近藤栄次朗 新風会(アーツ) 株式会社 エミ
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
 投稿番号:100072 投稿日:2000年12月19日 13時41分53秒  パスワード
 お名前:服部 明子
経済:度量衡:貫・石など

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

友人の板で「貫とはどのぐらいなのか?」という質問がありました。
私は1560年当時、1貫=10石と読んだ記憶があったような。

そこで昔の度量衡について教えて頂きました。

[1]服部 明子さんからのコメント(2000年12月19日 13時44分35秒 ) パスワード
  

風太郎さんより:


1貫=10石か? という話でしょう? 
ちょっと長くなるけど、古語辞典を転記します。

「鎌倉時代以後、武士の知行高の換算の単位。
中世には米1石を銭1貫文とするのが公定であったが、
実際には10石もの収穫のある田地の価格も1貫文であったという」

1560年は秀吉が全国統一する前で、
全国的な商業流通も確立していないから、
度量衡は領主によって少しずつ違っていたと思います。

1石のお値打ちが1貫から10分の1まで目減りした理由は
古語辞書には載っていません。

でも土地の値打ちがしだいに安くなっていったと想像すれば、
なんとなく話が分かりそうな気もします。


小学生用の歴史入門書(岩波書店)を読むと、
年貢を取る側が有利になるように、
度量衡の単位はだんだんインフレしていく傾向はあったようです。


ちなみに、北条早雲が初めて領地をもらったときの単位が気になったことがありまして、
面積から推定して1貫=10石とすれば広すぎるので、
1貫=1石と考えました。





ワイワイグッチさんより:


石(こく)は体積(容量)の単位であって、10斗、100升、1000合。
貫は重量の単位で、1000匁、3.75kgとあります。

新潟県立歴史博物館のBBSで、ka 氏の情報によると、
米の場合は1合≒150g です。

従って1石は約150kg、40貫になります。

石と貫を単に体積と重量として比較する時は、比重が問題になります。

お金に関しては、難しくて、どの通貨をもとに換算したかが問題になります。
石を両に換算して、貫と比較することになると思います。

例えば、何とか通宝3.75kgが何両になるか、
その時の米1石が何両だったか
(本来は1石=1両ですが政府の都合によって、変わります)です。

小輩は縄文人ですので、特に江戸時代のお金については詳しくありません。

蛇足ですが、40年前まで靴の大きさを「文(もん)」で言っていました。
あれは、何とか通宝の直径の何倍の長さであるか、言っていたものです。

例えば、10文は何とか通宝10枚分の長さです。
[2]服部 明子さんからのコメント(2001年09月14日 21時30分03秒 ) パスワード
  

「貨幣経済」。

平安時代に徐々に貨幣が浸透し、隆盛をきわめた後、
戦国末期に西日本で一時的に貨幣が米に代替されるまで
鎌倉時代にはもうどっぷり貨幣経済だった。

封建時代の人が物々交換してた、とか
自給自足だったとかって、
あれ迷信だよ。

税金がもうお金だったからね。
為替もあったんだ。
人間て昔っからすごく合理的だったんだね。


戦国時代(1543年)の天文法華一揆の乱ていう宗教闘争があったんだけど、
ひどい小説家がいてね、
「比叡山は貨幣を交換する人たち(=法華衆)を理解していなかった」と書いてた。
バカ言うな。
比叡山は鎌倉時代から最大の金融機関(銀行と考えられたし)だったんだぞ? 
この程度の知識のやつが歴史を語っているのかと思うと・・・・。


昔の人は驚くほど合理的だった。
当時のアジア人はみんな中国銭を通貨として使ってたんだから。
いまで言うと米ドルで世界が統一されてるみたいなもの。
現代人よりよっぽど合理的だったかも知れない。

朝鮮/ベトナム/琉球も自国鋳造銭を造ったけど、
これはあくまで不足分の補充。
基本は中国銭。
これによって、広域商業が可能となった。
これは当時、東アジアで一番おくれていた日本にとって、
広大な市場への参入が可能になったことを意味する。
これを考慮せんと、鎌倉〜足利時代に経済が大発展したことを説明できないと思う。
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年09月15日 12時17分17秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


タイトル*豊臣秀吉の対歴史的犯罪行為?*



日本人が昔の経済単位というとすぐ「米」を連想しちゃうのは、
豊臣秀吉の太閤検地と徳川時代に
武家の「格」を示すために「石高」が使用されたからです。

でも(あまりに当然のことなんだが)通貨は用いられていましたし、むしろ米よりそっちのが広範囲に使われた。


日本で「石高」が大々的に使用されるようになったのは、戦国時代後期、一時的に銅銭が不足したことと関係があります。

当時、特に西日本で銅銭が不足する事件が発生したのです。詳細は史書に譲るとして、
要因は「メキシコ銀」でした。


あきこさん、「メキシコ銀」は知ってるかな? スペインがアメリカ大陸を占領したため、インディアンが大量保有していた銀がヨーロッパに流入し、銀の価格が暴落、南ドイツで銀山を経営していたフッガー家が没落したことはあまりに有名です。


