[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年02月12日 22時15分24秒 ) | パスワード |
平家物語・巻6の3に
1。「中宮の御方より」つかわされたと書かれていますね。
2。「嵯峨の奥にぞ住まれける」と書かれていますね。
[2] | 芭雨さんからのコメント(2001年02月13日 22時49分57秒 ) | パスワード |
服部明子さん、お答え、ありがとうございました。勉強不足ですみません(^^;
1.やはり小督は徳子の女房だったのですね。
沈んでいる帝を慰めるためはいえ、徳子了承済みの縁組?だったわけですね。
娘(徳子)は納得しているのに、親父の清盛が一方的に
「娘のライバル!」とばかりに怒っていたのでしょうか?
こうなることがわかっていながら!?宮中一の美女・小督を帝に遣わせた徳子って
不思議な女性だと思いました(^^;)
2.出家後は再び嵯峨野に戻っているのですね。
嵯峨野にも小督塚はありますが、清閑寺の高倉天皇陵の隣にも小督の墓がありま す。どちらも後の世の人が作った塚なのでしょうね・・・。
小督が「清閑寺で出家させられた」と書いてある本もありましたが、
これも『平家物語』本文には書いてありませんね。
お答え、ありがとうございました。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2001年02月14日 00時00分04秒 ) | パスワード |
清盛が小督に腹を立てた原因は
小督が婿2人にちょっかい出してる?寵愛を受けたから?
と書かれていますね。
更に「また高倉と会ってるのか」
えっ?!今度は懐妊?!と、父親としては危機を感じたのでしょうね。
元が信西の孫でしょ。
重なるモノがあったと思います。
[4] | なかにしさんからのコメント(2001年02月14日 23時06分07秒 ) | パスワード |
芭雨さん、こんばんは。その節はよいサイトのご紹介をありがとうございました。
あれやこれや忙しくて、出てくるのが遅くなってすいませんでした(いいわけ ^^;)
服部明子さんが書かれておられるとおりですね。信西の子供の成範の娘ですね。建礼門院中宮徳子に出資して高倉天皇と仲良くなったのだそうです。徳子が了承していたかどうかについては・・・「んなこったぁないだろう、実はこうなのではないか」というを、根拠も示して説明してる本を最近読んだのですが・・・どの本だっけか???(これこれ ^^;)
事が上手で、かなりの美人だったそうですね。彼女の琴の音を聞いた高倉天皇の使いが、彼女を連れ戻すシーンは有名ですね。
記憶が定かでないのですが、永井路子さんは「平家物語の女性たち」の中で、小督に対する清盛の強引な処置は、清盛の強引さを読者に印象づけるための全くの作り話ではないかと書いておられましたね。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2001年02月15日 09時16分44秒 ) | パスワード |
<作り話>
高倉天皇という人は「平家物語」を読んでる分には
徳子との間に安徳天皇と小督との間に娘を作ってるだけに思えるけど
実は7人も子供が生まれているのですよ。
20いくつで亡くなってしまうには結構多いと思うのですがね。
ですから小督を巡るお話は<作り話>と思います。
特に信西の孫ですから
小督が徳子より先に男子を生んでは
小督を取り込んで清盛に対抗しようと画策する人物も出て来るわけで
なかなか面白い展開が期待出来たという意味では悲劇性を十分持った女性だったと思います。
[6] | 芭雨さんからのコメント(2001年03月02日 18時29分26秒 ) | パスワード |
こんばんは。芭雨です。
今日、e-kyotoに平家物語の特集をアップしました。
よかったら遊びに来て下さいね。
高倉天皇、7人も子供を作っているのですね!
やるなあ・・・。
小督を巡るお話は作り話なんですか・・・。
徳子が小督を天皇に勧めた、というのもやはり作り話?
本当だとしたら、徳子はかなり寛大でおっとりした女性だったのでしょうね。
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2001年03月02日 22時48分09秒 ) | パスワード |
http://www.e-kyoto.net/neta/b10/higasi1.htm
拝見しました。
親切な書き方ですから「平家物語の史跡を訪ねて散策」には大いに参考になりますね。
ありがとうございます!
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2001年03月02日 22時52分17秒 ) | パスワード |
徳子とは一体本当はどういう女性だったのでしょうね?
やっぱり抜けてる?
それともおっとり優しく生まれついていた?
いろいろな悪口を書かれているから
抜けていたのかしら?
小督は「次期天皇を誰が生むか?」の争点の女性だったと思いますよ。
でも生んだのが女の子だったから悲劇の女性になり得たと想像しています。
お祖父さまが信西だったから
清盛には大変なライバル出現!と警戒したと思います。
実際の所はどうだったのか知りたい1人です。
[9] | 寺田幸恵さんからのコメント(2001年06月20日 13時36分13秒 ) | パスワード |
皆さん、はじめまして。私は筝曲を習い、学んでいる学生です。今、筝曲の師範資格を取るために小督に関する論文を書いているのですが、いろいろ調べていて、皆さんのメールを拝見しました。
すごい内容ですね(^^)読んでいて、嬉しくなってしまいました。
高倉天皇が帝位について徳子と一緒になったときは、確か高倉天皇11歳、徳子18歳ではなかったですか。明らかに清盛による政略結婚ですよね。まだまだ子供の天皇に徳子としては、ほかの女性(愛人)を差し出さずにはいられなかったのではないでしょうか?私個人としては、この小督の話は本当であってほしいですね。
[10] | 服部 明子さんからのコメント(2001年06月20日 21時53分49秒 ) | パスワード |
寺田さん
初めまして。
ようこそいらっしゃいました。
私の昔の同僚も「小督が好きでお琴を始めた」と話していました。
小督の存在は非常に興味深いですね。
政治的にも恋愛的にも女の争い的にも。
また高倉天皇を語るにも。
芸術を語るにも。
彼女の実像に迫るのにはかなり読み込まないと・・・
筝曲の面から迫った小督の姿というのはなかなか書けませんから
論文が出来上がりましたら新しいスレッドをお立てになってお知らせ下さい。
【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る 】 |
|
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇ DB-BBS-system V1.08 by Rapha. WEB design Rapha. |