氏ですか・・・
藤原姓も平姓も、その他にもいくつか流れがあるそうですね。
で、江戸末期に「反田氏」登場?


過去帳なんて貴重な資料を見せて頂くのですから
いよいよご先祖さまと対面ですね。


でも「事実」が記載されてる訳ですから
1番信頼性が高いと思います。
頑張って難しい漢字と格闘して下さい。
[32]源三さんからのコメント(2001年12月11日 06時36分27秒 ) パスワード
  

宮城(仙台)の半田姓は伊達氏一門。
ゆえに、藤原北家魚名系中蔭流。
[33]さんからのコメント(2001年12月12日 11時36分54秒 ) パスワード
  

以前明子さんがご紹介されていた、各地の伊藤・伊東氏の解説の中に、こんな記述がありましたよ。

会津の伊藤氏
河沼郡野沢本町館跡、大槻館と云う、延徳の頃、伊藤長門守盛定と云う
もの住して大槻氏と称す。又、古坂下村館跡、天正十年伊藤勘解由住す
(新編風土記)と。又、伊藤大膳、大沼郡黒澤館(往古 伊藤駿河某と云
うもの住す)、耶麻郡塩谷村熊野宮神職 伊藤近江(その先を日向政国と
称す、享保中 この社の神職となる)等見ゆ。大槻城主 伊藤長門守藤原
盛定は、如法寺の記禄に見ゆ、安積大槻の伊藤氏と同族ならんかとの説
あり、舟津四村の領主なりしとぞ。
西田面村興泉寺、至徳中 安積郡横澤の地頭、伊藤右金吾某、草創す。文
亀元年 蜜侶弘盛 居住し、天正十九年右金吾の遠孫・藤三郎某、伊達政
宗に属せしより寺産を失いしと云う。
[34]さんからのコメント(2001年12月12日 11時43分19秒 ) パスワード
  

安積の伊藤氏
中地村小倉山館(一に鶴島城)は伊藤氏代々の居城にして、天正の頃薩
摩守盛恒居住し、そのほとり多くを領す。伝説に依れば、盛恒、天正十
七年 横澤彦三郎と戦いて敗れ、福良村に奔り、再び戦いて討死にすと云
う。又、本郡大槻館は伊藤将監高久、その子 高行の居城にして、高行は
永禄五年卒去、長泉寺にその牌ありと。又、赤津村館蹟伊藤弾正築く始
め名馬城と称すとなり。安積伊藤の族なるべし仙道雑記に片平村城主伊
藤大和守と申すは、工藤左衛門祐経の次男 伊藤六郎左衛門助(祐)長の
後なりと。(新編会津風土記に鶴山館、いつしか伊藤氏の築く処と云
う)。
[35]さんからのコメント(2001年12月12日 11時45分10秒 ) パスワード
  

上の記述はこのスレッドにありました。

http://bbs.c-studio.net/heike/100016.html
[36]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月12日 18時48分02秒 ) パスワード
  

源三さんも隈さんもありがとうございます!
今日図書館にいって調べてきました。

大槻姓は秀郷流藤原姓波多野氏流・清和源氏井上氏流・丹波藤原姓・
藤原姓伊藤氏流・田村氏流・桓武平氏葛西氏流・清和源氏土岐氏流が
あるようです。
このうち我が家に関係すると思われるのは伊藤氏流・田村氏流そして
亡祖父を信じて葛西氏流でしょうか。

叔父によると鹿島神社もうちの氏神として祭っていたので、うちは
神主ではないそうです。
由来がすごいんですけど、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、村民に
とても親切になり、この平和が続くようにとのことで鹿島神宮から
遷宮したと口伝があるとのことです。
延喜式の鹿島神社だ、と叔父は申してました。神社の額に延喜式
内社(?)とあるそうです。
本家のある土地の「大槻」姓を電話帳で調べましたら50件ぐらい
ありました。過去帳の一番古い記載は寛文8年(1668年)
なので、そのころから住んでいたとすれば親戚がそのぐらいいても
おかしくないと思います。

しかしご先祖の謎謎はとてもムヅカシイ・・・

何かヒントをと思っていても最近は情報が飛び込んでくることも
あまりなくなってしまい、もういいよ、ということなのかなぁと
少し意気消沈気味です。

でも、2歳の息子を抱えつつ図書館へ、本屋へと
がんばります!
[37]服部 明子さんからのコメント(2001年12月12日 21時50分30秒 ) パスワード
  

<33>

<大槻さんを調べていたら>本姓藤原氏俗姓伊藤さんが出て来ましたか。
ばっちり平家系ですね。
盛がついてたり長門守がついてたり。

ここでも反田さんと私達が繋がりましたか?>隈さんやぁ〜


ところで延徳年間というのは南朝方の年号ですね。
1489年の8月から始まるそうですよ。

ここでも南朝方で繋がりましたね>隈さんやぁ〜


ホント「平熱名物オカルトシリーズ」面目躍如ですねぇ。
[38]さんからのコメント(2001年12月13日 11時11分07秒 ) パスワード
  

>隈さんやぁ〜

はい、お呼びでしょうか? (^_^)

ね、平家系でしょう?
伊藤氏はもともと「藤原」姓だけど、平家の家人になって「平」姓を名乗ったこともあるんでしたよね?

>ところで延徳年間というのは南朝方の年号ですね。

しかも会津の伊藤氏は、南朝遺臣だった訳ですね。

やっぱり、これは何かありそう!?
[39]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月13日 16時31分28秒 ) パスワード
  

不勉強ですみません、平氏系なんですか?
藤原氏なのか〜と思ってました。

そうそう本家の叔父が現在「反田」の字をアレンジして使っている
家紋をコピーして送ってくれました。
想像していたものよりも複雑で、ええって感じでした。
送り方がよくわからないのですが、なんとか服部さんに送りますね。

本家は昔陣屋で代官の家来の人が泊まったりしていたそうです。
下男下女もいたようなので、過去帳にある姓の違う方たちは
その人たちかなと推測しています。

また、近所の「大槻」姓の家と付き合いがあるのは
一軒のみだそうです。

しかし、大きなヒントを得られて嬉しいです!
服部さん隈さんありがとうございます!
[40]服部 明子さんからのコメント(2001年12月13日 23時11分06秒 ) パスワード
  

>平氏系なんですか?
>藤原氏なのか〜と思ってました。

いいえ。
「平氏系」ではなくて「平家系の本姓藤原姓・俗姓伊藤氏のちに大槻氏さらに後に反田氏」
ということです。


藤原姓は日本最大の姓を擁する大族で
大きく分けて貴族系と武士系があり
武士系は殆ど下野国の藤原秀郷公のご子孫でいらっしゃいます。

1000年ちょっと前の平 将門の乱の時
藤原秀郷公が平 将門の従兄弟の平 貞盛の味方をして将門を討ちました。

藤原秀郷公のご子孫で伊豆の狩野に出た一族が更に伊勢に行ったのが伊藤氏で
平 貞盛の子孫が伊勢・伊賀に移った子孫で大繁栄をもたらしたのが平家の清盛で
伊藤氏と平家は伊勢・伊賀で再び盟友関係になったのです。

源 義朝が清盛の留守にクーデターを起こした時、押さえたのが伊藤(古市)氏ということです。
伊藤氏は清盛一族には命の恩人・繁栄を守ってくれた存在です。
別にスレッドを立ててありますからお読み下さい。