スペインはたいした輸出品を持ってなかったので、対外貿易には金と銀を使用しました。
それで、特に当時世界で最も経済が発展していた中国(明)に、大量の銀が流入し、
銅銭が鋳造されなくなり、銀が税金の対価となった(有名な地丁銀はここで確立された)

そのせいで対中国貿易に大きく依存していた西日本では通貨の不足が発生し、米が経済力の指標となったのです。

それまではむしろ通貨で経済力を表すほうが普通でした。

たとえば毛利元就は家臣(属した武士)の経済力と「格」を貫高で表示した。
「貫」は何度も言ってるように、銭1,000文を一貫としたもの。

気候と食生活のせいで西ほど米を作っていなかった東日本では貫高制が唯一の経済指標でした。

後北条氏は家臣の禄をすべて貫高で表示した。


当然、発展した経済を米だけで計ることは不可能なので、
徳川幕府は家光の時代に寛永通宝を鋳造しました。
これが日本の本格的な自国通貨発行の始まりです。

それに、徳川時代の「石高」は基本的に、武家の「格」を表すためのものでした。


実際の経済力は石高には完全に反映されなかったのです。

たとえば、石高29万石の毛利藩は、初代・輝元の末年にはすでに50万石の経済力があった。幕末には90万石まで増大します。でも、「石高」はずーっと29万石のままだったのね。

もっと極端な例が薩摩藩でしょう? 薩摩藩は77万石だったそうですが、沖縄全域を植民地支配し、圧倒的な経済力を誇っていた。おまけに、薩摩藩では兵農分離が幕末まで貫徹しなかったので、全人口の40%が何らかの形で「武士」だった。そう考えると、薩摩藩は全東北を支配する以上の実力を持ってたことになる。そう考えると、この両藩だけで、十分幕府に対抗できるね。

加賀百万石だって、実際には100万石あったか疑わしいしね(だって、石川と富山よ?)。


僕が疑問なのは、正確な経済力を把握するのに便利な通貨による指標を徳川幕府が復活させなかったことです。

諸藩が経済力を把握されるのを嫌ったからでしょうか?
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年09月15日 12時21分17秒 ) パスワード
  

メールです。


タイトル:貴金属の不足か?


徳川幕府が正確な経済力把握に便利な通貨指標を復活させなかった理由は、
もしかしたら徳川時代中期に深刻化した貴金属の不足があるかも知れません。

有名な話ですが、徳川吉宗のころにはすでに日本は貴金属採掘が限界に達しつつあった。
青木昆陽という学者は、儒者だけあって、貴金属の不足(彼は銅について言った)が不可避なら、「鉄」で代用すればいいという上申書を将軍に提出しているんですね。明子さんの金属の知識は知らないけど、鉄は銅より劣化しやすいのね。だから、鉄を通貨にする案は実施されなかったらしい。


日本は世界屈指の鉱業国でした。中国や朝鮮におくれていた日本の、有力な輸出品は金と銅でした。銅は、硫化銅(日本にはこれが多かった)を精錬する技術がなかったので、中国に粗銅を輸出し、銅銭を輸入したのです。変な話と思うかも知れませんが、金と銅の価格比の問題もあり(だいたい日本は外国より金が安い)、日本にとっては非常においしい貿易だったようです。

そうやって日本は数百年にわたって貿易で大もうけしてきたのでしたが、ついに貴金属の枯渇という事態が発生した。

そのせいで幕府が劣悪な貨幣を鋳造せざるを得なくなり、貨幣価値が下落してインフレ状態になった。

青木昆陽の提案はこれを土台として考えられたものです。



また、日本で大々的に銅銭が鋳造されなかったのは、「錫すず」(化学記号Sn)が全然産出されなかったことにもよる。

金属は純金状態では脆く劣化しやすいため、使用できない。

日本は通貨を獲得するために、中国に依存してたことになる。

銅と錫の合金を「青銅」といって、文明時代の最初期を支えた。

日本はこれが造れない国だったのです。
通貨が純金の塊だった原因はここにあるかも知れない。
[5]服部 明子さんからのコメント(2001年09月15日 20時39分41秒 ) パスワード
  

メール続き:

タイトル:米ドルと投機



スペインの金銀収奪は規模が史上空前(おそらく、もうあれほどの悪行はできない)ですよね。

原住民は持ち込まれた病気と虐殺で90%ぐらい減少しちまうし。

ヨーロッパ人で広大な土地に進出したのはイギリス人、スペイン人、ポルトガル人、ロシア人の4民族だけど、スペインのが一番苛酷だね。

銀は19世紀までは基軸通貨だったんですよ。
日清戦争の時、清国が賠償金を銀で払ったことは有名。
ただし、結局金に押されて、基軸通貨でなくなった。

やっぱ、基軸通貨が二種類あると困るんでしょうね。
金と銀の交換レートは絶えず変動するし、そうすると投機が横行して不労所得が増える。
マルクス主義者のような物言いだが、「何も生産しない、経済発展に貢献しない」金儲けが横行すると、経済に好くないのは世界普遍の真理だから。


だから、金銀問題は通貨問題と同じなんですよ。

今の世界は米ドルを基軸にお金の交換をやってます。
GNPって、米ドル以外で表示されないでしょ? 
世界中で通貨が乱立してると、投機が起こる。

たとえば、「1ドル=100円」、「1ドル=10元」、「100円=20元」
だったとしましょうか。そうすると、どうなる? 

