[1] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月22日 22時14分23秒 ) | パスワード |
はい、そうですね。
大変、有名なご先祖さまですね。
[2] | 隈さんからのコメント(2000年11月24日 12時00分56秒 ) | パスワード |
有名な方の事しか書かれていないので、「その後はどうなったの?」と訊きたくなりますけどね。
いったいどうして伊賀の服部氏が向島に現れたのかを知りたい、と思います。
結局詳しいことは分からなかったのですが、戸籍調査のおかげでいろいろ判明したのは確かです。
あまりに私事で「平熱」の主旨から外れる一方なので、詳しく書くのは止めますが。
幸いかなり古い戸籍まで残っていて、明治18年作成のものまでコピーして頂きました。
いちばん年長者は、私の高祖父の母で、天保年間の生まれ。
身分の表記部分の伏字が2文字分だったので、「あれ、3文字(新平民)じゃなかったの?」と思っていたのですが、よく見るとコピーに次ページの他家の分がうっすら写ってて、透かして見たら墨で2文字「平民」と書いてあるのが読めてしまいました。
おそらく自治体によって表記法が違うんでしょうね。
[3] | 隈さんからのコメント(2000年11月24日 12時02分40秒 ) | パスワード |
それから、女紋の「対い蝶」ですが、意外な由来が判明。
『向島岩子島姓氏録』に「伊勢本」という姓に関する記述があり、そこの家紋が「向合蝶」であると書かれています。
それを読んで、ああそうかと思い当たりました。
取り寄せた戸籍謄本によれば、私の祖母の父、つまり曾祖父は、もともと「伊勢本」家の養子だった様です。
理由は分かりませんが、結婚する際に後を継がずに「新家創設」という形で妻の姓(服部)を名乗り、伊勢本家は廃家になっています。服部家は他にちゃんと跡取がいたんですけどね。
要するに家が途絶えてしまったので、家紋だけでも女紋にして残そうとしたのではと思います。
伊勢本家は、桓武平氏の伊勢家の流れだそうです。
以前服部さんに教えて頂いた家紋のHPの「旗本の家紋」の項に伊勢家の紋が載っていますが、なるほどうちの家紋と同じです。
[4] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月24日 21時08分01秒 ) | パスワード |
詳しく分かって良かったですね。
あの戸籍謄本というのはある意味では怖いですね。
全て家庭の秘密が記録されていますから。
[5] | 隈さんからのコメント(2000年11月28日 10時39分49秒 ) | パスワード |
確かに怖いですね。
うちも新事実が出てきて「ありゃ」ってこともありましたけど(笑)、それだけでなく服部家や、服部家と縁組した人々が、家を守るためにいろいろ試行錯誤したらしい跡もみられて、それなり感慨深いものがありました。
やはり、今調べてよかったと思います。
これから数十年先になってから調べていたら、きっとここまで分からなかったでしょう。
古い戸籍は抹消されてしまうだろうし、人間の土地移動も激しくなる一方でしょうから。
先祖調べなんて出来るのは、私の世代が最後かも。
今は遅ればせながら、平家物語の勉強をし直しています。
といっても私は古典がなかなか読めずにすぐ挫折するので、現代の歴史小説から読んでいますけど。
歴史小説はフィクションの部分も多いので鵜呑みにしてはいけないとは思いますが、系図が分からずグチャグチャの私の頭を整理するのには役に立ちそうなので。
そのうえで平熱を読んでは「なるほど〜」と頷く私(笑)。
まだまだ勉強が必要です。
[6] | 服部 明子さんからのコメント(2000年11月29日 11時43分58秒 ) | パスワード |
新しい発見など出て来ましたら
書いて下さいね。
[7] | 隈さんからのコメント(2000年11月29日 17時11分10秒 ) | パスワード |
そうですね、また何か分かったらカキコします。
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