伊藤氏は平家の一門として軍事を担当していました。
ですから伊藤氏は藤原姓も名乗ったり平姓も名乗ったり伊藤氏も名乗ったりしています。


「ウチは平家系の本姓藤原氏」と言ってる内に「平家系」の「系」が取れてしまい
「平家」になりさらには「平氏」に混乱していくのです。


ですからそりちゃんさんのお家は本姓藤原姓俗姓伊藤氏の系統で大槻氏を経て現在反田氏を名乗っているということだと思います。


使用人は過去帳には入れないと思いますよ。昔は身分の差がハッキリしてましたから。
ご一族だと思いますよ。
血の繋がった一族でしょうね。
[41]服部 明子さんからのコメント(2001年12月13日 23時29分39秒 ) パスワード
  

南朝方の伊藤氏と言ったらズバリ伊勢の伊藤さんになりますね。

明治維新以降明治政府の介入で徳川氏を否定する為歴史的価値を地の底に落とされた
「浪合記」という合戦物がありますが
この本には後醍醐天皇の8番目の皇子である宗尊親王を戴いて
伊勢や尾張の武士が長野の浪合村まで転戦したお話が書かれています。
(勿論新田さんのご家来衆のお名前も出て来ます)

この中で後醍醐天皇の吉野朝の忠臣を
5名家7名字11名?と讃えていますが
服部家は7名字の1つで
伊藤さんは確か本姓の藤原姓で5名家に入れられているのを読んだことがあります。

浪合記には他の分類として「庶公家」「庶貴族」?などの呼び方もあって←迂路覚え
これは(例:桓武天皇から独立して出来た家=平氏)などと
その出自を改めて記録してるのだと思います。

南朝方伊藤氏でしたら伊勢の平家系の伊藤さんだって事までハッキリ分かります。
確か北畠顕家が東北に堅固な城を築いて頑張ってましたよね。
その時に東北に残ったのかも。
戦国時代の伊勢の国守は北畠具教という人物です。

戦国時代は北畠さんを中心に伊藤氏も服部家も信長に対抗していました。
さちこさんとこは現代に至るも伊藤さんとこと関係がありますね。
だって当然よね。
同じ涙と血を分け合い流し合って来たのですから。
[42]さんからのコメント(2001年12月14日 13時11分33秒 ) パスワード
  

>でも、2歳の息子を抱えつつ図書館へ、本屋へと
>がんばります!

そうですかぁ〜

実はうちにも小さい娘がいるのですよ。
といってももう4歳ですけど。
でも、図書館に連れてって「おとなしくしろ」
と言っても聞くような子ではない…(T_T)

という訳で、娘が幼稚園へ行くようになったら、
その隙に図書館へ行こうと目論んでいる私。(^^;

そりちゃんさん、お互い頑張りましょうね。
[43]さちこさんからのコメント(2001年12月15日 10時20分38秒 ) パスワード
  

服部家の系図のなかに戦国時代の記録で
一族の住するところというのがありますね。(12〜13枚目位)
三十数ヵ所の村の中に上反田、中反田がありますが・・。
これは何か関係があるのかな?
これだけでは何処のことなのか判らないし。
話をややこしくしてしまったらごめんなさい。
[44]服部 明子さんからのコメント(2001年12月15日 20時55分58秒 ) パスワード
  

「戦国時代の記録にも<矢筈車は服部>と見え、
一族の住する所は
<服部・羽根・高畠・荒木・寺田・千蔵・佐奈具・槙山・比土・古郡・猪田・神戸・四十九院・阿保・別府・柏尾・岡田・寺脇・川上・諸木・沖才・良依・那具・市部郡・上友生・下友生・西村・西明寺・内保・上反田・中反田・古山・七郷>の村々なりという」

ですね。
そうすると昔は伊賀にお住まいだった?
平家系の藤原姓伊藤氏でしたら当然でしょうね。
[45]服部 明子さんからのコメント(2001年12月15日 21時08分58秒 ) パスワード
  

ちょっと地図で調べて見ましたが
上記の土地は今でも殆ど残っていますが
反田は載ってませんが・・・

伊賀上野+名張地図と三重県地図でその近辺も見て見ましたが。
[46]さんからのコメント(2001年12月16日 09時51分50秒 ) パスワード
  

唯一「反田」の名残かな?と思ったのが、上野市の松尾芭蕉生家近辺の「平野六反田」という地名でしょうか?
で、その西隣が「平野樋之口」なんですよね・・・
それから近くに長田<オサダ>地区はありませんが、長田<ナガタ>地区なら上野市内に存在します。

実は以前からこれは??と思っていたのですが、「樋口」や「○反田」という地名は結構全国あちこちにある様なので、書かなかったんですよ。
単なる偶然だと、混乱させてしまうかなと思って。

でも、過去帳によると江戸時代までは「大槻」姓だったのですよね?
う〜ん・・・

考えられるケースとしては、

@江戸時代までは「大槻」姓だったが、福島に存在する「反田」という地名からとって名を変えた。
(例えば福島県二本松市にも「反田」があります)

A他の土地(例えば伊賀)で「樋口」〜「長田」〜「反田」と名前を変えた後、何らかの縁で「大槻」家に入って後を継いだ。

とか???あ、余計混乱してしまった・・・すみません。m(_ _)m
[47]服部 明子さんからのコメント(2001年12月16日 11時23分58秒 ) パスワード
  

A他の土地(例えば伊賀)で「樋口」〜「長田」〜「反田」と名前を変えた後、
何らかの縁で「大槻」家に入って後を継いだ。

これは凄いですね!
伊賀の地名を網羅してますね。
(^^)
[48]さんからのコメント(2001年12月17日 12時12分13秒 ) パスワード
  

ちょっと無理がありますかね… (^^)ゞ

そりちゃんさん、勝手に憶測立ててすみません。
[49]さちこさんからのコメント(2001年12月17日 12時34分03秒 ) パスワード
  

探してみたら阿山町に上友田、中友田、下友田なんて地名がでてきました。
もしかして友を反に間違えて書き写したとか?
なんかそんな感じがします。
ごめんなさ〜い。

上野市に治田と書いてハッタという所があるのですが、
長田と書いてオサダと読むのになんか関係ありそう。
[50]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月17日 21時58分48秒 ) パスワード
  

うーん、皆さんの推理合戦すごいですね!
でも本当に伊賀の方の出身なら凄い縁で偶然このサイトに
巡り会ったということになりますね。

いま私は叔父の書き写してくれた過去帳と戦っています。

農家のはずなのに名を襲名していて、しかも何代とか書いて
ないので、ごちゃごちゃです。
女・子供は名前の記載がほとんどないし、姓の違う人もたくさん
のってるし・・・

そして最大の謎は嘉永元年から慶応3年まで記載がないのです。

21年間ほんとうに誰も死亡しなかったのか、そして
「反田」姓にかわった秘密がこの21年間に
かくされているのかは、いまとなっては知るすべがないのですが。

今後は山梨の「反田」姓の方にアンケートして
その後本家の叔父がいいよといえば
本家周辺の「大槻」姓のかたにアンケートとろうかと
考えています。
[51]さんからのコメント(2001年12月18日 10時51分17秒 ) パスワード
  

>そりちゃんさんのコメント
>農家のはずなのに名を襲名していて、

私も詳しくはありませんが、
由緒ある郷士(昔は武士だったけど帰農したような)にはよく見られることではないでしょうか。
良いお家柄の証拠でしょう。(^^)

>そして最大の謎は嘉永元年から慶応3年まで記載がないのです。

確かに、この「間」は気になりますね・・・
江戸末期、ご本家に何があったのか?
「大槻」姓の方々の中に、当時の事情に詳しい方がいらっしゃるといいですね。

****************

>さちこさんのコメント

>探してみたら阿山町に上友田、中友田、下友田なんて地名がでてきました。
>もしかして友を反に間違えて書き写したとか?

