小川もこ くりらじ シャベリン(アーツ)
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 投稿番号:100038 投稿日:2000年10月20日 23時46分55秒  パスワード
 お名前:服部 明子
源 範頼
キーワード:範頼
コメントの種類 :人物  パスワード

アイランズさん <islands@cyborg.ne.jp>からメールを頂きました。


わたくしの田舎(広島県石内)の本家の地所には「範頼神社」がありました。

過去形でいうのは、明治の神社合祀で今は村の鎮守、
臼山八幡神社に移されているからです。

石内という村は古山陽道(官道・大路)が通り、
宮島の神領地として統治された地域です。

源平双方の出城もあった土地で、
戦国時代には安芸武田が大内軍と領地を奪い合うといった
戦の因縁の色濃い村です。

詳しくは「ラパン」という旅雑誌に書いたのですが、
少し歴史をかじってみると、次々に謎が出てきて、
地元の郷土史家に訪ねても限界があり、これは万巻の書にあたらねば
と思っていた矢先でした。

村の言伝えでは、
範頼さんは例の壇ノ浦の戦い前に石内で陣を敷き、
数日滞在して村人とも交流したといいます。

「範頼神社」があったのも、それに関係があるのではと考えられます。

そこで、まずは範頼さんの研究をせねばと思うわけですが、いろいろ
ご教示いただければ幸いです。

自分のルーツにもかかわることのようで、血が騒ぐところもあります。
こういう話ができる仲間もおらず、よろしくお願いします。

[1]服部 明子さんからのコメント(2000年11月09日 00時21分45秒 ) パスワード
  

松山の南の伊予市に鎌倉神社があり
蒲冠者・源範頼を祀っているとされる。
[2]基清(Kijokazu)さんからのコメント(2001年09月26日 00時42分06秒 ) パスワード
  

私が住んでいる市に追浜(おっぱま)という地名があるのですが、
そこの地名の由来は頼朝に追われる身となった源範頼が、
浜辺で地元の漁師の助けを借りて追っ手を撃退し、
そこの浜辺が「追われ浜」と呼ばれるようになったところから来ているらしい。
そして範頼を助けた漁師は、蒲冠者の「蒲」の字を頂いて、
蒲谷と名乗るようになったといいます。
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年09月26日 12時34分57秒 ) パスワード
  

珍しい情報をありがとうございました。
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