[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年12月28日 23時45分07秒 ) | パスワード |
平 教経:生没年不詳
平安末期の武将。
平 清盛の弟・教盛の次男。
母は藤原資憲の娘。
もと国盛。
仁安元(1166)年、ホウキ守から民部権大輔
治承3(1179)年、能登守。
この頃、教経に改名。
養和元(1181)年、北陸道追討副将軍となる。
寿永2(1183)年の平家都落ち以来、一門きっての豪勇の士として知られた。
備中水島で源氏を破り、淡路に源 義嗣・義久を討ち
伊予の河野通信・紀伊に園部忠康を下だし、
豊後の緒方惟義・臼杵惟隆を追い落とすなど活躍。
「吾妻鏡」では一の谷の合戦1184年に安田義定に討たれ獄門に掛けられたとするが
「玉葉」では、この首は偽物との風聞を伝え、
「醍醐寺雑事記」では文治元(1185)年3月24日壇の浦で自害、
時に26歳という。
宿敵源 義経を追い詰め「義経の8艘飛び」の説話や
阿波徳島県の祖谷の平家落人部落は国盛の土着と伝える。
[2] | ゆずさんからのコメント(2000年12月30日 00時20分34秒 ) | パスワード |
明子さま:迅速かつ親切なお返事、ありがとうございました。
暖かく迎えていただいてうれしいです。
明子さんの言うとおり、平家物語はあくまでも小説だと
いうことを踏まえておかないといけないですね。
そのうえで勝手に想像するのは、なかなか楽しいです。
「新・平家物語」の教経は吹っ切れたキャラだと思います。
病弱で大酒飲み、体型は細身ときてるのに、金剛力で安芸兄弟を
両腕に抱えていたなんて、何ともシュール・・・。
教経にしても資盛にしても、次男って何だかおもしろいです。
「新・平家」には資盛以外の小松家の面々はあんまり
出て来ないですね。
お言葉に甘えて、またお邪魔させてもらいますね。
よろしくお願いします。
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