と言われて思い出しました。
私、以前に「姓氏家系大事典」(大正時代に編集された古い本)の<ハトリヘ=服部>の項を図書館でコピーしてたんです。
それを見たら、出典が同じと思しき文章がありました。
確かにこちらでは「上友田、中友田」となってます。

ちなみに、「姓氏家系大事典」では下の様に記載されてます。

服部一族の村々は
「服部、羽根、高畠、荒木、寺田、千歳、佐奈具、槇山、比土、古郡、猪田、神戸、四十九院、阿保、別府、柏尾、岡田、寺脇、川上、諸木、沖戈、良依、那具、市部郡、上友生、下友生、西村、西明寺、内保、上友田、中友田、古山、七郷」なりと。

『千歳』と『沖戈』も違ってる様ですので、参考までに。
[52]服部 明子さんからのコメント(2001年12月18日 11時39分11秒 ) パスワード
  

隈さん

では註をつけておきます。
ありがとうございます。
[53]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 02時49分33秒 ) パスワード
  

友田で余談ですが、私も会社に就職したときに印鑑を間違えて
つくられたことがあります。
似てますものね。「友」と「反」って。

ところで、「反田」姓についてですが、私の父がまたへんな事を
いいだしまして、亡き祖父に明治天皇が行幸されたときに
拝名したって聞いた、と。(TT)
ああ、父よ、本当なのかよ(怒)、まったく!
もう、どこまで本当なのかわかりませんね。

ところで、私の実家のほうに平良兼と関係のある神社が
あったのです。
いままで全く知りませんでした。
良兼といえば長田流がありますよね、すごい偶然だな、と
びっくりしました。

いまその周辺は「屋形」という地名で呼ばれていて、
昔は大きな屋形があったことを創造させる地名です。
[54]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 03時00分16秒 ) パスワード
  

そうそう過去帳についてですが、何人かお坊さんが
載っているのです。
「××寺 十五世 閑居」というように書いてあります。

その他に戒名に××法師などもあります。

その××寺はうちの菩提寺なんですよ。不思議です。

不思議といえば、小学生の頃音楽の先生に
「一の谷の戦敗れ 討たれし平家の言のは哀れ」という
歌を習ったのを思い出しました。
強烈に侘しさとかを感じたのを覚えています。

過去の話題を読んでいて気になったのですが、
うちの主人は源氏なのですよ。満政流です。
でも、本家が福島というつながりです。

これも、血が呼んだっていえるのかな・・・
[55]服部 明子さんからのコメント(2001年12月21日 12時03分16秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん

苗字を拝領するって、よくありますよ。
私の遠い親戚も?武勇を誉められて、戦う事赤い血の星を浴びるが如く、ということで
「赤星」という名を拝領したとか
源頼朝でも安房に上陸した時世話になった漁師達に名を与えたり
他にもよく見掛けますよ。

ですから明治天皇に苗字を頂いたというのアリだと思いますよ。
私の知ってる人に明治天皇の御落胤という方がいらっしゃって
昭和天皇の行幸の時には私服の警察が来てました。
明治天皇は今時の昭和天皇や平成天皇とはだいぶ違うように思いますし
苗字を頂くというのは当然「アリ」だったと思います。

良兼流「長田」氏が出て来ましたか。
そして「一の谷」を聞いて胸が締め付けられた思い?

普通日本人って平家を軟弱だって嫌に思ったり源氏が勝者だから好きだったり
または
平家に「あはれ」を感じるか

でも平家に同情するのって小学生ではなかなかだと思います。
私は100%同情した事無かったです。
自分の苗字が平家だなんてアメリカ人の夫と結婚してから知ったのです。
夫が平家を好きだったから。
アメリカ人の夫が自分は平家の蟹だったなんて言うのを聞いてからです。
[56]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 12時48分07秒 ) パスワード
  

服部さんは国際結婚されてたのですね!
ロスにいらっしゃるのに本当に歴史に詳しいですよね〜。
私もがんばりますね。
でも平家物語は長い上に昔の言葉がわからなくて
図書館で借りようと思ったのですが断念しました。

そこでご紹介のあった漫画版を購入しようかなと考えています。
これなら低価格だしダンナにも怒られないかも。

明治天皇のご落胤ですか!
明治時代ってきっと現代とはかなりかけ離れているのかも
しれませんね・・・

平家に関して何か縁があるといいのですが。
なんだか、どんどん別の方向にいってしまっているような
何が確信に近いのか、どんどんわからなくなってきています。

わざわざスレッドたてていただいたのに、実のある話が
できなくてスミマセン。
もっときちんと勉強しますね。
[57]服部 明子さんからのコメント(2001年12月21日 23時52分20秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん

そうなのです。国際結婚です。
平家に興味は100%無かったのです。
それがアメリカ人に「自分は昔水の中に住んでた」「蟹だった」「平家だった」なんて
言われて(何なの?この人!おかしいんじゃないの?とんでもない人と結婚したのかしら?)
と思ってました。

だって我が家が平家なんて誰も言わないし
我が家にとって平家は日本の歴史に存在してないも同然の扱いだったのです。
母が自分の先祖は源氏方武士だった(+源頼朝と相婿だった)というのが自慢でしたから。
源氏でなきゃ存在価値が無いという家でした。

父は若い時に伊賀に何度も出掛けていたそうですが
何も感じなかったそうです。
多分今でも自分が平家の子孫なんて信じていないでしょう。
実感が無いですから。

ある時突然私は確信が持てて歴史的事実が後からついて来たという具合でした。
向こうから降るように情報が入って来ました。


そりちゃんさん

お寺さんって過去帳に書かれているお寺さんは浄土真宗でしょうか?
今の信仰してるお寺さんじゃなくて。
もし浄土真宗=一向宗でしたら
いよいよ伊勢系の流れだと思いますけど。
伊勢長島の一向一揆のことですが。

まだまだモツレてますね〜
[58]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月30日 15時01分05秒 ) パスワード
  

子供が水疱瘡になってしまいました。しばらくバタバタしていたので
遅くなってスミマセン。

我が家は真言宗豊山派だそうです。菩提寺も寛文年間の創設らしいです。
そのあたりのことはやはり現地にいって調べてこないとわからないのでしょうね。

来年は磐木・岩代国での大槻氏の情報収集と伊勢平氏について
勉強しようと思っています。

ダンナ様はとてもユーモアなかたですよね。蟹だった!なんて(^^)
でもすごい縁ですね!

私もアンテナ磨いて来年こそ、といきごんでます!

今年は何かと教えていただいてありがとうございました。
隈さん、さちこさんもありがとうございました。

来年も引き続きよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。
[59]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月30日 15時13分49秒 ) パスワード
  

そうそう、それと伊達家についても調べようとおもっています。
なにか関係ありそうなのですよね。
[60]服部 明子さんからのコメント(2001年12月31日 01時30分43秒 ) パスワード
  

お子さんが水疱瘡でしたか。
早く済んで良かったですね。
親御さんには大変でしたでしょうけど。

伊達氏にも関係がありそうですか?
いよいよ見えて来たのかも。
場所的に関係があって当然ですものね。

糸口がたくさんあってもつれている絵を想像してしまいます。
大変ですが
皆さんに「調べてここまで分かりましたが、どんな細かい事でもご教示お願い致します」と
郵送でお願いすれば教えて下さる人物も出てくるでしょうね。


私も何年もかかりましたから、そりちゃんさんも気長にご先祖さまと対話なさって下さい。

2002年が楽しい1年となりますように!
[61]返田 恵さんからのコメント(2002年01月06日 00時19分37秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2011年08月15日 11時19分05秒
[62]服部 明子さんからのコメント(2002年01月06日 23時54分10秒 ) パスワード
  

返田さん
初めまして!

