[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年01月08日 00時20分56秒 ) | パスワード |
メールを頂きました:
20世紀末は予定通り、神戸に向かう。
行先は清盛が遷都をした神戸・福原。
後白河法皇の仮御所となった、清盛山荘・雪見御所跡。
大きな石碑があるが、残念なことに小学校の校庭にあるため、外から見るだけ。
例え冬休みでなくても、校庭にズカズカ入って行くのは気が引ける。
なるべくなら元の位置に石碑を建てたいのは分かるが、
後々のことを考えたら校庭というのは適切ではない気がする。
せめて、学校の隣接地にして欲しかった。
他にこの辺は遷都の場所でもあり、かなり史跡がある。
ぶらぶら歩いて、山の遅い紅葉を眺めながら最後は「祇園神社」に。
神戸・福原に祇園神社とは面白い取り合わせだが、
やはりここに来ても京都が恋しかったのだろうか。
神戸の最終は、モザイク。
若者の町のようだが、昼間は家族連れや夜の雑踏を嫌う若者たち・恋人たちがかなりいて混雑している。
大晦日は、いよいよ京都。
私の京都は、他人が期待しているような京都ではない。
立派な寺もないし、建造物もない。
ましてや、美味しい食べ物などあるわけがないし、下手をすれば店さえ無いこともある。
それは、人が来ない場所ばかりだからだろう。
法勝寺跡。
洛東の北にある六勝寺跡の中の一つ。
白河院祉と法勝寺跡(の説明)が同じ場所にある。
ここに立った時、身体が訳も無く震えた。
それは寒さだけのせいではない。
やっと、清盛の嫡男・重盛に逢えたような気がしたからかも知れない。
平家の中にあって只一人、理性で清盛を諌めた男である。
だが、その理性は抑えるだけではなく、押すと判断すれば押し、引く時は引く。
そういう柔軟性のある人間であった。
若くして死に、ここ法勝寺に葬られた。
重盛の遺骸は、後に熊野に移されるが場所は分からない。
重盛の死後、清盛の暴走と平家の衰退が始まる。
ただ一人、若い男性が説明の立て札をじっと読んでいる。
「日本の若い人も、馬鹿にしたもんじゃないな」と思わず微笑んでしまった。
木曾義仲供養塔(首塚)。
八坂の塔で有名な法観寺境内にある。
100%八坂の五重塔に行く人の中で、義仲の供養塔に行ったのは私一人であった。
ひっそりと苔むした小さな供養塔が、冬の雨に濡れて佇んでいた。
余りにも正直過ぎるために、かえって頼朝に疑いを持たせてしまった。
その死ぬ様は哀れである。
何故、ここ法観寺に首が収められたのかは分からないが、或は他から移されたのか。
義仲供養塔の前に来ると、「可哀想に!」と思うより、「よお、元気かい?」と声を
掛けたくなる雰囲気である。
天下を治められる器量ではないが、好かれる男であった。
八坂の五重塔の中で、若い女性が二人。
一人がもう一人に、一生懸命説明をしている。
「その説明は違うよ」と言いたいのを抑えて、含み笑いで塔の外に出た。
その余韻と明るさが大きな声を出させ、住職に「ありがとうございました」と叫んでいた。
源頼朝宿舎付近。
頼朝は3回ほど上洛している。
その3回のために、宿舎を京の七条に造ったという。
その付近へ行ってみた。
勿論、碑も立て札も無い。
場所だけは分かっている。
七条に面した店は、ほとんどが新しく近代的な店構え。
だが、一つ路地裏に入れば、京都らしさが見えてくる。
大晦日だというのに、人通りは少ない。
不況なのか落ち着いているのか。
後白河法皇の御所だった法住寺、
清盛が千一体の観音像を寄進した三十三間堂、
次期将軍・頼家の開基となる建仁寺。
こうした場所に近いのは、何等かの因縁があったからだろうか。
長楽寺。
「祇園精舎の鐘のこゑ 諸行無常の響あり」で始まる「平家物語」。
平家物語ではこの長楽寺がかなり舞台となる。
建礼門院、安徳帝など悲しい運命が「平家物語・灌頂巻」に語られる。
平家ゆかりの寺とともに、この寺の「祇園精舎の鐘」と言われる鐘の音を、しかも20世紀を送る除夜の鐘で聞きながら21世紀を迎えようと決めた。
音は少し高いが余韻の長い鐘が、除夜の告げ始めた時、手を合わせていたのは私だけではなかった。
境内全体が重厚な感じのする長楽寺。
何故源氏を追う私が、平家ゆかりのこの寺で除夜を過ごすのか。
それは清盛がおり、重盛がいたからである。
池の禅尼の泣き落としで頼朝を助け、常盤御前の泣き落としで義経を助けた。
この二人がまさか、平家を滅ぼすとは夢にも思わなかったろう。
この「女」に弱い硬骨漢の憎めない親父と、沈着冷静な重盛。
この親子がいたから頼朝の仇敵、平家の場で除夜を迎えた。
夜が明けようとする京都の朝。
大晦日の雨もあがり、空に「冬の大三角形」、シリウス・ベテルギウス・プロキオンの星たち。
頼朝も清盛も、この星を見上げた筈だ。
彼等と同じものを見れるとしたら、この宇宙に輝く星が唯一のものだろう。
北風に凍えながら京都の駅に向かう。
氷点下である。
何度も何度もハンカチを目に当てた。
「泣いてるんじゃないぞ。北風が強くて寒いだけだ。」
心は、とても温かかった。
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年02月09日 22時18分13秒 ) | パスワード |
メールを頂きました:
今日は鹿ヶ谷に行ってきました。
俊寛の山荘跡に顕彰碑が建っていると聞いて行こうと思ったのですが、
道なき道で「女性の一人歩き危険」の看板にあきらめて
戻ってきてしまいました(^^;)
確かに密議をするには最適の地ですね。>俊寛の山荘
うーむ、「平家物語」は奥が深い!