投資の知識のある人は、みーんな 元→ドル→円→元
の順でお金を交換するよ。
そうすると、何にもしないで、お金が倍になるよね? 

こんなことが横行したら、誰も働かなくなっちゃうでしょうが。
(同じ事が、大戦中の中国で起こった)


いかん、いかん、やさしい話のつもりが、まーた経済の話になっちゃってる。
[6]服部 明子さんからのコメント(2001年09月16日 09時29分30秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


円とドルの相場変動を利して稼ぐ・・・
僕らの子供たちからは化石のように思われてしまいそうな発想だ。
「へー? お父さんのころは楽して稼げたんだね〜」って。
そういう人間が増えたら、ホントに経済が破滅しちゃうだろうなあ。


おもしろいもんでね、
1920年代のファシストはけっこう「投機の禁止」を主張してたんです。

ムッソリーニのファシスタ党、ナチも。
投機みたいに経済そのものを発展させない行為は、反共/資本主義防衛のファシストにとっても、わずらわしいものみたいね。

ちなみに、KGBの母体となったソ連の秘密警察チェカー
(ロシア語の頭文字Ч.К.に由来)の正式名称は、
「反革命、投機、サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会」っていうんですよ。
チェカーは「非常委員会」の部分の頭文字。


でも、今の日本じゃ政府が「投機しろ!」と言ってるしなあ。
デリバティブ(金融派生商品)を最初に考えたのは(江戸時代の)日本人だ、
と石原慎太郎は言ってたが。

本来「経済にとって健康」なことじゃないんだよね。
コンピューターでも、車でも、大昔だったら綿製品でも、何か新しい「物」が創られて、
経済が発展してゆくのがベストだからさ。


金融や投機があまりに大きい力を持つことは、どっちかって言うと
「ゆきづまり」
を象徴してるように思えてならん。
[7]服部 明子さんからのコメント(2001年12月09日 22時35分57秒 ) パスワード
  

メールを頂きました:


例によって、東日本の経済構造を分析してみたんです。

それから、鎌倉時代の豪族の苗字なんかをね。

それで、栃木県の豪族で特に強かった、宇都宮、小山、足利の人口を調べた。
そしたら、この3つと佐野市がやっぱ人口集中地帯でした。
足利のばあい、いわゆる「源姓足利氏」(尊氏の系統)以前から、
「藤姓足利氏」ってのがいた。

豪族は経済力の強い地域に蟠踞するから、栃木県の経済構造は結局、源頼朝の時代からあんまり変わってないことになる。
別に栃木が停滞してるんじゃない。
江戸だって、太田道灌のころ、既に東日本最大の都市だった。
ちょっと変化あったのは鎌倉の没落ぐらいかな?

で、今日、東北と関東の面積と人口を比較してみた。
面積比2:1、人口比4:1。
頼朝のころ、関東の人口は東北の約2倍あった。
別に関東武士が東北人より勇敢だったから勝ったのではない。
経済力で圧倒してたから勝った。
以後、東北は関東の殖民地として発展し、今に到る。
歴史なんて何も変わってないんだなあ、と。

関西だと、奈良が衰退したぐらいかな? あんま変わってない。

中京地区だと、経済・政治の中枢が名古屋〜岐阜のあいだを往ったり来たりしてるぐらいですね。
つまり、まあ、信長のころからは変化してない、と言える。
あの辺だと、知多が一番おくれてるでしょ?


そう考えると、日本の歴史なんて、ここ100年で太平洋岸が日本海岸を圧倒したことぐらいなんだね、変化したのって。
そして、ますます東京と大阪に人口と資本が集中した・・・ホントそのくらい。
[8]shun116aさんからのコメント(2005年05月31日 18時39分26秒 ) パスワード

質問です。台湾の恒春古城を見ました。その説明に周囲972丈、砲台・1丈7尺とありましたが、1丈は現在の長さで表現すると「?メートル」になるのでしょうか。教えて下さい。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月01日 00時09分15秒 ) パスワード

shun116aさん

小学校の社会の授業で習ったレベルですが
「時代」や「国」によって度量衡というのは異なりますから
台湾の丈を日本語の丈で考えててはマズイのではないでしょうか?

イギリスとアメリカでも桁が違ったりするんですよ。


1番確実なのは台湾政府の観光課に問い合わせることと思います。
そちらで丈とmの関係を教えていただけると良いですね。
[10]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年06月01日 00時49分50秒 ) パスワード

「台湾 恒春古城」を検索したら日本旅行のHPに行き当たりました。
でも載ってなかったのですが参考まで:

http://joho.nta.co.jp/sight_info.asp?siteID=3008&site_type=s

 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.08 by Rapha. WEB design Rapha.