<返>方の<そりたさん>でいらっしゃいますね。

よろしくお願い致しますね。
[63]さんからのコメント(2002年01月07日 11時38分43秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
年末の忙しいときとお子さんの病気が重なってしまって、大変でしたね。
もう落ち着かれましたか?

今年もそりちゃんさんにご先祖様の有力情報がどんどん飛び込んで来ますように!
お祈り申し上げます。

*******************

返田さん、どうも初めまして。
私からも、宜しくお願い致します。
[64]そりちゃんさんからのコメント(2002年01月09日 18時58分30秒 ) パスワード
  

服部さん、隈さん、さちこさん、源三さんそして返田さん、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
子供もやっと落ち着いて、私もやっとパソコンの前に
座ることができました。

今日、鹿島神宮にいってきました。
そして、鹿が居るのか、と子供が喜ぶなーくらいの軽い気持ちで
みて、神鹿についての説明を読んで、びっくり!
なんと祭神タケミカヅチは藤原氏の氏神、と書いてあったのです!
田村麻呂はともかく、これは!と思いました。

そして本家の叔父からきた手紙に
鹿島神社にはケヤキの大木があって近くに住んでいた
おばあさんにご存命の頃聞いたそうなのですが
その方が少女の頃、ケヤキに藤の木がからんでいて
とても美しく花をつけていたそうです。

現在は藤の木は枯れてしまっているそうです。

実は「大槻」の槻という字は、ケヤキのことだそうなのです。
昔の人はケヤキが大木になるのを知っていて
そこから「大槻」と地名をつけたりしたそうです。

ケヤキに「藤」が絡んでいたなんてとても象徴的だ、と
感じました。

これは、隈さんのお祈りのお陰かも!?

今月末にはお祝い事で名古屋にいくので、また
アンテナ磨いていってくるつもりです。

ところで、他のところで見たのですが
伊藤氏のホンヤさんも実在するのですか?
すごいですね!
[65]さんからのコメント(2002年01月15日 12時12分42秒 ) パスワード
  

どうもご挨拶が遅れてしまってすみません。
そりちゃんさん、明けましておめでとうございます。
こちらこそ、今年も宜しくお願い致します。m(_ _)m

>鹿島神宮にいってきました。
>祭神タケミカヅチは藤原氏の氏神、と書いてあったのです!

なるほど、鹿島神宮は藤原氏と充分繋がりの深いお宮だったのですね。
そして、「大槻」姓の由来・・・
これは年の初めから幸先が良いですね (^^)
きっとそりちゃんさんの願いはご先祖様に届いていると思いますよ。

しかも近々名古屋にいらっしゃるとのこと。
名古屋は服部氏にとっても、伊藤氏にとっても縁の深い場所。
何がアンテナにかかってくるのか、楽しみですね。
[66]服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 14時04分35秒 ) パスワード
  

もうビックリしてます。
2002年は良い情報が飛び込んで来る年かも知れませんね。


藤原氏の祖・中臣鎌足は鹿島神社出身だとか聞いてますが
本当だったのですねぇ。

ケヤキにフジなんてホントに象徴的なお話が出て来ましたね。
はぁ〜っと驚いています。


伊藤家のホンヤさんはナカナカの頑固者だそうですよ。
絶対蔵は公開しないって。
でも伊藤家の長老が数年前に一族の者を集めて家の歴史について講義なさったそうですよ。
[67]そりちゃんさんからのコメント(2002年01月15日 16時58分35秒 ) パスワード
  

私も大きな一歩を踏み出せて、うれしいです。
大槻姓でも葛西氏流か藤原氏流か、判断しかねていたのですが
もうこれは絶対「藤原氏」だ!
と、確信にいたりました。

本家の叔父も元禄時代の絵図の写しを手紙に書いて
送ってくれたりしていたのですが、(ちなみに本片は町の
町史編纂室だそうです)協力してもらった甲斐があります。

手紙にどう書こうか今自分の頭の中を整理しているところです。

そして、やはり家紋がわかるまでにはさらに時間が
かかりそうです。

本家が火事になってさえいなければなぁ・・・
あとは伊藤家のホンヤさんが頼みなのですけれどね。
無理か。
[68]服部 明子さんからのコメント(2002年01月15日 23時07分34秒 ) パスワード
  

もしかすると「藤蔓」をイメージして「反田」文字を家紋にしたのかも知れませんね。

ホントに謎々のお好きなご先祖がいらっしゃったものですね。
子孫は謎解きに大変!
[69]そりちゃんさんからのコメント(2002年02月10日 16時55分30秒 ) パスワード
  

こんにちは、ご無沙汰してました。
名古屋にいって、不思議な気持ちになって戻ってきました。
なんだか地元に居るような、なんというか、
「別の土地」に来たという感じがしなかったのですよね。
意識していたからなのかは、わかりませんが。
本当に変な感覚でした。

でも、熱田神宮と伊勢神宮の内宮にいってきました。
今年は鹿島神宮にもいったので厄年も大丈夫かな?

ところで大槻氏の出自にあたる「イトウ氏」ですが
まだ「伊藤」なのか「伊東」なのかはっきりしません。
たぶん、それはもうわからないと思うのですが、
本家の叔父の話だと明治初期まではそれに関する
古文書があったそうなのですが灰になってしまったと
いうことなので、すごく残念です。

伊東氏は藤原南家で、常陸介維幾の子・為憲が木工介に
なったので、木工の「工」をとって「工藤」と名乗り、
所領を伊豆の伊東にもらったときに家次が伊東氏を
名乗ったそうです。木工介なので家紋は家屋を表す
「庵」と木工を「木瓜」にかけて、「庵木瓜」なのだ
そうです。

伊藤氏は藤原秀郷の後裔・基景が伊勢に来住したから
伊藤と称し、家紋は「上り藤」です。

岩代国に両氏とも見え、伊東氏は安積郡で畠山義継に仕え
伊藤氏は河沼郡で延徳の頃(1489〜1491)に
伊藤長門守藤原盛定という者が住み、大槻氏を称していた。
その後、大庭太郎左衛門政道という者が住み、大庭を改めて
大槻氏を称し、葦名家に仕えていたようです。
(盛定と大庭氏の関係は詳しくは調べていません)

宮城県の大槻姓を調べたところ、その出自の中に「田村家」の
家臣だったり、浪人だったりした家がありました。
伊東祐親の次男祐清を祖とする家や、佐藤勘解由兵衛を祖とする
家、藤原鎌足三十六世伊藤三郎安芸守祐高が安積郡大槻荘に
居城して大槻を称したり、いろいろでした。

