[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年12月12日 22時46分05秒 ) | パスワード |
わくわく!
楽しみにしております。
[2] | 皇竹さんからのコメント(2000年12月13日 15時23分43秒 ) | パスワード |
昨日の続きを書きます。
(ネタ本は井沢元彦氏の「平家物語の怪」より)
−崇徳のたたり−
白河天皇−堀河天皇−鳥羽天皇−崇徳天皇−近衛天皇−後白河天皇
と皇位継承されていくわけであるが、
白河上皇が孫の鳥羽天皇の嫁さんに手を出したことによって
始まる皇位継承問題がこじれ、保元の乱に発展していく。
<他の女なら許せもするが、孫のお嫁さんではネ−>
<鳥羽天皇ならずとも怒れてくるわナ−>
争いに負けた崇徳上皇は讃岐へ流罪となる。
しばらくは悶々としていたようだが、やがて心も落ち着き、写経を始める。
この写経を後白河天皇に送り、何処かのお寺へ奉納してくれと
頼むのであるが、後白河天皇はこれを無視する。
自分としては、恭順を示す行為であったのに、これで崇徳は完全に
キレてしまった。
精神正常ならず、狂うように憤死してしまう。
<この事件は京雀たちの格好の餌食となった>
<そのうち崇徳の祟りがあるぞ>
<何か不吉なことがおこると崇徳の祟りだと怖れた>
時は移る。
徳川慶喜の大政奉還で幕府という武家政権から
一応形だけは天皇家に政権が戻った。
京都の公卿や天皇家の人達は自分達が政権を失ったのは
崇徳上皇の呪いだと長い間思っていた。
ですから明治維新は、崇徳上皇の霊をお慰めしてから
ということになり、8月26日に明治天皇は
讃岐の白峰神社へ使者を遣わし、今までの非を詫びている。
(歴代の天皇を地方へお祀りしたという例はないそうである)
その8月26日は崇徳上皇の命日にあたる。
そして9月6日には上皇の霊を乗せた輿が京都へはいり、
鞠大明神のそばへその御霊を移した。
9月8日に元号を明治と改元した。
<何百年もたっているのに、そこまで気を遣っているのは
驚きだ>
<それほどにまで祟りを怖れていたのであろうか>
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2000年12月14日 00時13分53秒 ) | パスワード |
>京都の公卿や天皇家の人達は自分達が政権を失ったのは
>崇徳上皇の呪いだと長い間思っていた。
公家の面目躍如というか
ズレているというか
面白い発想ですね。
武士の台頭を全く無視している。
ありがとうございました。
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