[1] | 自称平家の末裔さんからのコメント(2001年05月06日 23時35分02秒 ) | パスワード |
平経正をお好きな方がおられて嬉しいです。最初は敦盛が好きで、『平家物語』は
勿論、小説や歌舞伎や能楽の本などを色々と読んでいたのですが、兄君の経正の君
にも惹かれてしまい、先日は宇佐神宮に行って来ました。
例の“竹生島詣”の中に書かれている経正が17歳の時、宇佐使として宇佐神宮に
行ったというのを確かめてみたくて…。
これは『平家物語』のフィクションなのかと思っていましたが、宇佐神宮の宝物館
の中で売っていた“宇佐神宮史”の中に、間違いなく経正が奉幣使として遣わされ
た記事を見つけた時は嬉しかったです。養和元年(1181)のことですが、この年に
経正が17歳ということはあり得ないので、年代は違っていましたけど。
私は実際に経正が宇佐使に立ったとしたら、高倉天皇即位の年かと期待していたの
で、この点はちょっと残念。高倉即位の年なら、経正が17歳の時という年齢も、
かなり信憑性があったのですけどね。
“宇佐神宮史”は少し高価ですが、なかなかいいです。思わず買ってしまいました。
平家関連の記事が掲載されているのは「資料編巻3平安時代2」です。
兵範記もかなりの量で引用されています。
竹生島へは私も行きたいです。確か6月10日から経正関連のお祭りがあるよう
なので。
以前、竹生島のある“びわ町”のホームページにメールを出しましたら、経正が
“竹生島詣”の時、琵琶を弾じた際に使用したバチが、今も宝物として残っている
と教えて頂きました。ぜひ、それを見たいのです。(*^^*)
なんか、とりとめなく書き込んでしまいました。
また、遊びに来ていいですか?
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年05月07日 00時24分02秒 ) | パスワード |
是非是非お越し下さい。
そしてスレッドをお立てになっていろいろご披露下さい。
[3] | K.Mさんからのコメント(2001年06月24日 02時29分02秒 ) | パスワード |
はじめてコメント載せさせていただきます。私の経正には興味を抱く一人です。事の始まりは、吉川栄治氏著『平家物語』で、ここの登場している経正のやさしさ、そしれ武士らしくない武士らしさ、都人としての堕落と言えば堕落なのですが、人としてのゆとり、否、一人の人間の感性、平家人に対ずる見方を変えた瞬間でした。これは言わば平清盛の、教科書とは違う歴史の役割を感じた瞬間でもあります。武家社会の過度期とも言える、狭間の、その過度期に生きる青年の型、それが経正ではないかと感じています。その純粋ゆえの、悲劇を感じずにはいられません。
確かに資料が少なくその人を感ずる間もなく、歴史より消えてしまう人ではありますが、とても気になる人物です。とても情報のほしい今日この頃です。
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