祖父の口伝の樋口姓・長田姓については、
○藤原南家工藤氏族
 信州伊那の名族にして、宅跡同村松島にあり。工藤犬房丸の末孫、
世々高遠城に仕え、樋口弾正忠は五十貫文を領す、武田氏の為に
家名を失う。
○秀郷流藤原姓
 出羽の豪族にして小野寺氏の族なり。樋口弥五郎道守より出る。
○伊勢の樋口氏
 桑名郡の豪族で樋口内蔵介は桑名南城に拠る。三国地誌に「西堡
・考えるに樋口内蔵助居守。一説樋口右衛門云々、以上を桑名の
三城という、城跡詳ならず」と。
長田姓は、
○伊勢の長田氏
 延喜式飯野郡に意非多神社あり。今朝田にありて、長田天王と
称す。この神は俗説に、源頼朝を殺した長田忠致の霊なりという
事、神名帳考証俗説弁等に見ゆ。蓋し長田氏の氏神なればならん。
○伊賀の長田一族
 長田郷より起こる。往昔は藤原氏、中頃池大納言平頼盛、
長田郷を領地しければ、その威光を羨みて平姓を称す。清盛滅亡後、
その昔に立ち帰りて藤原の姓となる。定紋州浜、幕の紋三階松に霞。
長田村、朝屋村、小田村、法華村、大の木村の五ヶ村はこの一類に
属す。
宮城県の長田姓では、
○初代を弥兵衛とし塩釜神社左宮若子大夫で朱傘役を務めた家がある。
(中略)なお、南北朝期に足利一門の斯波氏の被官として越中国
などで活躍している長田氏がいる。同氏も、あるいは奥州官領の
斯波氏の被官として陸奥に来て、一宮の塩釜神社に送り込まれた
ものなのであろうか。
○岩沼市に八雲神社(通称天王様)の神職を継承する家がある。
承平元年(931)に尾張国から来住した長田出雲守隆忠を祖と
する。同家は尾張国長田荘司(桓武平氏)として同国津島の里に
あったが、隆忠の父隆光が兵禍を避け、一族郎党7人を引き連れ
長岡に土着。津島から祇園牛頭天王を勧請して同地の鎮守となし、
隆忠を祀職にしたと伝える。地域の開拓に励み、江戸時代には
長岡村の肝入役も務めた。

口伝が真実ならば、やはり平氏と縁が深かったのかなと。
[70]そりちゃんさんからのコメント(2002年02月10日 17時45分28秒 ) パスワード
  

特に伊賀の長田一族なんて世渡り上手というか、
もしかしたらこの一族の出で、頼朝の手前
長田では危ないということになり、近くに居る
同族の「伊藤」姓を名乗ったりしたのかな、と。

大槻姓に関係するイトウ氏は岩代国には1400年代後半から
1500年頃にその記述があり、イトウ姓だけ見ると
伊東氏は弘安6年(1283)に作られた古碑に
「藤原祐重」の名が見えます。
また伊藤氏は至徳中(1384〜1387)に西田面村
興泉寺を安積郡横澤の地頭、伊藤右金吾某が草創すると
ありました。

以前明子さんに一向宗のことを聞かれましたが、
アンケートに協力していただいた反田姓の方々のほとんどが
「浄土真宗」だったのは偶然なのかしら。
山梨県の方の中には「昔えらい人の家臣として西のほうから
来て住み着いた」という方もいらっしゃいました。

福島の本家の在る地域には浄土真宗のお寺がないのです。
真言宗と曹洞宗だけでした。

そうそう、本家は地区の人からは「尊者」とよばれている
そうです。過去帳にお坊さんが入っていることと関係が
あるのではないかと考えています。
でも、叔父は出自が藤原氏と判っただけでもう満足のようで(泣)
もうあまりいろいろ協力はしてもらえないようです。

そうそう、本家のある地区の字名に「弁慶」とあるのです。
義経が逃げたときに、もしかしたら通ったのかしら?
[71]そりちゃんさんからのコメント(2002年02月10日 18時06分04秒 ) パスワード
  

うちの家紋についてですが、「田の丸に反の角字」で、
女紋は「抱き茗荷に田の丸に反の角字」です。

女紋はいつから伝わっているのか詳細が不明なので
古くからあったかどうかは判りません。
お嫁にきた方の実家の家紋かもしれませんし、
替え紋だったのかもしれませんし。
[72]服部 明子さんからのコメント(2002年02月11日 10時33分17秒 ) パスワード
  

>伊藤長門守藤原盛定という者が住み、
この方はモロ平家系って感じですね。
長門って平家が滅びた所ですから。
平家系が長門にこだわるのは当然でしょうし。


>その後、大庭太郎左衛門政道という者が住み、
大庭さんも平家系ですものね。
頼朝に負けてしまった。
伊豆の平家の代官の家です。


是非伊豆の狩野にいらっしゃって下さいよ。伊藤氏出身の地ですから。
泣けるかもよ〜!
[73]さんからのコメント(2002年02月13日 11時42分28秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんのお家にも女紋が存在するのですね。

といっても、「女紋」の定義は様々ですよね。

そりちゃんさん自身は、結婚された時にその女紋を持って来られたのでしょうか?
もしそうであれば、母から娘へ引き継ぐタイプ(西日本に多くみられる)ですが、
そうでなく、結婚後は留袖などに御主人の家の紋をお使いなら、
「反田家限定の女紋」=反田家の未婚女性及び、反田家にお嫁に来られた女性が使われる紋、ということですね。

表紋が「田の丸に反の角字」で、女紋が「抱き茗荷に田の丸に反の角字」=似ている
ということは、後者であり、もともと反田家の替え紋だった可能性が高いのでは?


他のスレッドにも書きましたが、私のところにも女紋「対い蝶(向い蝶)」が伝わっていて、これは「家」に関係なく、母から娘へと引き継ぐタイプ。
女系を何代も辿るのは難しく、やはり何処から来たのか分かりません。

俗説には「蝶の女紋を持つのは平家の末裔」なんていうそうですけれど・・・

実際のところ、純粋に女系を伝わって来たのかどうかも定かでない。

ただ、母の話では、亡くなった祖母はこの紋をかなり大事に思っていた様です。
「これは誰もが持てる紋じゃないから」って。

だから、最近では結構ちゃんとした由来があるのかも知れない、なんて思ってます。


あ、ごめんなさい、話がそれましたね・・・(^^;
[74]喜田川利恵子さんからのコメント(2002年03月11日 01時22分28秒 ) パスワード
  

始めまして そりちゃんさん!
私も先祖を辿ってここまできました。
私も福島生まれです。参考になるかどうかは解かりませんが知っている事を書いてみます。
私の先祖も中国地方出身です。

明治4年の廃藩置県当時 私の先祖は川越城の藩士でした。
そして7年 私の曾祖母を馬に乗せて福島県双葉郡まで流れてきました。
今から20年ぐらい前 テレビで川越藩士の集まりの会があるのを知り
その会の方から 私の先祖は周防藩の者であったとわかりました。
私の先祖は「松江」と言う名字です。
おそらくは地名からとったのだろうと推測していたのでしたが
島根県の松江からと思っていたのが 周防藩と解かった時には
とても喜びました。
そして 何故福島に定住したのかが知りたくて色々調べておりますが
我が先祖「松江」は 殿様と共に行動を共にしたと思われます。
殿様は「松平 松井家」でした。
「松平 松井家」は周防の守で浜田藩の殿様の時に
「竹島事件」を起こして 棚倉まで左遷されました。
棚倉藩で 「松平 松井家」は4代過ごしますが その後
川越藩に入り 明治を迎えます。
何か 手がかりでもあればと書いてみました。
      喜田川

[75]そりちゃんさんからのコメント(2002年03月11日 18時27分06秒 ) パスワード
  

喜田川さん、はじめまして。
ご先祖様の足跡がはっきりわかっていらっしゃって羨ましいです。
私の方はたぶん元は武士であったと思われるのですが、
私の祖父母はすでに他界しており、父方の兄弟もあまり
興味がなかったせいか昔のことははっきりとはわかりません。
口伝では豪族だったとも武士だったとも伝えられております。
本家がある土地は江戸時代はほとんど幕領として支配されており
藩士だった可能性は低いと思います。
大槻姓からなぜ反田姓になったかも謎ですし、現在何代なのかも
不明です。
でも、喜田川さんのご先祖さまのような理由で移住してくることも
あるのですよね。
とても参考になりました。ありがとうございました。
[76]hazuさんからのコメント(2002年03月11日 21時55分19秒 ) パスワード
  

