[1] | 服部 明子さんからのコメント(2001年07月02日 22時13分59秒 ) | パスワード |
以下のメールを頂きました:
重忠の首塚は、旭区の区役所地近くにありますが、その近くに、
小さいけど、三角の形をした空き地があります。
そこに建物を建てると、たたられるらしい・・
あと、地名に「万騎が原」という地名が二俣川のそばにあります。
昔の合戦の時にちなんだ名前のようです。
(私の高校は、その近くにあり、
霊感の強い先生は、落ち武者の霊が見える・・・といっていた)
[2] | 服部 明子さんからのコメント(2001年07月02日 22時15分45秒 ) | パスワード |
北条時宗の前の執権「北条政村」の生まれた年というのは
畠山重忠の討ち死にした年だそうです。
[3] | 服部 明子さんからのコメント(2001年07月02日 22時41分04秒 ) | パスワード |
早速レスを頂きました:
重忠の首塚と、「万騎が原」という地名の由来はそのとおりです。
但、祟りとか霊の話はどうでしょう。
私は、そういう物を信じていないし経験がないから何とも言えません。
ただ、こういう話はあります。
保土ヶ谷バイパスというのが、二俣川の側を通っています。
何の変哲も無い、見通しのよいところなのに、きたいに事故が起こります。
その工事の時、多くの人骨が出たそうなんです。
恐らく、万騎が原の合戦の死者のものらしい、ということでした。
丁寧にお祓いをして弔ったといいますが、人によってはその霊が事故を引き起こすとか。
鎌倉時代の霊が、近代的車に呪をかけるかな。
彼等にしてみれば、得体の知れない物が動いてるだけで、かえって恐怖になるんじゃないかな。
重忠が今の車を見たら、呪をかける前に腰を抜かすぜ。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2001年07月02日 23時05分03秒 ) | パスワード |
重忠事故の顛末:
馬?牛?家?
鞭が無くても、あんなに早く歩いている。
驚いたなあ。
でも、ちょっくら乗ってみてえ。
そんだら、乗ってみんか。
と、車に飛び乗って、重心が変わってその車が引っくり返る。
それが事故って訳かい?
[5] | 服部 明子さんからのコメント(2001年07月02日 23時42分23秒 ) | パスワード |
別なレス:
そうそう、私がいつも行く「畠山地蔵」も敷地(?)には、
その時の発掘された人骨が葬られているんだよ。
そうか、相当の人数だったらしいから、
その武士どもが鎧を着て何人も飛びつかれたら、車もバランスを崩すわ。
こりゃ、お祓いをいくらやったって駄目だわ。
一度、観光バスかなんかを貸し切って、皆を乗せてやれば気が済むだろうに。
ガイドは私。
ワタシ「重忠は馬鹿だよなあ。 三浦が待ち構えているのを知ってて、そのまま行く馬鹿かがいるかよ。
重忠「馬鹿とはなんだ。 俺だって意地ってもんがあらあ」
ワタシ「そこが馬鹿だっつーの。 一度引き返して、出直しゃいいだろが」
重忠「ホントはよ、引き返したかったんだ。 でもなあオッカアが怖いんだよなあ」
ワタシ「・・・・・・」
[6] | 畠山 浩一さんからのコメント(2001年11月11日 20時37分14秒 ) |
本人によりコメントは削除されました。 2007年10月05日 16時36分28秒
[7] | いつも通りすがりさんからのコメント(2001年11月11日 22時31分45秒 ) | パスワード |
> 保土ヶ谷バイパスというのが、二俣川の側を通っています。
> 何の変哲も無い、見通しのよいところなのに、きたいに事故が起こります。
3車線の高速道路なみの道路ですが
ここでは、もうニ十年くらいになりますか、
看護婦を連れたDr.と別の運転手が些細なことから喧嘩となって、
こともあろうに、一番中央よりの車線に車を止めて喧嘩となった。
そこへ大型トラックが突っ込んで来て前車火の海に...。
トラックの運転手以外は黒焦げとなりました。
そのアスファルトの焦げた跡はその後何か月も残っておりました。
「争い」に天誅を加えた 万騎が原の合戦 の戦士の所業か?
意味は御理解頂けたでしょうか?PLS SHOW MAGIC AT NUMBER OF VOTES
[8] | 服部 明子さんからのコメント(2001年11月12日 01時13分36秒 ) | パスワード |
畠山さん
初めまして!
ご先祖さまの小話などご披露下さいね。
[9] | 今宿さんからのコメント(2011年04月22日 13時12分34秒 ) | パスワード |
保守
[10] | 足立 勗さんからのコメント(2015年08月24日 11時44分51秒 ) | パスワード |
悲劇の人、畠山重忠。実は関東の産鉄・製鉄の支配者であった。かって私は、足立遠元をキーワードとしてネットサーフィンをしていて、『日蓮聖人誕生傳承論』なる物に出合った。但しサイトを開いても何も出てこない、そこで試みにそのサイトのキャッシュをクリックしてみた。すると、なんと段落もないテキストファイルがぞろっと出てきたのである。おそらく本編を削除した後、完全にサイトを削除する前の談会だったのであろう。
そのテキストファイルを苦労して編集してみた。
その論文は某大学の助教授の論文で日蓮聖人に関する誕生秘話・伝説を書いた物である。
要するに具体的に名が出るのは畠山重忠と菊の前(足立遠元の娘)の間に生まれた梅菊・甕菊の姉妹が千葉氏の庇護で畠山氏滅亡の難を逃れ、京に上って白拍子もどきの舞姫として宮廷に上がる。後鳥羽法王の寵愛をえたが、梅菊に土御門法王のお手が付、懐妊する。後土御門法王は承久の乱に消極的で直接責任があったわけではないが父後鳥羽法王、弟順徳天皇が流罪になる中。自ら進んで責めを負い土佐国に入るになった。梅菊は身重の身体を抱えて母の故郷、安房の小湊に帰りそこで日蓮を生んだ。
という内容である。
何年か経過した。その後上の論文に対して反応がないかと注意 していたが出てこない。そんな時2014年10月ごろ、国会図書館の論文を検索しているとあった!!
『宗祖の母梅菊』(日蓮宗)現代宗教研究42 この論文は公開しているわけではないそこでコピーサービスを依頼しその到着を待った。
到着した論文はA4 20枚(A5 製本で40頁何種類かの梅菊の系譜を語って居るが結局論文の95%以上をついやして畠山重忠の鉄との関わりを展開している。
産鉄。鋳鉄、鍛冶の関東一円の分布を示し、それらに対する重忠の関わりを述べ
その葺きの原料としての歴史的背景、当時の鎌倉幕府の中で畠山重忠が置かれた政治的位置に至る情況を語って居ながら、この論文が相模國二股川の惨劇の原因として気づいていなかったのは残念である
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