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私くし、今まで歴史が苦手で殆んど無知の状態だったのですが、一寸した事がキッカケで興味を持ち始めました。
そして、【平家】の魂に吸い込まれるかのように此処に来ました。
私くしの生まれ育った地は【神戸】です。
20年間、そこで生活をしました。
今も両親が生活している実家は、【一の谷の合戦】の戦場となった【鉢伏山】の麓です。
オテンバだった私は、子供の頃、良くその山で遊びました。
独りでも、平気で昇ったりもしました。
その鉢伏山を下ると、【平敦盛】が討たれた須磨浦海岸に出ます。
勿論の事、夏には泳ぎに行きました。
その【敦盛】の首塚がある【須磨寺】には、一昨年亡くなった祖母が、よく足を運んでいました。
16歳であった若武者【敦盛】を、源氏の武士の【熊谷直実】は、我が子と同じような年頃である敦盛を助けてやりたいと思いますが、見逃してやっても結局討たれるであろう・・・、と涙を呑んで敦盛の首を討ち取ります。
敦盛は、笛の名手でした。
同じ16歳で命を絶った若武者に【平知章】がいます。
【知章】は、父の【知盛】と共に船に乗る為に沖へ向っていましたが、源氏に追いつかれます。
その時【知章】は、源氏に父の【知盛】を討たせまいと、自ら敵に立ち向かい討たれ死にます。
この【知章】の墓は、彼が討たれた地でもある神戸市長田区の【妙泉寺】にあります。
この2人の他にも、若い武者達が命を落としています。
そして終に【壇ノ浦、早鞆の瀬戸】の海の上で、平家は敗れます。
安徳天皇も海底に沈みました、その時8歳でした。
安徳天皇をはじめとする平家の人々を弔う【赤間神宮】は、平家物語とは切っても切れない縁の【琵琶法師、耳なし芳一】が世話になっていた【阿弥陀寺】の跡です。
私の名前に【とも】というのが付いたり、嫁いだ先の苗字は【平子】と言い、主人の名前には【章】という字が入っているし、娘の名前には【阿】が入っている。
そして、私が父に読んで貰った本の中で一番心に残っていたのが【耳なし芳一】であった。
その父は、何十年と海の上での仕事をしていた。
これから私は、【平家】をもっと追求していこうと思う。
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