喜田川利恵子さんへ

松平周防守家家臣の御子孫にネット上であえたのは、
初めてです。

私の母方の祖母も松平周防守家家臣の子孫です。
私の祖母の家は茨城県北茨城市に土着しましたが、
祖母の叔父は双葉町に土着しました。子孫は本屋を
やっているようです。
祖母の家は岡田といいます。私のハンドルは祖母の
ひい爺さんの名前から貰いました。


筈衛
[77]喜田川利恵子さんからのコメント(2002年03月11日 22時44分56秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんへ
こんばんは! 喜田川です。
今日わかった事ですが 武士だけが殿様と同行していたのでは無く
神社やお寺に関係する人たちも 行動を共にしていたと思われますよ。

また 周防の国の村を調べていて解かったのですが ある集落は「田」
のつく名字が多いらしいです。

昔 あまり良い事が続かない時など 名前を変えることがよくありましたよ。
実際 私の祖母は ツネ という名でしたが 通称は テイ で通していました。

反田姓も ともするとそんな理由で、名字を替えたのかも?
先祖捜しでつまづいたら 仮説を立てて行ってみるのも結構おもしろいですよ。

------------------------------------------------
hazuさん! こんばんは!

周防藩の末裔は川越に沢山おられますが、hazuさんは「初雁恩地会」をご存知ですか?
ここには 川越藩士のお名前を記録されているものがあるようです。
以前 入会したのですが 引越しと共に退会してしまいました。

これから お互いに情報交換が出来ると面白いですね。

              喜田川




[78]hazuさんからのコメント(2002年03月11日 23時57分10秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんへ

 明治になって、屋号を名字にした家もありますよ(^_^;;
 明治天皇から下賜された苗字だとしたら、半田銀山から来ている
と考えるのもありかと・・・(^^;;

 私も時々県立図書館に行きますので、どこか出会っているかもし
れませんね(^o^;


喜田川利恵子さんへ

 「初雁恩知会」はしっていますよ
 でも、私は女系だから・・・
 岡田家は、江戸末期の一時期を除いて、戦国時代からほぼ判って
いますので、いいかなと思っています。最後の手は北茨城市にある
祖母の実家に行って聞けば判るのではないかと思っております。
今は2、3回しかあっていないので躊躇しているだけだし・・・(^_^;;


筈衛
[79]そりちゃんさんからのコメント(2002年03月12日 16時15分57秒 ) パスワード
  

hazuさん、こんにちは。
実は私は千葉県人なのです。ごめんなさい。
でも今年中に一度は福島の本家に行こうと思っています。
もしかしたら、どこかですれ違ったりするかも。

[80]そりちゃんさんからのコメント(2002年03月12日 17時06分53秒 ) パスワード
  

他で書いた宗門人別改帳は、コピーはいただけたのですが
人別改数帳で、村にその宗派が何人というじつにおおまかな
内容のものでした。
もちろん、先祖のことはわかりませんでしたが、一緒に送って
いただいた元禄2年の村絵図には現在の本家の位置に屋敷が
建っており「庄○○」←読めない
と記載されていました。とりあえず、その頃から現地に居住して
いたのは間違いなさそうです。
町史編纂室の室長さんもいい方で、やはり同じように調査して
いる方が調べに来たりしてますから、ぜひ一度いらしてみて
くださいとおっしゃってくれました。古文書を生で閲覧出来る
機会などないでしょうからね、今年中には行きたいと思っています。

服部さん、そんなオチでした。トホホ。
[81]服部 明子さんからのコメント(2002年03月13日 13時54分07秒 ) パスワード
  

がっかりなさらないで!
多分次の段階へ繋がると思いますから。

>人別改数帳で、村にその宗派が何人というじつにおおまかな内容のものでした。

宗派だけでも、分かると面白いではありませんか。
そりちゃんさんとこのお寺と繋がりが出て来るかもです。
諦めないで!
[82]川口 信さんからのコメント(2002年04月21日 14時51分28秒 ) パスワード
  

反田(ソリタ)姓の調べは大変難しいですね。以前のレスを読み返したのですが。原点に帰って『反田 全国』で検索すると704件もあります。中には反田中、九反田などを拾ってくるが「人名」も数多く拾えます。「そりた」姓も結構ありました。一度検索して見る価値はあるとおもいます。

 まず島根県にも多数見られます。後は山梨県などで、後はチラリホラリで読み方はソッタ、ハンダ、ソリダ、タンダなどです。
 
 氏名の起こりは地名からが多いので。地名では山形、福島など字(あざ)名に「反田」が付くところが数多くあります。これも読み方がわからない。

 また以前スレに出ていた樋口姓(武田家家臣)で山梨県から山形県に行った家があります。

  http://www.him.ne.jp/channel/knowledge/surname/ha/
   (苗字のいわれ:は行)
また家紋でそりちゃんの家と似た紋を使用した伊東氏(茗荷丸の内田の字):藤原氏・生国伊勢と言うのを以前茗荷紋を調べていた時あったのを思い出しましたが出典が何処だったのかわかりません。
 なにか書き並べただけでお役に立つ解かりませんが。諦めずに頑張ってください。
[83]そりちゃんさんからのコメント(2002年04月21日 17時26分21秒 ) パスワード
  

川口さん、ありがとうございました。
藤原系工藤氏流の樋口氏もいたのですね。

じつは、調べてもいっこうに手ごたえが掴めず、来月福島に
行っても何も得るものは、もうないのではないか、自分が
やっていることに意味はあるのか、と悶々としておりました。

でも川口さんのお蔭で少しふっきれました。(^^)

<そりちゃんの家と似た紋を使用した伊東氏(茗荷丸の内田の字)
ええっ!そんな伊東氏がありましたか!女紋も調べてみます。

菩提寺に連絡をとり、過去帳をみせていただくか、どうしようか
迷っていたのですが、勇気を出してとりあえず電話して
お願いしてみようかと思います。
[84]川口 信さんからのコメント(2002年04月24日 11時08分50秒 ) パスワード
  

 この間の続きです。

 「反田 全国」で検索したら完全に「そりた」とふりがなが振ってある人はすでにご存知の返田 良、反田孝幸を含め7名で、なかにはメールアドレスが書いている人物もありました。あと20名近くありましたが例によって読み方が解からない。
 島根県の反田家は「ハンダ」と読む家が多いみたいです。仙台の反田家は「ソリダ」、滋賀県の反田家は「タンダ」など、山梨の反田家は「ソリタネクタリン」と言う商品名を使っておりました。

 それから伊東家の家紋良く調べたら「茗荷の丸に日の字」でした。その茗荷の紋は「吉良家」から頂戴したとありました。間違えて、混乱させてしまい御免なさい。
[85]服部 明子さんからのコメント(2002年04月24日 12時28分15秒 ) パスワード
  

反田姓は読み方が難しいのですねぇ。
やっぱり「そりちゃんさん」の御先祖さま達は謎々のお好きな人々だったかも、よ。
ご子孫を混乱させてあの世で面白がっていらっしゃるのかも。
う〜ん・・・
[86]そりちゃんさんからのコメント(2002年04月24日 17時47分38秒 ) パスワード
  

