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 投稿番号:100063 投稿日:2000年12月08日 12時04分51秒  パスワード
 お名前:服部 明子
坂東平氏と源氏

コメントの種類 :その他  パスワード

友人のTOSHYさんから教えて頂きました:


足利氏が藤姓にもいたように、地味ながら畠山にも同様平氏系と源氏系がいました。
南北朝から戦国にかけて活躍する畠山氏は足利一門の源氏ですが、
源平合戦時代の有名な畠山重忠は平氏の出身ですね。

源氏は身内の争いが昔っからつきまといますね。
桓武平氏の内訌というと、平将門の乱・平忠常の乱。
もともと関東は平氏の天下でしたが、これらの乱で勢力を失い、
また源氏の名将頼信・頼義・義家の時代に源氏の家人になってしまいます。

ここでおもしろいのは、頼義の縁談です。
関東平氏のリーダー・平直方は源氏に追従の証として娘を頼義に差し出しました。
(その名は明子:笑)
そしてそこから義家が誕生しますが、明子の弟たちは源氏の家来になっています。
その一人・聖範は伊豆に本拠地を構え、北条と名乗るようになりました。

源氏嫡流と北条氏は、頼朝・政子の150年も前に、すでに縁を結んでいたのです。

[2]谷山正夫さんからのコメント(2007年08月22日 12時13分41秒 ) パスワード


最近服部明子さんの『坂東平氏と源氏』というタイトルを見て気になっていました。私は歴史に無知でこれ以上恥を晒したくないのですが敢えてまたコメントさせていただきます。

南九州の薩摩平氏には概ね到来順に見て先発・後発二回の移動があった。最初に到来したのは平安時代末期、村岡五郎良文直系坂東平氏で南九州の土地を開墾し、郡司、地頭請として治めていた。後発として平氏滅亡後鎌倉時代初期源頼朝麾下坂東平氏が新補地頭として下向してきている。

(注)後発組新補地頭坂東平氏系薩摩平氏については、以前平熱の別の稿に日本の苗字七千傑を著された先生のコメントで知りました。


先発の薩摩平氏特に伊作平氏は鎌倉時代から南北朝・室町時代初期までの約250年間に亘り土地の支配権をめぐり源氏新補地頭系嶋津氏庶流と訴訟・戦闘行為を繰り返してきた歴史がある。特に三代嶋津久経の時薩隅日に下向以後谷山郷にあった大宰府領 伊佐智佐神社の支配権をめぐる相克は特に顕著になってきた。)

私はそれまで平氏滅亡後源氏に組した坂東平氏がいて新補地頭として薩隅日へ下向して来ていたことを知りませんでした。郡司系の土地をめぐり同じ先発薩摩平氏同士が争っていたものと誤って認識していました。これでやっと背景が納得できました。源氏対平家なんて単純に割り切れるものではないんですね。

[3]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年08月22日 23時36分25秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

谷山正夫さんへ
 
坂東平氏の薩隅日下向についての補足
平安時代に下向した良文流平氏は伊作氏(のちの阿久根氏)だが、他の土着土豪が本貫地より切り離された様に島津氏領国時代に加世田に配置転換させられている。
鎌倉幕府は建久3年(1192)に成立。
建久8年(1197)に島津忠久が薩摩守護となりますが、初代忠久、二代忠時は薩摩には下向せずに鎌倉に居住、三代久経の時に薩摩下向。
家臣団も同様で、例えば宝治2年(1248)に渋谷光重が東郷、祁答院、鶴田、入来院、高城の五ケ郷の地頭として下向する。
渋谷氏の薩摩入部は、鎌倉幕府成立から50年以上も経過している。
以後、先任の大前氏が去らず並立して、渋谷氏が統一出来たのは室町時代に入ってからのことである。
現実の歴史は教科書の様に単純ではないですね。
[4]谷山正夫さんからのコメント(2007年08月23日 13時04分57秒 ) パスワード


日本の苗字七傑様

土着土豪の本貫地は嶋津領国時代には切り離されたり、配置転換させられたり大変な苦労をされたようです。しかしこれら土着土豪の領地(草高)はGHQ主導の農地改革以前まで所有を許されていたそうです。嶋津氏は寛大だったのでしようか、意外です。

阿久根氏の系につきまして、室町時代以降嶋津家臣団として提出した氏由来系図の分類では莫禰氏族となっています。その祖は確か太宰大監平季基ではなかったでしようか。子孫は莫禰(阿久根)氏、岩本氏、遠矢氏。

また惟宗姓伊作氏族では嶋津伊作氏、若松氏、西氏、岩見氏、恒吉氏

一方平姓伊作氏族の祖は平季基の兄平権太夫為久、その子肥前国追捕使伊作平次兼元で以後子孫は川辺氏、頴娃氏、阿多氏、給黎氏、別府氏、知覧氏、谷山氏、薩摩氏、鹿児島氏、指宿氏、他など。

なんだか頭が混乱してしまいます。900年も経つと本当に複雑になってしまいます。
[5]日本の苗字七千傑さんからのコメント(2007年08月23日 23時22分33秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/

谷山正夫さんへ
 
表記は、英禰、莫禰、阿久根と変化していますね。
伊作氏の出自に関しては、桓武平氏良文流、繁盛流、惟宗姓の説が存在する。
良文流説では良文−忠光−忠通−孝輔−貞時(伊作を称す)−良元−季基の後裔に英禰氏。
九州方面の国司として惟宗基言が日向守、惟宗忠信、惟宗俊弘が大隅守、惟宗広世、惟宗広言が筑後守に任命されているが、遥任国司で現実には惟宗一族を現地に派遣して実効支配したものと思われる。
英禰氏も推測だが、名族である外家(母方)の惟宗姓を称したのでは?
坂東平氏に限らず西遷御家人(下り衆)が九州に下向して実効支配するのは元寇以降のことである。
[6]谷山正夫さんからのコメント(2007年08月24日 10時33分14秒 ) パスワード


日本の苗字七千傑様

今回は薩摩平氏に関係する様ざまなご助言を有難うございます。こうして先生から直接お話を伺えることに感激し、また楽しくもあります。

これからも折りあるごとに少しずつでも学んでみたいと思っております。有難うございました。
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