明日は嵯峨野に行って来ます。
[3] | ラン2さんからのコメント(2001年04月16日 17時23分34秒 ) | パスワード |
服部 明子さん みなさん はじめまして。
ラン2と申します。
子供のころテレビで『新平家物語』を見て以来、歴史が大好き。
ミーハーな歴史ファンの主婦です。
最近のマイブームが平家物語。
京都に住んでいるものですから平家物語ゆかりの地を探訪するの
が最近の楽しみです。
前置きが長くなりました。ひとつ質問です。
平重盛の葬られた場所についてです。
わたしは延慶本により法性寺と思っていたのですが、異本の多い
平家物語のこと法勝寺としている本があるのでしょうか?
よろしくお願いします。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2001年04月17日 00時58分13秒 ) | パスワード |
ラン2さん:
初めまして。
ようこそいらっしゃいました。
分骨の話が他のスレッドにありますが
清盛も経の島に後に葬られた
とありますから
あの時代も分骨したのでしょうね。
私の古文の本では重盛がどこに葬られたかということは明記してないですが
貞能が小松殿の遺骨を堀り出して高野山に届けるお話では
六波羅にお墓があった
と註がついています。
東山の松原あたりが六波羅のあった所だそうですが
私は京都は土地鑑が無いので全く分かりません。
上記の方はあちこち捜し回って重盛は法勝寺に葬られたという確信を持った
という意味でお書きです。
左京区岡崎ですね。
ま、東山の近く。
もともと平家物語は虚構に満ちた小説で
真実性に乏しいのではないでしょうか?
註によれば玉葉ではXX日、何とか本では○○日、と
本によって日付も違ったりします。
写本の写す時に間違えることもありますし。
ただ漢字を間違えたり、写す人の思い込みで間違えたり、写す人が自分の思惑で記入したり。
私の最近手に入れた「平家後抄」の<上>では93頁に
重盛の遺骨は高野山へ持たせたとのことである。
重盛の祭り墓が法性寺の近くに営まれていたことは否定出来ないにしても
遺骨の方はつとに高野山の納められていたのであるから(略)
これらの記述には虚構が多いようである
2行目にご注目を!
この記事の註として愚管抄、山かい記、百錬抄などが挙げられています。
私の持ってる人名事典でも重盛の墓については記入がしてありません。
彦島のお寺に重盛ゆかりの仏さまがありましたが
ここも昔は重盛のお墓があったのかも。
三重県にも重盛ゆかりのお寺はいくつかあるかも知れませんよ。
息子の資盛を流していた所ですから。
ワタクシの母方の祖母でもお墓でしたらアチコチにあるのですよ。
最近は両親が東京に住んでいますから東京にも建てるのかも。
4月の初めにお墓を移すのに何十万円だかの寄進が必要だと聞いて来たばかりです。
それで母はこのお金が惜しくて。。。
だって四国にも大阪にも名古屋(複数)にもお墓でしたらありますから。
最近は母の姉が三重県に引っ越しましたから(同居の婿は坊主)
三重県にもお墓を建てるのかも。
ただの貧しい女さえゆかりの墓が全国にありますし
ワタクシが建てることにもなればアメリカにまで存在してしまいます。
平家物語ゆかりの本は実に多くて今回も日本で沢山立ち読みして来ましたが
買う価値の無い本が沢山高い値で売られてました。
平家の人物達はそれだけロマンに満ち
平家物語を愛して下さる方達が日本全国にたくさんいらっしゃるからだと思います。
お役に立てなくてごめんなさいね。
またどこかで重盛のお墓の記事を見掛けましたら書き込みますね。
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2001年04月17日 03時06分45秒 ) | パスワード |
http://bbs.c-studio.net/heike_slink/100054_4.html
ここに法勝寺の話が書いてあります。
私は、重盛は出家してから、西国に旅に出て、そこで亡くなったとも聞いたことがあります。
でも人名事典には全く書かれていません。
若くて亡くなって清盛が嘆いたとはどこでも読みますが。
最後に貞能が墓を堀返して高野山に持って行ったと読んだぐらいです。
また何か捜したら書き込みますね。
[6] | ラン2さんからのコメント(2001年04月18日 08時30分18秒 ) | パスワード |
服部 明子さん さっそくのレスをありがとうございます。
各地に高野聖や歩き巫女を通して流布していく伝説。
それを追っていくのもおもしろいでしょうね。
昨日はネットサーフィンしていると、重盛の墓が茨城にもある
というのを見て驚きました。
http://www.pref.ibaraki.jp/discover/5/legend.htm
先月、小松谷や法性寺の跡を歩いてきました。
後ほどスレッドをたててご紹介したいと思います。
では では
[7] | 服部 明子さんからのコメント(2001年04月18日 12時15分11秒 ) | パスワード |
ラン2さん:
>先月、小松谷や法性寺の跡を歩いてきました。
>後ほどスレッドをたててご紹介したいと思います。
是非是非お願いいたします!
よろしくね。
茨城の「重盛の墓」ですか?
これは初耳です。
ふぅ〜ん・・・・???・・・はぁ〜・・・・
西の方なら不思議じゃありませんでしたが
でもせいぜい三重県辺りだろうと踏んでました。
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