<ご子孫を混乱させてあの世で面白がっていらっしゃるのかも。
勘弁してくれー!という感じですね(笑)本当に。

今日は実家の父と母が遊びに来ていたので、ご先祖の話を少ししてみたのですが、
父曰く「自分は祖父から大槻姓については聞いていないから」とのこと、
祖父は「昔樋口で長田で反田になった」といっていたのですよ。
たしかに過去帳を見て私も驚いたのですが。
ただ、初代反田庄兵衛さんは大槻家から娘が嫁にいったことのある大室家からの
養嗣子なのです。義父に当る最後の大槻姓の庄兵衛さんは子供がなかったのか、
詳しいことは伝わっておりませんが。
それで仮説ですが大室家が元反田姓で、明治になって「反田」にした。
もしくは、大槻家に嗣子がいないのをいいことに大室家が乗っ取った?とか。

上郡地区についても妙で、昔話的な話がまったく伝わっていないようなのです。
隣村の下郡・伊達崎・桑折・半田には山ほどあるのに、です。
下郡村には長者伝説があって、平安時代の信夫庄関係の豪族にまつわる祟り話が
あります。また、弘法大師にまつわる伝説とか近隣にたくさんあるのですけれど、
本当にないのですよ。
このことから、あの地区は身元がわかるような話をしてはいけないような
人々が住んでいたのかしら=落ち武者?と、都合のいい想像を膨らませては
打ち消している妄想の日々です(笑)。

川口さん、ありがとうございました(泣)。
こんなに詳しく調べていただいて、恐縮です。
また、しばらく図書館通いを復活しようかと思っています。

でも、本当に明治になって反田になったのに、なぜその時の話が子孫に
まったく伝わっていないのでしょうね。
父によると「戊辰戦争のときに大仏城(福島城)を落とした官軍はそのまま
うちの本家の方にやってきて火矢を射られて炎上した」と祖父に聞いている
そうです。それが本当なら、うちは戊辰戦争の時に逆賊扱いされるような事を
していたのでしょうかね。でも、当時戦乱をいいことに盗んだり、殺したりも
在ったそうですからわからないですね。




[87]そりちゃんさんからのコメント(2002年04月24日 18時15分06秒 ) パスワード
  

山梨県塩山市上於曾反田が発祥地と本にあったので、於曾氏とかいたのかな、
と思い調べてみたらありました。

http://www.intacc.ne.jp/HP/oma/kaigenji-toomitu.htm

これによると、加賀美遠光の嫡子秋山光朝に平重盛の六女・茂子が
嫁いだとありました。こんなところで、於曾氏と平家が関係あるとは、
ちょっとゾッとしました。
[88]服部 明子さんからのコメント(2002年04月24日 21時49分21秒 ) パスワード
  

見て来ました。


嫡男・光朝と次男・長清を平清盛の四男・知盛に仕えさせ、平家一門の信頼を得ていた。
特に、平清盛の嫡男・重盛は、光朝を見込んで、六女の茂子を妻に与えたほどである。
光朝は妻を連れて秋山に戻ったが頼朝の怒りを買い攻められ自決、ですか。

これはかなりの平家方のお家だったのですねぇ。
[89]服部 明子さんからのコメント(2002年04月24日 22時10分30秒 ) パスワード
  

>於曾氏とかいたのかな、

於曾氏は源義光の子孫だそうですよ。
[90]そりちゃんさんからのコメント(2002年04月25日 11時45分33秒 ) パスワード
  

昨日某テレビ局の歴史番組を見ていたら「鳥羽・伏見の戦い」を
検証していたのですが、その中で新政府軍の薩摩藩の幕紋が島津氏の
丸に十字でした。
之を見てハッとしたのですが、うちの家紋の田の丸にそっくりなので、
もしかしたらご先祖が「新政府なんて認めない」という気持ちを表して
田の丸の中心に「反対する」の意味で「反」を入れて「反田」という
姓に変えたのかな、と考えてしまいました。

番組の最後に戦場に残された石碑にある内容が紹介されました。

「官軍・賊軍というが、いずれも信じるところに従って戦い士道に
殉じた。ここに百年の歳月を閉じ、不幸賊名にたおれたる誇りある人々に
対し慰霊碑を建つるを見る。
在天の魂以って冥すべし(大意)」

<いずれも信じるところに従って戦い士道に殉じた。

ここで本当に泣いてしまいました。
小学生の時に司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで、ものすごく
土方歳三に惹かれました。それは父に聞かされていた戊辰戦争の
こともあると思いますが。
会津藩の藩士や白虎隊等の若き青年達、そして新撰組の隊士を
贔屓してしまうのは、やはり福島出身だからかな〜。


[91]服部 明子さんからのコメント(2002年04月25日 11時57分20秒 ) パスワード
  

でしょうね。


[92]たまねこさんからのコメント(2002年04月26日 01時03分27秒 ) パスワード
  

やはり、そりちゃんも、あの番組を見ましたか。祖母が土方歳三の家の養女という話を聞いたので、ちょっと興味を持って見ました。

あの丸に十字紋と、黒いトンガリ帽を見ると、いつもなぜだか「きぃ〜」と歯ぎしりしちゃうんですよね。意味もなく、腹が立ってくる。散々な目に遭わされたのかも。そりちゃんの御先祖様とは、そこでも会っていたのかしら??

田に反対で、反田なんて、かっこいいネーミング!だと思いますけど、本当のところ、どうなのでしょうね?そろそろ教えてもらいたいものです。
[93]そりちゃんさんからのコメント(2002年04月26日 02時02分51秒 ) パスワード
  

実は某テレビの奥の細道も観ていました。レスを見て驚きました。
やはり、東北に惹かれるのでしょうか。

ご先祖は「戦友」だったのでしょうかね?行く先々で顔を合せていたので
しょうか。

でも、本当に「忠誠心」には心を衝かれます。なんで?と思うほど感情移入して
しまうのです。ご先祖は守るべき主を守りきれなかったのかな、、、
[94]たまねこさんからのコメント(2002年05月25日 02時08分18秒 ) パスワード
  

こんばんは。その後、御先祖様は良いヒントを与えてくださったでしようか?
そりちゃんの御先祖様とは、私どもとただならぬ御縁があるのは間違いないとみているのですが。

秋田県の名字と家紋の本に「大槻」姓がありました。参考にならないとは思いますけれど、とりあえず。

『大槻の地名によるが、陸中国磐井郡大槻(岩手県花泉町)発祥は桓武平氏葛西氏族で大槻館を根拠とした。岩代国河沼郡大槻(福島県郡山市)から安積伊藤氏族など。ほか丹波(兵庫)の豪族も。本県では前記の福島大槻郷発祥とする秋田藩士があり、幕末に算法の名人大槻友直が出た。なお今の大曲市に江戸期の大槻村、峰浜村に大槻野村があった。県内70世帯で秋田市22、大曲市12、能代市24。

家紋:三つ巴、丸に三つ柏、釘抜

関係ないですが、磐井郡の「磐」って、「反」(ハン)ですよね。(あ〜、関係ないですね。スイマセン。)
因みに、「反田」姓は県内25世帯以下だったようで、載っていませんでした。
[95]そりちゃんさんからのコメント(2002年05月26日 12時32分27秒 ) パスワード
  

こんにちは、ごぶさたしております。
先週福島に行ってきました。そして、なんだか「わからなくても
もういいや」という気持ちになってしまいました。
久々に会った親戚や従妹達と触れ合って、現在のこのつながりこそ
大切にしなければいけないな、と痛感しました。
なので、調査はしばらく時間をおこうかな、と思っています。
もう、これ以上はわからないだろうとも思いますし。

しかし、一応ご報告させてくださいね。
うちの墓地に「大阪夏の陣」で戦功があったらしいご先祖の
あれは五輪の塔というのかな?と、石碑がありました。
昔は読めたそうですが、現在はもう字も読めない状態でした。
本家の叔父によれば、夏の陣で戦功があったご先祖を記念した
ものだ、ということです。
反田の墓もとても古い墓がもうボロボロに崩れてたくさんありました。
墓地の一番奥に一番広く取ってありました。現在の家紋は明治に
なってから使用したようです。

本家の鹿島神社は想像していたより大きく立派でした。
公園までついてました。敷地内に熊野神社までありました。
こちらも鹿島神社と同じくらい大きな社でした。
鹿島神社の屋根のところに「五三の桐」紋がついていました。
鹿島神社の神紋は「巴」なので、なぜなのか疑問に思い叔父に
聞いてみましたが、わからないとのことでした。

同墓地の「大槻家」の家紋は「隅立て四目結」でしたが、同墓地の他姓の
家紋も同じ家紋でした。

うちの家紋ももしかしたら・・・?

