キーワード:平重衡 コメントの種類 :史蹟
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秋天の奈良を楽しんで来ました。
訪れた先は重衡が焼き討ちをした興福寺、東大寺と
般若寺、安福寺です。
東大寺も当時は今より3倍も大きかったというから
大火の時は物凄いものであったろう。
般若寺からも東大寺の屋根が見えるので、
ここらあたりから火事の見物をしてみたかった。
これは不謹慎な失言。森総理じゃないんだから。
さて重衡の南都攻略についてはいろいろあるが、
今日は安福寺(木津川のほとり)の江口隆正 住職さんのお話を書きます。
「ここには重衡の墓があるとのことですが、本当ですか。」
と聞いたら、
江口住職さん曰く「胴体は本妻が京都へ持ち帰って、
葬ったが切られた首はここに間違いなく埋まっている」
と自信をもっておっしゃった。
この寺にお祭りしてあるのは重衡が切られた時に、
念仏を唱えながら抱かえていた阿弥陀仏である。
法然上人に念仏を唱えれば、極楽へいけると云われ
そのように実行した。ただ方々探したが仏様がなかったので、
近くの古堂より勝手に阿弥陀仏を拝借してきたものだという。
(源平盛衰記に記述あり)
切られた首は般若寺の門前に吊るされたという。
この般若寺は通称花の寺と呼ばれて、
山吹、紫陽花、秋桜で有名。
不生柿の地
「重衡は切られる前に柿を食べたそうだが、
その種が成長し木となったが実は成らず枯れた。
その後植え継ぐも実らず。との云い伝えがある」。
と住職さん。
しかし今柿はたわわに実っていた。
愚句一句。
”生首を洗ひし池の柿実る”
写真が出来ましたら掲載します。
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