あまり時間もなかったので、このくらいしかわかりませんでした。
そうそう、本家の話しでは昔あった家伝書は庭一面に広げて虫干しを
するほどかなりの量があったようです。それが、火事で焼失、または
火事場泥棒によって紛失したそうです。
いまでもご近所からうちになんでかこんなのがあるんだよ、と本家に
話しがいくそうです。でも、昔のことだから、と叔父はいっていました。

そうそう、ちょうど一日だけすごい快晴に恵まれ、会津若松にも
行きました。
磐梯山はすばらしくきれいでしたよ。
[96]服部 明子さんからのコメント(2002年05月26日 12時51分08秒 ) パスワード
  

そうですね。
暫く頭を休めて時間を置いたら見えて来るものがありますから
焦らないことですね。

良いご旅行になったようで良かったですね。
[97]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月22日 17時32分12秒 ) パスワード
  

皆さん、とうとうわかりました。

この数日実家に帰省していたのですが、父が

「うちは平将門に繋がりがあるってじーちゃんがいっていた」

と、思い出したのです。
将門と考えると、いままで調べたことが点だったことが
見事に繋がっていくのです。

どうも藤原氏系イトウ氏の支流大槻姓ではしっくりこなかったので
その後も調べていたのですが、
将門だと思うと妙に「そうかー」と納得できるのです。

たまねこさん、やはり繋がりましたね。

でも、もう少し調べてみるつもりです、うふ。
だって、ライフワークだもん。
[98]服部 明子さんからのコメント(2002年07月23日 13時55分01秒 ) パスワード
  

将門でしたか。
[99]服部 明子さんからのコメント(2002年07月23日 14時12分39秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんの掲示板は使い方が分からないのでこちらに書きますね。

ライフワークでコツコツ頑張って下さい。
また新しいスレッドをお立てになって下さい。
タイトルは「平 将門と反田姓」あたりが良いかもですね。
[100]たまねこさんからのコメント(2002年07月24日 01時52分30秒 ) パスワード
  

こんばんは、みなさん。

もう千年も昔のことですから、時効成立と言うことで、これからはどんどん、「隠れ平家」が出てくるといいですね。(特に、東日本の方!)

ちょっとした未確認情報?でも、たくさんの点を結べば線になります。そこから、新事実が出てくるかもしれない。

そりちゃん、ライフワーク、楽しみながら頑張って下さい!
[101]そりちゃんさんからのコメント(2002年07月24日 08時12分44秒 ) パスワード
  

服部さん
掲示板の使い方わかりづらいですか。
変えたほうがいいかな?
でも、服部さんにカキコミしていただけるなんて、
とっても光栄です〜。

ご期待に添えるよう、今後は将門公について、千葉を中心に
調べてみようかと。
県内の方が出版された本も結構あるようですし。
まとまったら、そのうちこちらか、もしくは自分のHP上で
公開いたします。

たまねこさん
ほんと、「隠れ平家」いっぱいいそうですよね!
きっと中にはきちんと出自の伝わるお宅もあるのでは?
口外無用とかで名乗れないだけで・・・。

歴史の勉強し直しで、楽しくがんばります!
[102]服部 明子さんからのコメント(2002年07月24日 09時05分17秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん

使い方全然分からないのです。
あれこれやってるのですけど
大志万さんが書き込みなさっていらっしゃるって事は私も出来る筈なんでしょうけど
出来ないのですよね。

それに7000姓の検索も私のマシンでは強制終了が掛かってしまうのですよ。
マシンが古いのでジャヴァとか何とかってハイテックは出来ないからなんでしょうけど。


次回は「平 将門」関係ですか。
ロマンが広がりますね。

私は上総にいたと思う。
平 将門との係わりが私の1番古い前世の記憶です。


今日は奈良教育大学の名誉教授の先生からお手紙を頂いたのですが
この方とは奈良行きの電車でご一緒して
その時なにか感じて・・・
そしたら私が行こうとしてた木津のお寺さんが先生の教え子さんだったのですよ。

この時、安倍晴明の研究をなさっていらっしゃる、と先生がおっしゃって
今はブームでしょ。
この先生は伊豆の修善寺は霊が交差する所とおっしゃるのです。
そういう目で行ってみたいと思ってます。


そりちゃんさんは坂東平氏頑張って調べて下さいね。
こちらでも新しいスレッドを是非お立てになってください。
楽しみです。
[103]時効?さんからのコメント(2005年06月02日 18時19分23秒 ) パスワード

今頃検索でこの書き込みを見つけました
もう時効だね。

私は反田といいます
読みは「たんだ」です
九州の宮崎県です。
[105]樋口さんからのコメント(2005年09月09日 17時14分55秒 ) パスワード

みなさん、はじめまして。
今日初めてここのサイトを見ました、樋口と言います。
実は、私のご先祖様は平家の落ち武者らしく、これも何かのご縁かと思い、コメントさせて頂きました。

自分のご先祖様が平家の落ち武者だと知ったのは、数年前に祖父から聞いたのがきっかけです。
ただ、平家の落ち武者だと証明する物が何も伝わっていません。そして、樋口家は親戚が非常に少ないので、祖父から聞いた話で確実な事(または、それに近い)を述べていきたいと思います。

祖父の父は鹿児島県の出身です。
また、祖父の父の代まで平家の落ち武者の子孫達は九州にいました。
ちなみに現在、樋口家は関東に住んでいます。
平家の落ち武者は、「樋口」以外に「楢原」もいました。
祖父の父の代までは「楢原」とも交流があったらしいのですが、今は残念ながらないです。

もっと確証できるものがあればいいのですが・・、けれども、この平家の掲示板を見て、なんだか、うれしくなりました。

長文、失礼致しました。 樋口
[106]Aさんからのコメント(2007年09月20日 17時49分14秒 ) パスワード

初めまして
私も反田です。
読み方はたんだですけど。
大阪に住んでいます。
[107]みかんめさんからのコメント(2017年04月02日 21時11分05秒 ) パスワード

はじめまして。私は広島県尾道市向島町津部田出身の半田です。田舎では村上水軍の話が多かったので、平家と関係があるとは思ってもいませんでした。
考えてみれば、源平合戦の舞台ですし、落人の村だった可能性はありますね。
津部田でも穏地という所で、海から小山に神社、上部に本家があります。
母方は楠姓で菊水紋、半田方は桐紋です。ミックスですね。(*^^*)
瀬戸内海の大三島には此花咲夜姫のお父さんの神様がいらっしゃいます。
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